第38話「悪い子から進化しました」




 さて、グレた妹にどう対処すべきか……。

 朝日降り注ぐ談話室。俺達三人は木製の長机を囲みソファに座っている。

 目の前には渡したチョココロネをパクつく刀花。リゼットは俺の隣でパンをちょびちょび千切っては、ポタージュに浸して優雅に食している。しかし、たまにこちらへと視線をやっては、どうするの? と目で問い掛けてきた。

 現在の目的は変にグレてしまった刀花のご機嫌を取ること。しかしその取り方が問題だ。

 先程から悪い子アピールをしてはチラチラとこちらを伺う刀花だが、別に俺は悪い子が好みというわけではない。そもそも好感度で言えば俺の中では彼女達は既にマックス状態だ。そう伝えてはいるのだが、どうもリゼットが俺に美味い負の感情を提供しているのがお気に召さないと見える。

 自分も兄にそういうものを提供したいという妹心は大変いじらしい。しかしこれまでのことから、我が妹は悪い子には向いていないことが一目瞭然だ。


(ある種の背伸びのような可愛さがある。ここはそれを誉めて伸ばし、満足させる方向性で行くか)


 ふむ、と頷き方針を決めたところで、改めて刀花を注意深く見る。

 寝間着から着替え、今は涼しい色のキャミソールにショートパンツという、あまり兄としてはその姿で外出して欲しくないラフな服装をしている。

 この服装も今の気分によるものを選んだのだろうか、これはなかなか悪ポイントが高いな。悪ポイントってなんだ。

 服装を誉めるべきか? しかしこれを誉めてしまうと、こういった服装を好んでするようになる危険性がある……。そうなると道行く男共の視線を、その丸みがよく分かってしまう豊満な胸や剥き出しの足に浴びてしまうのでは?

 ぐっ、そんな……そんな状況を想像するだけで、俺は……!!


「あがががががががが」

「なに唐突にバグってるのジン……」


 怒りに震え出す俺を、隣のリゼットが冷ややかな視線で見る。失礼、ほんの少し取り乱した。

 頭を振って冷静になるよう努める。

 うむ、服装を誉めるのは無しだ。最悪、世の男共の目を抉らねばならん。

 しかし他に褒める部分となると、正直判断に困る。なにせ悪ぶってチョココロネを横から食べる子だ。何が悪いのか分からない……いや今時の女子高生にとってその行為は悪いことである可能性が……?

 頭を抱える俺を他所に、刀花はさっさとチョココロネを悪く(?)食べ終え、次に箸でサラダを食べはじめた。突っ込むことができなかった……。


「む……?」


 いや、いや待て。

 箸を操る刀花をつぶさに観察する。

 なんだ、この違和感は……。まるで刀を出そうとしたら木刀が出てきてしまった時のような気持ち悪さを感じる。

 何かがおかしい。そう確信し妹の姿を凝視する。そういえば表情もいつもより固いような気がする。体幹も不安定……手の動きもどこかぎこちない。ん? 手……?


「はっ……!」


 それに気付いた時、俺は目を見開いた。

 わかったぞ、その正体が!

 こ、この妹……!


 ――右利きなのに左手で箸を操っている!


 刀花は慣れない左手でプルプルしながら四苦八苦してサラダを食べていたのだ。


 これは……悪い! お行儀が! 見映えも悪い!


