第76話「まさか、おもしれー女!?」



『こちら“リルシス”。応答どうぞ』

「同調確認、感度良好。こちら“エルブラ”。これより学園敷地内へ進行を開始する」


 普段より少しキリッとした妹の声が脳内に響く。

 それに返答すれば、続いてハキハキと喋る凜々しい声が脳内に響いた。


『目標ポイントは試験が行われる二階の教室。学園内に進行し、“何事もなく”試験を受けて学園を離脱することが今回のミッションよ……あとなにこのノリ』


 主人の疑問の声は無視し、ジリジリと照りつける夏の日差しを浴びながら校門をくぐった。ミッションスタートだ。


 ――編入試験当日の現在、俺は試験と同等の重大な任務を課され、この学園を歩いている。それは、この脳内に響く声達にも関係のあることだった。というのも……


『いいですか兄さん? どこにラブコメの影が潜んでいるか分かりません。常に警戒を怠らないでください』

『クリアリングは大事よ、FPSの基本を思い出して。決して女の子とエンゲージしないように』


 えふぴーえすとやらはよく分からんが、つまりはそういうことだった。

 本日のミッションは編入試験。そして女子生徒との接触を避けることである。

 ……昨夜の会話以降、俺が学園の女と過剰に仲良くなってしまうことを警戒した彼女達は、今朝になって同行を申し出てきたのだ。

 しかし、試験は一人で受けるものであるし、部活にも入っていない二人には学園に立ち入る許可も無い。

 どうにか俺の動向を確認したい彼女達。それを解消するために、俺はこうして視覚と聴覚を屋敷にいる二人に貸し出しているのだった。今回だけの特別措置だがな。

 達人は己の武器をも身体の一部と同様に扱う。その術理を用いて、二人と感覚を共有しているのだ。


「ふむ」


 校門から歩みを進め、まずは事務室で受付を済ませるべくグラウンド脇を横切っていく。スーツ姿で歩くそんな俺の耳には、わいわいと活気のある声が届いていた。


「ほう、夏休みとはいえ、部活とやらで結構賑わっているものなのだな」

『ダメですよ兄さん迂闊に近づいちゃ! 惚れられちゃいますから!』

「俺は細菌兵器か何かか」


 殺戮兵器に相違はないが。

 警戒をにじませた声色に肩を竦め、周囲に意識を向けた。

 少年少女がグラウンドを走る姿、バットがボールを叩く音。若者が運動に従事する様子がそこかしこに見受けられる。ここからは見えないが、校舎内にも相当数の人間の気配がある。これらは文化系の部活動だろう。

 予想以上に人間の気配が多い。彼女達の心配事が噴出しないよう、出来得る限り人間を避けたルートを構築するべきか。

 視界の端に、俺を不思議そうな顔で見ながら走り抜けていく陸上部っぽい女生徒達を収めながらそう判断する。ただでさえ見慣れぬ男のスーツ姿で視線を集めるのだ、用心に越したことは――


