第48話「翌日烈火の如く怒られた」
右、よし。左……よし。
私はドアからひょっこりと顔を出し、注意深く周囲に視線を巡らせる。屋敷の廊下にはうっすらとした明かりのみが、夜の闇に静かに揺蕩っている。
「……誰もいないわね」
耳を澄まし、自分以外の者が動く気配がないことを確認する。トーカが寝ているのは把握済み。あの子は夏休みといえども規則正しい生活を送る健康優良児だ。
ジンは定期的にしている近隣の見回りに行ったばかり。彼や私達にとって害を為す者や物がないかのチェックだ。いつもなら二時間ほどで帰ってくる。
つまりこの屋敷は現在、私以外に動く者はいないというわけだ。
私はその部屋……二階奥にある衣装部屋のドアを静かに閉める。そして足音を立てないようにしながら、衣装部屋で見つけたとある物を胸に抱き自分の部屋に戻った。
「ふぅ……」
安堵の息をつき、胸に抱いていたそのとある物を、丁寧にベッドの上に置く。
「……見つけちゃった」
少し乱れた金髪を整えながら、私はベッドの上に鎮座した『それ』を複雑な顔で見る。
キングサイズのベッドの上に広がる、衣装部屋で見つけたもの。白く清楚なホワイトブリムに、紺色の生地を使用したドレス。そしてそれを覆うように身に付ける純白のフリフリエプロン……まごうことなきメイド服が、ベッドの上に広げられていた。
「違うの。ほんと、違うの」
私は顔を手で覆い、誰に聞かせるでもなく言い訳を口にする。
きっかけはもちろん、朝の一幕だ。紅茶を淹れる際、「形から入るべき」と言ったトーカ。そうして形から入るべくメイド服をあの妹は着用したのだった。
本国の屋敷で見慣れているとはいえ、あの姿を見て「あ、可愛い」と思ったのは事実だし、初々しさも合わさって素直にあの姿は女の子の感性から見ても大変可愛らしく映った。
だからそんな可愛い衣装を、可愛らしく自分も着てみたくなった……というわけではもちろんない。
「……全部、ジンが悪い」
拗ねるように言って責任を全部眷属に負わせる。私は悪くない。ジンが……あんなにメイド服を着たトーカを猫可愛がりするから。
「うぅ、でもそれを認めるのも……私ご主人様だし」
そう、私はご主人様。ブルームフィールド家当主を父に持つお嬢様なの。眷属に可愛いって思われたいからこんな使用人の服を着るなんて、ご主人様としてのプライドが許さないの。
「……」
でも、今なら誰も見てないし……い、一度くらいなら?
「え、あれ、ボタンずれてる……これエプロンどうなってるの……? ここに肩を、あぁ皺に……!」
寝間着を脱いで下着姿となった私は、四苦八苦しながらメイド服を着ようと奮闘する。もっとちゃんとトーカが着てるとこ見とけばよかった……。
エプロンは少し皺になっちゃったけど多分これでよし。ニーソにガーターベルトは……もう出来る気がしないので黒タイツで代用する。
そうして所々誤魔化しながら数十分。なんとか全て身に付けることが出来た。その姿を、姿見の前に晒す。
「あら、あらあらあら!」
ねぇちょっと……私可愛すぎない?
姿見を覗いたその眼前には、少々恥ずかしげにスカートの裾を揺らす金髪の小悪魔メイドがいた。
トーカの時も思ったけれど、この衣装は着た者の雰囲気を柔らかくする。ツリ目がちな自分の目も、今はほんの少し抑えられて普段より華やいで見える。なんというか、しおらしさが醸し出されている気がするのだ。
「やっぱり美少女は何を着ても似合っちゃうのね……」
ご主人様なのに使用人の服も着こなせちゃうだなんて、なんて罪なご主人様なの私ったら。
「ふふっ♪」
私は調子にのって唇に指を当て、パチリと鏡に向かってウインク。はい可愛い。
続けてちょっともじもじとしてしおらしさを強調しつつ、上目遣いに鏡を見る。
「コホン。ご主人様……して?」
なーんちゃってなーんちゃって! 具体的に何をして欲しいのかはさっぱりわからないけれど! とにかく可愛いからよし!
