第1階層 鬼灯姫は血と踊るⅡ

 もぐら叩きのもぐらのようにひょっこりと顔を覗かせた非日常は、すぐに日常の仮面を被って引っ込んでいった。

 音の奔流がざわざわとしたざわめきとして俺の耳に届く。

 目の前にあったワーウルフの死体の周りに青いツナギを着た作業員がやってきてなにやら薬のようなものを撒いていた。

 俺はいまだ腰を抜かしたまま、改札前にへたりと座り込み、その様子をただ眺めていた。


 ワーウルフをひと振りで退治したあの少女は、もうすでにいなかった。

 魔獣の活動停止を確認すると耳元の朱色の飾りに何事か語りかけ、刀を鞘に収めると、部活帰りの女子高生のようにだるそうに歩き出し、そのまま人ごみの中へと消えていった。


「あんた、大丈夫かい?」


 駅員が声をかけてきた。

 彼の目に浮かぶのは心配ではなく、迷惑そうな色だった。

 通勤ラッシュは終わったとはいえ、一日に何万人と利用する大ターミナルだ。

 改札前にいつまでも座り込まれては困るのだろう。


 俺は慌てて立ち上がり、落とした拍子にダンボールから飛び出した書類や私物を拾い集めた。

 倒された時にワーウルフの口から吐血があったのだろう、至近距離にいた俺はもちろんのこと、拾い集めた物たちにもべっとりと赤い血がついていた。

 中途半端に乾いたせいか、鼻の捻じ曲がるような生臭さが立ち上っている。

 これはもう使い物にならないだろうな……。


「って、うわ!」


 思わず声が出た。

 あまりの臭さとダメになった私物に顔を歪めていた俺の前にぬっと青色の壁が現れたのだ。

 いや、壁のはずがない。

 俺が視線を上へと滑らせていくと、帽子を目深に被った険しい顔にいきあたった。

 帽子のつばの影から小さく鋭い目でこちらを見下ろしている。

 青色の壁のように見えたのは、青いツナギを着た大男だった。


「な、なんでしょうか?」


 思わず俺は半歩後ずさった。

 半端じゃない威圧感がある。只者ではない。

 男のごつごつとした岩のような手が、ぐっとこちらへと伸びてきた。

 殴られる!――と俺は反射的に歯を食いしばったのだが、頬に触れたのは思いの外柔らかい感触だった。


「魔獣の血がついたまま放っておくとかぶれてしまいますよ。この特殊アルコールで拭けば綺麗にとれます」

「え」


 痛くないようにと配慮をされた手つきで俺の頬は綺麗に拭われた。

 鼻を突いていた魔獣の血の生臭さが一気に軽減され、変わりに高原の風を思わせる爽やかな匂いがふんわりと漂ってきた。


「これ、携帯用です。地下ではたまにこういうことがありますから、よかったら持っていてください。新商品のフローラルタイプです」


 そう言うと大男は帽子をとってにっこりと微笑んだ。

 彼の鍛え上げられた鋼のような肉体と、その愛らしさすら感じさせる小さな目のギャップに俺はバカみたいにポカンと口を開けた。


 彼はそんな俺に手のひらサイズのボトルを手渡すと、それではといって作業に戻った。

 ワーウルフの死体を袋に入れると、それを掛け声と共に肩に担ぎ上げ、そのまま人混みを申し訳なさそうに身体を縮めながら歩いて行った。


「……なんなんだ?」


 地下にやってきてまだほんの少しだというのに、いろんな出来事が起きすぎている。

 俺の頭はすでに情報量の多さにパンクしていた。

 その証拠に先ほでまでいたあの青いツナギの作業員たち、優しい目をした彼らがこれから俺の職場となる「迷宮管理部」の一員であることに、その背中を見送ってから気づいたのだ。


「……って、やば!」


 慌てて腕時計を見たが、腰を抜かしてへたり込んだ時にぶつけたのか、盤面に軽くヒビが入り、針はぴたりと動きを止めていた。

 その時刻が就業時間のおよそ一時間前。

 ということは、いまは――。


「初日から遅刻はまずい!」


 ダンボールを抱えて俺は駆け出した。

 いろんな人にぶつかり、振り返って大声で謝っては、また違う人にぶつかるということを繰り返しながら、俺は地下街をできる限りのスピードで走った。

 抱えたダンボールの中でがしゃがしゃと跳ねる荷物たちが外へ飛び出してしまわないように片手で抑えながら、頭の中で地図を広げた。

 

 駅から目的の事務所までは距離的にはそう遠くないが、近づくにつれて道が細くなり、複雑に入り組み始める。

 中心部の開けた場所は商業利用に回され、それらに適さない部分に社員寮や事務所を設けたためらしい。

 働く側からしたらとんだ迷惑だが、それも致し方ないことなのだろう。


 整備されたとは言え、腐っても迷宮だ。

 少し油断すると道がわからなくなる。

 俺は慎重に、かつ素早く覚えたルートを辿っていく。


 ――確か、次の角を曲がって階段を降りた先にあるはず!


