一鶴に対し鶏群でかかる
大晦日、壊刀団本部。
元日、子の刻丁度に決行される突入作戦より外された者達は、食堂にて年越し蕎麦を食べていた。作戦の成功と団員達の安全を祈願し、作戦で碌に食べ物が喉を通っていないだろう彼らの代わりに食べるのである。
そんな中、皆が大振りの海老の
「ねぇね、えびのてんぷら、食べない、ですか」
「静閑のお姉ちゃんは、鮎の天麩羅が大好きなのよ」
「おいし、い?」
鳴無は微笑を湛え、汁を吸って柔らかくなった天麩羅を箸で裂いて琴音の椀に置く。
蕎麦の汁を吸って、わずかに狐色に変わった衣の中から除く鮎の白身が艶艶して見える。
口の中に入れるとふっくらと柔らかな触感と、ほろほろと崩れる身の中から溢れ出る甘さとが、琴音の顔を綻ばせた。
「おいしい?」
「しぃ!」
どうやら、琴音の大好物も鮎の天麩羅に更新されたようだ。
あまりにも美味しそうに食べるので、静閑は二尾あったうちの一尾を丸々与える。
いいの、と問いかける目に頷くと、琴音は夢中で天麩羅にかぶりつく。汚れる口元を拭う織田の姿も合わせて、三人の光景は微笑ましい家族のそれになっていた。
作戦に参加しないながら、緊張感の溢れる本部にて唯一の癒しとなる光景だ。
「仲間に入りたそうね、君嶋さん?」
「意地悪言わんといてぇな」
遠くから三人の様子を見守っていた君嶋に、戌亥は少し意地悪な言い方をする。が、それも戌亥なりの励ましだった。
戦線離脱を言い渡された君嶋は、現在本部の食堂を任されていた。
刀を握ることは叶わなくなってしまったものの「せやかて、包丁は握れるで」と自ら厨房に入ったのである。
戦場で鳴無を守ることができなくなってしまった今、せめて厨房で彼女のことを見守りたい。かつて愛した人の形見とも言える彼女の成長を、出来る限り見届けたいがための君嶋の我儘だった。
それを聞いて「怖いくらい気持ち悪いわね」などと言っていた戌亥であったが、なんだかんだで君嶋を応援している次第である。
「鮎の天麩羅、まだある?」
「静閑はんのために用意したんやけどなぁ。あるで」
「じゃあ、鮎と海老を一尾ずつ頂戴」
「よく食うなぁ、戌亥は」
と、やって来たのは双子の牛越兄弟である。
つい先ほど任務から帰ってきたばかりで、皆より遅れての食堂入りだった。
二人共少し疲れた様子で、兄の方には頬に切り傷があった。兄が弟を庇い、傷を負ったことは医療班の戌亥の目には明白だった。
「食べる女はお嫌いかしら」
「いいや、好きだ」
「そう。ならご一緒します?」
「いいね。酒は付き合えないけどな」
「飲まないわよ、こんなときに」
「ってわけで、いいか兄者」
「あぁ、構わんさ」
ふと、鳴無は三人の会話している光景に目が行った。
誰かと話すなんてできなかったものの、誰かとやり取りをして仲良くなると、兄はとても嬉しそうに見つめていた。
丁度、戌亥と仲睦まじく話す弟を見る牛越(兄)のように。
今の自分を兄が見たら、どう思うのだろう。兄が見ていて安堵できるような人間に、少しだけでもなれただろうか。
少しだけでも、兄が安堵して――
どごぉぉぉぉぉぉっ、
思考回路を遮り、穏やかで和やかであった雰囲気さえも打ち壊す爆音が響く。
咄嗟に琴音の頭を抱えて机の下に隠れていた鳴無は、状況の把握に徹した。
食堂に損壊はない。爆音の方向からして、本部正門が破られたか。
壊刀団の長い歴史で見ても、こんなにも堂々と、正面から襲撃されたことはあるまい。
元々幕府に秘匿されてきた組織だから襲撃者はいないし、今まで妖刀使いの組織など存在しなかったから、正門から強襲してくる敵などいやしなかった。
故にこのとき受けたのは完全なる不意打ちで、敵襲だと気付くのもまた後の話だった。
◀ ◀ ◀ ◀ ◀
