拾 亀姫比売命

 かくして翌日の昼。

 再度の気まずい一日を乗り切った陸徒は、山爺たちによって遠く離れた山に問答無用で連れ出されたのだった。


 高原中腹の舗装された平地。

 着流しにコートを羽織った車椅子の山座衛門と、ガールスカウト姿の香奈美。対峙する陸徒も、現役時代の山爺が着用していたというボーイスカウト風の衣装を着せられていた。おまけに観客が招かれ、三人をU字型に囲む雛壇状に設けられた客席に座する市民たちに見守られるという、謎の構図が出来上がっている。

 U字座席に対面する位置には、それらをおもしろそうに見下ろすデイダラボッ娘――亀姫が女児服姿で女の子座りしていた。


 この陣形が築かれてから、長い沈黙が経過していた。


 真面目な顔つきで硬直する老人と少女に対し、少年はそわそわするはめになっていく。群集も囁いた。

「なあ、山菜ゲームがあんだよな? 昨日突発的に行われたっていう理子ちゃんとの対戦見逃したから、今日こそはって期待して来たんだけんじょ」

「昂を除けば女では街一番の山菜採り香奈ちゃんの意向だってんだからな。おまけに理子ちゃんを破ったんだ、どないなもんかと見物しようとしたってのに。なしてずっと黙ってんだろな、挨拶もなしにこのまま試合すんのか」

「その前に、なにか重大発表があるみたいです。それを躊躇でもしているのではないでしょうか」

 最後に客席から言ったのは、地味なワンピース姿の理子だった。


 実際その通りらしく、さらに一分ほど経過したあとで、香奈美は深呼吸をしてからようやく覚悟を決めて発言した。

「ボッ娘。いえ、亀姫比売命ひめのみこと」陸徒を真っ直ぐに見据える。「彼の山菜バトル戦績は?」

「一勝〇敗、だよ」

 ボッ娘が回答し、さらに少女は問う。

「誰に勝ったの?」

「――北利卯弥十郎、だね」

 あっけなく巨大幼女が放った一言。そこへの静寂はごく僅かだった。


「び、弥十郎って。あの準五の!?」

 それを皮切りに、たちまち混乱が周囲の群衆にもたらされる。

「嘘でしょ、同姓同名の別人じゃないの?!」

「もしかしてあいつじゃねーのか、北海道に出没したっていう。時期的にも場所的にも、可能性が高いべ?」

へでなしくだらないよせ、ありゃ都市伝説の類だろ?」

「委細を訊きゃあいいだろうに」

 提案を受けて、理子が遠慮がちに尋ねてみる。

「え、ええと、亀姫比売。その弥十郎って準菜五人衆の一角、〝こごみ弥十郎〟ですか?」


「そだよ」

 あっさり返答した亀姫に、人々はさらなるざわめきに包まれた。


「す、すげえぞ。あんにゃろう実在してやがったんだ!! どおりで理子ちゃんさえ超えるわけだ!」

「本当かよ、嘘ってことはねーのか?」

「山菜に関してボッ娘が嘘ついたことはねーぞ!」

「でも弥十郎っていやあコゴミ同士でしか勝負しねえし、採取パート中に終始屈んだ体勢で何百とあるコゴミを吟味しアイヌの精霊コシンプを介して至極の一品を見出すとっから〝屈み〟の異名をとるっていう達人だぞ。……信じらんねえ!」


 意味不明な混沌に、置いてけぼりの陸徒は独白する。

「な、なんなんスか」

 香奈美は積年のライバルを映すような瞳で睨んでくる。こうなれば、彼女の隣で幾分穏やかな様子でいる老人に小声で呼び掛けるほかない。

「大変なことになってるみたいですけど、弥十郎さんってそんなすごい人だったんですか? 確かに山界政府の人たちをたくさん部下にしてて、北海道新幹線で津軽海峡渡らせたりしてくれましたけど……」

「ふむ、話しておくべきじゃろうな」


 五年前に地孫光臨したデイダラボッ娘たちの機械を破壊する能力で、旧来の政府と社会は瓦解した。

 まもなく、個々のボッ娘は自分にうまい山菜を食わせてくれた人間にだけ条件付きで文明を還すことを表明する。これを利用して四年前に台頭してきた集団が新たな日本政府――山界新政府だった。

 都市にだけ出没し住み着いたボッ娘に文明をもらうため、人口はそこに集中した。自然、街の長には最もうまい山菜を食わせることができた人間が〝山主〟として就くことになったが、否応なく新政府の息がかかることになった。

