拾参 鶴ヶ外三郡誌
即座に、香奈美が動く。正面の山腹を目指して駆けたのだ。
(あっちには
左右にそれぞれの山菜を確認したが、思案から直進をやめない。むしろ、当初から注目していたものは正面にあった。
辿りつき、足を止める。上りの斜面が目前にあり、黒く枯れた長い植物がまばらに横たわっていた。
そのとき、視界の端を人影が過ぎる。
陸徒だった。
スタートは遅れたが、やや離れた脇で屈み、なにかを採ろうとしている。なんなのかは、香奈美にも捉えることができる距離だ。
(アイコ!)
固有名詞を脳裏で反復する。
毛を纏った、ぎざぎざの葉を大小備えた短い植物。軍手をはめた手で、陸徒はそれを摘もうとしていた。
(やっぱり知識があるんじゃないの!)
香奈美は悟った。なぜなら――。
「いてッ、痛ッてェー! なんだこれェ!?」
前言撤回。
山菜に触れた手を押さえながらぴょんぴょん跳ねる陸徒。その様にぽかんと立ち尽くし、香奈美は尋ねる。
「あ、あんた。それって、……芝居?」
「はあ? なんでだよ痛いじゃんかこれ!」
腹立たしげに、自分を攻撃した植物を軽く蹴る真似をする少年。さすがに、こうなっては少女も認めるしかない。
「……なるほどね」
歩み寄り、香奈美は陸徒が採れなかった山菜を軍手越しの手でいとも容易く取得した。
「え。痛くないの?」
「コツと慣れよ」
少女はポケットを漁ると、相手に双方の手を差し出した。
片手にはその山菜。もう一方にはひと組のゴム手袋が握られている。
「これなら刺毛を通さない。アイコもあげる、あんたが発見したんだからね」
「あ、ありがと」とりあえず、陸徒は遠慮がちにゴム手を受け取ってはめつつ尋ねる。「アイコってなに、じゃんけん?」
「この山菜の通称、食べられるわ」
「へー、こんなイガイガしたのが」
恐る恐る、陸徒はその植物に再度触れようとする。
「茹でたりすれば平気よ、正式名称は
「なーる」
軍手から替えたゴム手袋で貰うと、陸徒にも実際痛みがなかった。
「おー、ホントだ。これなら平気だ」
「マジで素人みたいね」
「だからそうだってのに」
「いいわ」若干、香奈美の態度が和らいだ。「半分信じてあげる。あたしはアイコも採らない。熟練と疑ったぶんのハンデよ、地の利もこっちにあるし」
「はあ。それはありがたい」
「じゃあ、勝負を再開するわよ」
言うが早いか、踵を返して少女は駆けだす。
闘いについてはまだ本気なのだ。なにせ、手慣れていようとなかろうと相手の実力は変わらないのだから。
それを了得し、陸徒も採取に戻った。
(この辺りはもともとワラビの宝庫だった)少女は思索する。(ボッ娘がバトルをおもしろくするために生態系を操作できるとはいえ、殻があるなら未だに生えているはず)
先程の黒く長い乾いた草が横たわるのが窺える斜面を登る。
それは枯れたワラビなのだ。ここに生息していたという証でもある。周辺に、子孫たる食べごろの新芽が誕生しているはずだ。
かくして、目標があると推定される坂を登頂したところに広がった一段上の高野で――。
「これなら、勝てるはず!」
――香奈美は、大量の新鮮なワラビたちと対面することになった。
眼下にいる陸徒に一瞥を送り、少女は獲物の群れへと突進する。
「くそっ、数がない!」
陸徒の方はイラコを探していたが、言葉通りの苦戦をしてぼやくはめになった。彼の眼が捉えたのがそれだけだったわけではないが。
「あれもいけそうだけど、採れそうにないな」
タラノメと。その近くの、たくましい毛を生やした太く長い植物を捉えていた。
特に後者は相当うまそうだったが、両方ともかつてスキー場だったこの地の、リフト脇の下への急激な崖のようなところにある。とても採取しきれそうにないのだ。
視線を移動させると、自分がいる地面と同じ高さに小さな林があった。そこに息づく木が、採れそうな位置に伸ばしている葉に惹きつけられる。
「これは……あぶねッ」
近寄って接触しようとしたところで、手を引くはめになる。
「イラコの比じゃない棘じゃねーか!」