長い歴史上、妖刀側から壊刀団本部に直接攻撃をした例などない。
妖刀使いにはそもそも群れるという考え方がないため、単独行動になりがちだ。
妖刀にて斬った人間を妖に変え、使役することもできるが、どれだけ異形の化け物に変えようとも妖刀使いにはやはり及ばない。
異形の能力と怪力を得たところで、知性を持つ人間には敵わない。
千の怪物を操ったところで、長きに渡って剣術を研鑽し、鍛錬を続けてきた剣士という生き物に及ぶことはない。
故に江戸時代――およそ二六〇年もの歴史があって、妖刀側から壊刀団への襲撃などなかったわけだが。
妖刀連合は、妖刀使い同士が群れないという常識を破壊した。結果、それが今までの前例を覆し、大規模作戦のため手薄となった本部襲撃という最悪の展開へと発展したのだった。
何より、妖刀連合にこの狂人がいたことが、襲撃に大きな影響を及ぼしていたと言っても過言ではない。
辻斬り、蓮羽歌玄。
「あぁあぁ、可哀想ですねぇ。可哀想ですねぇ。あなた達は弱いから、と連れて行って貰えず、安全だと思っていた籠も壊されて、あとはただ喰われるのを待つだけだなんて。悲しいですねぇ、悲しいですねぇ……せめてもの情けに、私があの世へ送って上げます。痛いのはほんの一瞬です。ほんの一瞬痛いのを我慢すれば遺体になれますから、大人らしく、大人しくしていてくださいねぇ」
すでに斬り殺された門番の体が変形し、粘土のように体を捏ねられて変形。妖となって咆哮を上げる。
そのほか引き連れてきた妖が百鬼夜行の如く、阿鼻叫喚を上げながら進撃する。
巨躯の振り上げる腕が建物を圧し潰し、進むだけで地面が砕ける。
本部の敷地内にすし詰め状態になりそうなほど侵入してくる妖の群れに、壊刀団の団員らは遅れて応戦した。
暴れる異形の怪物に立ち向かう剣士。
絵物語にでも描かれていそうな光景に恍惚の表情を浮かべる蓮羽は、隙ありと斬りかかってくる団員も暴走して襲い来る妖も斬り伏せて行く。
彼女が歩く先には血飛沫が舞い、彼女が歩いた後には血溜まりが広がる。
さながら、歩く惨劇だ。敵も味方も、一人異質な存在と化している彼女から引いて近付こうとしない。
「あぁ、悲しいですね寂しいですね孤独ですね……そんなに嫌煙しないでもいいじゃないですか。犬猿の仲ですが、仲良くやりましょう? 妖刀連合の四天王がわざわざ、直々にご足労してるんですから。そう遠ざけないでください? ねぇ、ねぇえ!」
団員も妖も、彼女には関係ない。
斬りに来たなら斬り付ける。殺しに来たなら殺し返す。
黙って立っているだけなら美人なのだろうが、嬉々として剣を振るい、血に濡れる彼女の姿に魅力を感じる者などない。
狂気的かつ猟奇的、さらに嬉々として迫る彼女の姿に鬼気迫るものを感じて、彼女に斬りかかろうとする団員がほとんど現れず、彼女は自分を恐怖の色で見つめる団員を見つけては、自ら肉薄し、斬りかかった。
「どうしました? 私を止めないと、あなた方全員殺されますよ? それとも、仲間の死などどうでもいいですか? 民の命などどうでもいいですか? 結局大切なのは自分の命、ですか? そうですよねぇ! そうですよねぇ! 切っても構わないくらい大事なもの、なんて、自分の命以外ないですよねぇ!」
あからさまな挑発だ。見え透いた誘導だ。
言葉巧みだなんてとんでもない。隠すつもりさえもない。
ただ自分に死ねと吠える視線が見えれば、それでいい。
語らずともわかる。吠えられずともわかる。今のこの状況で挑発されれば、それがあからさまなものだろうと心は揺さぶられ、目には感情が宿る。
語らさるまでもない。隠すまでもない。感情は、言葉一つで容易に動く。
