物を大事に
学院長室を飛び出して、ぼくらは魂が抜けた人間の抜け殻だらけの廊下を歩いている。
こんな時でもこの学院はいつもと変わらない、ぼくらは今どこを歩いているのかさっぱりわからない。
まあ適当に歩いているので当たり前なのだが、この風景は懐かしくも心地よい。
まるで、世界中の人間が滅びてしまったかのような静寂は、ぼくの心には穏やかな印象をもたらした。
「よっと」
色々な意味で感慨深い感情を抱いていると、不意にエキトが階段に座り込んだ。
「どうした?」
「ちょっと疲れた。誰かがジャッジを見つければいいんだ、俺たちはこの辺でさぼっていようよ」
エキトの提案にぼくは心からの賛成を表したい。
でも、ちょっとらしくない。
こいつの場合は、時間の無駄は嫌だからとしっかり協力すると思ったのだが。
「もう一度聞く、どうした?」
ぼくの質問に、エキトは困ったような顔をする。
何かを隠しているのは間違いないだろう。
「仕方がありませんよ。フルーツたちも休みましょう」
と、何故かフルーツはエキトのことを理解している風だ。
こいつはついさっきまで、手を握ってほしいと言うほどに怯えていたのだが、いつもの状態にまで回復したらしい。
だがあんなに怯えていたのにそんなにクールぶっていても、こっちこそ何をカッコつけているのかと冷ややかな目で見てしまうことを、誰かに責められたくはないと思う。
「エキトは弱っているんです、普通に歩けているのが不自然なほどに」
フルーツは、断定的に口にした。何らかの確信があるらしい。
「大したことはないさ。街にいた時にクーデター派の連中を少し痛めつけてやって、この学院に入るときに少々無理をしただけだからね」
観念したかのように話し出すエキト。つまりはこいつは一人で先に戦いを始めていたと言うことか。
購買に用があったと言うのも、口実だな。
「特に学院の結界がつらかった。俺の魔道具で通過することは出来たけど、その代償がしんどいんだ」
「代償?」
「無限は知っているだろう? 俺の使う魔道具は、その代償に何かを削っていくものだって」
ふむ、聞いたことがあるようなないような。とにかく覚えていないのは確かだ。
「その人の内臓はいくつか潰れています。血液も、脳に障害が発生するレベルで減っていますね」
フルーツにはエキトの状態がよくわかるらしく、まるで医者のように説明してくれた。
「大丈夫だよ、既に再生は始まっているし、店の外での俺は不死だからね」
「そもそもさ、お前は何しにここまで来たの?」
ぼくは根本的な疑問を尋ねる。
「お前は店の外ではそんなに強くないじゃないか。それにここには学院長もいる、お前が役に立つとでも思っているのか?」
冷たい現実だが、それは事実だ。
こいつは賢く、機転だって利くが別に強いわけじゃない。
たとえ自分の店の中では無敵に近いとはいえ、外では二流の魔法使い程度だ。
それでも魔道具を使って色々と誤魔化せるみたいだが、学院長の強さには遥かに及ばない。
「無限が心配だったんだ。ただ、それだけだよ」
その言葉はきっと、嘘偽りのない本心だとは思う。
でもぼくにはわからない、こいつが今、ここにいて何の役に立つのだろう?
「別に役に立たないってことはないさ。ジャッジのルールに勝つには頭数と、人間の多様性が必要だ。たとえ弱くったって、一人でも人数が多いほうが勝率が高くなる」
別にお前がこなければ別の奴が代わりにいた。
何故ならば勝利条件が十人生き残ることだったからだ。
人を心配する気持ち、理性よりも勝る感情に価値がないだなんて言わないが。
その意味のなさには、ほとほと呆れてしまう。
「もういいでしょうお兄ちゃん、エキトを責めないでください」
「……責める?」
なにを言っているのだろうか、この人形は。
「お兄ちゃんなりにエキトのことを心配しているのはわかりますが、それでも当たりが強いと思います」
……ふむ。
ぼくの悪い癖だ。疑問に思うことを突き詰めて調べるために、意識せず口調が強くなってしまう。
それにエキトの心配をしていると言うのも、的外れではない。
意味もないのに、クーデターに関係もない人間が命を散らすのはとても嫌なものだから。
「それにしても、エキトに優しいじゃないか?」
この人形は基本的に冷たい。
ぼくはともかく、ルシルにだってそんなに優しくしていないぐらいなのに。
「そうですか? ……そうですね、多少なりとも自覚があります。フルーツはエキトに敬意をもっていますから」
「へえ!」
それは驚いた、こいつが敬意なんて上等なものを持っていたとは。
どんどん、ぼくよりも人間に相応しい存在になっていくなあ。
「エキトは商人であり、魔道具を使います。つまりフルーツの親戚のようなものを使っているのです。それにその理由はともかく、エキトはフルーツにもわかるほどに魔道具を大切に扱っている」
それは間違いない、その理由はともかく。
「その姿勢にフルーツは、とても暖かいものを感じます。それに時々お兄ちゃんに似ているとこもありますし」
最後のは勘違いだと思うが。
表面的に似ていても、実際には天と地ほども違うぞ。もちろん誰と比較してもだが。
「そうか、俺はこいつらを大事にしているか……」
エキトは感慨深そうに、自らが身に着けているものに視線を配る。
「有り難うフルーツ。その言葉が聞けて、俺はとても嬉しいよ」
「それは結構なことです。ですがお礼など必要ありませんよ、フルーツはその子たちの気持ちを代弁しただけなのですから」
などと、フルーツは口にする。
成程、確かにフルーツはエキトに敬意を持っているのだろう。
この二人は、おそらく相性がいいのかもしれない。
……是非ともフルーツを引き取ってもらいたいものだ。ぼくはいらないので。
「む、何ですかその眼は? さてはまたフルーツを捨てようと考えていますね?」
こんな時に鋭い勘を見せるのは止めてほしい。
「いつもいつも言っていますが、フルーツを捨てないでください! 何の不満があると言うのですか!」
何の不満だと?
「いや別に一緒に住んでいたり、遊びに行ったりすることぐらいは構わないんだよ?」
それはルシルが決めることだし、時々ならこちらから遊びに誘ったりすることだって、あるかもしれないぐらいだ。
「でもずっと傍にいられるのは迷惑なんだよ、別に毎日見たい顔でもないし」
朝から晩まで、別に役に立つわけでもないし、近くにいて幸せな気分になるわけでもない。
ただただ、ルシルもフルーツも鬱陶しい。
傍にいるのならせめて、ぼくの役に立つようになってからにしてほしいのだ。
そんなことをはっきりとストレートに伝えてみると、呆れるほどに聞き飽きたいつもの文句を、しばらく聞かされたのだった。
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