参拾 巨大幼女
「帰るよ」
「ど、どこへです?」
喜ぶ大衆をよそに踵を返した昂へと、戸木沢が問う。
女は無言だった。
ずっと仕えてきた男の額に、じわじわと血管が浮き上がってくる。
「あっしら、もうここにはいられないんですぜ」
昂は歩みをやめず、部下たちは戸惑って顔を見合わせる。
「準五としての悪評も広まってんです。受け入れてくれる場所なんて他にありゃあしやせんよ!」
ついに、戸木沢は吹っ切れたように叫ぶ。
「そうだね」ようやく足を止め、振り返らずに元山主は言った。「でも、生きようとすれば生きていけるところはたくさんあるよ」
回答されると、戸木沢が愕然とした。対話が済んだと認識した昂が、歩行を再開しようとしたとき――。
「…………認め、ねえ」
背後で、彼女の腹心だった男が重い声を発した。
「んなもん、認めねェ!!」
危険な金属音。元女刑事の昂には覚えがあった。――拳銃だ。
戸木沢が懐からそれを出し、元主人へと構えたのだ。
「!?」
「野郎ども」異変に見返る昂を差し置いて、戸木沢が声を張り上げる。「反乱の時だ!」
「おおォ――ッ!」
約半数の部下が喊声を上げ、戸木沢の側に移動した。男が中心だ。
対して、昂のそばに残った女を主とする部下たちは、かつての腹心へと身構える。
山界政府は二分され、銃口同士で対峙する形態となった。そこでようやく、喜びにわいていた民衆も異常事態を察知した。
「……なんのつもりだい、戸木沢」
「昂の姉貴。……いや、昂」
かつての主従が、重い言葉を交わす。
「ずいぶんと甘い汁を吸わせてもらいやしたが、実のところ扱いにはうんざりしてたんでさぁ。結局、主要な権限はあんたにあるわけですからね。もっと離反者を増やして、究極ウドの在り処を特定してから反抗する予定でやしたが、負けやがって。あっしを敵と認識してる市民に所有権が渡ったら、あれを手にする機会が遠のいちまうじゃねぇか」
態度を一変させた戸木沢は、ちらと陸徒を見やった。
「あぁ、もうあのウドでも不充分だったなぁ」
そこで、彼は拳銃を隣の部下のRPG‐7と交換し、それを亀姫に向けた。
「なっ!」
市民たちが絶句したが、幼女はとぼけた顔付きで微動だにしなかった。
「この地位を手放すぐらいなら、なにもかも台無しにしてやらぁ! てめえらは文明を失い、あっしは英雄になるんでい! 史上初めて、デイダラボッ娘を殺した男ってなァ!!」
肩に担いだそれから、弾頭が放たれた。
「亀姫、逃げてっ!!」
とっさに香奈美が警鐘を鳴らす。
ところが、当の本人はおもしろそうな表情のまま動かない。その笑顔に、ロケット弾の軌跡が直撃する。
ボッ娘の頭部で爆発が発生した。炎と煙が満ち、轟音が鳴り響く。
市民たちはみな、あまりのことに立ち尽くすばかりだった。
「当たったぞ! 今だ撃て、野郎ども!」
なおも戸木沢は吼える。
「ボッ娘は葦原ネットで繋がってる、一体殺せば情報が伝わって連中は全員びびるって寸法よ! あとは脅して従わせりゃあ、このメスガキどもを好きにできるってぇわけだ!!」
触発されたように、戸木沢側の山界兵が亀姫に照準を定めた。
「やめないかい、おまえたち!」
制止しようとした昂だが、構わずに発砲は連続した。
――次々と炸裂する爆炎。そこでようやく、観客たちは我に返った。
「……か、亀姫が!」
「うあぁああっ、逃げろぉーっ! 巻き込まれっぞぉ!」
「ひ、酷ぇ。あんな
阿鼻叫喚の嵐のなか。わけもわからないまま避難する市民と共に、陸徒はとりあえず山爺を車椅子ごと巻き添えにならない距離へと退避させる。けれども、老人は信じられないほどに落ち着いていた。
「なんで!」香奈美は、幼女から離れつつもうろたえる。「なんで逃げないのよ、亀姫比売!!」
「――無用だからじゃな」
平常心で述べたのは山爺だけだった。陸徒と香奈美には囁きが届いたが、ただ戸惑うばかりだった。
「山爺さん、でも! 巨大だとはいえ幼女ですよ!」
「そうよ! 最近戦った人なんていないし、あくまで噂でしょ! 文明が崩壊して研究記録もろくになくなったし、巨体で数がいたから脅威なだけだったんじゃないの! さすがに一人がこんなに撃たれまくっちゃ……」
やがて多種多様な重火器がもたらした煙で、幼女は覆われていった。
そんな状態になって、ようやく銃撃がやんでいく。というより、ほぼ弾を撃ちつくしたのだ。
「……へへへへへ」
大半の人間が呆然とする中で、戸木沢だけが乾いた笑いで高言する。
