第65話「節度とは……」
「失礼します」
「あ、はーい。どうぞ座ってくださいねぇ」
刀花と昇降口で別れたマスターは、職員室横の応接室へと通された。無論俺と学生鞄を小脇に抱えてだ。
俺としては刀花の様子も見続けていたかったのだが、まずは不馴れなマスターについておくべきだと判断した。
(ふむ)
俺と鞄を横に置き、落ち着いた様子で革張りのソファにスカートを押さえて座るマスター。
そうしてテーブルを挟んだ正面には、マスターに入室を促した声の主がおっとりとした笑顔を浮かべていた。
「あらあらまあまあ」
「? なんでしょう」
頬に手を当ててマスターを見つめるその者。俺は早速その気配を探る。
(歳は二十半ば、性別は女、目立つ部分に傷痕無し、瞳孔に異常無し……ふむ、殺気を浴びせても無反応。一般人――)
と、そこまで探ったところで隣のマスターが俺をペチっと叩いた。殺気がお気に召さなかった様子。仕方あるまい、隠れたヴァンパイアハンターだったらどうするのだ。
「コホン。えっと、先生? どうかしましたか?」
目で「大人しくしてなさい」とこちらに伝えたマスターは、誤魔化すようにして頬に手を当てる女へと問いかけた。
「あっ、ごめんなさいね。日本語が上手で、それに綺麗だったからつい驚いちゃって……」
わたわたと手を振って苦笑する女。しかし俺はその言葉を聞き、内心「ほほう」と感心した。
(ふむ、どうやら話の分かる人間のようだ。我が主の美貌はあまねく世界に認められるべきもの。これが分からぬようであれば、その素っ首叩き落とすところだったわ)
うむうむと心の中で頷きながら、女の背後に忍ばせていた刀を消す。その間に、マスターと女の会話は進行していた。
話を聞けば、どうやらこの若くおっとりした女がマスターの担任になるようだ。女の語り口や仕草からあまりキャリアを積んでいないことが分かるが、まあどこぞの中年のおっさんに担任になられるよりはマシかと妥協する。
大事なことは我が少女達の益になるか、ならないかだ。
「こちら、提出書類です」
「あ、そうでしたそうでした。ありがとうございます」
大人の教員が相手と思い身構えていたが、思ったよりも弛緩した空気が流れる。
そんな中でマスターが差し出す書類を受け取り、目を通す担任。それらの書類は誓約書であったり、プロフィールを記したものであるらしい。
担任は軽くチェックした後に頷き、マスターへ向けてにっこりと微笑んだ。
「はい、判子もきちんと押してありますね。ふふ、ようこそ薫風学園へ。……自分の国とは文化も違うでしょうし、何かあったらいつでも相談に乗りますからね」
「はい、ありがとうございます」
折り目正しく礼をするマスターに、担任は笑みを深くしている。タレ目気味のその瞳は多少頼りないが……大丈夫なのだろうか。
「ではブルームフィールドさん、早速困っていることとか、なにか聞きたいこととかはありますか?」
「そうですね……あ、サカガミさんはご存知ですか?」
質問タイムに入り、マスターは刀花について質問する。俺達が出会ったのは夏休み中で、おそらく学園の人間は何も知らない。刀花との関係含め、諸々説明しておかねばならないのだろう。
「あら、酒上さんを知ってるの?」
「えっと、こっちに来てすぐに知り合って――」
マスターは刀花が友人であること、事情があり共に住んで諸々助けてもらっていることなどを説明していった。
話を聞くたびに担任は頷いたり、相槌を打ったりしている。話を聞き終える頃には、担任の顔はぱあっと顔を明るくしていた。
「そうだったんですねぇ。ならちょうどよかった。なんと酒上さんも私のクラスにいますので、先生に言いにくいこととかがあったら酒上さんに相談してくださいね」
あぁん? こいつ、面倒事を刀花に丸投げする算段か? やはり教育委員会に連絡を――
「酒上さんってとっても明るくって、先生としてもすっごく助かってるんですよ。クラスの雰囲気も華やぐし、可愛らしいし。私じゃ頼りないかもしれないけど、酒上さんなら安心して任せられるわ……ふふ、このことは内緒ね?」
分かっているではないか!
嬉しそうに手を合わせる担任は「そっかぁ、素敵な出会いね」と呟いている。しかし……
「あ、でもそういえば酒上さんって一人お兄さんがいたはずだけど……」
む?