「あっ! そこの人! 危なーい!!」

「ん?」


 焦ったような声にチラリと視線を上げる。

 その声はグラウンドから。ユニフォーム姿の女子生徒が、バットを振り抜いた姿勢でこちらに声を上げていた。


 ついで、こちらに一直線に飛んでくるソフトボールも視界に入った。


 このままでは頭部へ勢いよく当たってしまうだろう。良くて打撲。悪くて脳震盪といったところか。

 だが俺は泣く子も漏らす無双の戦鬼。たとえ銃弾でも、俺を捉えることなど出来はしない。

 俺はそちらに視線さえ向けず、何気なくそのボールを受け止めようと腕を上げ――


『待ってください兄さん!』

「!?」


 ようとしたところで飛んだ、こちらを打ち抜くような声に俺は全力で意識を集中させた。

 瞬間、世界はスローモーションに塗りつぶされる。

 周囲の人間の動きも、音も、俺が認識するもの全てが色を無くして緩慢な動きに包まれた。

 武に精通した者が極限に意識を高めた時や、死の際に立った者が見る世界の再現。所謂「止まって見える」というやつだ。


「どうかしたか、刀花」


 その間に、会話を続ける。

 俺の感覚を共有している彼女達ならば、この世界をも共有して会話が出来るはずだ。


『兄さん、今何をしようとしましたか?』

「普通に、ボールを受け止めようとしたが」

『それは悪手ですね、リゼットさんどう思います?』

『ちょっと待ってこの感覚気持ち悪い酔いそう……うっぷ……』


 ぐったりした声と共に、妹が背中をさすっている気配を感じる。

 しばらくした後に、我がご主人様は咳払いをしてこの会話に参加してきた。


『ダメよ、ジン。普通の人間はライナーを何気なくキャッチなんてしないわ。これは罠よ』

「罠?」


 穏やかではない単語が出てきたが……どういうことだ。


『例えば、兄さんが全力で誰かを斬りつけた時に、綺麗に受け止められちゃったらどう思います?』

「……小癪と思いつつも、感心するかもしれん」

『それよ。しかも相手は女子ソフト。このまま受け止めたら『すごーい! かっこいいー!』ってなって、さらに球を飛ばした罪悪感も相まって何かが始まってしまう恐れがあるわ。最悪、彼女達と共に全国を目指してしまうかもしれないわね』

「飛躍しすぎでは?」

『いーえ、兄さんは思春期女子を甘く見すぎです! はじめなんの興味も無かった男の子相手でも『あれ、私のこと好きなんじゃない?』って思っちゃったら意識してしまうものなんです! 少女漫画にそう書いてありました! ……どうしたんですか、リゼットさん』

『ちょ、ちょっと古傷が痛むというか……』


 気まずげに言うマスターはよく分からないが、俺はなるほどと頷いておく。

 たとえ箸が転がるだけでも、思春期というのは恋愛事に発展し得るのか。あまりピンとは来ないが、刀花がそう言うのならばそうなのだろう。


「では避けるか」


 俺はそう言って、こちらに向かうボールを首だけで避けようとし――


『ダメですよそんなカッコよく避けちゃ』

「どうしろと……?」


 またも入った『待った』に思わずそう言う。

 受けるもダメ、避けるもダメ。ではどうしろというのか。


『避け方を工夫しなさいってことよ。もっとこう、さりげなく』

「躓いた風に避けるか」

『えー、兄さんがカッコ悪いと思われるのは妹としてちょっと……』

「我が儘なお客様だ」


 だが、少女達の我が儘を叶えるのが俺の仕事である。

 弾丸のように放たれた白球に対し、この無双の戦鬼に許される対応の答えは……!


「おっと靴紐が」


 スッと。

 さも今気付きましたよというように、その場でしゃがみ込むのが俺の答えだ。

 その瞬間、頭上で空を切る音がしたかと思えば、校舎の壁にビターンとボールのぶつかる音が響いた。


「すいませーん、大丈夫ですかー?」

『スルーよ。あなたは危険に気付かなかった、オーケー?』

「了解した」


 グラウンドの方へバウンドしていく球をチラリと横目に、立ち上がって足早に去って行く。あまり近づかれると、そもそも革靴を履いており靴紐など存在しないことがバレてしまう。