はぁ……私、自分の可愛さが恐ろしいわ。自分でやっててすごくドキドキするもの。普段から上の立場に君臨する私が、従属の証であるメイド服を着ているという背徳感も手伝い、私のテンションもハイになってしまっている。
「ジンが見ちゃったら世界を五周はしちゃうわね」
まぁこんな姿誰にも見せられないけれど。
でも……もしこの姿をジンが見たら、彼はどうなっちゃうのかしら。
トーカの時みたいに窓から飛び出しちゃう? それとも……
『マスター……いや、リゼット。こんな服を着て、いけない子だな』
『ご、ごめんなさいジン……』
『違うだろう? 今のお前は』
『――あっ、ご主人、様ぁ……♪』
『今夜は俺がご主人様だ。この俺を呼び捨てにするとは。教育の行き届いていない悪いメイドには、お仕置きが必要だと思うのだが?』
『は、はい……♪』
『喜んでいるのか? お仕置きを喜ぶいけないメイドには、朝までたっぷりと教育を施してやるからな……』
『お願いします……この悪いメイドに、いっぱいお仕置きしてください。あぁご主人様、ご主人様ぁ!♪』
そうして私はご主人様の強く逞しい腕になす術もなく、強引にベッドに押し倒されて――!
きゃー! きゃー!
私は真っ赤になった頬を抑えていやんいやんと首を振る。ついでベッドに飛び込んでゴロゴロと転がった。
ちょっとヤバすぎない? 完全に見えたわヴィジョンが。いつもは私に悪戯しつつも大事にしてくれる彼が、本能の赴くままに私を好きにする展開。すっごく、ドキドキする……あぁだめ私、今絶対他人に見せられない顔してる。
これは、危険だわ。彼にとっても私にとっても、この服は互いを暴走させてしまう可能性を秘めているわね……。ダメよ、こういうプレイはちょっとマンネリ化してからなの。初めては夜景の綺麗なホテルのベッドって決めてるんだから。
――名残惜しいけどここが潮時ね。
「いけないわ。これは厳重に封印しておかないと――はっ!? 殺気!?」
肩からエプロンを外そうとした瞬間、ドアの方から漂う淀んだ気配を察知する。その禍々しい気配は階段を上り、ゆっくりとこちらの部屋に向かって来ている。
「ひっ!?」
そのおどろおどろしさに身を竦め、思わずベッドの下に隠れた。ちょうどベッド下からドアが見える位置に滑り込むと同時に、ドアノブがガチャガチャと執拗に回される音が部屋に響く。そして……
バキン、と鍵を破壊する音と共に、ドアがゆっくりと開きその者の顔を暴く。
「カハァー……」
「!?」
幽鬼のように緩慢な足取りで、口から瘴気を漂わせて入ってくるのはもちろん、私の忠実なる眷属、サカガミジンその人だった。黒い和服をボロ布のように着こなし、その頭部には戦鬼の証たる二本の角。しかし、その目付きは明らかにおかしく、瞳には理性の光がないように見える。
「カハァー……」
彼はフラフラと、妖しい光の灯った瞳で何かを探すように私の部屋を見渡しながら歩き回っている。
一体何があったの……。彼がこんな風になるなんて。まさか敵に襲われて精神攻撃を受けたとか!?
だとしたらまずい。この無双の戦鬼を止められるものなんてこの屋敷には……
「……気配ガ、スルゾ」
「?」
な、何か言ってる……?
私はこの状況のヒントを探るべく、ばれないよう息を潜めながら、彼の言葉に注意深く耳を傾けた。
「マスターガ、何カ可愛イコトヲシテイル気配ガスルゾ……!!」
何その気配ーーー!? どこの器官で察知するのーーー!?
(はわわわわ……)
これは……まずい。見付かったら多分、食べられる。いろんな意味で。
(に、逃げなきゃ……)
瞬時に結論を下す。今の彼はまともじゃない……。
逃げるタイミングを計るべく、私は彼の姿がよく見える位置に移動しようとする……が、着なれない服のせいで思ったように動けない。特にスカートが長くて足が上手く動かせず、もどかしそうにもぞもぞする。
――そうして足元ばかりに意識をやっていたのがいけなかった。
ガン!
「っ!」
思わず強く打った頭を抑える。足元に注意するばかりで、ベッドの低さを把握していなかった。頭をぶつけた衝撃で涙目になりながら、彼の方を見る。もちろん無双の戦鬼は唐突に響いた音を聞き逃がしてくれるわけもなく……
のそり、のそり――
こちらからは足しか見えないが、彼の足がゆっくりとこちらに近付いてくるのが見える。それはまるで、死へのカウントダウン。私は死刑台に続く階段を一段一段上らされている気分だった。
ピタリと、目の前で彼の足が止まる。あぁ、終わった……。お母様ごめんなさい、私今から星になります。二時間ほど目をお瞑りください。
そうして両手を口で塞ぎ呼吸音すら漏らさないようにしていた私は自分の最期を悟った。
「……」
「……?」
しかし、彼がこちらを覗く気配は一向にない。疑問に思うが、こちらから何か出来るわけでもなく、緊張の時間が続く。も、もしかしてまだばれてない?