それは香奈美があきらめたアザミだった。枝に、かなり凶悪な突起物を備えているのだ。ゴム手袋でも防げそうにない。
棘を避けて数枚を用心しながら入手したが、すぐさま、そんな採りにくさではだめだと判断する。このペースではやはり数の面で負けるだろうと。
ふと、その木の向こう。少々斜面を登った林の奥に、食せそうなものを捕捉した。
陸徒は視界で捉えられる範囲に香奈美がいると確認してから、標的の元へと急いだ。
ワラビを採りながら歩いていた香奈美は、折れた山菜に出くわした。
ゼンマイだ。
いくつか残存しいる。採られたものとそうでないものが隣り合っているところから、次世代が生えてくるようあえて残したのだろう。ボッ娘の注意を守っているのだ。
地面から目線を上げると、十メートルほど先にそれを何本か持った陸徒がいた。
(迷ったみたいだけど、男ゼンマイには手出ししてない。見極眼とやらが働いてるみたいね)
香奈美は、素人ながらマナーを遵守する陸徒に感心した。
ごわごわした胞子を備えた男ゼンマイと呼ばれる方は味が落ち、また子孫を保つためなどとしてあえて摘まないのが一般的だ。通常食されるのは柔らかな綿毛を纏った女ゼンマイ。陸徒もそちらを採取しているが、それでさえあえていくらか見逃してもいるようだ。ルールを守りつつ、味がいいものを選んでいるのだろう。
そのとき、少年は少女の方に眼差しを送ってきた。
(にしても)と、香奈美は見出す。(さっきからあたしが確認できる距離にいる。初心者だからいろいろ不安なのかな)
ちょうど視野の隅に、ある植物が映って一つのことを閃く。
「……それなら」
バンッ! ――香奈美の背後に巨大な古文書が浮かび上がった!
ぱらぱらとページがめくれていくと、山菜に関する多種多様で膨大な知識がアカシックレコードのように書き連ねてある。
「採取スキル、〝
「……ん?」
陸徒はまもなく異変を気取った。
なんにしても不慣れだ。迷うかもしれないし、香奈美と共に山爺宅から借りた紐つきの鈴をズボンのベルトに通して身に付けているが、熊を避けるには不充分かもしれない。故にあまり熟練者から離れるのは怖かったし、対戦相手としても動向に注意していたが、その彼女の様子がおかしいのだ。
(なんだ。なんであんな不味そうなのを?)
香奈美が、育ちきったワラビを採取していたからである。
新芽が伸びた程度ではなく、生長し過ぎて先端がいくつにも枝分かれしたまるで小さな木のようになったものだ。枝の部分だけで食べごろのワラビのようになってしまっている。そこならまあ旨そうだが、長い茎は明らかに旬の逸脱だ。
いつのまにか、陸徒と香奈美の後ろをドローンカメラが追尾していた。
「どうやら香奈ちゃんは、ワラビに賭けたみてえだな」
戦況を観戦しながら市民が言う。
カメラが撮影した映像は、民衆の目前にいるデイダラボッ娘の足元。そこに設置された映画スクリーン並みの巨大薄型テレビに投影されていたのだ。
全て、亀姫比売命が用意した演出だった。
「うめぇ手だ」
ある観客が感想を洩らす。
「ワラビは有毒で人間なら灰汁抜きすんなんねぇけども、あらゆる毒素に抗体があるボッ娘なら心配ねぇ。料理の必要がなくて旨いもん
他の客たちも口にする。
「でも、
「数の勝負に賭けたのかしら」
「いいや」そんな中で、山爺だけが異なる見解を示した。「あれならば、味もいけるじゃろうて」
「よし。このペースなら好調なはず!」
うまいゼンマイを中心にしようと絞った陸徒は、勾玉型スマホに表示されるゲーム終了までの制限時間と香奈美を注視しながら、勝利できるのではないかと見通した。彼女は大きいワラビを主に採っており、それは味も劣るし本数も自分が多めだろうと。
しばらくそうした対戦状況が続き、やがて――。
「そこまでぇーっ!」
亀姫から終了の合図がもたらされた。
勾玉も、朝夕の鐘を模したアラームを鳴らして終わりを布告する。
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