「ふぅ、ミッション達成か」

『危機一髪だったわね』

『やはり学園は危険です……危うく兄さんがソフトで青春ラブコメを送るところでした』


 なにがどうしてそうなるのかサッパリだが、彼女達がそう言うのならばそうなのだろう。俺は門外漢だ。判断は彼女達に任せる。

 そんな二人は、危機を脱したことで安心したように『ふー……』と息を吐いていた。


『こういうハプニングもそうですが、一番の懸念は兄さん好みの『おもしれー女』が現れちゃうことですね』

『そうね……え、ちょっと待って。その理屈だと私ってそのおもしれー女だったってこと?』

「まあ、ある意味おもしれー女だったな」


 島流しされてきたポンコツ半人前吸血鬼などそういないだろう。

 しかしこの評価がお気に召さないのか、我がご主人様は不満げだ。


『な、納得いかない……でも確かにあなたってそういうセリフ言いながら女の子に迫ってそう』

『兄さんって少女漫画で言う俺様系ですよね!』

「俺様……?」


 確かに俺は天上天下唯我独尊の無双の戦鬼様なわけだが……これでも尽くすタイプだと自己申告してみる。


『デレてからのギャップに萌えるタイプですね、分かります』

『あー分かる。私、たまに軍用犬とか狼を飼ってる気分になるもの』

『それです! 誰にも懐かない孤高の狼が私だけに見せてくれる優しい表情! たまりません!』

『それねー。ご主人様ポイントを刺激するのよねー』

「俺をペットか何かと勘違いしていないか……?」


 最近、俺の威厳が無くなってきている気がする。我戦鬼ぞ? 今生一切塵芥に帰す無双の戦鬼ぞ?


「……黙って俺の女になれ」

『っ!!??』


 俺様系をご所望ということでボソッと低い声で呟けば、思念の向こうでどったんばったんとなにやら大騒ぎする気配がした。

 少しは面目を保てただろうか。


「さて、事務室まであと少し……」


 いい気分だ。俺の歩みを阻むものもない。

 気持ちも新たに、意気揚々と速度を上げようとした瞬間――


「ん?」


 一直線に延びるコンクリートの上。俺の進行上に目に留まる物が落ちていた。

 騒いでいた屋敷の二人も、俺の視界を通して目標を確認したようだ。


『……ハンカチね』

『それも黄色いハンカチです』


 それを認め、さらに視線を上げれば、


『……女の子ね』

『それも上品そうな女の子です』


 おそらく落とし主である少女が、楚々とした歩みで校舎へ向かう後ろ姿が見えた。


「……いや、これこそ無視すればいいだろう」

『だ、ダメよ。もしこのハンカチがお母様とかが縫ってくれた物だったとしたら可哀想だわ』

『そうですね、試験前に縁起も悪いですし……』


 俺はさっさと無視したかったが、彼女達の言葉に押し留まる。しかし、これを恩を売らない形で届けるとなるとなかなか……


「……して、作戦は」

『う、うぅ~ん……』


 目の前に転がる再びの難題に、俺達は頭を悩ませるのだった。




「ようやっと校舎に入れたぞ」


 事務室で受付を済ませた俺は、そう独りごちる。


『ボスラッシュだったわね……』

『すごいです。まるでラブコメ主人公みたいでした……』


 疲れたような声に苦笑を返した。

 そう。ハンカチを持ち主の目の前へと強風を用いて飛ばして解決した後も、俺達は数々の難題に晒されそれをクリアしてきたのだ。

 食パンを咥えて曲がり角を曲がってきた少女を華麗に避け、意味深に沈んだ表情でブランコに揺られる少女を見て見ぬふりをし、風でスカートが捲れてイチゴ柄のパンツを晒す少女の姿を全力で無視した。


「まあ、ここまで来ればもう大丈夫だろう」

『兄さんそれフラグ……』


 心配そうに呟く妹の声に肩を竦める。

 なに、今も校内の気配を探知し、可能な限り人気の薄いルートを選んで進んでいる。

 それが功を奏し、擦れ違う人間の数も最小限で済んでいた。ふん、勝ったな。試験受けてくる。


「案ずるな、この先の階段を上ればいよいよ試験会場だ」


 安心させるように彼女達にそう言う。

 そうしてスリッパの立てる軽い音を聞きながら、俺は最後の曲がり角を曲がった。


 ――瞬間、柑橘系の香りが風に乗って鼻をくすぐる。


 視線を上へ。

 目の前の階段に、一人の少女の姿があった。

 後ろ姿しか見えないが、少女は大きな段ボールを抱え、覚束ない足取りで階段を上っている。ふらふらとするたびに、セミロングの黒髪に結んだスカイブルーの紐リボンがひょこひょこと揺れていた。


