第32話「報酬はこれでいいかしら、私の眷属?」




 シンデレラには招待状を送り、ドレスも着せた。

 残るは彼女の意志を問うのみだ。


「……」


 柄頭を凝視するその瞳は不安に揺れ……しかしどこか期待する輝きを秘めている。

 当然だろう。生まれ落ちた瞬間より弱者の烙印を押され、事実その通りの運命を辿ってきた。周囲から嘲笑され、見返す力もなく、しかし心根だけは曲げずに足を動かし続ける気高き少女。

 あの時は『報復するための力』をはね除けた彼女だが、今この時『自分のために振るう力』であれば、俺を握ることに躊躇いはないだろう。

 俺を握った者の姿を、彼女は既に見ている。何者かを害する力に留まらない、世界を踏みにじる力を得る……俺を握るというのはそういうことだ。『強く生きる』ことを旨とする彼女にとって、実質的な力というのは一種の憧れ。期待するなという方が無理な話だろう。


「……っ」


 小さく喉を鳴らし、彼女はおそるおそる俺へと手を伸ばす。鞘に収まったままふわふわと中空に浮き主人を待ち受ける俺は、その小さな手を静かに受け止めた。


「わ、結構重いのね……」


 右手で柄を、左手で鞘を握り、下から支えるようにして俺を手にする。感触を確かめるようにニギニギと指を動かすその手つきが初々しく可愛らしい。刀花が俺を初めて手にした時を思い出すな。


(ふむ……)


 それにしても本当に非力だな我が主は。俺を握ったことで彼女のことが俺には手に取るように分かるが、身体能力などほぼ一般人並みだ。一般人に対して利する部分など、多少の霊力と翼を有していることくらいだろう。

 まぁ、身体能力など俺にとってはおまけのようなものだ。妖刀を使いこなすには、もっと重要な素質がある。握る指から伝わる彼女の熱が教えてくれるのだ。彼女には、その素質があると。さて、あとは――


「こ、コホン」

『ん?』


 さて、と彼女を高みに導こうとしたところ。

 俺を握るリゼットは、なぜか咳払いをしてから、以前刀花がしたように俺を横に寝かせるようにして構えた。


「え、えっと……『鋼を重ねて――』……なんだっけ?」

「げほっげほっ!?」

『く、ククク……』


 以前の所作を覚えていたのだろう。刀花の呪歌を真似ようとするリゼットに、刀花は頬を染めてむせ、俺は肩を震わせるようにカタカタと鍔を鳴らした。

 そんな俺達の反応に、リゼットは「え、え?」とキョロキョロと不安そうな目で俺達を見ている。


『あー、マスター。そこは別に真似しなくてもいい』

「そ、そうなの? 必要な儀式なんじゃ……」

「うっ……」


 気まずそうに目をそらす刀花に、リゼットは首をかしげている。真実を知っている俺はおかしくてたまらない。


『確かに、詠唱は大事だ。あれは一種の自己暗示のようなもので、自分をトランス状態にしやすくするためのものだからな。だが――』

「に、兄さん!」


 焦ったように言う刀花を可愛らしく思いながらも真実を告げる。


『刀花のあれはただ格好をつけているだけだ。刀花には必要ない』

「う、うー……!」


 涙目でエプロンの裾を握る刀花は恨めしそうに俺を見るが、可愛すぎるので無視した。


「そ、そうなの?」

『刀花には、だが。我が妹はただの人間ながらも法外な霊力を保持している。それこそ、無双の戦鬼を顕現させるための生け贄に選ばれるほどのな。俺を抜刀するにはいくつかの条件があるが、刀花はその莫大な霊力でもってほぼフリーパス状態なのだ』


 そのおかげで時間のかかる詠唱も不要なのだが、刀花は「それを飛ばすなんてとんでもない!」とよくわからない理屈で詠唱をやりたがった。まぁ、ロマンというやつだ、わからなくもない。


