第45話 采配は彼方より

「──フィリップ様、一体どうされたのです!」

 方々から困惑の声が上がっても、フィリップはやはり何も答えない。暴れ回る魔物の隙間をふらふらと突き進み、ラドキアの方へ──否、エメーリエを目指していた。

 不思議なことに、魔物が彼に襲い掛かる気配はまるで無い。視界に入っていないのかと疑ってしまうほどのシカトっぷりは、見方を変えれば彼を仲間と認識しているかのようで。

「エメル殿下、こちらにいらしたのですね」

 石橋の手前までやって来た彼を、エメーリエは剣を抜いた状態で迎えた。無論、彼女の傍らには同様にして抜剣したルシアンがいる。

 妖精がフィリップの中に入り込んだとは言え、肉体は人間そのもの。しかしロイスダールのように暴れる可能性が無きにしも非ず、丸腰で対峙するわけにも行かなかった。

「……あなたは本当にフィリップ殿ですか? 違うのなら今すぐ彼の体から出て行きなさい」

 エメーリエには以前、ロイスダールの顔をぶん殴って妖精を追い出した経歴はあれど、あれが確かな方法とは限らない。偶然か奇跡と捉えた方が無難だろう。

 となれば、希望はやはり──オードの剣だ。

 緊張を押し殺して剣を突き付けると、予想通りフィリップの顔が嫌悪に歪む。

 だが彼は剣の切っ先を避けると、途端に悲しげに肩を落とした。

「悲しいわ。前もそうして剣を向けてきたよね」

「……え?」

 それはフィリップの声ではなかった。

 少しばかり掠れた、どこか臆病さを窺わせる女性の声だ。ルシアンに呪いを掛けたり、ロイスダールに取り憑いたりした妖精とは違う。あれはもっと無邪気な──決して無害ではないのだが、幼げな少年の声をしていたはず。

 ならば新たな妖精かと思ったのだが、どうやらエメーリエのことを知っているらしい。狼狽えながらも記憶を遡ろうとしたとき、妖精が先んじて口を切った。


「エメル殿下、お話を聞いていただけませんか──って。あのときはとても怖がってたものね」


 エメーリエの脳裏に、血を噴き出して絶命した騎士の姿が過った。

 ぞくりと駆け巡った悪寒に口を覆えば、彼女の異変を感じ取ったルシアンが肩を引き寄せる。

「エメル?」

「あ……ご、ごめんなさ……」

 つい剣先を鈍らせれば、見かねたルシアンがその手を支えるように握り、彼女の代わりに妖精へ尋ねた。

「で、何か用? その体、さっさと返してやってくれないかい。さすがに切り刻むわけにはいかないしね」

「ううん。嫌よ。それは出来ないわ。私、お願いをしに来たの、その子に」

 妖精はエメーリエを指差すと、フィリップが携えていた短剣を覚束ない手つきで引き抜く。それをエメーリエに向けるかと思いきや、自身の首筋に宛がったのだ。

 加減が分からないのか、押し当てた刃がフィリップの皮膚を薄く裂いた。

「エメル、お話を聞いて? 私にあなたの体を貸して欲しいの」

「な……」

「あの騎士じゃ駄目だった。あなたなら長く持ちそう、ううん。多分ずっと持つわ。ヴィラシアの中に入ってもきっと平気よね? ね、お願い。あなたの体なら私のこと見てくれそうなの」

 何を言っているのだろう。

 矢継ぎ早に為されるお願いに、エメーリエが反応できずにいると、突然ぐっと両耳を塞がれる。

 見れば、ルシアンが剣呑な眼差しで妖精を睨み、エメーリエの頭を彼の胸に押し付ける姿があった。

「……もう、邪魔しないで。私はエメルにお願いしてるの」

「黙れ。その口ぶり、ヴィラシアの樹海を抜けたいみたいだけど……エメルの体で何をするつもりだ?」

「あなたに関係ないじゃない。それに貸してって言ってるだけだもの。エメルなら他の人間みたいに死なないもの。邪魔しないでよ!」

 妖精が感情を昂らせた瞬間、フィリップの口から勢いよく血が吐き出される。ぼたぼたと垂れ落ちる赤を見下ろし、妖精は明らかな落胆を見せた。

「ああ、もう駄目。この子、全然駄目じゃない。嘘つき。役立たず」

「! おい」

 ルシアンが声を上げた直後、妖精は持っていた短剣でフィリップの右足を突き刺してしまった。唐突な自傷行為に、エメーリエだけでなく様子を窺っていたシルギス兵やヴィラシア王国軍も騒然となる。


