シデカムシ奇譚 ~Curiosity kills the people~

庄吉しょうきちよぅ。ことばっかしてっとぉ、シデカムシが来るぞぉ」


ぼくのばあちゃんの口癖だ。


悪いことばかりしていると、『シデカムシ』が来る。

昔からぼくは、ばあちゃんにそうやって脅かされてきた。


子どもをしつけるために、悪事の『罰』として『悪いものの出現』を紐づけする。

ぼくの田舎だけではなくて、全国どこでもやっていることだろう。

『盗みを働くと寺の坊さんに焼けたお灸を据えられる』だとか『山奥で遅くまで遊んでいると鬼に攫われる』だとか、『夜に口笛を吹くと蛇が出る』だとか。


地方の山村であるぼくの田舎では、その『悪いもの』が、『シデカムシ』だった。

つまりは、ただそれだけの話なのだろう。


といっても、ぼくは実物の『シデカムシ』を見たことはない。

名前からして恐らくムシなのだろうけれど、どんな姿かたちなのかは知らない。

ばあちゃん曰く「シデカムシはなぁ、ゴキブリよりも醜くて、ゲジゲジよりも足が多くて、カマドウマよりも高く跳んで、イナゴよりも多いのよぉ」とのことだ。


「庄吉よぉ。シデカムシはなぁ、草や穀物は決して食いやぁせん。は生き物の肉しか喰わんのよぉ。それも、米粒みたいな大きさの幼虫のうちにこっそり生き物の身体に入り込んで、ゆっくり育って大きくなって、さらに卵を産んでを繰り返して、中から獲物を喰い散らかすんよ。特に人間の肉は大好物でなぁ、シデカムシに入り込まれた人間は、一月ひとつきも経たんうちに身体の半分がシデカムシになる。庄吉みたいに小さな子どもは、半月もたんやろねぇ」


常識的に考えると、そんなおぞましい生き物が存在するわけがない。もし実在していたら、今までに一度は目撃する機会があったはずだろう。

しかし物心ついたばかりのぼくは大人の言葉を疑うということを知らなかったので、ばあちゃんの言葉を、シデカムシの存在を頭から信じ込み、その名前を出して脅かされるたびに恐怖で縮こまっていた。

結果としてぼくは中学生になった今まで大した悪事に手を染めていないので、ばあちゃんの教育方針は間違ってはいなかったのだろう。


今では、ばあちゃんにその名前で脅かされても、多少の不快感はあれど、泣いて震えるようなことは決してない。

『シデカムシ』の名前は僕の中で、幼少期の笑えるトラウマ程度の存在に成り下がっていた。

つい、先週までは。


「太田んところのせがれが、シデカムシを飼い始めたらしい」

そんな噂の出どころは、町でも有名なお喋り婆さんだった。

「わしゃぁ見たでぇ。あの悪ガキが、河原でシデカムシの幼虫を捕まえて虫籠むしかごに入れとったんよ」

それを聞いたぼくたち子どもは当然、何かの冗談だと思った。

だって、そんな虫、実在しないのだ。

冗談でなければ、お喋り婆さんが普通に蝉やトンボを獲っていたのを見間違えたか、あるいは悪ガキ大将として有名な太田くんを懲らしめようとしたか。

その程度の話だと思っていた。


しかし、大人たちの反応は違った。

とくに町の古株――老人たちの反応は常軌を逸していた。


「シデカムシを……なんという悪行か……」

「信じられん……太田のくそ倅がそんなことを……」

「おお、恐ろしい……罰が当たる……南阿弥陀……」


小さく閉鎖的な町の中で、噂は瞬く間に広がった。

老人たちはこぞって、太田家に呪詛の言葉を吐き続けた。

そしてそれは、ぼくのばあちゃんも例外ではなかった。


「なんと、シデカムシを捕まえるとは。子供とはいえ、やってえぇこととわぁりことがあるんよ。多分もう太田さんとこの倅はシデカムシにやろうから、かわいそうやけんど、あの一家は全滅やろねぇ」