 あまりの悪さに俺はアメリカ映画のように顔に手をやって天を仰いだ。

 おいおい悪のバーゲンセールか? これはしてやられたな……。


「刀花……お前、ワルだな」

「気付いてしまいましたか。隠していたのですが、やはり悪さというものは滲み出てしまうものなのですね」

「「HAHAHAHA」」


 隣から「突っ込まない……私は突っ込まない……」と聞こえてくるが、兄妹でアメリカンに笑い合う。よしよし、掴みはバッチリのようだ。


「ふっふっふ、私はもっと悪い子ですから食事中にテレビつけちゃいます」


 気をよくした刀花は談話室に備え付けられていた大型テレビをオンにする。

 そこには、朝らしくキャスターとコメンテーターが並び、とあるニュースを紹介していた。


『えー、幸いにも負傷者は出ていません。しかし、昨日から続く地震の原因についてはまったくの不明とのことです。専門家によりますと、これは地震ではない何かであるとのことで、ネットでは世界終末論を唱える書き込みも――』

「………………」


 とても微妙な空気になった。

 そして示し合わせたかのように、談話室にベルの音が鳴り響いた。

 その音は談話室のドアの近くに設置された電話から発せられている。この屋敷電話繋がっていたのか……。

 電話に近い刀花が立ち上がってパタパタと小走りで近付き、受話器を取る。最近あるような相手の電話番号などが表示されるデジタルなタイプではなく、洋風のダイヤル式なので相手は誰か分からない。

 しかしこのタイミング……心当たりが一つあった。


「もしもし、さか……じゃなくって、ブルームフィールドです」


 慣れない家電で言い間違えそうになりながらも、刀花は細い持ち手の受話器を耳に当て、家主の姓を告げる。

 そうして少しうんうんと頷いたかと思うと、刀花は相手にこちら側の声が聞こえないようマイク部分に手を当て、こっちを見た。その視線の先にいるのは家主であるリゼット……ではなく俺だ。


「兄さーん、陰陽局からです。『最近揺らしすぎ』ですって」

「ふん……」


 やはりか、あの有事以外動かん窓際共め。俺のスマホに繋がらないからといって、この屋敷の電話にかけてきたか。よほど仕事がないのだろう。

 俺は鼻息を一つ鳴らし、特に何も言わず刀花に見えるよう下品に中指を立てた。

 頷いた刀花は「もしもし、兄さんに伝えました。『死ね』だそうです。それではー」と言って電話を切り、ついでに俺は霊力を込めた指を電話線に向けてピッと動かし、陰陽局からの回線だけを斬り捨てた。


「な、なに……?」


 そんな俺達を、リゼットは目を丸くして見ている。そういえばあまり詳しくは言っていなかったかもしれん。


「あぁ、俺が顕現してしばらく、俺達兄妹を追っていた者共だ。あれだ、欧州でいうエクソシストのような者達だ」

「あー……なるほど。トーカがオブラートに包まないから誰かと思ったら、納得」


 まったくだ。あいつらのおかげで刀花は二年もの間、根無し草生活を強いられた。それは我が妹も恨み節を言いたくなるというもの。

 まぁもちろん本気で言っているわけではない。でなければ俺に「あの人達を殺さないで」とお願いなどしないだろう。まったく、お前の命を狙った者共だというのに……。女神か?


「今はもう大丈夫なの?」

「我流・酒上流絶滅術式『一網打刃』のおかげでな」

「なにそれダサい……」

「は?」


 明朝のようにリゼットの口に指を入れ、むにーっと横に伸ばす。刀花が考えてくれた名前がダサいと言ったのはこの口か、おぉん?


「いはいいはい! ぷはっ。もー、なんなのよ……」


 リゼットは頬を押さえながら「で、なんなのそれは?」と問う。


「端的に言えば、殺意を持って刀花を傷付けた瞬間、人類まとめて内側からボンだ」

「ぶっ!?」

 

 リゼットが吹き出す。

 この術式……調整には苦労した。なにせ既存の人間だけでなく、これから生まれる者共もターゲットに入れねばならん。そのためには各地に流れる龍脈に接続し、掌握し、術式を垂れ流さなければならなかった。だからこそ、二年もの旅が必要だったのだ。


