第75話 少女達の決心

初めてイリア・カーディアンという少女が、ロゼ・リエリットと出会ったのは、互いに五、六歳という幼かった頃だ。その出会いは街の路地裏、虫や小動物の死骸がまるで当たり前かのように地面に転がっており、誰も近づくことのない場所だった。


ロゼの住んでいた家は、ごく一般的な市民の家で、父親と母親と彼女の三人家族の平凡な一家だ。しかし、今まで送ってきた平凡な暮らしが突如として変わったのは、とある事故によって彼女の母親がいなくなってからだった。


ロゼの家に、盗賊が襲撃してきた。その際に、母親は襲撃してきた盗賊たちの手によって命を取られ、それによって父親は豹変してしまった。それは愛する妻がいなくなってしまったという消失感が一気に襲い掛かってきたからだろう。


最初、ロゼの父親は仕事から速く帰ってくれば、こんなことにはならなかったと、自分自身に罪悪感を抱いていた。しかし、自身からの逃走か、はたまた現実逃避か。その罪を娘へとなすりつけ始めた彼女の父親は、最終的に彼女に手を振るうようになった。


来る日も来る日も体に激痛を与えられる日々、身体に傷が増えようとも口から血反吐を吐こうとも、決してそれが止むことはなく、ただひたすらに痛みに耐える日々。その日々は、盗賊に襲われた時の畏怖と重なり、ロゼは男への恐怖を感じ始めていた。


そしてある日、家からの逃亡を図った。


幸いにも、彼女の住む家から都市までは近い距離にあり、彼女は父親の目を盗み真夜中に、家から出ていった。


しかし、そこで止まった。


盛んな都市に来たは良かった。しかし、その後のことを考えていなかったのだ。故に、ひとりぼっち。路地裏に潜んで、誰かの助けを必死に願って待っていた。何かを食べたい。路地裏に転がる虫、そして動物の死骸を食べようと試みても、彼女はそれができず、遂には餓死しそうになっていた、その時だった。


「大丈夫?」


一つ、彼女の目に手が映った。

綺麗な純白色に、一つ一つの指がとても細い。そんな見たこともない手を見て彼女はゆっくりと彼女が顔を上げた、そこに映っていたのは、金髪の髪をショートカットに切っている未だ幼い少女、しかしそれがロゼには天使以外のなににも見えなかった。


これが、ロゼ・リエリットとイリア・カーディアンの始まりだった。


「お嬢様!こんなところに一体何が……って、そちらの方は?」

「どうしても気になって。ちょっと待ってて」


イリアは追いかけてきた従者の女性にそう言うと、改めて問いかけた。


「ねえ、大丈夫?」

「………」

「お家はどこ?」

「………」

「お父さんとお母さんは?」

「………」

「………」


会話ができないとすぐに理解した彼女は、一番に訊きたいことを単刀直入に訊いた。


「首を振るだけでもいいわ。最後の質問。助けてほしい?」


その言葉を聞いた彼女は、最初何を言われたのかもさっぱりと言っていい程にわからなかった。しかし、徐々に栄養の回っていない脳内でも理解はすぐに追いついた。


これは―――救いの手を差し伸べてくれようとしているのだと。


ロゼが首を縦にふると、目の前のイリアはそれに笑って頷くと、従者に呼びかけた。


「サヤ、この子ウチに連れていく」

「なっ!?しかしそれは……」

「お父様なら許してくれると思うわ。何かしらの条件はあるかもしれないけど」


そう言って、ロゼはイリアに手を引かれ路地から出ていく。


それから、ロゼを連れて行ったイリアは父親に彼女をここで預かりたいと、申し出るとすぐに了承の意を見せた。しかし、それには案の定条件が着いており、それは“従者としてイリアを守る”という内容であった。


ロゼはそれに勿論頷き、それから厳しい特訓の日々が始まった。


男性恐怖症にほぼ近い様なものだった彼女だが、鍛える訓練官は奇しくも女性であり、また彼女も助けてくれたイリアの為に、心置き無く全力で鍛錬し続けた。


それからしばらくして、10歳になったロゼは自分の強さに自信を持ち、男への恐怖は嫌悪へと形を変えていた。


これが彼女が男嫌いに行きつくまでの軌跡である。






       ※     ※     ※






二人きりの空間の中で、刹那の間の中で長い長い過去を振り返るように物思いにふけっていたロゼは、ふと我に返った。改めて前を見てみると、自分の仕えているジュ人であるイリアが未だ変わることのない、まるで真剣な表情でこちらに顔を向けて座っている。しかし、それとは裏腹に彼女から言葉が発せられる様子はなく、どうやらあの真剣な表情はポーカーフェイスの様だ。


