言葉は心の使い

立つ鳥跡を濁そうとは思わず

 先の妖殲滅作戦にて、君嶋は戦線離脱を言い渡された。

 傷が多く、剣士としての生命線たる手首を折られたことが致命傷となって、剣士生命を絶たれてしまったのである。

 それでも命そのものは取り留めたので、贅沢を言うものではないのだが。

「情けないです。こないなところで戦線離脱やなんて」

「まったくよ、君嶋。来年元日にでっかい仕事があるってのに」

 と、隣の布団で戌亥は柿を喰らう。

 彼女も同じ作戦中に重傷を負ったものの命を取り留め、元日行われる大規模作戦に参加できる程度に回復していた。それでも今は絶対安静の状態だが、本人は至って元気そうだった。

 見舞いに来た鳴無が剥く柿を、ばりぼりと音を立てながら喰らっている。

「まぁ私も、この怪我じゃあ前線に出ることぁできないでしょうけれど? それでもまだ戦えますし? 本当、まだまだ全然余裕なんですけども」

 と言いつつ前線に出られないことを悔やんでいるのだろうことは明白で、自分自身が医学を学ぶからこそより理解できてしまうのも悔しいのだろうなと、柿を噛み締める彼女の表情は想起させた。

「いぬいしゃん、かぁき」

 鳴無と共に見舞いに来ていた琴音ことねが戌亥に籠の中から柿を差し出す。

 と、戌亥は柿を刺していた爪楊枝を口に銜え、柿を受け取ると琴音の小さな頭を撫で回し始めた。

「あぁもう、この子なんなの?! 天使?! 天使なの?! 切支丹きりしたんが崇拝するのわかるわ! だってうちの甥っ子より可愛いもの! 鳴無、この子うちにくれないかしら?!」

 鳴無はお断りします、と言わんばかりに小さくゆっくりと会釈する。

 琴音はと君嶋の方に駆けて、戌亥と同じように柿を手渡した。

「おおきになぁ。ほんま、こない可愛え子ぉからやったら何個も買うてしまうわぁ」

「ほんとよねぇ。うちの寮、今この子の話題で持ち切りよ」

 二人が重傷を負った現場から戻ってきてから一週間後くらい経ったくらいして、琴音は鳴無の後をついて来るようになった。

 少女の中で、どのような心境の変化があったのかはわからない。

 だが彼女も彼女で何かしら役に立ちたいと思ったのかもしれないし、ずっと居候のままではいけないと思ったのかもしれないし、兄を亡くして傷心の鳴無を慰めようとしてくれていたのかもしれない。

 結局どんな心持なのかはわからないが、それでも琴音が外に出てくれたことは壊刀団にとっては良い影響を与えていた。

 血生臭い仕事場にはとても似つかわしくない無垢な少女の存在は、団員らの間でもとても稀有なもので、返って扱いに困る者、果てしなく甘やかそうとする者と、とにかく団内部で少女は有名になっていった。

 特に女性団員は母性を刺激されるらしく、琴音を可愛がる女性が大半を占めており、気性の荒い戌亥ですら例外ではなかったわけだ。

 医務室を出ていく際、鳴無の袖を掴みながら自分達に手を振ってくれた琴音に笑顔で手を振り返す戌亥は、二人の足音が聞こえなくなって大きく溜息をつきながら、看護布団に寝転がる。

「兄貴の形見なのかしらねぇ、琴音ちゃんは」

「まぁ、お珍し。詩人みたいなこと言い張るのねぇ、戌亥はん」

「べっつにぃ? ただ、よかったなと思っただけよ。あの子には、ずっと寄り添ってくれる人が必要だもの。ただ、そう思っただけなのよ」


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


 心象の奥底に刻まれているのは悲劇であり、惨劇だ。

 鳴無静閑の心根に今もなお残り、言葉を奪う惨状を思い起こすことは難しくない。

 だからよく夢に見るし、ふと思い出してしまって涙することも多々あって、人に語り聞かせるのはとても勇気がいるから、声が封じられてよかったとさえ思っていた。

「コ、ン、ニ、チ、ハ、カワイー、オジョー、サン?」

 惨劇は突如として日常を破壊し、訪れた。

 刀を持った大男が病院で暴れ、病院にいた人間を目についた先から斬り殺していく。彼らを護るために我が身を盾とした母は真っ先に斬り殺され、自分は恐怖で震えながらかつての父が診察室として使っていた部屋の中に隠れていた。