「そこまでする……?」


 苦労話のように話すと、リゼットはドン引きで眉を寄せている。ソファに戻った刀花はそれを見て困ったようにあははと笑った。


「まぁ向こうからすれば、街にゴ○ラが現れたって感じですからね。兄さんも当時は本当にただの兵器みたいな感じの無愛想で……双方話し合いは無理でした」

「そのゴジ○を街中に顕現させたのも人間だというのに、勝手な話だ」


 おかげで強行策に出る羽目になった。俺は全人類を人質に取り、ようやく刀花の安全を確保したのだ。

 刀花を傷付ける者は誰であろうと許しはしない……俺は刀花を守護する戦鬼。彼女のためならば、人道に背こうが知ったことではない。

 そう話す兄妹を、リゼットは疲れたようにため息を吐いて見つめた。


「トーカがこの先、傷付かないことを祈るわ」

「傷付けさせはせん。それに安心しろマスター、お前は既に術式の標的から外れている」

「もし私が攻撃されてしまったら、三人でアダムとイブになりましょうね」

「冗談に聞こえないからやめて……」


 我がマスターは手で顔を覆い「この話聞かなかったことにするわ……」と呟いた。


「あなた達ってやっぱり闇が深いのね……特にジン」

「無論だ、俺は鬼だぞ」

「はぁ、やっぱり私程度では悪さで敵いませんね……」


 のんびり過去話をしていて忘れていたが、そういえば我が妹は悪ぶっている最中だった。

 しかし刀花は意気消沈した様子で食べ終えた食器をトレーに載せている。くっ、折角掴みはいい雰囲気だったというのに、刀花が落ち込んでしまったではないか。刀花にはある程度の満足感を覚えてもらって事を収めようという算段だったというのに。

 まったく、全部あの電話のせいだ。あとで陰陽局には矢を撃ち込むと決めた。


「うぅむ……」


 俺は焦る。何か声をかけて刀花を元気付けねば……。悪さを求める少女は何を言われたら嬉しいのか。正直、考えても分からない……分からないなら、誉めちぎるしかないのではないか?


「いや刀花、電話の応答ではなかなかの啖呵だったぞ」

「そ、そうですか?」

「うむ、マスターも驚いていた。大したものだ」

「ほ、本当ですか?」

「え、えぇそうね……ほらジン、今の内になんか滅茶苦茶誉めてあげなさいよ」

「よ、肩に小さい悪の組織乗せてんのかい」

「誉めるの下手か」

「私お皿洗ってきますね……」


 言葉のチョイスを間違え、刀花はトボトボとキッチンへ行ってしまった。おかしい、最近流行りの誉め言葉と聞いたのだが……。


「……俺も行く」


 ジト目で見てくるリゼットに背中を押され、俺もキッチンへ向かった。




「……私は悪い子にはなれないのでしょうか」


 カチャカチャと皿を洗う刀花の隣に立ち、黙々と渡される皿を拭く。

 そうしながら、下を向いて呟く彼女の声に耳を傾けた。


「羨ましいんです、リゼットさんが。私にはないものを、兄さんに与えることができて」


 確かに、リゼットは刀花にはないものを多く持っている。それは上に立つ者としての気品であったり、財力、プライド、そしてそれに付随する自分への劣等感などだ。


「私は兄さんのおかげで今も生きていられます。だから、私も兄さんにいっぱいあげたいのに……」

「……」


 沈鬱げに呟く。

 だが、刀花にだってリゼットにないものを多く持っている。慈愛の心、身体的特徴、莫大な霊力、俺との十年という長い時間。きっとリゼットも、刀花を羨む部分があるだろう。そんなのは当たり前だ。どちらも同じ個体ではないのだから。

 そして刀花は先程から、俺にいっぱいあげたいと言うが、俺の方が彼女から多くを貰っている自覚がある。彼女がいなければ、俺は人間に使い潰されて終わりを迎えるただの消耗品に過ぎなかっただろう。

 彼女がいなければ、一緒に食事をとる団欒の光も、家路につく時に手を繋ぐ意味も、目覚めた時に言う「おはよう」の温かさも、愛も、すべて血で塗り潰していた。


 ――お前なのだ、酒上刀花。


 俺が初めて何かを殺すこと以外に自分の価値を見出だすことが出来たのは、この妹のおかげなのだ。


「……」


 どう、伝えればいい。

 無理して自分に合わないことをしなくていい。

 この健気な少女からはもう充分に報酬を貰っていると、どう伝えれば正解なのだ……?