しかし、彼女はそれでも決心を固めたようで、一度息を吐き捨てて大きく空気を吸い込むと遂に口を開いた。


「今回、ここに来てもらったのは他でもなく、あなたに言いたいことがあったからですわ」

「私に、言いたいことですか?」

わたくしはシャガル学園に頭を下げますわ」

「なっ、なんですって!?」


イリアの発言が信じられないと彼女は椅子から激しく立ち上がりその、驚愕の度合いを表情で見せた。あいた口はポカンとあいたまままるで閉まらず、脳内の思考はショートしてしまったかのように停止してしまっている。しかし、それでも再起動して、イリアにロゼは問い詰めた。


「何故ですか!まさか、今回のこのシャガル学園のデモに責任を負っているのですか?それなら、責任はあちら側にあるでしょう!何もイリア様が……」

「それは違いますわ、ロゼ。確かに最初に再試合したいと願ってきたのは相手側。ですが、それに対して不遜で失礼な態度を取ったのはこちらがわ。先にこちらが謝るのは当然でしょう」

「ですが、という生物にそのような態度は……」


その言葉で彼女は、ほんの一瞬一度だけ口をつぐんだ。ロゼが男に対して強い嫌悪感を抱いていることを、イリア自身は彼女本人から毎日の様に言われ続けてきた。いかに愚かな生物であるか。日々の中で欠かさず、嫌という程に言われてきたのだから知らないわけもない。


しかし、その事実を知ったからこそ、私はそれをいい様に自分に利用したのだと、イリアは改めて罪悪感で気持ち悪くなった。しかし、ここまで来た以上後には引けないし、引くきも毛頭ない。彼女は上に登ってくる吐き気をなんとか落ち着かせつつ、彼女は伝えたかったその事実を口に出した。


「ねえ、ロゼ。私、ずっとあなたに言いたかったことがあるの」

「?言いたかったこと?」


あまりの話題とは別の言葉に、ロゼは一度戸惑うもののすぐに耳を傾けてそう言った。しかし、その内容は決して話題とは別と言い切れない事実であった。


「私は“男嫌い”じゃない」

「………えっ?」

「…ごめんなさい。本当ならもっと早く言わなければならないことですが、それをずっと黙っていましたの。本当にごめんなさい」


彼女の誠心誠意の込められた謝罪。

それを目にしていはいるものの、決してそれが今のロゼの眼中に入ってくることはなく、むしろ今の目の前に広がっているのは、ただの純黒、闇色の虚無であった。ただその事実から逃亡をはかり、現実から一歩ずつ遠ざかって呆ける。


その彼女の姿を見てイリア自身も、ちゃんと言わなければならないその訳を、話したくないと、拒絶する。


もし、言ってしまったら。

元の関係に戻れるのだろうか?

楽しく話せた毎日に帰って来れるのだろうか?

また、一人あの寂しい生活が帰ってくる?


考えれば考えるほど、彼女に押し寄せるのは他でもない恐怖であった。心を落ち着かせるはずが,それが全くうまくいかない。


そんな中で、彼女は先ほどまでのアークとの会話を思い出した。





       ※       ※       ※





元々、イリアからすれば、アークからの話がしたいという誘いは嫌でもなんでもなかった。それに加えて、彼のその真剣な表情を見れば、断る理由もなく彼女はアークの話を自室で聞くことにした。


授業も終了したその放課後、彼女が部屋の中で待っているとドアを外側からノックする音が聞こえ、その方へと足を運びドアを開けると立っていたのは金髪に眼鏡を装着している美少年、カートに成りすましているアークであった。


イリアは部屋の中へ招き用意した椅子に座ると、アークは藪から棒に口に出して言った。


「………思ったけど、やっぱりお前男嫌いでもなんでもないんだな」

「ぶふっ……!」


突如として放たれた言葉である上にそれはしっかりと彼女の“図星”を付いている。その気はなくとも芯を付く言葉には動揺せざるをえず、思わず吹いてしまった。しかし、すでに手遅れのポーカーフェイスを表情で保ちつつ彼女は訊いた。