人を傷つけるような冗談や悪口は決して言わないばあちゃんまでが真顔でそんなことを言うものだから、ぼくは心底おそろしくなってしまった。


「ばあちゃん。シデカムシって、お話の中だけの虫やないの?」

恐る恐る訊ねると、ばあちゃんは悲しそうな顔で首を振った。


「昔は、お話の中の虫やったんやけどねぇ。町のもんどもがシデカムシの話をしすぎたせいで、んよぉ」



ぼくは町にある一番古い図書館に足を運び、シデカムシについて調べた。


『▲▲町の歴史と伝説』という郷土史の中に、シデカムシについての記述があった。


シデカムシ。我が町に太古から棲んでいるとされている虫。

その生態は大変に狡猾であり陰湿。幼虫のうちに他の生き物の体内に入り込み、その栄養を横取りしながら成長と産卵を繰り返し、徐々に獲物の身体を侵食してゆき、搾り取るものがなくなった最後にはその肉を内部から大勢で喰らい尽くす。

犬猫も牛馬も人間も見境なく喰らう。むしろ人間の肉を好む習性があると言われる。

名前の由来は『死出禍蟲しでかむし』、或いは『獅子百足ししむかで』が変遷したもの、或いは四層地獄の最奥、最終地獄ジュデッカから這い上がってきた『じゅでっかむし』が語源であるなど諸説。


