19話 手帳の記憶(1)

 雑貨屋の主人夫婦に軽く手を振って、バートはまた歩き出した。


 昼時とあって、食事を出す店はどこも満員だ。

 祭り見物の観光客が来ているせいもあるのだろう。

 つらつら歩いていると、パン屋がガラス越しにビスケットを並べていた。


 薄くて硬いビスケットは、少女の姿をしたエリザ神への供物くもつで、五月祭に無くてはならない菓子だった。

 形は様々だが、必ず穴が空けてある。

 ビスケットに願い事を書いて、リボンや紐で花輪に結び付けるためのものだ。


 並べられる菓子を、バートの隣で小さな女の子がじっと見入っている。

 見れば、服が古ぼけていて寸法が大きく、袖口を何重にも折っている。

 上の子のお下がりを着せられているのだと、すぐに分かった。


 バートはその子に、幼い頃のアメルを重ねる。

 こんな頃のアメルは何かというと、「花の女神になって、テリィのお嫁さんになる」と言っていた。

 それは子供の頃の、ただの頑是がんぜ無い言葉だったのだろうか・・・。

 それとも・・・。


 バートは店に入って、パンと、窓際に並べられていたビスケットを買った。

 外に出ると、さっきの小さな女の子が、やはりガラスの向こうのビスケットを見ていて動かない。


「・・・嬢ちゃん、ビスケット好きなのかい?」

 バートが声を掛けると、女の子はビクッと身体を震わせて、首をぶんぶん横に振った。

「おじさんので良かったら・・・」

 袋からビスケットを出そうとする間に、女の子は一目散いちもくさんに走って行ってしまった。


 悪さをするとでも思われたのかもしれない。

 この界隈では顔の知られた存在だと自負していたが、幼い子には通用しなかったようだ。


「こりゃあ・・・悪かったよなあ」

 子犬のように走り去った女の子の姿は、もう見えなかった。



 パン屋のすぐ先の中央公園でも、祭りの準備が行われていた。

 街の真ん中にあるこの大きな公園は、毎年、祭りのメイン会場となっている。

 今年も会場作りが始まっていて、幾人もの作業員たちが舞台を組み立てていた。

 所々から響く金槌かなづちの音を心地よく聞きながら、バートはベンチに腰を下ろして、さっき買い求めたパンにかぶり付いた。


 真新しい緑を掲げた木々が、風に揺れる。

 こすれる葉が太陽の光を砕いて、光の粒を撒いているようだ。


 膝に落ちたパンくずをはたき落として、懐から分厚い手帳を取り出す。

 それは、バートが長年にわたって調べている、ウィルトン家における事件事故の記録だった。


 始まりは、前当主ジャック=ウィルトンの後妻、リンダが死亡した事件からだ。

 屋敷の池から見つかった遺体から、事故死ではなく殺人の方向で捜査が開始される。

 重要参考人として挙がったのは、リンダ付きのメイド、アン=パーカー。

 リンダの遺体が発見された時、アンは池屋敷から人知れず姿を消していて、そのまま行方知れずとなっていた。


 数日後、アンは実家近くの森の小屋で、焼死体となって発見された。

 リンダ殺害を悔いての自殺ではないかと言われたが、遺書も見つからず、決定的な証言や証拠も得られなかった。

 結局、リンダの死の原因も解明されないまま、捜査はやがて打ち切られた。


 そしてその2年後、ウィルトン家長男ジェームスの事故死、妻バーバラの不審死。

 さらに5年後の、ジェームスの妹であるジェーンと、その夫アーサーの事故死。


 これらにより、ジャックの第3子であったケインが、名実共にウィルトン家の当主となった。

 誰が得をするのか・・・。

 気付いていない者などこの街には居ない。

 だが、口に出す者も居ない。


 街の資本を握っているとさえ言われているウィルトン家。

 警察さえも、ウィルトン家内部に入り込む捜査には及び腰だ。

 だから街の人たちは、「ウィルトン家にヴァンパイアが居る」と噂を流す。

 人では無い者の仕業なのだから、警察も捕らえられないのだという皮肉を含めて。



 けれど・・・。


 手帳の裏表紙の内側には、小さな袋が貼り付けてあった。

 逆さにして振ると、バートの手のひらに黒ずんだ革紐の欠片かけらが落ちる。

 アーサーが最期まで握り締めていた、馬車の手綱の欠片だった。


 こんな物でも遺品なのだから、本当はアーサーの娘であるアメルに渡さなければならないのだと思う。

 でも、変わり果てた親友の手の中にこれを見た時、自分に託されたのだと感じたのだ。

 事故では無い、真相を明らかにしてくれ、と。


 他の仕事の傍ら、地道に調べを続けて来た。

 そして分かった事もある。

 当時疑問だった、ジェーンがなぜアーサーと一緒に出かけたのか、という事だ。


 事故の数日前、ジェーン宛てに手紙が届けられていた事が分かった。

 近所の子供が頼まれて届けたようだが、頼んだのが男性であったので、死んだジェーンの名誉をおもんばかって、親が口止めをしていたらしい。


 この男が何者であったのか、幼い子供からは大した事は聞けなかった。

 だが、恐らく手紙によってジェーンは説明会へ出向き、その道中、馬車ごと川に落ちて死んだ。


「次は俺だぜ。・・・けどな、俺はタダじゃあ殺られねぇからな。どっかで俺の死体が上がっても、間違っても事故死だの自殺だのでカタ付けんじゃねぇぞ」


 そう、アーサーたちの葬儀で言い放った少年、ジェフリー。


 すでに立派な青年となっているはずだが、最近の彼の消息は、明らかでは無かった。


To be continued.

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