迷宮整備課~仕事は主に魔獣退治です~

芝楽みちなり

第0階層 鬼灯姫は血と踊るⅠ

「いや、やめてください」

「私に逆らう気か!」

最中さいなかくん、キミ、明日から地下勤務だから」

「……最中さん、ごめんなさい」


 すし詰めの電車の揺れに合わせたように、俺の頭の中でぐわんぐわんと声が反響する。

 俺の人生を一変させた一連の出来事は、いくら忘れようとしても頭の中の真ん中にどっしりと居座って消えてくれない。


 超一流多角企業左坤さこうカンパニーにどうにか滑り込んで三年。決して要領がいいとは言えないが、自分なりに懸命に頑張ってきた。それなりに成果もあげ、この仕事を続けていく自信が付いてきた頃だった。


 だというのに、たった一度上司に歯向かっただけで飛ばされるとは。

 それもよりにもよって整備課だ。

 地下勤務の中でもかなりの激務で、離職率はナンバーワン。死亡率も相当高い。


 島流し。

 投獄。

 生贄。


 地上勤務の社員たちが地下配属を影でそう呼んでいることは知っている。

 正直、入社後に地上配属を聞いたときは心底ほっとしたものだった。


 苦しくもいまから思えば明るかった日々を思い出していると、電車がゆっくりと止まった。ダンボールを両手に抱えた俺はたたらを踏み、隣の女性にじろりと睨まれた。愛想笑いを浮かべてぺこぺこと頭を下げる。


 扉が開くと車内にぎゅうぎゅうに押し込めれていた人々が、堰を切ったように溢れ出した。そのあまりの数に電車がぐらぐらと揺れた。


 俺もその流れに乗って外に出た。ただ、外と言ってもここは地下だ。頭の上から日が差すこともない。換気システムによって充分に新鮮な空気が送り込まれているにも関わらず、どこか息苦しく感じた。


 切符を通すのに苦戦しながら改札を通ると、俺は思わず足を止めた。


 人類という生き物は、強い――。


 目の前に広がる世界に俺はそう思った。


 サラリーマンは急ぎ足で歩き、互いに隙間を通るようにすれ違っている。壁際の短いスカートの女子高生たちがポーズを決めおもむろに自撮りを始める。


 ここは地下だ。

 いまでは広く一般に開放され、生活圏の一部として親しまれている。


 それは知っていた。知っていたが、いまの俺にとっては地上とまったく変わらぬその光景は救いのように思えた。

 地下勤務だからって絶望することはない。意外と地上勤務とそう変わらないかもしれないじゃないか。


 ――なんて考えは甘かった。


 俺の中に微かに生まれた希望を踏み砕かんとするように、なにかが目の前に降ってきた。ずしんと地面が揺れる。


 鼻をつく獣臭さ――まさか。


 わっと声があがって俺の周りから蜘蛛の子を散らすように人が逃げた。俺のような地下初心者を除いて、みな避難の仕方を心得ているようで、その行動は早かった。気づけば人々は遠巻きにこちらを見つめるばかりで、この場には俺と目の前の人影しか残っていなかった。


 そいつは二足歩行で破れたジーンズを履いていた。毛むくじゃらで顔は狼のそれに見える。開いた口には乳白色の牙が並び、だらりと伸びた赤い舌からは粘性の高い唾液が滴っていた。


 ――ワーウルフだ!


 図鑑でしか見たことのない姿に俺の身体は硬直した。頭の中ではすでに自分がどう死ぬのかを考えていた。

 きっとあの牙で噛み砕かれて、いや鋭い爪で切り裂かれるのかもしれない。

 恐怖に震える視線でワーウルフを見るが、なかなかこちらを襲ってこない。

 どうしてだろうと冷静になると、ワーウルフの身体のあちこちが血で汚れていることに気付いた。息も荒い。かなり疲弊しているようだった。


 誰かと戦っているのか?

 だとすれば、きっと――。


「うっ」


 スンスンと匂いを嗅いでいたワーウルフの金色に光る瞳がギロリとこちらを向いたので、思わず声が出た。生物の本能的な恐怖を呼び起こす唸り声が聞こえた。手酷い傷を付けられて随分とお怒りのようだ。俺は身体から力が抜け、その場にぺたりと座り込んでしまう。ダンボールが落ち、音を立てて中身がばら撒かれる。


「話せばわかる!」


 俺は懸命に手のひらを彼に向けて言葉を投げかけた。腰が抜けて逃げようにも逃げられない。今できることは言葉で説得することだけだ。だが、無論ワーウルフである彼に言葉が通じるわけもない。


 鼻先に皺を寄せ犬歯の鋭さをこれでもかと見せつけると、ワーウルフは地面を蹴った。鋭い爪に床材がめくれ上がったのが見えた。ワーウルフの荒々しい巨体が、俺の眼前に迫る。


――ああ、死んだ。


「まったく世話かけさせないで」


 強く瞑った瞼の裏に、ひとつの灯りがぽうっと灯った。

 凛とした声が聞こえたかと思えば、ワーウルフの悲鳴が耳をついた。知らぬ間に俺も悲鳴をあげていたらしく、ぽっかりと開けた口に生暖かく生臭い液体が飛び込んできた。


 目を開けるとワーウルフは血だまりに倒れふしていた。まだ息絶えてはいないのか、足がぴくぴくと動いているのが生々しい。

 どうやらワーウルフは斬り伏せられたようだ。毛深い背中がぱっくりと割れて、ピンク色の肉が見えている。


 俺は吐き気を覚え、口を抑えた。こみ上げてくる胃液を懸命に飲み下す。


「大丈夫?」


 頭上から声が降ってきた。死を覚悟したときに聞こえた、あの涼やかな声だ。

 そちらを見ると、そこにはひとりの少女が立っていた。


 黒い髪を肩ほどで切りそろえた、可憐な少女だった。

 まだ年端もいかぬ少女が、日本刀を片手に返り血に染まった赤い姿で立っている。


 ざわざわと喧騒が蘇った。

 遠巻きに眺めていた人々はワーウルフの死体や、刀を持つ少女のことなど目にも入らないかのように歩き出した。

 急ぎ足のサラリーマン、倒れふしたワーウルフを携帯で写真に収める高校生。横目で見ながらグリーンスムージーを飲むOL。汚いものを避けようと、ぐるりと回り込むおじさん。


 ここではこれが日常なんだ――。


 俺は驚愕に見開いた目で彼女を見つめた。

 彼女の耳元では鮮やかな朱色の髪飾りが揺れていた。


 ――2020年、現在。

 大都市東京の足元には魔獣の闊歩する地下迷宮が広がっている。

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