もちろん写真は無かったし、イメージ図のようなものも無かった。

ただその淡々とした記述が、ぼくの背中を震わせた。

その郷土史には、『創作』『昔話』といった、作り話であることを匂わせる記述は一切なかった。


噂が広がって一週間ほど経ったころ。

とうとう、町の大人たちが決起した。


「呪われたシデカムシを家に入れたことは大罪である」

「その家のみならず、シデカムシの存在は町の平和そのものを危うくする」

「もはや太田一家は住民とは認められず。この町から出てゆくべし」


町の自警団を自称する屈強な男たちが、太田家を追放するために徒党を組んで押しかけることになったのだ。


「庄吉、お前も来い。中学生ともなればこの町では一人前の大人だ。もう立派に俺らの仲間であると証明しろ。呪われた連中を追い出し、男を見せるんだ」

普段から仲のいい兄貴分たちに言われ、ぼくもその集団に加わることになった。


その集団には、とても戦力になるとは思えない老人たちも多く加わっていた。

「ばあちゃんは行かんの?」

ぼくが訊ねると、ばあちゃんはやっぱり悲しそうな顔で首を振った。

「もう手遅れさぁ。町のもんどもがどれだけ集まっても、育ちきったシデカムシを止められやぁせん。庄吉も、わぁりことは言わんからやめときなぁ」

「……ごめん、ばあちゃん。ぼくも町の仲間やって証明せんと。男を見せんと」

ぼくが答えると、ばあちゃんは溜め息を吐いて頷いた。

本音を言うと、大人の証明だとか男を見せるとか、そんなことはどうでもよかった。

ぼくはただ――シデカムシが、見たかったのだ。



「太田ぁ! 太田の一家ぁ! 出てこいやぁ!!」

一軒家の前に集まった大人たちの先頭で、リーダー格の男が叫んだ。

しかし、家の中から返事はなかった。


「太田ぁ! 居留守を決め込んでも無駄やぞぉ! 呪われたシデカムシなんぞ取り込みよってからに! 町の裏切り者がぁ!!」

男は更に声を張り上げるが、やはり返事はない。


「皆の衆! ぶち破れぇ!!」

「おおぅ!!!」

リーダーの掛け声と共に、屈強な男たちが金槌や鍬で門を乱打し始める。


太田家の門は平均的な丈夫さを誇っていたようだったが、集団の暴力には勝てず、やがてべきべきと音を立てて倒れた。


「踏み込むぞ!!」

リーダーの言葉を合図に、ぼくや老人たちを含めた全員が太田家になだれ込む。



「どういうことや、誰もおらんぞぉ!!」

数十人による家探しが行われたが、シデカムシも、それを捕まえて飼っているという太田くん本人も、その家族も、誰一人として、家の中からは見つからなかった。


「もしや、我々の襲撃を予見して逃げたのでは」

「なるほど、この数は目立つやろからなぁ」

「それなら、わしらの不戦勝やろ。解散しよか」


家の中でも一番大きな居間に集合した人々は、声高々に言い合う。


でも、ぼくは、何だかとても悪い予感がしていた。


ぼくの全身を、とてつもない悪寒が震わせていた。


10年近く忘れかけていた、この感覚。

ばあちゃんに脅かされるたびに背筋を走っていた感覚。

お話の中から、が忍び寄っている時の感覚。


太田一家は、本当に居なくなったのか?

ただ、だけなんじゃないのか?

んじゃないのか?


いけない。この場所はいけない。

早く、ここから逃げ出さないと!!



「騒がしいですねえ。こんな時間に、一体全体なんの騒ぎですか?」


しかし、叫び声をあげようとしたぼくより先に、言葉を発した人間がいた。

その場の全員が振り返る。


「どうしたんですか皆さん、揃いも揃って」

それは、太田家の隣の家で独り暮らしをしている中年の男性だった。


「おう、井原さんか。俺らは太田の一家に引導を渡しにきたんや」

リーダー格の男が答える。

「ところが、どこを探してもおらん。たぶん恐れをなして逃げたんやろなぁ」

「はぁ?」


武器を片手に寄り合っているぼくらを見回した男性は、ポカンとした顔になった。


「何を言ってるんですか、皆さん。太田さんの一家は三日前から旅行中ですよ」



「はぁ?」

今度は、いきり立っていた大人たち全員がポカンとした顔になった。

「え? 一家で旅行? なんで?」

「たしか、奥さんの実家である栃木県に帰ってるはずです。なんでも奥さんの妹さんの結婚式に呼ばれたとかで……」

「えぇ~……」

大人たちは脱力する。


「なんだ、怯えて逃げたわけじゃないんか」

「じゃあ、じきに戻ってくるな。恐らくシデカムシもまだ一緒やろ」

「つまらんタイミングで攻め込んじまった。また数日後に出直すかぁ」


口々に言い合う大人たち。


でも、ぼくは、呆れも脱力もしていなかった。

なぜなら、ぼくの全身を襲う悪寒は、一向に収まらないからだ。

大人たちは、この気配に気づいていない。

気づいているのは、小さかった頃の恐怖を忘れていない、最年少のぼくだけだ。


は、まだぼくらを見ている。

お話の中から、じっとぼくらを見ている。

その姿を現す切っ掛けを、ただじっと探っている。


奴らは、この空間に顔を出す合図を今か今かと待っている。

シデカムシがぼくらに襲いかかり、その身体を喰い破るには、もう些細な切っ掛けがたった一つあれば十分なのだ。そして、その切っ掛けはもうすぐ訪れる。

ぼくはまた、みんなに向けて警告を発しようとした。

しかし、ぼくが叫ぼうとした寸前。



「……なるほどのぅ。確かに、ここには恐ろしいシデカムシはらんようだ」

一人の老人が、みんなの前にゆっくりと進み出た。

町の住人たちの中でも最古参、町の長老と敬われている人物だ。

「そして、太田家の連中は全員、奥さんの実家に帰っておるのか。つまり……」

町の長老は、ぽつりと呟いた。


ではなく、だったというわけじゃな?」


その言葉を合図に、部屋の隅々から大勢の蟲が湧き出して人々に襲いかかった。


渦巻く悲鳴と怒号の中で、ぼくは生まれて初めて実物のシデカムシを見た。



その姿かたちは、ばあちゃんに聞かされたものと寸分も違わなかった。

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