「え、えーと、何故そう思ったんですの?」

「まあ、まず最初にお前と少し試合した時からぼちぼち気づいてはいたんだが、まずオレと会話しても普通の表情な上に、今こうして部屋に招きいれてくれただろ?男が嫌いってんならこんなことはまずしないはずだ」

「―――」


久しぶりに父親でもない同じ齢の男子と話せたことだったりで、つい油断してしまった。いつもならしっかりと男嫌いを演じることができるのだが、相手が男なだけあっていつもと同じ対応がそう上手くいかない。男嫌いを演じたくとも、むしろ男子の友達が欲しい彼女なので仕方がなかった。


「それが分かったからこそ、はっきり聞くぞ」

「?はい」

「……お前は今のシャガル学園との事について、どう思ってるんだ?」

「……」


彼がイリアに対して問いかけたことは、まさしく今彼女が最も考えていたことである。


「恐らくだけど、話を聞くにシャガル学園に挑発したのはイリアと、その下についている従者のアイツだろう?このままだと収拾もつきそうにないし、なにか行動を起こさないといけないと思うんだが」

「……確かに、それは事実ですわね。けれど、それをわざわざあなたに言われる筋合いはなくってよ?」


事実と言えば事実。

しかし、これは彼の言葉から自分を逃がすための発言である。わかっているその結論から逃げるためのそれだ。


しかし、これは一時の言葉に過ぎない。

また、アークもこれには別に怯むこともない。


「確かにそれはそうだな。でも、残念なことにオレは納得のいかない事には手を出したいタイプでな。それに、オレはこの事態を納めるって、決めてるんだよ」

「………」


そこまでしてそれを納めたい理由は全くわからない。しかし、ただ一つ分かるのは彼の瞳に宿るその信念、必ず成し遂げて見せるというその思いの込められた眼であったということだ。こうして今、ロゼに言いたくても言えない、怖気づいてしまっている自分の姿と比べると、彼のその姿は眩しい、とイリアは思った。


「今回のこの件、戦いをせずに穏便に終わらせたい。っていう気持ちは強いんだよな?」

「……ええ、勿論ですわ」


少し遅れてイリアはそう反応した。その意思をきいた上でアークは発言する。


「正直に言って、今回の件。穏便に済ませたいなら、お前らが学園側に謝るしかないと思っている。これがオレの本題でもある」

「……そう、ですわね……」


言いたいことはわかる。しかし、ロゼに「男が嫌いだ」と言っていしまっている以上、相手に謝るということもできない。その事実にまた、自分が早くに真実を言っておけば良かったとイリアにより強く思わせる。


自身の膝の拳を強く握りしめる、その姿。それは、アークの目にもしっかりと映っていた。


「……お前が、その“男嫌い”を演じているのは何かしらの理由があるんだろ?流石にそこにまで手をだすつもりはない。それに、さしずめ穏便に済ますことができればいいんだ。方法ならいくらでもあるはずだ」

「――――――」


本来なら、そこにも介入したいところなのだろう。しかし、彼女の姿を見る限りでは、それは出来そうにない。それを感じ取ったアークは、気を遣いつつ謝罪する、という一つの案を廃棄した。


イリアもそれはわかっていた。だからこそ彼女は、その気を遣ってくれる優しさを、ほんの少しだけ見せてくれたそれを信じ、彼女は思い切って口を開いた。


「……少し、話を聞いてもらえます?」

「……ああ」

「わたくしは、小さかった頃は粗相が悪かったですの。そのため、言わずもがな友達はそういませんでしたわ。そんな時、私はロゼと会いましたの」


男性に対して恐怖するロゼとの出会い、街を散策している最中に彼女を見つけ困っているところを助けたと、そしてそれから彼女が従者になって男性に対して嫌悪を覚えるようになったところまで、彼女はその全てを話した。


「…ロゼはわたくしにとって唯一のちゃんと話せるお友達で、ずっとわたくしのそばにいて欲しいと、そう思いましたわ。しかし、私と違って、彼女には男子嫌いがあった」

「……そこで、お前は彼女ともっと親交な関係を築きこれからもそばにいてもらえるように、わざと男嫌いを演じたわけか」

「その通りですわ」


彼女を失うということは、すなわちまた自分がひとりぼっちになるということ。それがイリアは嫌だったのだ。だから、自分のそばにこれからもずっといてもらえる様に、自身のことを捏造したのだ。それでも、彼女は男の友達が欲しいという欲求があり、それは自身の設定のせいでできない。


