コミックス完結記念書き下ろしSS

靴音の秘密


 カツン。


 美しい木目細工の床に、細い靴音が響く。

 この音の主は女性だ。体重が軽く、身長もそれほど高くない。歩き方が軽やかだった。

 小柄な王妃が夫に合わせていつも高い踵の靴を履くことから、ダーティニアの女性たちは踵の高い靴を好むのだが、その手の靴とはやや音が違っていた。


(妙だな、いつもと響きが違う)


 けれど、ナディルがこの足音を他の誰かと間違えることはない。


「何をご覧になっているんですか? ナディルさま」


 さやかな衣擦れの音、清しい花の香と共にナディルの心を占める唯一がやってくる。

 かざした常夜灯は小さなもので、その光はそれほど大きくはなかったが、彼女の周囲を照らすのに不足はない。


「君を、見ていた」

「私、ですか?」

「ああ。……これは、戴冠式で、あちらは君の十三歳の生誕祭、その白と青のドレスは私の二十五歳の生誕祭のときの君だ」


 長い回廊に飾られている絵画は基本的にはただ一人のもの……複数の人物が描かれていても、必ずそこに彼女の姿がある。


「……確かに、私、ですね」


 彼の唯一の妃……アルティリエが少しげんなりした表情でひきつった笑みを見せた。


「君はこの離宮に来るのは初めてだったな」

「ええ。……あまり王妃宮を出る機会がないものですから……」

「たまに出る時はいつも緊急時だからな……」


 公務以外で外に出る機会といえば、思い当たるのは、避難だったり、家出だったり、刺客に襲撃されたり、と緊急で不穏当なものが多い。


「そうなんです。なので、離宮などに来ることはほとんどなくて……。それにしても、自分の肖像がこんなにあるとは思ってもいませんでした」


「私が描かせたものばかりではないからな。……父上やナディアが依頼したものも多い」

 コホンと小さく咳払いをしてナディルは言った。


 それから、それぞれ勝手に依頼した結果だから自然と増えるのだと付け加える。

 アルティリエに殊更過保護だった前王はともかくとして、仲の良い義妹……ナディルの異母妹である現リーフィッド公爵夫人の名を挙げられて、アルティリエは首を傾げる。


「……ナディも?」

「ああ。……あの子はなかなか領地を離れられない。君との間に定期便が行き交っているのは知っているが、それだけでは足りないらしい。よく君の絵を描かせるように言ってくる」


 ナディルはそっと手を差し出し、アルティリエは当然のように自分の手を重ねる。

 そして、二人並んで夜の回廊を歩いた。 


 傍らにアルティリエがいる────ただそれだけのことで、いまこの瞬間が、ナディルにとっては何よりもかけがえのない時間となっていた。


「それにしても多すぎるような……?」


「……王族の肖像は人気のある王都土産の一つだ」

 アルティリエの疑問に、ナディルは苦笑めいた表情で答えた。


「……もしやこれは、ブラックベリーのカードの原画?」


「それもある。もちろん、そればかりではないな……原画のさらに元となった絵もあるし、あのカードはそもそもは王家所蔵の肖像画の模写から始まっている。その肖像のオリジナルもあれば、記録画家の手によるものもある」


「記録画家とは?」

 耳慣れない役職名にアルティリエは軽く眉を寄せた。


「建物の形状だったり、古い遺物や遺跡の様子を画として残すことだったり……図面の複製を作ったり……あとは、大きな式典の模様を画として残したり、王族の姿を描くことも彼らの仕事だ」


