淡く光るお月さま


「夜になるとどこに行っても前も見えないくらい真っ暗になるけど、俺達が生まれるずっと昔はその首飾りについてる玉みたいなのが空に浮かんでて、夜でも明るかったんだって。お月さまって云うらしいぜ」


 この周辺に住む者なら一度は聞いたことはあるであろうおとぎ話を、皓月は階段を上りながら後ろから付いてきている少女に話して聞かせる。言葉は通じていないようではあるが少女は興味深げに皓月の話に聞き入っていた。彼は言葉を繋いでいく。


「見たことないけどさ、お月さまのことを知らない奴なんて一人もいないんだぜ。でも、なんでお月さまが空からなくなったのかは誰にも分からないんだけど……」


 言いかけて言葉を濁した皓月は、塔の頂上へと向かって進めていた足を突然止めた。顎に手を添えて難しい顔を浮かべている。

 一緒に立ち止まっていた少女だったが、皓月はまだなにかを考えているようで動かない。少女がなにを思ったのかは分からないが、皓月よりも一段上に上がり、その場でしゃがみこんだ。少女の頭上には皓月の難しい顔があり、彼女の大きな瞳はまだ幼さの残る皓月の瞳とぶつかった。


 不意に見つめられた彼の頬はあっという間に真っ赤になった。赤くなった頬を隠すように口元を腕で覆い、ごまかすように咳払いをしてから、今まで他人に話したことなどない昔話をぽつぽつと語り始めた。




「……俺がもっとガキだった頃に誰かがお月さまの話を話して聞かせてくれた気がするんだ。けど、誰だったのかも、どんな話だったかも思い出せなくて……。大事なことだった気がするんだけど」



 この時、皓月は気付いていなかった。無意識のうちに彼の頬に一筋の涙が伝っていたことを。少女の細い指が皓月の涙をそっと拭った。


「え!? 俺なんで泣いてるんだろう、悲しいことなんてないのに」


 そう言った皓月の瞳は、悲しい色を浮かべている。少女は立ち上がって皓月の頭に手のひらをぽんと置いた。彼を驚かせたのは彼女の行動だけではなかった。


「こ、こう……げつ」


 拙いものの、少女ははっきりと皓月の名を呼ぶ。皓月は少しだけ驚いたように目をしばたたかせた。優しい声だった。


「あ、俺の名前。もう覚えたのか。お前すごいな」


「こうげつ!」


「あはは、すごいすごい。そういや今気付いたけど、お前、自分の名前も分からないんだよな。ずっとって呼ぶのもあれだし……」


 うーん、と悩んだそぶりを見せていた皓月はなにかを思い付いたのか、ぽんと手を打った。


「そうだ! 淡月たんげつ! 淡く光っててお月さまに似てるから! お前にぴったりの名前だろ」


「たんげつ?」


「そ。淡月! よろしくな」


 名前を付けてもらった淡月はとても嬉しそうに、自身の名前を何度も繰り返した。その様子を見て皓月も自然と笑顔になっていく。


 塔の頂上まであと半分もないところまで、二人は上ってきていた。





 ****





「街にその首飾りを作ってる職人のおっさんがいてさ。口は悪いけど腕は確かなんだ。淡月用にも作ってもらおうぜ。そのおっさんにはいつもよくしてもらってるんだ」


 皓月が話すのは街に着いてからのこと。こんな風に他人に心を開くことなど、今までの皓月なら有り得なかっただろう。けれど、彼が淡月に心を開き始めているのは、淡月が自身と同じ、一人ぼっちだったからなのかもしれない。