「デテ、オイデー? コワガラナクテ、イーんダヨー?」

 一体何人斬り殺したのか。そのとき見た血に濡れた妖刀の禍々しさを、忘れたことはない。

 今さっきまで生きていた人が、無念に満ちた悲哀の眼差しを見開いて死んでいる光景を、忘れることなどできるはずもない。

 広がる血溜まりの色、鉄臭い臭い。病院ならば当然のようにあった色と臭いに、今まで感じたことのない畏怖と恐怖を重ねて震え、気付かれまいと必死に口を塞いで縮こまる。

「ドーシタノォ? ドコにイッタノカナー? っテ、それで隠れたつもりカナぁぁあ?!」

 隠れていた押し入れに血生臭い刀が差し込まれ、襖を斬り裂いて目の前を通過する。

 男が刀を振り払って斬り殺すよりも先に押し入れから抜け出た鳴無は、床に転げ落ちて蹴躓いて前のめりに倒れる。

 男が刀で払い飛ばした押し入れの中身も飛んできて、鳴無は頭を護るように体を丸めた。そのとき重量感のある音が聞こえて、ふと横を見る。

 何故押し入れにあったのか、父がどこで手に入れたのか、色々と湧き上がる疑問をすべて押し退け、鳴無は追いかけてきた剣撃をそれで受けた。

 突如重い衝撃が自分の腕に響いて、男は驚いたように一歩後ずさる。

 剣術などやったこともない当時の鳴無も強い衝撃に弾かれ、尻餅をつく。

 そのとき自分の持っていたそれが男の体を傷付けて流血させていたことに気付き、力なく落としてしまう。

 男の悲鳴の中、自分が落としたそれの金属音が冷たく響いて聞こえた。

「痛ぇなぁあ!!! こんの、クソガキが――っ!?」

 男の言葉が途絶え、意識も途絶えてその場に倒れ伏す。

 背後から忍び寄っていた鳴無(兄)が男の首筋に注射器を突き立て、血管に空気を送って殺したのだった。

 妹のためとはいえ、人を殺してしまった事実は兄も怖かったはずだ。しかし兄は一目散に妹に駆け寄り、抱き締めてくれた。

 この男の持っていた刀が妖刀で、自分を護ってくれた刀――梟騎きょうきもまた同類なのだと知ったのはずっと後のことなのだけれど、それが鳴無静閑が声を失う原因となった事件の全容である。

 これをきっかけに二人は壊刀団に目を付けられ、入団することとなるのだが――その件は省くとして。


 ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


「あ、琴音ちゃん。どうしたんですか?」

「い、いじゃよいしゃんは、います、か?」

「十六夜さんは今、寮を出ているんです。そのお荷物はあの人に?」

 こくこく、と琴音は頷く。同室の女性団員はしゃがみ込むと琴音の小さな頭に手を置き、微笑を湛えながら荷物を受け取った。

「ありがとうございます。彼女が戻ってきたら渡しておくので、私が預かっておきますね」

「ありがとう、ご、ごじゃいます! つぢゅきしゃん!」

「はい、どういたしまして」

 この約半年で、琴音は団内の皆――特に女性団員に認知された。

 琴音の方も女性団員ならば大体の人の名前を覚えたし、同時に多くの言葉をも覚えた。

 むしろ、元の親が彼女の教育を放棄したことを不思議に思いさえもするくらいに、琴音は物覚えがよかった。

 教えようによっては数日で、算盤そろばんで計算できるようになるかもしれない。

 だから後は織田に任せておけば、なんの問題もない。自分はただ、決戦に臨むだけだ。

 周囲から見れば復讐以外の何物でもないだろうし、実際に復讐以外の何物でもない。

 元日の妖刀連合本部総攻撃作戦に立候補したのは、紛れもなく兄の仇を取るためだ。あの狂人、蓮羽歌玄を殺すためだ。

 奴には命を取られなかったとはいえ、戌亥だって生死の境を彷徨ったし、君嶋は剣士生命を絶たれた。彼女達の仇も取らねば気が済まない。

 彼女を含め、妖刀連合の中でも四天王と呼ばれる幹部には多くの人が犠牲となった。団員も一般人も関係なく、多くの命が殺された。

 彼らの悲鳴が、起こされた悲劇が、繰り広げられてきた惨劇が、自分の中の悪夢と波長を合わせて襲い来る。自分の喉が締め付けられているような苦しさに、頭痛を引き起こされる。

 目に焼き付けた惨劇が、耳にこびりついた悲鳴が、脳裏に過ぎった心象が、胸の内に渦巻く劫火となって己を焼き殺していることはわかっている。

 が、それでも止まれない。止まることができない。

 例え己を焼こうとも、止まることだけは自分自身が許さない。自分にとって心の支えであった兄を殺したあいつを、絶対に、許さない。

「静閑ちゃん、その……」

 だが、壊刀団にとって斬った斬られたは日常茶飯事。

 必ず誰かが死に、誰かが敵を殺す日々。故に私怨も私情も生まれては消えていくことが必然で、それらに構うほど、ましてや主調してやるほど壊刀団は優しくない。

 故に私怨に燃える鳴無が此度の突入作戦から外されることは、特別珍しいことではなかった。

 私怨や私情を優先させ、作戦に支障を及ぼすような者を参加させる理由はない。その可能性が一分いちぶでもある人間が躊躇なく外されるのは、目に見えていた。

 今までそういう団員を見てきたし、憤慨し、乱闘騒ぎを起こす者も見たことがある。何を馬鹿なことをと思っていたけれど、こんなにも腹の中が煮えくり返るような思いをさせられるだなんて。