「先生、知ってるんですか?」
意外そうにマスターが呟くと、担任は「ええ」と言いつつ苦笑した。
「酒上さんがお兄さんのこと大好きなのは、この学園では有名な話ですからね」
「む……」
担任の「それで撃沈する男の子が多くって」という言葉を聞き、少しマスターの頬が膨らんだ。どうやら刀花が告白された時の断り文句の話は本当だったようだ。
そして恨めしそうに俺の端っこをつねるのはやめてくれマスター、生地が皺になる。
「酒上さんと一緒に住んでるってことは……えっと、お兄さんは?」
「へっ……その、一緒に住んでます」
「あらー……」
担任は困ったように頬に手を当てる。
「お兄さんっておいくつでしたっけ?」
「確か十七です」
戸籍上だがな。
「同じ年頃の男の子と同棲かぁ……担任としてはちょっと心配だわ。ブルームフィールドさんはそのあたりどう思ってる?」
「え、えっと……」
担任の質問に対しマスターは頬を染め、言いにくそうにもじもじと膝を擦り合わせる。その反応を見て、担任は「あら」と眉を上げた。
「……もしかして、お兄さんのこと好きだったり?」
「――!」
白磁の肌が赤く染まり、マスターは俯く。そんな彼女を見て、担任は目を輝かせた。
「あらあらまあまあ。外国で運命の人を見つけちゃったのね。ふふ、先生としては喜んじゃいけないところなんだけど……」
「その……節度は、守ってます……」
蚊が鳴くような声でコショコショと呟く。
おはようとおやすみのキスを毎日せがむのは節度を守っているに含まれるのだろうか。
「じゃあもうお付き合いを?」
「えと……は、はい」
「あら、じゃあ酒上さんも気が気じゃないんじゃないかしら? 大好きなお兄さんを取られちゃって」
「あはは……」
担任の言葉に曖昧に笑うマスター。まあただの人間に俺たちの関係性を詳しく説明する筋合いもない。
そのお兄さんは自分とも妹とも恋人関係を築いていると言っても、凡人には理解できまい。
曖昧に笑うマスターを見て、担任は考えるように「うーん」と顎に指を当てて考え込んでいる。
「お兄さん……面談ではどんな人だったかしら。なんだか結構怖めな人だったと思うんだけど……」
面識があっただろうか。
そういえば入学式前に刀花と共に面談をしたような……目の前の担任には全く覚えがないが、おそらく俺が覚えていないだけだろう。
「大丈夫? 家庭訪問とか――」
「だ、大丈夫です!」
一応は吸血鬼の住み処に人間をみだりに入れたくはないのだろう。マスターは慌ててそう言った。まあただ単に俺と人間を引き合わせるのを嫌がっただけかもだが。
「彼は、その、ちょっぴり強引で意地悪だけど、私のこととっても大事にしてくれてるし、本当に嫌がることは絶対にしないし……それに普段はちょっと危なっかしくて目が離せないけど、いざという時は頼りになるし、か、かっこいいし、それにっ――」
「あらあら」
「あっ――」
早口で捲し立てていたマスターは、目の前で微笑ましいものを見るような目をしている担任を見てハッとした。
いつの間にか上がっていた腰を下ろしつつ、真っ赤な顔を俯かせて「な、なので……大丈夫です……」としりすぼみに言って言葉を終えた。
「ふふ、先生としては不安だけど、まあ酒上さんも一緒にいますし大丈夫だと判断しましょう。ただ、何か問題があったら必ず先生にすぐ相談すること。これだけは約束してくださいね?」
「わ、わかりました」
指を立て、念押しする担任に頷く。
ほう、どうやら本当に話の分かる人間だったようだ。他の教員からしたら甘いのかもしれんが、俺は気に入ったぞ。
「それじゃ、少しここで待機しててください。時間になったらクラスまで案内して軽く挨拶してもらいますから」
「わかりました」
担任はそう言って立ち上がり「ちょっと書類届けてきますね」と言い残して応接室を去っていった。
「……」
担任が立ち去り、静寂に包まれる応接室。
壁に設置されたカチコチという時計の音がやけに鮮明に聞こえてくる。
「……なにか言いなさいよ」
上階の方でガヤガヤと人の気配がする中で、ポツリと呟く。
担任とのやり取りを見られたのが気まずいのか、マスターはそう言って唇を尖らせた。
内なる想いを赤裸々に語った。そんな少女の姿に、俺は――
「ちょ、ちょっと……無言で抱き締めないでよ……」
「……」