 階段を上りながら話し続けていた皓月の声が途切れた時、長い螺旋階段の終わりが姿を現した。


「あ! 着いたぞ、扉だ」


 階段の一番上。両開きの大きな鉄扉が暗闇の塔の中で、淡月の纏う光と首飾りの光に照らされてぼんやりと浮かび上がっていた。


 皓月は駆け足で階段を上りきり、扉に身体を押し当てる。耳障りな甲高い金属音を響かせながら、扉はゆっくりと開いた。


 扉を開いた瞬間、夜の冷たい風が一気に塔内へと流れ込んで、風のうなり声が二人の鼓膜を震わせた。


「屋上だ、外に繋がってたんだ」


 扉の向こう側には真っ暗な空が広がっているだけだった。突き出したような構造をしているらしいこの見晴台には、松明はおろか財宝らしきものもなに一つなかった。


 皓月はがっかりしたように大きな溜息をついた。


「せっかくここまで上ってきたのになんもないなんてな。つまんねーの。さっさと街に帰ろうぜ。そろそろ冷えてきたしな」


 言葉とは裏腹に、皓月が口元に微かな笑みを浮かべていたのは、いつものように一人きりではなく、淡月と、誰かと一緒に街に帰ることを少なからず楽しみにしていたからなのだろうか。ならこの時、淡月の本当の姿を見た時、どんな想いだったのだろう。どんな想いで彼女の本当の名前を口にしたのだろう。



 皓月は踵を返して、また階段へと繋がる扉に向かう。扉の前にいるはずの淡月に声をかけようとした。けれど、扉の前に淡月の姿はなかった。


 不思議に思った皓月が彼女の名前を呼ぼうとしたのと、ほぼ同時だった。彼の背後。塔から突き出した屋上全体が淡い、けれど力強い光で包まれたのは。




「こうげつ」



 耳によく馴染む声。優しく、光のような声。



 ゆっくりと後ろを振り返る孤独な盗人の少年。美しい光に包まれた美しい少女の姿を見た瞬間、彼の脳裏に蘇ったのは、幼き日、大切な人から聞かされたおとぎ話と大事な大事な夢。










 ――むかしむかしのこと。


 この世界には、夜になるとそれはそれは美しく輝く、大きなお月さまがお空に浮かんでいました。

 夜の暗闇に怯える人々にとって、お月さまは世界を優しく照らし出す光だったのです。


 そんなお月さまを、密かに狙う男が一人いました。彼はこの世界で盗めない物はなにもないと言われ、マスターシーフと呼ばれていた大盗賊でした。美しいお月さまを独り占めにしたいと考えたのです。


 けれど、お月さまは高いお空に浮かんでいて男の手は届きません。そこで男は、高い高い塔を建てることにしました。高い塔を造り上げた男は、塔のてっぺんからお月さまへと長い長いロープを投げひっかけると、ついにお空からお月さまを落っことし、独り占めすることに成功したのでした。


 男はお空から盗んだお月さまを、失くなってしまわぬよう、塔の一番下の牢屋へと閉じ込めました。

 お空からお月さまの優しい光は消え、前も見えぬほどの深い深い闇夜が世界を包み込みました。



 そして、お月さまが盗まれてから果てしない時が流れ、マスターシーフ亡き後も、彼が造り上げた塔の一番下の牢屋の中で、お月さまが閉じ込められているのです。


 誰も見つけたことのない、世界一高い塔の一番下で、お月さまは今もずっと、お空に返してくれる誰かを待ち続けているのでしょう。

 またお空に上り、美しく輝くことを夢見ながら――。




 ――おれ、大人になったら旅に出るよ! それで、マスターシーフが盗んだお月さまを見つけてお空に返すんだ! そしたら、足の悪い母さんも夜の散歩ができるようになるよ! お月さまを探しに行った父さんも帰ってくるよ!


 ――ふふ。ありがとう。楽しみにしてるわね、皓月――。


 大好きだった母との約束。病弱だった母との突然の別れ。忘れてしまっていた思い出全てが、はっきりと少年の脳裏に蘇った。



「あぁ。長いこと忘れてたよ。母さんとの約束も、夢のことも。俺はずっと探してたんだ。お前のこと。ずっと」






「淡月がお月さまだったんだ」

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