第45話「違う、そうじゃないわ」



「そろそろ『アレ』……いっちゃおうかしらね」

「アレ?」


 ある日の朝。

 だだっ広い食堂で朝食を終えたところの俺達三人は、さて今日は何をして過ごそうかと考えを巡らせていた。

 そんな中で、我がご主人様リゼットは神妙な面持ちでやおら手を机の上に組んで重く呟いたのだ。

 どんな命令が飛び出してくるのかと刀花は警戒し、俺は少しだけ眉を上げた。今日はまだ『オーダー』を使用していないことも重なり、無茶な命令でなければいいのだが……とだけは思う。


「ふむ、何をさせる気だ? エロいことはさせるなよ」

「さささささせないわよ失礼ね!」

「どうでしょうか……」


 『大人のキス未遂事件』という前科もあり、刀花は疑わしい目つきでリゼットを見ている。

 そんなリゼットは赤くなってまくし立てつつも、無意識なのか自分の首筋をさっと押さえた。……先日俺が強く吸った部分だ。今はさすがに跡は残っていないが、まだ無意識に思うところがあるのだろう。

 あの後、数日ほど顔を合わせるたびに「ぴっ!?」と奇声を上げられ、会話は成り立つものの視線は合わせないという日が続いた時は、さすがに俺も反省した。

 刀花も刀花で、あの光景の刺激が強かったのかどこかぎこちなかった。刀花も過激なように見えて、根は数回のキスで気絶してしまうほど初心な乙女なのだ。

 俺はあれを戒めとし、今のリゼットの神妙な様子に多少の警戒をにじませる。さすがにまた俺が暴走して距離を置かれるのは辛い。蔵にずっと押し込められていた時代を思い出してしまう。道具は使われてこそ喜びを感じるのである。


「それで、俺は何をすればいいのだマスター?」


 そう問うと、彼女は「コホン」と仕切り直すように咳払いをし、椅子に座り直して手元にあった銀製の鈴を鳴らした。


 主が、こちらに来いと仰せだ。


「ん」


 一つ息を吐いて俺は席を立ち、彼女の傍らで膝をつく。彼女は結構シチュエーションに拘る方だというのは、彼女と暮らし始めてよく分かっている。


「――ご下命を、我がマスター」

 

 それを理解して傍に控えると、リゼットは満足したような笑顔を浮かべて、俺にこう言い放ったのだ。


「私の忠実なる眷属――紅茶を、淹れてちょうだい?」

「っ!」


 ……きて、しまったか。

 いや、むしろ今までよく保った方だとも思う。なにしろ今までの飲み物は緑茶や麦茶が定番だった。それにリゼットは文句の一つも言わずに付き合ってくれていたのだ。

 だが、ついにこの命令が飛び出した。彼女は真剣な眼差しで俺を見ている。……正直俺は和側の者である。あまり洋の気風に詳しくはないと自覚している。それはリゼットも理解しているからこそ、こちらを見る視線にも力を込めているのだ……『できるのか?』と。彼女の心配ももっともだ。だがな……


「く、ククク……甘いな、マスター」

「ジン……?」


 その認識はテーブルの上の茶菓子のように甘いぞ、我が敬愛するマスターよ。この俺を誰と心得る?

 おかしさに肩を震わせる俺に、リゼットは眉を上げる。不思議そうな顔をする彼女に、俺はドンと胸を叩いた。


「我こそは無双の戦鬼。英国人をマスターに持った瞬間から、こんな日が来ることは想像に難くなかった。ならばもちろん、事前に対策しておくべきということなど自明の理というやつだ……抜かりはない」