『トーカ……私すごい嫌な予感がするんだけど』

『奇遇ですねリゼットさん、私もです。震えが止まりませんよ』


 戦慄する少女達の声に、俺も冷や汗を流す。

 いやいやまさか。ようやくここまで何事もなく辿り着いたのだ。ここで全てを台無しにされたくは――


「!」


 しかし俺の祈りは届かず、目の前の少女はバランスを崩した。

 段ボールの重量に導かれ、その少女は後ろから階段を落ちようとしている。あれでは最悪、打ち所が悪ければ死ぬだろう。人間は三十センチの段差でも死ぬ脆い生き物なのだ。


『ジン――!』

『兄さん――!』

「ちっ」


 少女達の声に従い、落下ポイントへ身体を滑り込ませる。チラリと見えた段ボールの中身が大量の本であることも確認し、それらが少女の身体を押しつぶさないよう、さりげなく足で蹴り飛ばした。


「!?」


 そのままスライディングの要領で少女の身体を掻っ攫う。少女の身体は小さく軽い。よくもあの大量に本の詰まった段ボールを運ぼうとしたものだ。


「……自分の力を過信するな、たわけめ。勇気と蛮勇を履き違えた時、それは形となってその身に牙を剥くのだ」

「……?」


 身体の動きも止まり、腕の中の少女に文句を言えば、少女はキョトンとした様子でこちらを見ている。俺の顔……というよりは俺の服装に着目しているようだ。スーツに思い入れでもあるのだろうか。

 ……叫び声を上げなかった点といい、肝が据わっているのか?


『うわぁ、これ以上ないってほど助けちゃったわね……』

『あわわわ、せめておもしれー女じゃないことを――ん? んん~……?』

『どうしたのトーカ』

『この方、どこかで……はっ!?』


 落ちた本から立つ埃が陽光に煌めく中、少女を立ち上がらせた。

 華奢な少女だ。あまり存在感を主張しない雰囲気だが、顔立ちは整っている。特徴といえば幸の薄そうな目元に……肩から提げた、一冊のスケッチブックくらいか。

 だがそれらを視界に収めた時、刀花が何かに気付いたように、にわかに声を震わせた。


『せ、セミロングの黒髪に青いリボン、そして革製のブックカバーに包まれたスケッチブック……ま、まさかこの方は!? ま、まずいです!!』

『知っているのトーカ!?』


 脳内に少女達の焦った声が響く中、目の前の少女は無言でペコペコとお礼をしてから、おもむろにスケッチブックを手に取った。


『一年生の冬から頭角を現し、多くを語らない……というか語れない、ミステリアスな雰囲気と儚げな笑顔に多くの男女がその虜に! “薫風の遠くから静かに眺めていたい女の子ナンバーワン”とはこの方のこと!』

『えらい詳しいわね』


 スケッチブックを捲る少女は、ポケットからサインペンを取り出し、その手で何かを綴っていく。


『ファンクラブ会員数は他の追随を許さず、まさに薫風の知る人ぞ知るアイドル! 失声症を患いながらも、健気に学園生活を送るその方は――!』


 そして少女はキュッと文字を書き終え、こちらに見えるようスケッチブックを裏返した。


『助けていただきありがとうございます。新任の方でしょうか?』


 無言で少女が首を傾げれば、サラサラと黒髪が肩に流れる。風に吹かれれば飛んでしまいそうな微笑を浮かべる、その少女の名は――


『二年生の“沈黙の天使”こと……橘 愛たちばな あいさん、です!!』

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