「じゃあ私は?」

『微妙なところだ。しかし刀花の真似をしても効果は薄い、自分に暗示をかけるのだからな。自分に合った言葉選びというものもある。まぁ参考にするならば……これでも見るか? 俺の宝物なのだが』

「宝物?」

「に、兄さんまさか――」


 あわあわとする刀花の制止の声も虚しく、リゼットの前にポンと一冊のノートが顕現した。使い込まれてページの端が擦りきれた学習ノート。その表題には、こう書いてある。


『わたしがかんがえたさいきょうのじんおにいちゃん 3ねんせい さかがみとうか』


「ちょっ!? お、――お兄ちゃん!!」

『ハッハッハ』


 俺を小脇に抱え、リゼットがパラパラとページをめくる。そこには様々な武器の設定やカラフルなコスチューム、そして小難しそうな言葉がところせましと書き綴られている。刀花が今のスタイルに落ち着く前に試行錯誤を繰り返していたものの名残だ。


「因果逆転の槍に、十の姿に変形する剣に……右腕から黒龍?」

「かーえーしーてーくーだーさーいー!」

『何を言う。刀花が一生懸命、俺のために考えてくれたものだ。ずっと大事に取っておくからな』

「うわーん!」


 刀花に取られる前に消しておく。刀花の可愛い反応が見られる数少ない品だ、ゴミ箱から拾っておいて本当によかったと思う。


『まぁ詠唱に関してはそういうことだ。後々な』

「そ、そう……」


 微妙そうな顔でリゼットは頷く。さすがに刀花をからかいすぎたか。つい、な。


『さぁ、マスター。とりあえず俺を抜いてみるがいい』

「う、うん」


 促すと、リゼットは少し緊張した面持ちで深呼吸をし、柄を握る手に力を込める。

 鯉口を切る小気味のいい音と共に、いよいよ血に穢れた刀身が姿を――


「……え?」


 顕す、と期待していたのだろう。リゼットの疑問の声が響く。なぜなら黒塗りの鞘から現れた刀身は……、


「普通の、カタナ……?」


 業物であることには変わりないが、血を滴らせることも、戦鬼の証たる角が生えることもない。白刃煌めくただの刀身が姿を顕すのみだったからだ。


「ど、どうして……」

『擬装が解けていないな。俺を使いこなせていない証拠だ』

「むっ……」


 ハッキリと口にすると、不満そうにリゼットは口を尖らせる。


「使えって言ったのはあなたでしょう? 使いこなさせなさいよ」

『言っただろう? 道具を上手く扱うのも使い手の器量だと。銃は自分で引鉄は引かん。俺を使うのは、あくまでお前なのだ』


 今はあくまで俺を持つ資格のみ。弘法筆を選ばずと言うが、俺は俺の持ち手を選ぶ。だが、それまで。そこから先の扉を開けるかどうかは、彼女次第なのだ。


「どうすればいいの……?」


 リゼットは眉を困らせ、途方に暮れたような顔を見せる。まったく情けない顔だ。

 それからしばらくムムムと唸ってみたり、試しにブンブン振ってみたりするが、一向に変わらない状況に、彼女は疲れたようにため息を吐いた。

 その瞳には輝きが失せ、諦念が影を覗かせている。


「はぁ……どうせ霊力が足りないとか、力が弱いからとか――」

『ハン』


 ――これだ。

 俺は彼女の言い訳を鼻で笑う。

 持って生まれた資質だと? そんなもの、俺を振るうための素質足り得ない。だが……彼女を縛ってきたその環境の鎖こそ、この無双の力を解き放つ鍵となるのだ。


『悔しいか、弱き吸血鬼よ』


 肩を落とす吸血鬼の少女に、侮蔑とも受け取れる言葉を投げる。

 一瞬呆然とした後、彼女は静かに怒りを立ち上らせながら聞き返してきた。


「……なんですって?」

『俺に認められながら、しかし振るうこと叶わぬ者よ。情けないと思わないのか?』

「……そんなの、決まってるじゃない」