「え、え、ホント!? わ、すごい……え、素敵。好き!」


 不思議そうな瞳から一転、キラキラした目をしながらギュッと手を握り、片言で好意を伝えてきてくれるマスターに不敵な笑みを返す。


「紅茶だな、承知したぞマスター」


 宣言し、食堂からキッチンへ移動する。ちなみに談話室と違い、食堂からはキッチンが見えるようになっている。

 リゼットは食堂側の、料理を手渡すカウンター部分で背伸びをしてキッチンを覗き込んでいる。

 期待に輝く瞳を受けながら、俺は意気揚々と棚に手を伸ばし、中身がよく見えるガラス製のティーポットと、白地に青い模様が最低限飾られた品の良いティーカップを用意した。いざという時のために準備しておいた逸品だ。

 それらをテキパキとトレイの上に手際よく並べる俺の様子に、我がマスターは驚きつつも年相応のワクワクした顔でこちらを見つめている。おそらく、使用人ではなく眷属に紅茶を淹れてもらうというのも夢の一つだったのであろう。

 微笑ましいことだ。だが驚くのはまだ早いぞ。


 ――さぁ見るがいい。リゼットの希望を予想し、そのためだけに用意しておいた、俺の秘密兵器を!


 俺は自信たっぷりに冷蔵庫へと近づき……ガチャリと開けて『それ』を手に取った。

 水平線に沈む太陽のように透き通った明るいオレンジ色。キャップを開ければ、爽やかなレモンの香りがこちらの鼻を優しくふんわりとくすぐる。そんな一本のボトルに入り、照明を受けて輝く液体。ラベルにはこう記してある。


『丑三つ時の紅茶、レモンティー』


 鼻歌交じりに俺はそれを、ティーポットにドバドバと注ぎ、蓋をする。そうしてトレイを両手で持ち、つつがなく全工程を終えた俺は、我が親愛なるマスターの元へとそれを運んだ。彼女はいつの間にか椅子に座っており、黙したままニコニコと笑みを浮かべている。


「お待たせしました。レモンティーです」


 俺はそんな彼女の前でカップによく冷えたレモンティーを注ぎ、少しキザっぽく言ってカチャリと置いた。

 ふ、我ながら完璧すぎる……。だがなぜ我が妹はハラハラした目でこちらを見ているのか。


「……(ニコニコ)」


 相変わらずリゼットはニコニコしながら、そっとカップのハンドルを指で摘まみ、優雅に持ち上げる。その様子は手慣れており絵になる。さすがに年季の違う堂々とした所作に、兄妹揃ってため息が漏れた。

 そうして彼女はゆっくりとその可憐な唇をカップにつけ、コクリと紅茶を飲んでみせた。

 一口飲み終え、カップをソーサーに戻した彼女は、にこやかな顔を維持しながらこちらに視線を向けた。


「うーん、香料の味が刺激的でとっても甘ーい!」

「それはよかった、気に入っていただけてなによりだ」

「「あはははははは」」


 見つめ合い、共に笑顔を交わし合う。

 夏の朝日を浴びる食堂に、仲睦まじい主従の笑い声が爽やかに木霊し、一夏の思い出を彩った。ブルームフィールドの歴史にまた一ページ……。


「――って、んなわけないでしょこのおバカ眷属ぅ~~~~!!??」

「おっと」


 どこぞの親父がちゃぶ台をひっくり返すように、彼女はクワッと目をかっ開いてトレイをガシャーンとひっくり返した。それが床に落ちる前に、俺は空中で全て受け取って回収した紅茶をごくごく飲む。


「普通の紅茶じゃないか。ご不満が?」

「え、なにその『俺は悪くない』みたいな態度。乙女の夢をぶち壊しておいて心外なんだけれど」

「やっぱりこうなりましたか……」


 紅い瞳をつり上げ肩を怒らせるリゼットの様子に、刀花は「あちゃー」といったように顔に手を当てている。


「もう兄さん、だから言ったじゃないですか。絶対違うって」

「そうは言うが、これが今の俺にできる最大限だ。俺が品良く紅茶なぞ淹れられると思うか?」

「ねぇなんで開き直ってるの?」


 リゼットは静かな怒りを漲らせ、俺の頬をつねる。いはいいはい。


「あぁ……ダメ。コレはダメよ。私の眷属が紅茶を淹れられないなんて、あってはならないことだわ」


 手を離し、嘆かわしいと言わんばかりにリゼットは天を見上げて重く言う。


「そもそもミルクが入っていないなんてナンセンスだわ。欲を言えば朝食もミルクティーに合うもので統一すべきだし、朝起きた時も食後もおやつの時間もお風呂に入る前も寝る前にも例え戦争中でも私たちの手の届く範囲にティーセットはあってしかるべきなのよ」

