第13話「お前が何者なのか、決めるがいい」



「実際肉眼で見てみると……酷いものだな」

「……そうね、明るいと余計ね」


 森の小道を抜けた先には、俺たちが目指すべき屋敷があった。しかし――


「これ、人が住める場所ですか……?」


 いつも明るい刀花ですら難色を示すほどの荒れようだった。

 だだっ広い空間の中央に鎮座する洋館。かつては見る者の目を楽しませたであろう鮮やかな壁や床のタイルは尽く剥がれ落ち、緑のカーテンに覆われている。

 雑草が一面に生い茂り、もはや虫と共生しているのかと問いたくなるほどのネイチャーパラダイスだ。


「……とりあえず中に入ってみるか」


 正直、一目見ただけで刀花を脅かすような妖魔特有の危険物の気配もないと分かる。あるのは崩れ落ちる心配だけだ。俺の目的は達したと言っていい……が、さすがにこのまま回れ右して帰るのは、どんどん背中が小さくなっている少女に対して気が引けた。

 リゼットを目で促し鍵を開けさせる。彼女はポケットから赤錆びた、元は洒落た造りだったはずの鍵を取り出して鍵穴に差し込み、ひび割れた木製のドアを解放した。

 重厚な木の擦れる音と共に、俺達を迎え入れたのは大きなシャンデリアが吊られた立派なホールだった。しかし勿論明かりなどは付かず、逆にその威容が余計に寂しさを醸し出している。


「ふむ、中はまだ……いやダメだ埃が夥しいな」


 幸いにも屋根が無事だからなのか、雨漏り等で室内が腐っているということはないようだった。

 しかしその代わりに誰もここの管理をしていなかったのだろう、埃やクモの巣が積もりに積もってまるで綿菓子のようになりながら散乱している。


「リゼット、お前の居室はどこだ?」

「……二階の一番奥の部屋」


 明るい場所でこの惨状を見てしまい、己の状況を再認識したためか彼女の表情は暗い。夏の日差しを受けて輝いていた美しい金髪も、どこかくすんで見えた。


「気を付けろよ、刀花、リゼット」


 今にも崩落しそうな木の悲鳴を響かせる階段を恐る恐るといった様子で上がっていく。二人は手摺を持ちたいようだが、そんなところ持ってしまえば掌が白粉を塗ってしまったようになるだろう。俺は二人に手を伸ばし、せめて崩れ落ちた時にクッションになれるよう備えた。


「……ありがと」

「……気にするな」


 ……調子が狂うな。先程の道行きで元気な姿を見せていたから余計だ。刀花も静かにリゼットの様子を寄り添うように見つめている。


「開けるぞ」


 階段を上がりきり、目当ての部屋のドアを開ける。

 せめて居室だけでも無事であればと祈ったが、その願いは儚く打ち砕かれた。


「……」


 スプリングの飛び出たベッドに、割れたドレッサー。窓ガラスなどは所々砕けてしまっており、すきま風が千々に千切れたカーテンを幽鬼のように揺らしていた。


「と、とりあえずお片付けしてみましょうか……? 片付けてみれば、案外大丈夫かもしれませんし」

「……そうね、うん」


 沈黙に耐えかねた刀花が意欲を見せ、それに引っ張られるようにリゼットも少しだけやる気を見せた。だが、その瞳には覇気が失われている。

 俺ですら分かる。ここを人が住めるようにするには相当の時間を要すると。しかし健気にも、リゼットは腕捲りをして、その高貴な姿が汚れるのも構わず掃除を始めた。


「窓ガラスやベッドは俺が片付ける、危ないから近寄るなよ」


 そんな彼女の姿に導かれるように俺も掃除を手伝う。刀花やリゼットはとりあえず埃や汚れを落とし、俺は危険なガラスや力仕事担当だ。幸い、掃除道具は離れの倉庫に保管してあり、水道と電気も通っていた。


 そうして三人で黙々とリゼットの居室を片付けていく。中にある家具は立派なものだったが、風に晒され傷がひどく使い物にならない。そう判断して玄関前に積み上げていく。

 昼食もとらず、ただひたすらに埃を落とし、ゴミを片付け、虫を駆除する時間が数時間続いた。リゼットは懸命に働いているが、こういった労働には慣れていないことが一目で分かる。おそらく英国にいた頃には家事などはメイドにやらせるのが当たり前だったのだろう。それだというのに一言も弱音を吐かず、率先してゴミを片付けていく。その姿に感化され、俺達兄妹もそれに従った。