 彼女は俺の言葉に顔を伏せ、わなわなと肩を震わせた。


「そんなの……そんなの、悔しいに決まってるじゃない!」


 彼女が顔を上げたとき、その顔は口惜しさに彩られていた。


「でも、私が……私の力が、弱いから……」

『――だから仕方ない?』

「っ、そう……よ」


 自らの境遇を嘆く弱き者。自分ではどうしようもない生まれや環境。そしてそれにより諦め、受け入れていく弱さと優しさ。

 彼女は優しい少女だ。自分の弱さを決して周囲のせいにせず、己に厳しく邁進する。その気高さはまさに天晴れ。王道とも言える強さを身に纏っている。きっとその王道は、いつか彼女に確かな強さをもたらすだろう。


 ――だが、妖刀を振るうにはそれでは足りない。


 王の道に戦鬼は従えど、自らの手で運命を斬り開けぬ者に妖刀は従わぬ。

 妖刀を振るう者は強く在らねばならぬ。

 妖刀を振るう者は魔の者でなければならぬ。


 ――妖刀を振るう者は、覇道を征かねばならぬのだ。


『我が弱きマスター』

「……なによ」


 いまだ弱々しき目をした吸血鬼に問いかける。


『お前は、なぜ弱いのだ?』

「……どういう、意味」


 言葉通りだ。お前の力が弱い原因を問うている。


『勉学に励み、研鑽を積み、それでもその樹に実りはつかなかった』

「……そうよ」

『その中で、こう思わなかったか?』


 ――どうして? と。


「……もちろん、思ったわ。どうして、私はこうなんだろうって」

『いいや違うな』


 苦虫を噛み潰したような表情で彼女は内心を吐露しようとするが、そうではない。


『お前はこう思ったはずだ――』


 どうしてこいつらは、とな。


「っ!?」


 息を呑む声が聞こえるが、それまでだ。否定の言葉はない。


『お前がなぜ弱いのか? そんなものはな、お前をそのように産み育てた周囲の者に原因があるのだ』


 どうして私は? そんなことを己に問い続けたところで意味などない。なぜならその原因は自分にはないのだから。


『思い出せ。お前をそのように産んだのは誰だ?』

「お父様と、お母様……」

『お前を嘲笑してきたのは誰だ?』

「家の、者達……」

『お前はその間どうしてきた?』

「必死に努力、してきた……!」


 あぁ……いいぞ。

 やはりこの子には素質がある。

 母の教えである気高く清廉な『強く生きる』という理念。己に厳しく、他人を尊重して輝く生き様は確かに素晴らしい。


 だがな――そんな正論は、聖剣にでも食わせておけというのだ。


 お前が握るその刀は、怨嗟を喰らう妖刀であるのだからな。


「私は……」

『あぁそうだ』


 お前はなにも間違っていない。

 俺はその背中を、そっと押した。


『何が間違っているのか……分かるな?』

「――」


 気高き少女の瞳が仄暗く染まっていく。

 さぁ、準備は整った。少女は今、招待状に招かれ、その階段の前に立ったのだ。

 ダンスホールは……近い。


『――嫌い』


 ポツリと、俯いた少女の声が暗く響く。


『嫌い嫌い嫌い』


 取り繕った呪歌でもなんでもない、本物の呪詛が少女の口から垂れ流される。


『私を認めてくれない家の人たちが嫌いだった』


 さぁ、階段をかけ上がれ。


『私の存在を認めてくれない父が嫌いだった』


 ダンスホールの扉を抉じ開け、優雅に踊る者共を皆殺しにしろ。


『優しかったお母様すら、憎んだことだって……ある』


 王の首を切り落とし、王位を簒奪し暴政を敷け。


『私は――』


 返り血の海で哄笑をあげ、刃を浸して血で穢せ!


『私は――!』


 幸せを座して待つシンデレラなど、この妖刀には不要である!!