じゃあ、真実を伝えればいい。よし伝えよう……などと、とんとんと行くわけもなく、事実を伝えることは怖気づいたせいでできなくなっていた。


「わたくしは、その男嫌いではない。という事実を述べたくなく、いつも逃げてきましたわ。今起こっていることは恐らくその罰なのでしょうね……」


深く落ち込むイリアに、間もなくしてアークは言った。


「……言うか言わないか、それはお前次第だ。言わないという選択肢を選ぶのなら、勿論オレはそれを尊重して他の策を練る。でもな、イリア」


アークはただ一言、


「嘘なんて、いつかはバレるぞ」


それが、彼女の心を穿った。

結局男嫌いの仮面をつけていたところで、その仮面の奥の顔などすぐにバレる、当然のことだ。このある種、冷たいとも言い切れるような言葉は逆にイリアは勇気を持った。


「ありがとうございました、カートさん。わたくし、しっかりとロゼに真実を言いますわ」

「……ほ、本当にいいのか?なんか焚きつけたオレが言える立場ではないけど」

「本当ですわ。それをあなた様がいいますの?……と、少々怒りたいところですが、今回は許して差し上げますわ。わたくしもやっと言えますので」

「……そうか」





       ※       ※       ※








そう、いつか嘘はバレるのだ。

ならば、真実を言わなければならない。


「私には友達がいませんでしたわ。だから私はあなたとずっと友達でいてほしかった。だから、私は男嫌いを演じることにしましたの。ずっと私のそばにいてくれるよう……」

「―――――」

「自分でも酷いことをしていると思っていますわ。結局、自分に対してもっと深い関係にするために、そんなことをしたんですもの」

「――――――イリア様、とても残念です」


……しょうがない。

そんな風に言われて当たり前だ。

利用した人間にとる態度はそのようなもの――――――


「私とあなた様の関係がそのようなもので、深くなると思っていたなど」

「……えっ?」


本日三回目ともいえようイリアの戸惑い発言だった。


「私、ロゼはそういった自分と同じ境遇の者だからより仲良くしよう、という考え方は持っていません。私は、イリア様のそばにいたいとそう思ったからそばにいたんです」

「……でも、私も男嫌いだって言った時、凄く喜んでたような……」

「それは当然です。同じ境遇にいる人物ですから、話も通じますし。ですが、私は自分との共通点が多い人物よりも、その人の深淵を見て自分の信じれる人と一緒にいたいと思います。というかそれが当然です」


イリアにとって驚きだった。

今までは、ロゼは自分と同じ男嫌いという共通点で、仲良くしてくれてるとばかり思っていた。しかしそうじゃなかった。


結局自分の設定したことなど、意味がなかったではないか、とそう思うと同時に自身の愚かさが逆に笑えて来た。


しかしそれ以上に、ロゼの伝えたいこと。


“イリアが自分と同じだから一緒にいたいのではなく、自分が彼女を信じれる人だと思ったからずっと一緒にいた”


その真実が彼女には嬉しく、その喜びの方がよっぽど強かった。


やっと言えた真実に肩の荷が下りたのか、イリアはほっと息をつくとロゼはその様子を見つつ口を開いた。


「それと、シャガル学園のことですが。私も謝りたいと思います。男は嫌いですし、相手側にも非があると思っているのが本心ですが、この事態はさっさと終わらせるべきですし、なにより今は自分の男に対するプライドなど関係ありませんし」

「……ありがとうございます、ロゼ」

「いえ、こちらこそ。ちゃんと真実を言ってくれて良かったです」


こうして、イリアは長年言えなかった真実を伝え、そしてロゼは頭を下げる決心をしたのだった。









今回は遅くなってすいませんでした。

この文面の通り長くなったということもありますが、自分の小説をレビューでディスられたことがかなり精神面で刺激され、執筆のペースが遅くなったり文面を掻くのに苦戦したりとしたせいで遅くなりました。



これからも引き続き書き続けるので、どうか最後まで読んでいただけるとありがたいです。



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