第95話 共に

 ──百年に渡る混沌を鎮めたのは、白き聖鎧を纏いし乙女だった。

 かつて芽吹きと呼ばれた乙女は数奇な運命に翻弄されながらも、神族の宿命を乗り越え、再びラドキアの地へと戻った。

 光溢れる聖なる泉に舞い降りた神の遣いは、オードの剣を手に祝詞を口にする。

「我は芽吹き。大地の萌芽を司る者なり」

 神剣を掲げた乙女に、暖かな陽光と共に薔薇の花弁が降り注ぐ。

 穢れなき純白の衣が淡く輝き、やがて──泉から全ての淀みが浄化される。台座に突き立てられた刃を中心に、光の波紋が一斉に外へと広がった。

 雨季の欝々とした空気をも晴らす光輪は、大陸のあらゆる地を駆け巡るばかりか、遠く離れた島々にさえ生命の息吹をもたらしたという。

 時を同じくして、魔に取り憑かれたものは狂おしいほどの怒りを鎮め、ようやく微睡の中へと戻ることを許されたのだった。


 突如として現れた神族の姫君は、紅き薔薇を体現したかのような美しい少女だった。それを聞いた人々は死ぬまでには一目見たいと笑っていたが、それがかつての第三王子エメルであったことを知っては仰天する。一目も何も、十七年ほどずっと見ていた少年がそうだったのだ。


 そして更に彼らを驚かせたのは、王女エメーリエのの噂だった。


 ▽▽▽


 ジュダ皇帝の前に跪く見慣れない青年に、謁見の間に集まった帝国貴族らは興味津々といった様子で目を凝らしていた。

 今日は新たな大公の誕生に立ち会うべく、帝国各地から多くの諸侯が集った。皇帝の名の下に爵位を授けられるのは、何と百年前の惨劇の際に妖精から呪いを受けた男だという。

 あまりに衝撃的な生い立ちを持っていたせいか、はたまたどんな薄幸な騎士なのかという興味本位か、とにかく見物客は無駄に多かった。

 しかしながら爵位の授与式が始まるや否や、登場した本人を見ては下世話な視線が消え失せ、主に貴婦人から黄色い声が密やかに上がる。

「…………」

 そんな中、皇子の友人として式典に呼ばれたエメーリエも、紅潮した頬を隠すことも忘れて彼に見入っていた。彼の華やかな正装姿など滅多に見れない。いや、もしかしたら今後見る機会は増えるのかもしれないが、とにかく──目が離せなくて困る。

 呆れるほど分かりやすく見惚れる彼女の肩で、緑色のリボンを首に巻き付けたガルが上機嫌に鳴いた。

「……おーい、大丈夫か」

「はっ」

 ひらひらと眼前で手を動かされ、慌てて隣を振り返る。そこには可笑しげに笑う次兄アゼルスがいた。

「ア、アゼルス兄様、笑わないでくださいっ」

「いやだって、熱心に見詰めてるもんだから面白くて。なぁケイド」

 ン、を言い終える前にアゼルスは硬直した。

 次兄の反対側、エメーリエを挟むようにして立っているのは長兄ケイドンだ。彼は何とも面白くなさそうな顔で、新大公の背中を睨みつける。

「……エメーリエ。あれの何処が良いんだい? 先の事件で世話にはなったが、やはり私は彼と反りが合わないようだ」

「え、そ、そんなこと仰らないでください、どうか仲良く……!」

 殺意溢れる長兄を必死に宥めていると、授与式が終わったのか大きな拍手が巻き起こる。そこで渋々と手を叩いた長兄に安堵し、エメーリエも笑顔で祝福の拍手をしたのだった。


 ──ルシアン=ホラントが大公の爵位を受けたのは、帝国南方にあるラドキアの統治権を取得するためだ。

 百年前に王家の近衛として活躍していたホラント公爵家の血筋が現れたこと、更には聖泉の復活が果たされたことで、彼はかの地を「ラドキア公国」として発展させるよう皇帝から任ぜられた。

 帝国に住まう人口が既に領地面積を大いに上回っていたこともあり、徐々にだが移住や復興作業の人員派遣も検討されるそうだ。

 ちなみにラドキアの発展には、ロイスダールやアゼルスを筆頭にした多くの諸侯が既に協力を約束してくれている。

「……でも少し意外でした。ルシアンはそういう、表舞台に立つ役は嫌がるかと……」

 式が終わり、招待された貴賓がぞろぞろと城から退場していく傍ら、通りがかった日当たりの良い庭園でエメーリエがぽつりと呟く。そんな妹の独り言に片方の眉を上げたアゼルスは、当然だと言わんばかりに背中を叩いた。

「そりゃお前、爵位がないとエメーリエを貰えないんだから二つ返事に決まって──アッ、ちょっと待てケイドン、悪かった今のは聞かなかったことにしてくれ!」

 真っ赤になってしまったエメーリエを置いて、二人の兄が少々緊迫したじゃれ合いをしながら遠ざかる。それでも、そこに昔のような和やかな空気が流れていることが嬉しくて、エメーリエは思わず安堵の笑みをこぼした。

「おお、エメーリエ様ではありませんか!」

「いやはや、本日も大変麗しくていらっしゃる」

 すると兄王子らが離れるのを待っていたのか、急にエメーリエの元へ見知らぬ紳士が数人やって来る。王女として存在が公表されて以降、こうして声を掛けられる機会が著しく増えたように思う。