「紅茶への情熱が違いますね……」

「さすが血管に紅茶が流れている英国人は違うな。正直舐めていた」


 兄妹で思わず聞き入る。ここまで来ると逆に感心すら覚える。

 瞳から光を無くしてブツブツと呟くマスターは幽鬼のようにゆらりとこちらを見たかと思うと、ビッと指を向ける。


「決めたわ。あなたには絶対に紅茶を淹れられるようになってもらいますからね」

「……うぅむ」


 唸る。正直言って紅茶の淹れ方など、聞いただけで俺に向いていないと分かる。彼女の願いを叶えてやりたいと思うのは戦鬼として山々だが、何事も向き不向きというものがだな……。

 そう悩む俺に、マスターはキッときつい視線を向けた。


「できるようになるまでキス禁止だから」

「なにっ!?」


 それは困る。大いに困る。彼女達との触れ合いは、いわば俺の生き甲斐だ。それが取り上げられるとなると、足下がガラガラと崩れていく感覚すら覚える。


「殺生な……! ということは、今まで毎日していたおはようのキスも、お休みのキスも……はにかみながら『我慢、できなくなっちゃった……』と刀花に隠れてするキスもなしということか!?」

「きゃーきゃー!? なんで言うのよバカー!?」

「リゼットさん、昼食抜きでーす」


 俺が「うおおぉ……!」と頭を抱えて叫ぶ隣でなにやら凍えるようなやりとりがあったようだが、由々しき事態に俺の意識はそこまで認識できなかった。

 彼女達と触れ合えないなど、身を切られる思いだ。心が凍えて死んでしまう。そうとなれば、俺がやるべきことなど一つしかあるまい。


「よし、わかった。これもマスターのためひいては俺のため……紅茶を淹れられるようになってみせようではないか」

「思わぬ流れ弾に当たったけど、いい心がけよジン」

「私も、ちょっと興味ありますね。詳しくは分かりませんが、このお屋敷にはいい物が揃っているようですし」


 そう、復元した際にクッキーの箱が出てきたように、茶葉もまた棚に揃っている。材料は揃っているのだから、あとは俺のやる気次第だ。そのやる気も、大切な彼女のためと思えば苦ではない。向き不向きがあろうとも、飲み込んでみせよう。少女達の喜ぶ顔が見られるのならば、俺の苦労など安いものだ。

 俺は久々にやり甲斐のありそうな仕事を前に、むしろ意気高揚して主人を見つめた。その主もまた、熱い視線を俺に送ってくれている。よし!


「――やるか。では紅茶に一家言ありそうなマスターよ。英国流の紅茶の淹れ方というのを、俺に伝授してくれるか? 見事この無双の戦鬼がその技術を会得してくれよう!」

「え?」

「「え?」」


 決意を漲らせ彼女に問い掛けるも、帰ってきたのは間の抜けた声。それに対し兄妹揃ってオウム返しに声を発する。んー?

 目を点にするマスターに、俺は嫌な予感がしながらも恐る恐るもう一度尋ねる。


「……マスター? 紅茶の淹れ方をだな……」

「あ。あー……」


 熱い眼差しから一転、明後日の方向へと向く視線。ま、まさか……


「い、いやほら……給仕の仕事だから、そういうのって。私は頼むだけで……」

「……なるほどな」

「リゼットさん……」


 指をちょんちょんと突き合わせ、ボソボソ言うマスターに重く頷く。


 これは……どうやら、前途は多難なようだった。

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