たまらなくなり、思わず人型に戻って彼女を胸に迎え入れる。
いきなりの行動に対し文句を言う彼女だが、その腕はしっかりとこちらの背に結ばれていた。
「すまん、我慢できなかった」
「……ばか」
素直に謝れば、甘い罵声と共に彼女は許してくれる。
だが、恥ずかしいことを言ったという自覚があるのだろう。彼女は赤くなった顔を隠すようにこちらの胸に顔を押し付けた。
「もう、恥ずかしい……」
「マスターが俺のことを好き過ぎるのが悪い」
「あ、あなただって……私のこと大好きでしょう?」
「無論だ」
顔を上げた彼女へ、甘えるようにすりすりと鼻同士を擦り合わせる。彼女の柔らかい肌と、優しい吐息の香りで愛しさが募っていくのが分かった。
「なかなかに情熱的な言葉だったぞ」
サッと彼女の頬に紅が差す。だが、
「まあ、俺の方がマスターのことは好きだがな」
「む……」
そう言うと少しムッとした顔をするマスター。
そうして一旦顔を離し、彼女は再びボスっとこちらの胸に顔を埋めた。
「……私の方が好きだもん」
「いいや、俺だ」
「……私」
「俺だ」
「私」
「俺」
「じゃあ証拠見せて」
胸の中で言うマスターは、こちらを上目遣いで見る。
頬は上気し瞳は潤み、言い合いをしているとは思えない表情でこちらを誘ってくる。
「証拠とはなんだ?」
「……もっとギュってして」
可愛らしいおねだりに応え、彼女をひょいっと持ち上げて足の間に乗せる。
逡巡もなく、後ろから言う通りに少し強く彼女を抱けば、彼女の口から満足そうな熱い吐息が漏れる。
「次はどうすればいい?」
「……好きって、言って?」
彼女の小さく、しかし熱い身体を抱き締めながら髪を撫でる。そうして彼女の真っ赤になった耳に唇を寄せて「愛している、我がマスター」と囁けば、彼女の身体がビクビク震えた。
「節度を守るのではないのか?」
「……いじわる」
およそ節度を守っていない行動を取る彼女に言えば、彼女はいじらしくそう言いつつ離れない。
いつもの強気な彼女も好きだが、今のようにふわふわと甘えてくれる彼女の雰囲気も俺は好きだった。
「俺も好きだぞマスター。この黄金の髪も、意思を感じさせる紅蓮の瞳も……分かりやすく感情が出る耳も、頬も、ここも……ここも好きだ」
「ふぁん……や、やだ。もう、だめだってば……」
言いながらその部位に一つずつ、唇を落としていく。
オーダーでもなんでも使ってやめさせればいいというのに、彼女は言葉でやだと言いつつ嬉しそうに受け入れていく。
「わ、私だって。いつもは冷たいのに私を見る時だけ暖かくなるその黒目とか、私を心配してできてる眉間の皺とか……ここも、ここも――」
くすぐったそうに身を捩って俺の唇から逃れた彼女は、そう言って今度はこちらにキスの雨を降らし始めた。
恥ずかしげな彼女の唇がこちらの肌をなぞるたびに、そこから甘い刺激と多幸感が止めどなく生まれてくる。その衝動に突き動かされ、負けじと俺も彼女の肌にキスを降らし続けた。
「あとは、そうだな。その瑞々しい真紅の唇も……」
こちらがそう言って赤い頬に手を当てれば、彼女は素直に瞳を閉じて顎を上げてくれる。
胸の前で指を絡ませ、かすかに震える彼女はまるで童女のような幼さを残している。しかし、その表情はまぎれもなく女として蕩けきっていた。
「これは家庭訪問されても仕方ないな」
「ば、ばか……早く……」
切なそうに言って顔を手に擦り寄せる彼女に、込み上げる愛しさを噛み殺して……
「リズ」
「ジン……」
熱い吐息を触れ合わせ、その距離をゼロに――
「ブルームフィールドさーん? じゃあそろそろ行きましょうか……どうかしましたか、日傘壊れそうですが……」
「ななな、なんでもないです!」
しようとしたところで時間切れ。
担任は不思議そうな顔で、日傘の両端を持ってバキリと折ろうとしているマスターを見ている。痛い痛い痛い。
「……あとで覚えてなさいよ」
『楽しみだ』
廊下に出て、ついてきてくださいねーと先導する担任に気付かれないよう声を交わす。
こちらの減らず口に彼女は頬を膨らませ、怒ったのかプイッとそっぽを向いてしまった。
「……もう、ばか」
耳に心地よい罵倒を聞きながら、俺達は担任の後を追うのだった。
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