 正統な神族の娘というものがやはり物珍しいのだろうかと、エメーリエは不思議に思いつつも彼らに笑顔で対応しようとした。

 しかし。


「──あぁ、いた。エメーリエ」


 不意に後ろから肩を引き寄せられる。

 そのままエメーリエを隠すように前へ出たのは、穏やかな笑みを浮かべたルシアンだった。彼は唖然としている貴族の青年らに向けて軽く目礼すると、エメーリエの肩を抱いてその場から立ち去る。

 慣れないドレスの裾に苦戦しながらも歩を進めていたエメーリエは、暫くしてからようやく顔を上げた。

「ル、ルシアン。あの」

「ああいうの、何でもかんでも応じなくて良いよ。疲れるから」

 手袋を嵌めた大きな手が、彼女の肩をするりと滑る。コルセットで絞られた腰に腕が添えられるだけで、エメーリエは格段に歩きやすくなったことに驚いた。

 そうして感動している間に人気のないテラスに着き、すぐに疲労感たっぷりの溜息が頭上から聞こえてくる。ルシアンは手早く襟元を緩めては、その場で堅苦しいマントも外してしまった。

 もう少し見ていたかったな、と明らかな落胆をエメーリエが露わにしたのも束の間、彼はそんな心境も知らずにマントを彼女の肩に掛け──。

「うびぇっ」

 そのまま正面から抱き締めた。何ひとつ身構えていなかったエメーリエは奇声を上げ、くすくすと笑う彼の胸を慌てて叩く。勿論そんなことで離してくれるはずもなく、更に力強く抱き締められてしまった。

「今の声何だったの」

「お、驚いただけですっ!」

 頬が自然と熱くなるのを止められずに俯けば、彼女の肩にいたガルが楽しそうに鳴いた。ルシアンは竜の顎を指先で摩りながら、そこに着けられたリボンに目を留める。

「エメーリエの目と同じ色だね。ガルの正装?」

「そ、そうです。その色が気に入ったようなので……」

「なるほどね。……それにしても何か成長してないかい」

「少し重くなりました」

 ガルに踏み潰される未来もそう遠くないだろうか。いつだったかそんな話をしてからかわれたことを思い出し、ちらりと彼を窺う。ルシアンも同じことを考えていたのか、二人して笑みをこぼす。

「そういえばルシアンも少し髪が伸びましたね」

「ん……確かに」

 ルシアン曰く、呪いに掛かっていたときは傷が再生するだけでなく、髪や爪が伸びなかったとか。恐らくは不老不死というよりも、体の時間そのものが止まっているような状態だったのだろうと彼は言う。

 つまり──今こうして彼の変化を見られるということは、しっかりと体の時間が動いているというわけで。

 エメーリエは無性に嬉しくなって、ルシアンの薄茶色の髪に手を伸ばす。くしゃりと細く柔らかな髪を撫でて、うっすらと残る頬の傷に指を滑らせた。

「……まだ少しだけ信じられないのです。自分の名前で、自分の姿で外を歩ける日が来るなんて思っていませんでした。ルシアンに出会えなかったら、私……」

「へぇ、まだ実感ないんだ」

「え」

 伸ばした手を掴まれ、背中を強く引き寄せられる。ぐっと近くなった距離にエメーリエがどぎまぎしていると、肩から回された手が彼女の顎を掬い上げた。

 途端に張り詰めた空気に息を止めてしまえば、こちらを間近で見つめる薄茶色の瞳に囚われる。


 互いの鼻先が触れた瞬間にぎゅっと目を瞑ると、その隙に唇が重なった。


 繋いだ手は指を絡めて固く握られ、いつの間にか顎から外れていた手はガルの視界をさりげなく塞ぐ。

 そうしてルシアンは何度か角度を変えて唇を食むと、満足した様子で笑った。

「大公妃になってくれるんでしょ、エメーリエ」

「は……は、い」

 息も絶え絶えに頷き、エメーリエは文字通り目を回す。

 ──ラドキアを含めた大陸南方の開拓に興味を示した彼女に、ロイスダールが提案したのが降嫁だった。

 降嫁とはつまり、ヴィラシア王女の身分から離れて一貴族の家に嫁ぐわけだが、その相手として皇子が一番に挙げたのがルシアンだったのだ。

『ルシアン殿が大公になれば問題ない。ラドキアの統治は元から彼に任せるつもりだったしな。お前も大陸中央部に拠点があると便利だろう』と。

 何とも合理的かつ無駄のない素晴らしい提案だった。

 とんでもない羞恥と細やかな期待で卒倒したエメーリエが、いざルシアンに相談しようとした日、勢い余って「私をお嫁さんにしてください」と言ってしまったのは一生忘れられないし向こうも忘れてくれないだろう。どうか二人の間だけの秘密にとどめて墓場に持っていきたい醜態である。

「この先もエメーリエがいれば退屈しないね。たまに凄いこと言うし」

「も、もうあれは忘れてください」

「嫌だよ。嬉しかったから」

「うっ……」

 恥ずかしさと嬉しさで唸り始めたエメーリエを、ルシアンが上機嫌に抱き寄せる。

 雨季が明けた風は爽やかで、少しばかりひんやりと冷たい。

 樹冠の隙間から注ぐ眩しい陽光に目を眇めたルシアンは、澄んだ空気をゆっくりと吸い込んで告げる。

「まぁ暫くは忙しくなるから、一緒に少しずつやっていこうか」

 彼の柔らかな声音に、エメーリエはそろそろと瞳を持ち上げた。

 迎えてくれた優しい眼差しに、自然と笑みをこぼして。


「はい。……一緒に」



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薔薇と骸 みなべ ゆうり @sky-janp

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