数十秒か、数分か。もどかしい時間がしばらく続き、彼はゆっくりと私のベッドの上に手を伸ばした。
「……マダ、温カイ」
「!」
よ、よかった。まだばれてないみたい。多分理性を失っているから、彼の気配察知機能が十全に発揮されてないんだわ。助かった……
彼は先程まで私が座っていたシーツを持ち、温度を確かめている。そうして彼は用済みとなったシーツを……
「……マスター、イイ匂イ」
「!?」
ちょちょちょちょっとーーー!? なんで匂い嗅いでるのあの戦鬼ーーー!? や、やめてよ恥ずかしい! しかもいい匂いって……ややややめなさいよもうもう!
「……近クニ、マダイル」
「っ」
思わず出て行きそうになったところをすんでのところで堪える。なんなのよこの戦鬼……警察犬か何かなの?
彼はシーツをベッドに放り、キョロキョロしてから部屋奥の窓際方面に足を向けた。
(チャンス……!)
私は大胆に、しかし音は立てないようベッドの下から這い出て、彼が開けっ放しにしていたドアから出る。その際に着替えの寝間着も手に取るのを忘れない。
そして部屋の外に出た私は木製の柵から飛び降り、足音すら立たない翼を生やして玄関ホールを横切る。そうして誰の邪魔も入らない、トイレへ逃げ込むことに成功したのだった。
「ふぅ……」
か、勝った……!
明るいトイレと、戦鬼の気配が遠ざかったことで思わず安堵の息をつく。ここまで来ればもう大丈夫でしょう。
力が抜け、メイド服のまま便座の上にへたりこんだ。危ないところだった。あのままもし見付かっていたら、めくるめく大人の世界が展開していただろう……ちょ、ちょっといいかもと思わないでもないけど、さすがに初めてがメイド服なのはご主人様の沽券に関わるので……
「さて、早く着替えて証拠隠滅を――」
息も整った。夜も遅いしそろそろこの騒ぎを終わらせよう。
そう思い、スカートを捲り上げタイツに手をかけたところで……ふと気付くことがあった。
――あれ、私トイレの電気って点けたんだっけ。
入った時から明かりは点いていた。でも、いつもは「電気代がもったいないですよう」とトーカの言で消しているはず。
いつもとは違う何か。その事実が、透明な水に墨汁を垂らしたように、私の心に不安を広げていく。
「はぁ……はぁ……!」
息が切れる。い、いや落ち着きなさいリゼット=ブルームフィールド。たまたまよたまたま。トーカあたりが寝惚けて消し忘れただけ。そう、きっとそう。私は明かりに引き寄せられた蝶ではないのよ。
ほらご覧なさい?
右を見ても鏡だけ。
左を見てもトイレットペーパーの山だけ。
下にはカーペットで、天井には――
「見つけましたわぁあぁぁあぁああぁ」
「ひいぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいぃいぃぃ!?」
恐怖に叫び飛び上がる。
天井を見上げた先、そこには蜘蛛のように四つん這いで天井に張り付く黒髪の女性がいた。その長い黒髪はダランと重力に従い、彼女の顔を覆い隠す。しかし、私にはその正体が分かっていた。
「さ、サヤカ……」
「ごきげんよう、私の可愛い主様」
ぐるんと独特の軌跡を描き、彼女は私の前に立つ。そして頬に手を当てうっとりとした顔を私の眼前に晒した。
「あぁ、なんて可愛らしいのでしょう……」
「ちょ、ちょっと! ここトイレ――」
「あら、この姿では私、女になりきっていますのでご安心を」
「それってアリなのむぎゅう」
私の言葉を待たず、サヤカは私を問答無用で正面から包み込んだ。この問答無用さ、サヤカの姿になってもこの戦鬼、冷静になってない!
危険を悟った私は生意気なバストから抜け出そうとジタバタと暴れる。この姿を見られたという羞恥心も重なりいてもたってもいられなかった。
「はーなーしーてー!」
「あら、暴れると体をぶつけてしまいますわ。もっと広いところに行きましょうね」
「!?」
彼女は私を抱きすくめたまま、パチンと指を鳴らす。
そうすると景色が瞬時に変わり、私はいつの間にかベッドの上に仰向けに転がっていた。え、ここ私の部屋!? なんで!?