「へへへっ。やったぞ、ガキを葬ってやった! どんな人間も達成できなかったことをあっしはやってのけたん――」
「――クスッ」
明るい笑声が、彼の耳朶に触れた。
「くすくすくすっ」
みな、愕然として煙の内側を凝視する。そこに、強大なシルエットが浮かんでくるのだ。
徐々に晴れていく煙幕の内部に鎮座していたものは――。
黒雲を軽く手で扇いで払う幼女。一切無傷で、汚れ一つない亀姫比売命だった。
「……まったくもう、煙たいなあ」
「!!」
戸木沢軍が、ムンクの叫びのような形相になってつぶさに後退りだす。
「あ……あああ……あ……」
指導者たる戸木沢本人は間抜けな声音を出し、尻餅を着くありさまだった。
「チッチッチ」と舌を鳴らし、顔の前で人差し指を振る亀姫。「なんで、逃げないかって?」
巨大な幼女が、怪物染みた笑みを浮かべる。
「必要ないからに決まってるじゃーん」
観客が叫んだ。
「……ち、地孫光臨時の伝説は真実だったんだ」
「うむ」
それを耳にした山爺は、厳かに語りだした。
神話を。
二一世紀前半。
突如、あらゆる都市のそれぞれに巨大な幼女が出現した。日本において、後に地孫光臨と呼ばれる現象である。
幼女たちは自称全知全能で文明を無力化する能力を有し、僅か数日のうちに機械文明社会を崩壊せしめた。
当然、警察も自衛隊も駐留していた米軍も抵抗したが、幼女たちに傷ひとつ負わせることもできずに壊滅したという。
彼女たちは神話の巨人たちに因んでデイダラボッチと呼称されるようになり、それは幼女ら自身の希望で、まもなくデイダラボッ娘に改められた。
そんななか、機械文明の喪失に伴って大混乱も発生し、人類には大量の死傷者が出た。ついには、あまりの異常事態に発狂した軍人によってデイダラボッ娘への核ミサイル攻撃まで行われたという。
それは、無効化される前に命中し爆発したそうだ。――海外で起きたというこの報が、海から日本以外の陸地が消え失せる直前にもたらされた真偽不明な最期の情報だった。
結果として街ひとつが壊滅し、住んでいた人間たちは死に絶え、土地は汚染されたという。
なのに。そこにいたデイダラボッ娘はやはり無傷で、すぐさま人を除く失われた自然だけを復活させて見せたそうだ。
「そんな怪物が」山爺は結論した。「山の化身、デイダラボッ娘じゃ」
戸木沢は、這いずって幼女から離れながらも命令した。
「な、なにしてる。もっとだ。もももも、もっと撃て! 殺せ!!」
ほぼ戦意を喪失していた部下たちだが、それによって何人かは戦闘を継続しようとした。弾を入れ替え、応戦しようとする。
ところが。
「……銃が、弾が出ない!」
「グレネードもだめだ!」
「まさか、この兵器全部を!」
「くすくす」
悲鳴を上げる山界政府軍を、亀姫は嘲笑する。
「そんなんじゃだめだなあ。攻撃ってのはね」
ボッ娘は、特にたいした仕草もしなかった。
「――こうやるんだよ!」
発したのはただの一声と、ウインクだけだった。それだけで、山界政府軍のあらゆる銃火器類が一瞬で消滅した。
戦慄する市民たちから動転の声が上がる。けれども、よく考えれば不思議なことなどなにもなかった。
そうした兵器は、山菜ゲームで亀姫から与えられたものなのだから。
「に、にに……逃げろぉーっ!」
ついに、戸木沢の部下が諦めて叫ぶ。
たちまち、その通りになった。戸木沢本人までも含めて、彼の軍団は尻尾を巻いて雄国山を駆け下りだしたのだ。
騒動のさなか。昂も踵を返し、無言で山を去っていった。もちろん、彼女に最後まで付き従っていた山界政府軍も一緒に。
「くすくすくす、遅いよ」
デイダラボッ娘は邪悪な本性を露にしたようだった。
「山菜ゲームのルールに違反し、あまつさえゲームマスターを攻撃した。参加者失格な君らは、こうだね」
雄国山の中腹に広がる棚田跡は見通しがよかった。だから、戸木沢と彼に従った男たちだけが消滅するのはよく観察できた。
逃亡の途中で、何の前触れもなく、着衣も残さず、一瞬で。数十人が。
昂と彼女に従った女たちは無事で、かつての同胞たる男たちの消失に気付き僅かに足を止めた。が、やがて覚悟を決めたようにまた歩きだして去っていった。
亀姫と距離を置きながらも一連の出来事を見届けた市民たちは、もはや困惑を囁き合うことしかできなくなっていた。
ただ一人。陸徒だけが、北海道で警官たちが消し去られた日の懐かしい戦慄を思い出していた。
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