 山界政府の中枢、東京。そこのデイダラボッ娘が全ボッ娘に命令できる地位なためだ。

 また、ボッ娘同士は意識を共有できる。彼女らにおいて、日本で最高にうまい山菜を食わせることができたと認識されているのが山魔王。これを含め、次ぐ実力者である二人を含めた三人を三裁人と呼ぶ。

 この三裁人に次ぐ実力者が準菜五人衆。さらに下の各都市長をまとめている存在だ。

 ボッ娘の言葉通りなら、陸徒が倒したのはうち一人。北海道を支配していた屈み弥十郎。

 そして、ここ新会津若松市を拠点に東北地方を支配しているのもまた準五の一員。

 〝ハイエナの昂〟こと、金柿昂なのだ。


 そうしたことを、山座衛門は語り終えた。


「じゃ、じゃあ」陸徒はひたすら驚く。「弥十郎さんって北海道の支配者だったのか!? それで、おれが山主の跡継ぎだとかなんとか言われてたんだ……」

「お主もまた、その地位を移譲したのではないかな」

「はあ。なんか山主だかなんだかになると旅立たせてくれないみたいだから、新札幌市民から人気があった別の人に譲ったけど」

「やはりな。それで圧制は和らぎ、事実上、北海道は山界新政府の支配から脱したと聞く」


 そこまで会話が経過したとき、また大衆から波紋が起こった。

「間違いねぇ、弥十郎は準五になってから無敗だったんだ!」

「な、なら。あの陸徒って小僧がひと月前の救世主――」


「〝山嵐〟!!」


 最後の単語は、人波から多数発せられた。それから、香奈美が重たい声音を放つ。

「……決闘よ」

 ざわめきの中。香奈美の囁きは陸徒の耳くらいにしか届かなかったが、次いで彼女は大声で、全員に響くように宣告したのだった。

「亀姫比売命! あたし優日名香奈美は、彼、滝定陸徒と山菜ゲームを開始する!!」


 しん。


 そんな音がしそうなほど、騒乱は一挙に沈静化される。

「はーい、承認するよぉ」

 ただ一人、デイダラボッ娘だけが場違いなほどに明るい口調で片手を挙げて応答した。

「あんたの実力はあたしが試す」

 香奈美が指先で陸徒を示す。次いで、自分のそれなりの胸を握り拳で叩いた。

「東北で最もうまい山菜を振る舞うことができた〝土蜘蛛つちぐもの山座衛門〟、彼の一番弟子であるこの〝鶴ヶつるが〟。優日名香奈美がね!」

 ド ン !!


  名前  / 優日名香奈美

  職業  / 山左衛門の一番弟子

  LV  / 48

  SS  / ???

  異名  / 鶴ヶ


 うおおおおおおおぉ――――――っ!


 歓声!!

 宣戦布告を見守っていた市民たちが盛大に沸く。

 まるでアイドルのように、香奈美は自分たちを囲む最前列の人々とハイタッチをして回りだした。

「こ、こいつはえれぇこった」

 そんな独り言で、盛り上がる人波から逃げるように後ろに下がる客が一人いた。帽子を目深に被り口ひげを生やし、ほとんど素顔を隠した男だ。彼は人込みから数歩後退すると、唐突に幻のごとく消えた。


「なんだか、めんどうなことになったなぁ」

 騒々しい周辺を呆然と見渡しつつ、陸徒はぼやく。

「わしらはハイエナの横暴でずっと憂き目に遭ってきたからのう」

 応えたのは山爺だった。

「だったら、おれがそいつを倒せばいいんじゃないですか。できるかもしれないんですよね?」

「ここは黙って付き合うてくれんか。わしがこの脚になってから、香奈美は昂に勝ち、みなを解放する日を夢見て修行してきたんじゃ。そこに、あっさりと目標に並ぶ弥十郎を倒したお主が現れたことに複雑な心境があるんじゃろう。こうでもしなければ気が済まんはずじゃ」

 老人に懇願された上に、現実に香奈美はそうでもしなければ落ち着きそうにない荒ぶり方だった。これでは、陸徒も無気力に頷くしかない。


 けれども、山爺は付言もした。

「ただし香奈美も相応の実力者、地の利もある。お主が負けることも充分にあり得る。どちらが勝者になろうとも、〝ハイエナの昂〟にはまだ敵わんじゃろうがな」

「そんなにすごいんですか、そいつ?」

「いいや。純粋な実力は弥十郎に劣り、準菜五人衆でも最弱とされておる」

「へ? じゃあなんで」


 問われた山爺は、忌々しい過去を懺悔するような眼差しで呟いた。

「〝ハイエナ〟だからじゃよ」

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