『私は――私を認めない世界なんて、大っ嫌いだったのよ!!!』

『ハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!』


 瞬間、か弱き少女の身が莫大な霊力に包まれた。

 手にする白刃は呪詛で穢れ、惨殺した者達の血が滴り落ちる。隠していた小さな翼は、聖書の悪魔のように大きくはためいた。そして――


『ようこそ、血染めのお姫様』

「こ、これが……力……」


 彼女の金髪をかき分け、真っ直ぐに天を貫く一本の角が、額に顕現していた。

 そう、妖刀を振るう者に必要な素質は生まれ持ったものではない。


 ――世界を憎悪し、秩序すら塗り替えるほどの我欲。


 それを持つ者こそ、この俺を振るうに相応しい。

 その証拠として、増幅された憎悪を浴びて天地は恐怖に震えだした。


『さぁ構えろ、やり方は分かるな?』

「――!」


 呆然と呟く彼女を促す。

 コクりと頷く吸血姫は大きく翼を広げ、運命を睨むように天を仰ぎ、俺を掲げた。


「我流・酒上流決戦剣技基礎の型――」


 刀花の時とは違う、負の霊力が循環しドス黒い霊力の大剣が生成される。

 これこそが、我欲にまみれた魔の者が放つ――!


『滅相刃――!!』


 黒の奔流が天を穢す。

 自分に従わない世界などいらないと告げ、問答無用で斬り殺す。まさに魔の一振りだった。


『――見事』

「はぁ……はぁ……」


 振り抜いた姿勢で息を切らせる、我が二人目の担い手に賛辞を送る。

 黒の奔流が消えた先……崩壊していた天井は、その歴史を刎ね飛ばされ、数十分前の状態へと回帰していた。


「すごい、です……」


 見ていた刀花も小さく拍手しながらも驚きを隠せずにいる。まさか初めて俺を握って成功するとは思っていなかったのだろう。俺自身ですら、五分五分だと思っていた。


『クク、どうだ。世界を踏みにじる側に立った感想は?』


 いまだ自分の為したことに呆然とする少女に問いかける。

 しばらく息を切らし、多少落ち着いたところでリゼットはぎこちなくも不敵に笑った。


「ふ、ふふ、悪くない気分よ」

『あぁ、誇るがいい。世界で一人しか扱えぬ呪われた刀を呼び覚まし、力を引き出したのは間違いなくお前の意志だ、力だ。お前は今、自分の力を手に入れたのだ』

「私の、力……」


 感極まったように言って、鏡に映る美しい一本角と手にする俺を見やる。

 あぁそうだとも。これらの力は全て、お前が自分の手で掴み取った力だ、マスター。


『――よく、頑張ったな』

「あっ――」


 そう言うと、彼女は目を白黒させた後、慌てて袖で目をごしごし拭う。俺は見なかった振りをした。

 ずずっと鼻をすすった後、リゼットは俺を目の前に掲げ、語りかけてきた。


「……私って、自分で思った以上に悪い子だったみたい」

『ほう、それは知らなかった。では改めて自己紹介をしてくれるか?』

「ふふ、いいわ」


 まだ目の端に浮かぶ涙を宝石のように煌めかせ、少女は尊大に黒い翼をはためかせた。


「私の名前はリゼット=ブルームフィールド。無双の戦鬼を眷属に持ち、鬼を斬った妖刀を担う吸血姫」


 そこまで言って、リゼットは自分の指の腹を切っ先に押し当て一筋の血を流す。

 その流れた血をルージュのようにして可憐な唇を飾り、俺を眼前に掲げた。刀身に映る自分の顔を見て「こんなに早く練習が活きるなんて思わなかったわ」とおかしそうに呟き、


「そして――あなたに恋する、女の子よ」


 そっと、戦鬼ですら虜にする蕩けた表情で……刀身へとキスを落とした。


 マスターから貰った初めてのキスは吸血鬼らしく……甘い、甘い、血の味がした。

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