三人目の師匠

 


 なにが痛いのか、シホが頭を押さえて蹲っている。


 珍しくも、ぼくではなくルシルに、思うところがあるらしい。


「ま、まあいい」


 シホは何かを諦めるように、立ち上がると大きな声で宣言する。


「無限、このわたしの弟子になれ」


「断る」


 何が悲しくて、またコイツの近くに寄らなければならないと言う。


 別に嫌っているわけではないが、強引に利用されることが多いので遠慮したい。


 力づくという言葉は、この人物を指す言葉だと言ってもいい。


「黙れ、お前は既に二人の師匠がいるはずだろう? それならこのわたしが加わっても問題はないはずだ」


「そうですよ、ムゲン君! 私に一言の相談もなく、新しい師匠を増やすなんてどういうことですか!」


 やれやれ、今までなんとなく話を逸らして誤魔化していたのに。


 ついにルシルに追及された。


「うるさいな、今はシホと話しているんだ。それにルシルの弟子を辞めたわけじゃないんだから、文句を言われる筋合いはない」


 あれは学院長のせいだとも言えるし……。


「そもそも複数の師匠を持つことは、珍しいことでも何でもないと聞いたぞ?」


「私に話を通しなさいと言っているんです!」


「その時に、お前は学院にいなかっただろうが! 終わったことをグダグダ言うな! フルーツ!」


 近くで大人しくしていたフルーツを使い、ルシルを二階に連行させる。


「こ、こら! 私よりムゲン君の言うことを聞くんじゃありませんよ!」


「はいはい、元マスター往生際が悪いですよ。マスターの言う通り、既に終わったことなのですから、我儘を言わないでください」


「待ちなさい! これではまるでフルーツの方がお姉さんみたいじゃありませんか! ム、ムゲン君、ムゲンくーーん!」


 諦めきれずに叫び声を上げながら、連行されていくルシル。


 余計なプライドまでも、同時に折れてしまったと思う。


 視線をシホに戻すと、くつくつと含み笑いをしている。


「いやなに、随分楽しそうじゃないか?」


「そうか?」


「ああ、随分と上機嫌に見える」


「ふーん」


 そんなことはどうでもいいことだ。


 少なくてもぼくは、人間の感情というものが外側から観測できるものだとは思わない。


 つまり、そんなものは自分でしかわからないものだ。


「……やれやれ、まだまともな感情を持つには至らないか」


「みたいだな」


「まあのんびり待つさ。すでに十年、奇跡を期待して待っているんだ。それが一生になったところで大して変わらない」


 十年と一生はかなり違うと思うのだが、相変わらず奇怪な思考回路をしているようだ。


「話を戻すが、このわたしの弟子になれ。これはお前のために言っているんだ」


「そうだぞムゲン、お前には自覚が足りないんだ」


 キイチまで、便乗するように話に乗っかってくる。


 おい、お前はぼくを逃がすのに協力しただろう。


「そんな目で見るなよ、これは次元が違う話だ」


「どう違うか言ってみろ」


 今度はシホが口を開く。


「上げればキリがない。アメリカでの事情を知っている奴がいるかもしれないし、国外追放の原因になったあの人物の目に留まるかもしれない」


 まあ、確かに。


 でもそんなことを気にしていたらキリがない。


「そもそも、この学院だってお前の味方というわけではない。そして学院長やルーシー・ホワイミルトにだって心を許しているわけではないのだろう?」


「当たり前だろう?」


 一度だって味方だなんて思ったことはない。


「だからだ、お前がこのわたしの弟子になれば公にお前のことを守ってやれる。師匠というものは弟子に色々と世話を焼いてやれるものだからな。この愚弟だって同じような理由で、このわたしの弟子になったのだぞ?」


「なにやったんだ、お前」


「聞くな……」


 キイチも何かをやらかしているらしい、ハッキリ言ってこいつは大した人間ではないから、大変なのかもしれない。


「別にぼくはお前たちのことだって、味方だなんて思ってはいない」


「そんなことは知っている! お前のことは赤子のころから知っているし、一年前の別れの時に痛いほど思い知らされたわ! ……それでもだと言っているんだ」


 二人して悲しそうな顔をする。


 こいつらのことは味方だとも、家族だとも一切思ってはいないが……。


 何も思っていないわけでもない。


 思うところは、少しだけある。そのぐらいの時間は一緒に過ごした。


 ぼくはため息を吐いた。


「……メリットは?」


「そうだな、このわたしは今、教頭に頼まれて論文を書いている。出来次第では学年主任に抜擢されるらしい」


 手ごたえを感じたのか、饒舌になるシホ。


「その資料集めのために、通常は立ち入り禁止の書庫へ立ち入りが許されている。その合い鍵をくれてやる。つまり通常は読めない本が読めると言うことだ。お前は読書を好んでいただろう?」


「ほう」


 確かに悪くない、知らなかったことを知るのは素晴らしいことだ。


 別に、本に限定する気はないが。


「それに、このわたしはお前に魔法を覚えてほしいとは思っていない。お前の行動を縛る気もないし、用事があるときだけ、それに応えてくれればいい」


「……」


 出たよ、また出たよ。


 縛る気がない? こいつの舌は何枚あるのだろうか?


 ハッキリ言って、こいつはガチガチに相手を縛るタイプだが、確かに条件は破格だと言ってもいい。


 それに、師匠という名の役に立つ盾はもう少し増やしてもいいだろう。


 今のところ、盾はまだ片手の数しかないからな。

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