 ……いや、待て。『正解』?


「刀花」


 俺は愛しい妹の名前を呼んで、


「はい――んむっ!?」


『黙って妹の唇にキスをした』


「に、兄さ……ん、んぅ――」


 昨夜のように強く求めるものではなく、より深く伝えられるように。深く、そして温かく。万感の想いを込めて。

 息が続く限り密着し、十秒以上経って吐息とともに唇が離れた。

 息も絶え絶えに、呆然とこちらを刀花が見上げている。無意識なのか、その指がスッと自分の唇をなぞった。


「兄さんが……初めて兄さんから、キス……」

「……伝わったか?」


 詳しくは聞かない。ただ漠然とそう問い掛ける。

 刀花は一瞬キョトンとした後……おかしそうにクスクス笑い出した。


「もう、ズルい兄さんですね……ここまで言われてしまったら、もう妹は何も言えません」


 その琥珀色の瞳には、既に沈鬱な色は無い。先の口付けで、俺達は千の言葉、万の言葉を交わしたのだ。兄妹に無粋な言葉は不要である……まぁそれを知ったのは昨日であるが。

 眼下で腕に収まる刀花は照れ照れとしながら、冗談めかして言う。


「……キス一つでご機嫌が取れる安い妹と思わないでくださいね?」

「端からはそう見えるな」

「違いますよ。『妹を世界一愛してる』って想いを込めたキスじゃないと、妹の機嫌は直りません。込めましたか?」

「込めたから直ったのだろう、それとも分からなかったか?」

「……むふー、よく分からなかったですねぇ」

「ふ、嘘吐きめ」


 人間は嘘吐きだ。だが嘘は女の武器と聞く。

 だからか、その武器を携えた今の刀花は、普段より何倍も魅力的に映る。

 俺はそんな可愛らしい嘘吐きの口を塞ぐため、もう一度彼女の頤を上げて唇を落とした。

 そうして充分に唇を味わい、その唇を離せば、蕩けた瞳で頬を染める妹が出来上がっていた。


「あぁ、私……悪い子じゃなくて、イケナイ子になっちゃいました」

「どう違う?」

「機嫌が斜めになっちゃったら、兄さんからのキスじゃないと直らない身体になっちゃいました」

「……それは大変だ。まったく、リゼットが来てからというもの、妹がどんどん過激になっていく」


 ギュッと腰に抱きついて離れない妹は、うっとりとした顔で睦言のように呟く。


「兄さんが悪いんですよ。だって兄さん、最近はバイトばかりでしたから。でも、昨日も、今日もずっと一緒にいてくれて……。今朝なんて、起きたら兄さんが家にいて、私の作ったエプロンを着て朝食まで作ろうとしてくれてて。どれだけ私が嬉しかったか、分かりますか?」

「……すまなかった」


 髪を撫でながら謝罪する。

 ただ傍に居るだけで嬉しい。それはつまり、俺がそれすらも出来ていなかったという証左だった。

 ……自慢の兄が聞いて呆れる。俺は、まだまだ彼女の自慢の兄足り得ない。必要なことだったとはいえ、より大切なことが見えていなかったのかもしれない。


「本当にすまな――」

「えい」


 もう一度謝罪を繰り返そうとしたところで、唇を人差し指で塞がれる。あぁ……なるほど。


「……そうだったな」

「ん……」


 もう一度、妹を抱き締め唇を塞ぐ。今の俺達に謝罪の言葉は無粋。今この時、発することを許される言葉があるとするならば――


「お兄ちゃん……だいすき」

「……俺もだ」


 それは、愛の言葉に他ならなかった。

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