 なるほど、とアルティリエは頷いた。


「そちらの部屋には私のものや父上や母上のものが整理されて収蔵されている」

「……なぜ、私のものは額装して飾られているのですか?」


 アルティリエの肖像は、廊下の壁面を覆うように、ごくごく簡素な……素描のように見えるものまで額装されて飾られている。

ある一定の年齢からは、ほぼナディルと共に描かれていることが見て取れる。


 アルティリエの覚えている情景もあるが、モデルになった記憶はなかった。

 記録画家がこの時、どこで見ていたのかは知らないが、一瞬をよく捉えているものばかりだ。


「……君の姿を見ていたいと考える者がいたからだ」


 ここは前の国王の最晩年の隠居所……病に倒れてからの居宮となった離宮だ。

 そしてそれ以前は、第四王妃宮……アルティリエの祖母の暮らした宮であり、彼女の産んだ王女……アルティリエの母の宮であった。


「……もしかして、誰かがご覧になっていた?」

「そうだな」

「前の陛下がご覧になっていたにしては、新しいものも多かったですよね? 戴冠式とかそれ以降は亡くなってからのものですし……」

「それは私が飾らせた」

「ナディルさまが?」

「ああ。あとは父がしまい込んでいたものも私が飾らせた。……君の手元のそれは、八歳、それから、水色のドレスのものは五歳の君だ」

「水色のドレス、多すぎです……どれがどれだか」

「エルゼヴェルトの色だからな」


 奥へと歩くほどに絵の中のアルティリエは幼くなってゆく。


「そして、それが、私と君の婚約式だ。結婚式はその奥だ」


 少年のナディルの腕に抱かれた赤子────それが己であるのだとアルティリエは誰に聞かずともわかった。

 二枚の絵の違いはナディルの着衣の違いくらいで、どちらもアルティリエは目を閉じた赤子として描かれている。


 その絵の正面に立ち、アルティリエはマジマジと見つめた。

 絵の中のナディルの表情はどこか緊張しているようにも見える。

 今では想像も出来ない姿だ。


「この先は、どなたの絵ですの?」


 何もなく大きく開けられた壁面。

 その先にも廊下は続いている。この先は別の誰かの絵なのだろう。


「想像はつくだろう? 君の母君の絵だ。そしてあの一番奥の扉の向こう……父が寝室としていた部屋の応接には、君の祖母であるエレアノール妃の肖像がある。おそらくは王妃になる以前の……数少ない娘時代の肖像だ」

「ナディルさま、お詳しいんですね」

「まあ、ここは私の隠れ家の一つだからな」

「隠れ家……?」

「時折、こっそりと君の絵を見に来て息抜きをしている」

「息抜き、ですか? ここで?」

「ああ……」


 ナディルの返答に大きく目を見開き、それから何度か瞬きを繰り返してアルティリエは言った。


「……絵よりも、本物の私に会いに来てくださいませ」


 ナディルの目には、やや拗ねた表情がこの上なく愛らしく映る。


「ふと思い立つことが多いからほとんどが真夜中なのだ……」


 少しだけバツが悪い、というような表情でナディルは言った。言い訳じみていることは自分でもわかっていた。


「かまいません。どんな真夜中でも……寝入りばなを叩き起こされたとしても、私は、ナディルさまにお会いできる方が嬉しいです。…………ダメですか?」


 見上げるその瞳は、断られるとはまったく思っていない。


「……君は、私が断れないとわかっていてその顔をしているだろう」


 ナディルは大きなため息をついた。


「私と一緒では息抜きにならないということであれば、残念ですが私も諦めますけど……」

「そんなわけがない」


 間髪いれずにナディルは否定した。

 そこで、ナディルの唯一にして最愛の妃はにっこりと嬉しげに笑った。


「ナディルさまがそう言って下さるって、私知っておりましたわ」


 それから、以前よくそうしていたように背伸びをしてナディルの腕にぎゅうっと抱きつく。


「ありがとうございます、ナディルさま。私のわがままをきいて下さって」


 そんな風に言われて、それ以上ナディルに何が言えただろう。

 アルティリエはわがままなどほとんど言ったことがないし、多くを望んだこともない。


「……君のわがままではない。私のわがままだ」


 ナディルはそのまま攫うことを決めて、ふわりとアルティリエを抱き上げた。


「靴が、いつもと違うのだな」


 そこではじめて、先程の靴音が違っていた理由に気づく。


「はい。侍医にしばらくハイヒールを禁止されましたの」

「?????」


 アルティリエは、踵のない靴に包まれた足先を軽く揺らして笑った。





靴音の秘密 終


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なんちゃってシンデレラ 王宮陰謀編 異世界で、王太子妃はじめました。 汐邑 雛/ビーズログ文庫 @bslog

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