 しかし……。

 日の長い夏の太陽も傾く頃、限界を迎えた。タイムリミットだ。これ以上の作業は暗くなって危険と判断し、俺達三人は玄関前に立ち尽くしていた。


「……終わりませんでしたね」


 額の汗を拭いながら、刀花が残念そうにリゼットを見やる。俯くリゼットの表情は夕焼けに邪魔されてよく見えない。


「ううむ……」


 まさかここまで時間をかけて一室も終わらんとは。せめて居室が綺麗になれば敷き布団でも持ってきて眠れたものを。これではまたリゼットは根無し草のままである。

 おそらくリゼットの屋敷の手配も嫌がらせでここに決まったのかもしれん。掃除をしながら「ここ以外ではダメなのか」と聞いたところ「ここに住まないと実家からの最低限の援助が受けられない」ということになっているらしい。なんとも、悪辣なことだ。


「……」


 玄関の前に積まれたゴミの山を何も言わずただ眺める吸血鬼の少女は、いったい何を思うのか。

 愛する母を亡くし、拠り所となる「強く生きる」という生き方も満足に果たせず、打ち捨てられた少女。その努力が実ることなく周囲から嘲笑され、報われるということを知らずにここまで来た小さな女の子。


 ……どうする。


 俺は迷っていた。俺に課せられた使命は刀花の安全を守ること。目の前で肩を震わせ始めた少女を助けることではない。


「……」


 隣にいる刀花を見る。彼女はリゼットを心配そうに眺め、しかし何も言わずにいる。そして時折こちらを見ては縋るような瞳を向けてくる。


「――」


 だが……。

 ここで手を出せば、おそらくかなり面倒なことになる。ただでさえ、既に後ろ髪を引かれている状態だというのに、さらに深入りすることになってしまうだろう。後戻りはできない。既に俺の手には、刀花がいるというのに。

 そうとも、俺は一人の大切な妹だけで手一杯なのだ。学費も食費も家賃も寝る暇を惜しんで稼がねばならない。他の者にかかずらう余裕はないのだ。


 ……果たしてそうなのか?


 自分を無理矢理納得させようとする声が、また自分の声に邪魔をされてしまう。

 本当にそうなのか? 目の前で泣く少女を見捨てることが、無双の戦鬼の勤めなのか? 刀花の信じてくれる最強とは、一人の少女すら助けられない程度のものだったのか?