 同じフロアなのに階段を上り下りするというのも、迷宮を迷宮たらしめる理由のひとつである。


「よし、これなら間に合うかも!」


 とか油断したのがよくなかった。

 スピードを落とさないように角を曲がると、そこからひゅっと風切り音を引き連れて人影が飛び出してきたのだ。

 俺は反射的に避けようと半身を捻った――そのとき、足首がぐにゃりと曲がった。


「いっ!」


 身体がさきほどまでの勢いそのままに傾いていく。

 目の前にあるのは長い下り階段。

 俺はゆっくりとそのぽっかり口を開いた空間へヘッドスライディングをかました――。


 と、その動きがガクンと止まった。

 首元が絞まり、「ぐっ」と喉の奥で音が鳴る。

 俺の身代わりにとばかりにダンボールからボールペンが一本飛び出して、甲高い音を立てながら階段をくるくると落ちていった。

 俺の身体は階段へと倒れ込んだ状態で止まっており、かのマイケルジャクソンもびっくりの角度だった。


「ごめんね、ちょっと急いでたから」


 背後から女性の声がしたと思えば、お腹に手が回ってきてぐいと身体を起こされた。

 俺はげほげほと空咳をしながら振り返る。


 そこにいたのは照明を受けて輝く銀髪と頭の天辺にピンと立った耳が特徴的な女性だった。

 彼女の細くしなやかな腰元にはふさふさの立派な尻尾が生えている。


 ――亜人だ!