「こことトイレの距離を移動する時間を斬り殺しただけだ。その結果、お前の部屋に移動したという結果だけが残る」
「じ、ジン……」
そしてベッドに転がる私の目の前には、黒い和服に身を包んだ男がこちらを見据えていた。
つ、捕まってしまった……。逃げ切れたと思ったのに、私はまんまと術中にはまりマウントポジションを取られていた。
「あぁ我が可憐なマスター、抱き締めさせてくれ」
「ちょ、ちょっと待って! ひゃっ、むぐ!?」
私の言葉など何の意味も無く、彼は私をその胸に抱き寄せる。そうして私を抱き締めるだけでは飽きたらず、いつにない強引さで私の唇を奪った。
「んっ……ぷはっ、だめジン、こらぁ……ん、ちゅ……」
呼吸を整える間もなく、何度も、何度もキスを交わす。
まるでさっき妄想したような彼の強引さに、抵抗しようにも力が全く入らない。弱々しい拳で彼の胸を叩き抵抗の意を示すが、そのたびに耳元で「可愛い、可愛い」と囁かれると、ふにゃっと腕から力が抜けていく。
「なるほど、これが紅茶の報酬か。なかなかいい趣向じゃないか」
「ち、違ううぅ~……!」
あっぷあっぷと、溺れるようなキスの中で言葉を交わす。
「なんだ違うのか?」
「ひうぅぅ~」
彼がそう言いながらも頬、耳、うなじに唇を滑らせるたびにゾクゾクとした感覚が私を襲った。
羞恥と、甘く幸せな感情と刺激に頭の中がパンクしそうになりながら、私は無我夢中で言葉を紡いでいく。
「ち、違うの! これは、その……トーカのを見てちょっと着てみたくなったというか! 決してあなたの為じゃ――」
「……本当か?」
「ふえっ?」
ピタリと、彼の動きが止まった。
思わず素っ頓狂な声を上げた私を、彼は目を逸らさすにじっと至近距離で見つめてくる。
「俺の為じゃ、ないのか?」
「え? そ、その――」
「違うのか……?」
「あっ、あっ――」
あぁだめ……そんな真剣な瞳で私を見ないで。
まるで私の奥底を覗き込むような……私の心を丸裸にする視線。そしてその黒い瞳の奥には、私への情熱と愛が燻っているのが見える。
こんな、こんな目を見せられたら、私――!
「……の、ため……」
「ん?」
ボソボソと、か細い声で口にする。
しかし彼はわざとらしく、目の前で首を傾げてみせる。絶対聞こえてるのに! いじわる、いじわるぅ……!
私は熱く荒い息を吐き、羞恥に悶えながらもその答えを口にした。
「ジンの、ためぇ……♡ ジンに、可愛いって言って貰いたくて、メイドになったのぉ……♡」
「あぁリズ、リズ!」
「んっ、ちゅ、んんぅぅぅ♪」
もつれ合うようにしてベッドに沈む。唇がふやけて取れちゃうかと思うくらい情熱的なキス。交わすごとに頭の中は真っ白になり、多幸感が私の身を包み込んだ。
互いの指を絡ませ、ぐいぐいと彼に唇を押し当てると、彼は私の髪を愛情のこもった手つきで撫でてそれに応える。その温かい感覚が、たまらない。
しばらく絡み合い唇を離すと、ジンは私を愛おしそうに見つめて、頬を撫でた。
「素晴らしい報酬だった。その奉仕に感謝する、我がマスター」
「はー……はぁー……」
息も絶え絶えに、私は虚ろな目をして頷く。お、終わった……? こんなに長い時間キスしたの初めて……舌は絡めてないけど、しゅ、しゅごかった……
「さて――」
「?」
彼が優しく頬を撫で、離れるかと思いきやそのまま彼の手は私の顎へと滑っていく。え、ちょっと待って……?
「そういえば、お休みのキスがまだだったな」
「!?」
え、いや、それは――
「今回の報酬はお釣りが出るほどだ。よく羞恥に耐え頑張ってくれた。ならばその分、今度は俺が返さねばな」
「あ、あ――」
む、無理。これ以上は、死んじゃう……。
私はいやいやと顔を横に動かそうとする……が、彼の先程までの激しいキスで力を使い果たし、一ミリも動けない。
そんな私に、彼は息が当たるほどの距離で、真剣な顔をして私を見つめながら言った。
「お前が気絶して眠るまで、キスをする。これをお釣りと俺の奉仕とさせてくれ」
「~~~~~~~~~~っ!!??」
そうしてまさかの第二ラウンド突入。
私の記憶が保ったのもここまでだった。
結論――メイド服は封印するべし。
……し、しばらくの間は。
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