 己が心に問う。お前はそんなに弱く、ちっぽけな存在だったのかと。

 その問いに、俺は刹那の間も与えず答えを出す。


 ――なめるな、と。


 いいだろう。

 俺は五百の魂と鬼を斬った妖刀を媒介に創造された無双の戦鬼である。涙を流す少女の一人や二人、増えたところで我が障害たり得ないということを証明してくれる。


「か弱き吸血鬼の少女に問う……」


 無双の力は少女の為に。全てを蹂躙し征く道こそ、我が覇道であるがゆえに。


「――力が欲しいか?」


 黄昏に染まる景色の中、静かに悔し涙を流す少女に問い掛けた。


「お前を嘲笑い、ここまで虚仮にする者達に一矢報いたいか?」


 報われないのならば報わせてやる。

 それは悪魔の囁きだった。

 彼女の目標である、「家の者を見返す」ということを叶える力。

 俺の力をリゼットは知っている。その使いようも、本来の使用意図も。

 俺は今、こう問い掛けたのだ。


 ――お前を嘲笑してきた者みな、悉く塵に帰したいか、と。


 どれだけ努力してもその身に宿らなかったチカラ。それが今、目の前にぶら下がって手招きをしている。


「……チカラ?」


 俯く少女は振り返らずにポツリと呟いた。


「……くれるの?」


 あぁ。この手をとれば全てを鏖殺してくれよう。俺はそのための道具であるがゆえに。


「……ふ、ふふふ」


 少女の肩が別の意味で震え出す。おかしくて堪らないといった風に。


「いいわね、チカラ……欲しいわ」


 そう言って彼女は振り向いた。


「……」


 振り向く瞳は暗いものか、それとも濁っているか……己に恥辱を与えた者共に報いる力を欲する少女の、その瞳にあったのは――


「――でもね、そういうことじゃないの」


 悲しそうな、瞳だった。復讐に燃える汚れた炎など全く宿らず、彼女はただただ悲哀をその瞳に湛えていた。


「確かに、力は欲しいわ。でもそれは、家の人達を害するためのものじゃない」


 自らの境遇を憂い、仕打ちに悲しみを感じながらも、少女が求めたものはそれらを滅ぼす力ではなかった。


「『強く生きる』……それはこんなことをする人達に仕返しする力じゃなくて、どんな時でも背中を丸めない、凛とした心のことよ」

「!」


 黄昏の光を抱くかのように、弱者である少女は胸に手を当てる。たとえ大きな力はなくとも、大事なものはここにあると宣言するように。


「――」


 眩しい、と……そう思った。

 その生き様を羨ましいとも思った。

 自分で決め、自分が見いだした真実を掲げる少女。……俺のような道具にはないものだからだ。


「だけど、さすがにちょっと、堪えたかしら……」


 悲嘆に暮れてなお背中を丸めない少女はしかし、理想の生き様を語りながらも弱々しい。


「仕返しする力はいらないわ。あなたがそれ以外を苦手にしていることも分かってる。それでも……」


 弱々しく目を細め、こちらに手を差し出した。何かを掴むように、縋るように。


「あなたは、私を助けてくれる……?」

「っ!」


 その言葉に記憶を刺激される。十年前の、夥しい数の死体が転がった中、同じような言葉を聞いた。

 その時に、俺は一人の少女を守ると誓った。ならば、またこの時も、そうすべきなのかもしれん。


 だが……。


「ふん、お断りだな」

「え……?」

「兄さん!?」


 俺のすげない言葉に、刀花ですら驚きを禁じ得なかった。リゼットなどは今にも泣き出しそうな顔をしてしまっている。


「『助けてくれるか』だと? 悪いが俺は刀花の『お願い』しか聞かんし聞く気もない」

「……そう、そうよね」


 俺の答えを聞き、伸ばした手を下ろそうとするリゼット。だがその手が落ちきる前に、俺は言い放った。


「だが、『命令』なら話は別だ」

「!」


 ピタリと、リゼットの手の動きが止まった。


「お前は俺の妹ではないし、庇護すべきほど弱いわけでもない。その証拠は先程の宣誓で確信した」


 黄金に輝くその理念は、俺が汚していいものではなかった。あの時に俺の手をすぐさま取るような者ならば、即刻立ち去っていた。


「ならばお前は誰だ? 何になりたい? 何をしたい? 俺に何をさせたい?」


 しっかりとリゼットの紅い瞳を見て問い掛ける。その瞳は戸惑いに揺れていた。


 決めるのだ、今ここで。


 お前が、俺のなんたるかを。





「――『オーダー』を寄越せ、

「!?」





 お願いを聞く枠は既に埋まっている。

 しかし、命令を聞く枠ならば、まだ空席だ。


「もう、兄さんったら……」

「うっ……ぐすっ……」


 刀花はほっと胸を撫で下ろし、リゼットは俺の言葉を聞いた瞬間袖で目を隠している。

 泣き虫の癖に、泣き顔は見せたくないのだろう。


 ――彼女は、強く生きているのだからな。


「……いいわ」


 最後にグシグシと強く擦り、リゼットは面を上げた。まだ涙が溜まっているが、その瞳には煌めく炎が宿っている。


「そうよ、私はご主人様なのだから、眷属にお願いなんてすべきではなかったわね」


 おうとも。

 いかなる時でも強くあれ、俺のご主人様。その王道こそ、この俺を従えるに相応しい。

 だからこそ、お前が成すべきことを成すがいい!


「ジン! 『オーダー』よ!」


 凜とした声は高らかに。

 黄昏の光を背に従え、それが正しく当然であるかのように彼女は俺に命令を下した。


「――私を助けなさい!!」


 その命令を聞いたその瞬間、途切れていた見えない糸が再び繋がった。

 尻に敷いていた……文字通り屁とも思っていなかった契約の紋章が消え、今再び俺に宿る。

 右目が疼き、霊力の波動を感じる。俺の右の瞳には、吸血鬼に相応しい深紅の紋章が刻まれ怪しく輝いていた。

 その契約の繋がりから、彼女の意志が、霊力が流れ込んでくる。正直、ちっぽけな力だ。何かを成すためには到底足りないほどの火花のようなものだ。


 しかし、莫大な火薬を引火させるのならば、火花程度で充分だ。


「承知した、我がマスター」


 不敵な笑みがよく似合うマスターに、こちらも不敵な笑みを返した。

 彼女の歩む王道と、俺の征く覇道が交差する。その誇り高き王の道を、これよりは俺を携え進むがいい。


 ――今ここに、契約は成立した。


「刀花、やるぞ」

「えっ、やるって……まさかあれですか?」


 それ以外あるまい。

 それだけで全てを察した我が妹は「でもあれやったらまた国から怒られちゃいますよ?」と心配そうな声を上げている。


「構わん。弱者が強者を縛る法を敷く道理などない」


 刀花が守ってほしいと言っているから守ってやっているだけに過ぎないのだからな。


「さぁ刀花――”俺”を使え」

「ふふ、まったく……強い兄をもつ妹は大変です」


 わざとらしく一つため息をつき、刀花は俺に向かって手を叩き始めた。一定のリズムで、儀式のように。

 そしてゆっくりと……。

 言祝ぐように、呪うように……その言葉を綴った。


『鬼さんこちら、手の鳴る方へ』


 十年前に俺は人間どもに動く身体を与えられた。

 その時に、俺は生まれたと言っていい。

 そして今、その時の少女と似たような願いを抱く少女が目の前にいる。


 十年前は俺が生まれ落ちた。


 そしてこれより、ゴミ山のお姫様は生まれ変わるのだ。

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