「今まで正義の仮面を被り、妖となった人間を斬り捨ててきたあなた方です。今更他の人々の命を切り捨てるぐらいわけないでしょう? まだ善人ぶって、一体なんの得があるのでしょうねぇ。自分の気位を守るためですか。自分自身を守るためですか。薄情ですねぇ」
悔しそうにこちらを睨む者。斬りかかる隙を窺う者。
死ねと言う視線は集まるものの、目的の剣士の視線はない。
標的は、自分を貫いてくれた女剣士ただ一人。
今まで自分に刃を向けた者、死ねと言った者は全員斬り殺してきた。が、あれだけは殺していない。殺せていない。
だから本部にまで探しに来た。殺しに来た。
あれも兄を殺され、こちらを無視するはずもない。だから来たのだ。
名前など知らない。調べもしていない。だが、あのときの殺意ははっきりと憶えている。
あれは鶏群の一鶴だ。自分が斬り殺してきた有象無象の中で、唯一生き残り、心の奥深くに残っている異質だ。
だから殺す。異質だろうと天才だろうと逸材だろうと殺す。自分に死ねと、眼差しでさえ言ったのなら殺す。
言葉にされていないことなど重要ではない。殺意のある者同士がぶつかれば、そこにあるのは殺し合い。
互いに相容れぬのなら、気に食わぬのなら殺し合う。
そうして蹴落とすことに善意はなく、得られるのは充足感。気に入らない奴が消えてくれた爽快感。自分より弱い者を甚振る嗜虐心と、敵がいなくなったときの空しさと同時に感じる安堵とが、堪らなく心地いい。
自分の敵がいないこと、自分の手で敵を排除できたこと。それらが堪らなく心地いい。
だから、今回も殺す。あの心地よさを味わうために。
「あぁ、悲しいですね悲しいですね。江戸城に戦力を集中させ過ぎた様子ですね。いるのは雑兵、雑魚、足軽兵。こんなに軽い命なら、私自ら殺すまでもありませんねぇ。今までのように無駄骨を折る必要もありませんし――」
背後の妖が悲鳴を上げた瞬間、それが断末魔だとわかった蓮羽は振り返り、刀を抜いた。
あのときと同じく、音も気配もなく忍び寄ってきた剣が、音無く襲い掛かる。
「見ぃつっけたぁぁ!」
裏拳の如く振りかぶった形の抜刀に、力負けした鳴無は薙ぎ払われる。
地面に手を突くと腕の力でさらに跳ね、妖の頭の上に着地。音もなく頭の上に乗られた妖は体重でようやく気付いたものの、すぐさま脳天を貫かれて攻撃できぬまま力尽きて倒れる。
体勢を崩すことなく倒れる妖の頭の上に乗り続ける鳴無は、妖が完全に倒れるまで笑みを向けて見つめている蓮羽を睨み返し、倒れた妖の脚が力なく伏せた瞬間に斬りかかった。
ただし真正面からの剣は音が無かろうと関係なく、蓮羽に軽々と受けられる。
九つの剣筋を巧みに操り、繰り出す連撃をすべて防がれ、大振りの一撃も受け止められた。
同じ女であるのに、こちらは両手、相手は片手。基礎的な膂力に男女のそれと同じくらいの差があって、押し切れない。
「あぁぁ、聞こえてきます聞こえてきます聞こえてきますよぉ。私を殺したいと唸る声が、私に死ねと吠えるあなたの怨念が。私は兄者を殺した
煽られても、鳴無の口は真一文字に結ばれたままだ。
だが蓮羽からしてみれば、鳴無の目は殺意に満ちて、絶えず死ねと言ってきている。
実際に自分には殺せるだけの力はない癖に、間接的に消えることを祈って、「死ね」の二文字を祝詞の如く囁く弱者の呪いは、これ以上なく不愉快で、滑稽で、無様。
無力なら無力らしく諦めて、とっとと強者に踏みつぶされて死ねばいいのに、せめて呪い殺そうとしてやろうなどと考える弱者渾身の他力本願が、この上なく笑えて仕方なかった。
「言霊を取られなければ、表立って口にしなければ、陰口ならばいくらでも罵詈雑言を吐いていいと思っていますか? いますでしょう、いますよね、そうですよねぇ。弱い人はみんなそうなんですよ。だからあなた、今自白していますよ? 己が無力だと、非力だと。私は言ったことないんですよ、なんでかわかります? だって私、強いですからねぇ?」
