幕間15

 


「あはっ。これが痛いってことなんだね」


 殴られておきながら、少し嬉しそうなセカイ。


 直接、誰かと触れ合うこともなかったんだろう。こんな些細なことでも、初めての経験なんだ。


 こんな場所に一人でいることが、そもそもの問題だと思う。


「そもそもむげんは、いつ死んでもかまわないんでしょう? それならあたしに溶けることなんて、全然大したことがないと思うよ」


「ぼくの過去を見ているくせに、何もわかっていない」


 これだから超常の存在は困るのだ。強すぎるがゆえに、細かいことを考えない。


 考えないから、頭脳が発達しないのだ。学院長やルシルもそうだった。


「ぼくは弱いから、意志を貫くことに覚悟がいる。命ぐらい懸けないと、足を進ませることも出来ないんだよ」


 安全な道だけを歩いていたら、力でねじ伏せられて終わるんだ。


「確かに死ぬことなんて怖くはないけど、死んでしまうのは行動した結果のこと。自分から死に向かうわけではないし、無駄に死にたいわけじゃない」


 楽しいことがいっぱいあるんだから、全部経験して飽きた後に死にたい。


 出来る事なら、ずっと楽しんでいたい。


「お前たちの安い命と一緒にしないでくれ。ぼくの命は大事なものだよ」


 ただ、命より大切なものがたくさんあって。死後だって、ぼくの楽しみの一つなだけだ。


「むげんは本当に複雑だなあ。普通は死んだあとより、生きている間のことが大事なんだよ」


「似たようなものだよ」


 意思があって、行動できるのなら、どこでも変わらない。


「もういいだろう、ぼくを開放してくれ」


「……うん」


 セカイは小さく頷くと、ぼくの腕を掴んだ。


「これでお別れなんだね、寂しくなるよ」


「随分殊勝なんだな」


 さっきまであんなに、抵抗をしていたのに。


「むげんを捕まえることは出来ないみたいだから。あたしはずっと、むげんを怒らせてばかりで、本当にむげんのことをわかってないって実感したよ」


 意気消沈したような。セカイの声からは、反省を感じる。


「もっと勉強しておくよ。だから、また遊びに来てね」


 こんなところに一人でいて、どんな勉強ができると言うのか。


 人間のことは、人間に触れることが、一番の勉強になるのに。


「お前も外に出ればいい。楽しいと思うぞ」


 なにも理解できなくても、誰とも仲良くなれなくても。


 味気ない荒野を彷徨うだけでも、世界は楽しいものだ。


 ただ呼吸をして、冷たい空気の中で歩くだけでも。それでも世界は美しいものだ。


「無理だよ、知っているでしょう。あたしが世界に行くだけで、簡単に滅びてしまう。むげん以外の生命を本質世界に呼んでも、死んでしまう」


 全てが本当に脆弱だと、セカイは嘆いている。


「それで?」


「……え」


 セカイの嘆く理由が分からない。


「世界が滅んでしまうことや、誰かが死んでしまうことが、行動を止める理由になるのか?」


 当たり前の理屈を語ると、何故か瞳を見開いて驚愕している。


「自由に歩き回ったり、誰かと会話をしたいと思う事は普通のことだろう。それが出来ない方が間違っている」


「でも、死んじゃうんだよ。それは細胞たちにとって、理不尽な死に方じゃないの?」


 ぼくが理不尽を嫌うことを知った上での、セカイの言葉。


「その程度も許されない方が、よっぽど理不尽だよ。セカイが我慢をしなければ滅びる世界なんて、根本的に間違っている」


 模造世界はセカイから生まれているが、それは勝手に生まれてきただけだ。


 セカイの意志でない以上は、責任なんてない。


「ずっとセカイに我慢をさせてさ、その事実を何も知らないで平和に生きているんだ。そろそろ滅びてもいいんじゃないか?」


 平和に生きる無辜の民。何の罪もない平凡な幸せ。それが誰かの犠牲の上にあるなら、全てが嘘なのだ。


 罪に溢れている、自覚をしていないだけだ。


 罪を背負って生きているのなら、そろそろ罰を受けてもいい。


「それは何度も考えたね。でも駄目だよ。あたしには責任が……」


「いいじゃないか、全員が不幸になればいい。それが平等と言うものだ。ぼくだって死ぬだろうし、セカイだって無事には済まないだろう」


「で、でもさ」


「今が幸せなら、それでいい。でも誰かのために不幸になってはいけない」


 他人の幸せなんて、自分が幸せになってから考えればいい。


 セカイは一人でいるのが辛いって、はっきりと口にしているのだ。


「……それは違うよ。あたしはむげんといたいだけで、分身みたいな細胞たちなんてどうでもいい」


「それが嘘なのは、もうわかっている。お前は気持ちを隠すのが上手くない」


 言葉や行動に現れているのだ。


 確かに初めは失望していた。でも度を過ぎた寂しさのせいか、強い好奇心のおかげか。


 外に出たい気持ち。ぼくじゃなくても、誰かと触れ合いたい気持ちが伝わっている。


 そもそも端末を使って遊んでいたことが、その証拠になるだろう。


「たまたまその感情の行き先が、死なないぼくに向いただけだろう?」


「それは違うよ! そんな打算じゃあ……」


「細かいことはいい。小さいことを考えることも、うんざりなんだよ」


 続くなら続けばいいし、終わるなら終わればいい。


 ただ、誰かのためになんて言い訳は見苦しい。


「自分で決めればいいさ。セカイだけの一瞬の喜びのために、全てを終わらそう」


 ずっと我慢して来たんだ、ずっと辛いと思っていたんだ。何を選ぶかはわからないが、誰か一人ぐらいこんな結末を示してもいいだろうさ。


 外に出たいと言うセカイの望みは、決して悪じゃない。誰でも出来て、誰でも当たり前に受け入れている、気づいてもいない幸せだ。


 その幸せに何の価値も感じない存在として、セカイには道を示してあげたかった。

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