 地下迷宮にかつて生息していたと言われる人型魔獣の一種。

 人類と同等の知能があり、昔から友好的な関係を築いていると、昔学校で習ったりしたが、実物を見るのは初めてだった。


 俺がしげしげと見つめていると、彼女はなにかに気づき「ん?」と首を傾げたかと思うと、目を閉じてその彫りの深い端整な顔をぐいと近づけてきた。

 まるで口づけを迫るようなその動きに、俺の心臓がバクバクと跳ね、顔が赤くなっていくのがわかる。


「あ、あの……」

「君、なんだかいい匂いするね」

「そうかな?」


 自分で嗅いでみるがいまいちわからない。

 あ、そういえば。


「さっき魔獣の血を拭くのに使ったアルコールかな」

「魔獣? あ、そうだった。急いでるんだった」


 彼女の目がパチリと開かれた。

 至近距離で見つめあう彼女の瞳は祝福された大地の実りのような黄金色をしていた。


「怪我はない?」

「大丈夫」

「よかった、それじゃ」


 それだけ言うと彼女は銀髪の中にひと房だけある水色の髪をなびかせ駆け出した。

 それはもう凄まじいスピードで彼女の均整の取れた身体はあっという間に見えなくなった。

 キラキラと光る粒子が残滓のように宙を舞っている気がしたが、それは気道を塞がれ軽い酸欠になったからかもしれない。


「あ、俺も急いでるんだった」


 少し落ち着いて、酸素が頭まで回ったのか、重要なことを思い出した俺はその場でくるりと身体の向きを回転させた。

 すると、ちょうど階段を昇りきったばかりの女性がこちらへと視線を送り、なにやらもじもじとしていることに気がついた。

 どうしたのだろう。


 俺も彼女のほうを見やる。

 白衣に緋袴――いわゆる巫女装束というやつだろうか。

 黒い艶やかな髪には白いカチューシャがよく映えている。

 さきほどの亜人の女性は外国人のような彫りの深さがあり、派手な美人だったが、こちらは一転して控えめな大和撫子といったふうな美しさがあった。


 その彼女が伏し目がちにこちらをちらちらと見ては、頬を赤らめもじもじとしているのだ。

 これは男ならばドキドキしないほうがおかしいだろう。

 地下についてからというものの、俺の心臓は人生で一番仕事をしている。


「俺がどうかしましたか?」

「いえ、えっとあの」


 小さな蕾のような唇をきゅっとすぼめたかと思うと、彼女は意を決したように一歩こちらへと踏み出してきた。


「これ!」


 差し出されたのは俺の身代わりに階段落ちを演じたボールペンだった。

 どうやら階段途中で落ちていたのを拾ってくれていたらしい。

 彼女は目をぎゅっとつぶり、俯いて両手のひらを上にしてボールペンを差し出した状態で固まっていた。

 まるでラブレターを手渡す健気な後輩女子のようなその姿に俺は思わず唾を飲み込んだ。

 なんてことはない、ただ落し物を拾ってもらっただけなのだが、俺はかすかに青春を感じた――。


「ありがとう」

「いえ、とんでもないです」


 片手でボールペンを受け取ると、彼女はすすすっと俺から距離を取った。

 剣の達人のような絶妙な間合いの取り方である。


 不意に彼女のような純和風には似合わぬ電子音が響いた。

 発信源はどうやら彼女の腰元に下げられた根付のようだ。


「あ、私行かないと! すみません、失礼します!」


 彼女はぺこりと慌ただしく、それでいて上品に頭を下げると踵を返して駆け出した。

 その速度はさきほどの女性には遠く及ばず、上体が大きくぶれることからもあまり運動が得意ではないことが窺えた。


 なんとなく俺は白と赤の後ろ姿を見えなくなるまで追いかけてから、ようやく階段を降り始めた。

 地下にきてからというものの、怒涛の勢いでいろんな出来事が起きている気がする。

 いままでは自分なりに頑張ってはいたものの、比較的平坦で変化のすくない人生だったが、これからは違うのかもしれない。

 なにやら、俺の人生が急激に動き出した気がした。


 階段を降り、少し歩くと目的の事務所にようやくたどり着いた。

 時間はおそらく過ぎてしまっているだろうが、ここは事情を正直に話して平謝りするしかない。

 俺はそう決断すると「迷宮管理部 整備課」とプレートの下がった扉をノックし勢いよく開いた。


「遅れてすみませんでした! 今日から整備課に配属になりました、最中央介です! よろしくおねがいしま……す」


 最後のほうは声が消えていた。

 整備課の部屋はがらんとしていて、人の姿は見当たらなかった。


「イラッシャイ! イラッシャイ!」と声が聞こえたかと思えば、部屋の隅にある鳥かごからで、そこには目に痛いほどの鮮やかな黄色と緑が配色された一羽のオウムが楽しげに首をぐるぐると動かしていた。


「お前しかいないのか?」


 俺は荷物の入ったダンボールを机に置くと、部屋の中を見回してオウムに話しかけた。

 オウムは「ミンナ、ハタラケ!」と返してきた。

 嫌なことを言うオウムだ。


 部屋はこぢんまりとしていた。

 スチールデスクが四つ島になって配置してある。

 それぞれに荷物が溢れていたり、逆になにもなかったり、可愛い小物が置いてあったりする。

 職員の個性がでるものだ。


 時計を見ると就業時間を少しばかり過ぎてしまっていたが、どうして誰もいないのだろう。

 俺は首を捻った。


 今日は休み――とは聞いていないし、もしかしてみんな寝坊とかもないよな。

 だとしたら、きっとどこかにいると思うんだけど……。

 いるとしたらあっちかな。


 向こうにおそらく給湯室か手洗い場となっているだろう扉が見えた。

 俺はそこへ向かい「おーい、誰かいないかー」と声をかけながら扉を開いた。


「――――!!」


 いた。

 そこにはひとりの少女がいた。

 一糸まとわぬ姿でいた。

 いや、可愛らしい薄いピンク色の下着は身につけているからそれは間違いだろう。

 

 訂正する。

 そこには下着姿の、おそらくはシャワーを終えて着替え途中の少女がいた。


「いや、ちょっと待ってくれ。俺の話を聞いてくれないか」


 少女はぷるぷると身体を震わせたかと思うと、潤んだ瞳でこちらを睨みつけ、手の届く範囲にあるものを掴みこちらへと放ってきた。


「いいから、出てけ変態!!」

「ごめんなさい!!」


 逃げるように、いや実際に逃げたのだが、俺は飛び出して扉を閉めた。

 今日一番心臓が飛び跳ねている。

 血液が全身に運ばれて火傷しそうなほどに熱い。


 俺は扉に寄りかかってその場にずるずると座り込んだ。

 どうして今日はこんなにトラブルに見舞われるのか――。


 俺の地下勤務初日は、先行き不安な出だしで始まった。


「このヘンタイ! このヘンタイ!」

「うるさいぞ、オウム!」

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迷宮整備課~仕事は主に魔獣退治です~ 芝楽みちなり @shushushu

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