 織田が持ってきた作戦当日の小隊編成の中に自分が入っていないことに歯を食いしばり、実質待機命令を下されたことに対して苛立ちを見せる。

 鳴無が感情を剥き出しにしたことは本当に少なく、編成割り当ての用紙をぐしゃぐしゃに折り曲げて憤慨する姿を見た織田は言葉を失った。

 何より、なんと言葉を掛ければいいのかわからない。こんなとき、彼ならなんと声を掛けるのだろう――いや、彼を喪ったが故に、掛ける言葉をも失っているのだが。

「あの、落ち着いて静閑ちゃん。今回は上の方針に従った方がいいよ。ね?」

 落ち着くよう促す。

 が、普段ならば二つ返事さえ必要とせずに言うことを聞くのにも関わらず、このときばかりは鳴無も言うことを聞かずに飛び出していこうとした。

 が、表の引き戸を開けた瞬間、見計らったかのようにいた琴音が目の前から抱き着いてきて、鳴無を止めようとする。

 力尽くで振り払うなどわけはない。

 だが自分の腰を掴み切れてすらいない、小さく短い腕が必死にしがみついてきているのを見ると、振り払えない。

 辛うじて振り払おうと腕を上げるが、上げただけで振り払うことができないまま、硬直する。

 重ねてしまった。昔の自分と。それこそ事件後の、兄しか頼りがいなくて、兄がどこかに行こうとするたびに必死にしがみついていた幼い自分の姿を。

「ねぇね。ねぇね行かないで。ねぇね行かないで、ねぇね。ねぇね」

 琴音にとっての頼りは自分なのだ。

 あのときの自分のように、頼れる相手は自分だけ。助けてくれた自分だけが拠り所で、少女はその短い腕で、懸命に己の居場所を護ろうとしている。

 もしも自分が死んだとき、少女は私怨に駆られるだろうか。怨念に取り付かれ、あの狂人に挑むのだろうか。もし、そうなったら――

(私は、なんのためにこの子を助けたことになるの……?)

 自己満足だった。否定はしない。

 でも結果的に一人の少女が助かり、言葉を覚え、身寄りもできた。満足していた。

 だから後は壊刀団ここを居場所にして、補助なりなんなり役職を貰って、仕事を貰って、織田に面倒を見て貰えれば幸せになれる。だから安心して戦いに行けると、跡を濁すことなく飛び立つはずだったのに。

 あとはそれだけのはずだったのに。

 飛び立とうとした脚を捕まえるそれは、私こそが頼りで、居場所で、拠り所なのだと、「ねぇね」の一言で訴え続けていた。

「静閑ちゃん。琴音ちゃんにとっても、静閑ちゃんは必要なんだよ。あの人が静閑ちゃんにとって必要だったみたいに、琴音ちゃんに静閑ちゃんが必要なの。私にだって、必要だよ?」

 と、織田は静閑と琴音を一緒に抱き締める。

 血脈が生み出す熱き血潮の温もりが包む込むように抱き締めて、優しく胸の中へと迎え入れる。静閑が兄と共に喪って久しい人の温もりが、鼓動を刻んでいた。

「……二人はもう、私の家族。あの人の家族だったんだもの。あの人とだけじゃない。あなた達とだって、一生を添い遂げたいと思ったのだもの。だから、お願い、私を残して行かないで。あんな苦しい思いをさせないで? 私と、この子のためにも……お願い」

 最後の方は、もはや涙で濡れてちゃんと言えてすらなかった。

 だがそれだけ、彼女の感情は声音に乗っていた。彼女の感情は躍動し、熱を帯びて跳ねていた。故に静閑へと届いたとき、すらっ、と涙を流させる。

 静閑が涙を流したことで感情が溢れ出たか、琴音も珍しくわんわんと泣きじゃくり始めた。そしてその泣きじゃくる声がまた、静閑の涙腺を決壊させる。

「私達は一人じゃない。私達はみんな、みんな家族。私達みんなが、拠り所。支え合う、家族。だから……一人で泣かなくていいんだよ」

 この日、鳴無静閑は数年ぶりに声を殺すことなく泣いた。

 初めて彼女の声を聞いたという人は、多かったことだろう。だが誰も気持ち悪がったりだとか、そういった負の感情で見ることはなかった。聞くことはなかった。

 数年ぶりに出た声は、確かに聞いていて綺麗だとか玲瓏だとかは言えなかったが、鳴無静閑にも感情があるのだと周囲に理解させるには充分に大きく、感情のままに揺れていて、心地よかったと言う団員すらいたほどだった。

 かくして、鳴無静閑は作戦中本部待機を命じられたのだが――運命がこのまま、彼女を逃がすのかと問われれば、答えは、否であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る