攻撃のために鳴無が一歩踏み込もうとした一瞬で、蓮羽は距離を詰めた。三段突きで体勢を崩し、真横に薙いで斬り払う。
刀の側面に足を置き、後方に跳ねた鳴無に対し、追撃した蓮羽が繰り出したのは高速の連続突き――以前対峙し、打ち破った、君嶋得意の連続突き“
鳴無の体が全身掠め斬られ、血を流す。味方の剣の模倣だったので辛うじて急所は避けたが、初見だったなら間違いなく躱せなかった。
剣を弾いて飛び退き、距離を取る。
蓮羽は得意げに刀を右に左に持ち替えて、遊び始めた。その隙に斬りかかった団員を見ることもなく斬り伏せて、息をしなくなった頭を踏み締める。
「私強いんですよ。ある程度の剣技ならこの通りなんですよ。これだけ強いとわざわざ死ねとか言わないで済むんです。何故か、そうです、強いからです。私はいわば鶏群の一鶴。弱い人ばかりの世の中で、強く生まれてしまった悲しい天才なのです――今、辻斬りが何を、と思いましたね?」
図星を突かれたと、鳴無は一歩下がった。
腹の中を見透かされて、気持ち悪く感じていることさえ知っていると言いたげに笑っている蓮羽が、怖かった。
「そうです、私は辻斬りです。ですがそれがなんですか? 私が辻斬りだから、酌量の余地もないと? 私はただ強いだけですよ。この体を目当てに迫ってきた男を、斬り捨ててきただけですよ。ただ他より強いというだけで、他と違うというだけで、異質というだけで、何故迫害されなければいけないのです? 私は肌も黒くないのに、ただ強いというだけで、異質というだけでみんなして死ね、死ね、死ねと。私は、非力な皆様にとってなんなのです? 羨まれる筋合いもなければ恨まれる筋合いもなく、ましてや呪われる筋合いもない。みんなで寄って集って攻撃して、口撃して、楽しいですか? 楽になれますか? なら私が楽になってもいいですよね? 私が楽しんでもいいですよね。だから私が弱い人を殺しても、死ねと言った人を殺し返しても、何も悪くないと思うんですよ。ねぇ、そうは思いません?」
長々と喋り続けていたが、結局何が本題だったのか、本人さえもわかっていない気がする。
彼女にとっては弁明でなく、酌量の余地を求める乞いでもなく、正当化しているわけでもない。ただ、自分がしていることを、現実を語っているだけ。
彼女がやっていることは犯罪で、殺した命の数を考えれば酌量の余地などあるはずもなく、罪を償うため首を斬られてもおかしくはない。
だが彼女にも心の傷があり、辻斬りとなるまでの顛末も想像できた。同情は難しい。が、理解できないわけじゃない。
あの日、襲撃してきた妖刀使いを斬れるだけの力を自分が持っていたら。果たして彼女を責めることが自分にはできただろうか。責める資格が、あっただろうか。
彼女には天性の才があり、自分にはなかった。ただそれだけならば、果たして――
「ねぇね!」
聞こえるはずがない。この場では聞こえてはいけない声が聞こえて、はっ、となる。
どうやってこの乱戦状態の中、自分を見つけてここまで来たのかわからない。が、ここにいてはいけないことだけは確かだ。
ここには強過ぎるがあまり、周囲から拒絶された狂気の剣士がいるのだから。
「まぁ、可愛らしいお嬢さん。あの子も殺したら、あなた一体――」
「どんな顔をしますかねぇ」
妖刀・
一切の躊躇なく、容赦なく蓮羽の剣が振り下ろされた瞬間。鳴無は初めて短い悲鳴を上げながら、琴音に向かって手を伸ばした。
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