「──ほら、餌よ。もう要らないから食べていいわ」


 妖精が低い声で囁くと、フィリップがその場に崩れ落ちた。

 体から妖精が出て行ったのだと安堵したのも束の間、流れる大量の血に反応した魔物が一斉に彼の方を振り返る。

 そして目の前にいるシルギス兵やヴィラシア兵を無視するどころか、押し退けては我先にとフィリップを喰らおうと走り出した。

「フィリップ殿!!」

 おぞましい光景に怯む間もなく、エメーリエとルシアンは咄嗟に駆け寄り、彼を後ろに庇いながら尖兵を斬り伏せた。

 反射的に動いたものの、手に伝わる生々しい感触がエメーリエの体を襲う。弓矢での狩りとは違う、命を奪う感触に彼女は震えた息を吐き、すぐに噛み殺した。

「エメル、俺がやるから後ろで歌って」

「っ……大丈夫です、戦いながらでもやれますっ」

 不用意にこの場を動けば、魔物は一直線にその隙間を突いてフィリップに襲い掛かるだろう。ミネルバたちが挟撃で数を減らしてくれるまでは、ルシアンに任せて後ろへ退くことは許されない。

 幸いオードの剣を振り回すだけでも、魔物は勝手に嫌がって後退してくれる。集中力だけは切らさないように、エメーリエは祈術を紡ぎ始めた。

「“師は言った。万物の願いは大地を揺るがし、救いの光を呼び覚ます。あなたは声を張り上げ、願い続けなさい”」

 祝詞の一節を読み上げると、近くにいた尖兵が奇声を発し、蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ込んでいく。

 エメーリエの前から尖兵が消えると、今度は入れ替わりに中型の──巨大化した蜈蚣むかでを彷彿とさせる魔物が飛び掛かって来た。しかして多足の先端は人間の手とよく似ており、頭部にも頭蓋らしきものが存在している。

 あまりの衝撃的な見た目にエメーリエは喉を引き攣らせたが、横から間髪入れずにルシアンが魔物の胴体を切り裂く。そのまま他の魔物へと死骸を払い飛ばし、彼はちらりとエメーリエを一瞥した。

「大丈夫?」

「は、はい、すみませ……!」

 そのとき、エメーリエの視界が瞬時に開ける。

 驚いて前に向き直れば、今にも二人に襲い掛かろうとしていた魔物が、背中に剣を突き刺した状態で伏していた。

 そしてその上で、さらさらとした金髪を靡かせる青年が、素早く剣を引き抜いて立ち上がる。


「すまない、遅くなった」


 ジュダ帝国の皇子──ロイスダールは涼しげな顔で二人に告げた。

 うっかり呆けてしまったエメーリエは、皇子の浅葱色の瞳を見上げること数秒、ようやく我に返っては喜色を露わにする。

「ロ……ロイ! 来てくれたのですね!」

「ああ。エメル、悪いが帝国に魔物の子どもらしきものはいなくてな」

「あ、いえ、それは大丈夫です、後ろ後ろっ」

 今その話をするのかと目を剥きながら注意を促すと、皇子の背後から迫っていた複数の魔物が同時に崩れ落ちる。

 そこには見事な槍捌きで魔物を圧倒してみせたジェロムがいた。彼はエメーリエを見つけるや否や、主君と同じく緊張感のない態度で笑う。

「おお! エメル様、お久しぶりです! いやあ魔物の死骸だらけでも美しさは損なわれませんね! ねぇ殿下!」

「ジェロム、被害確認」

「無視!」

 相変わらず微妙に噛み合っていない二人を見ていたら、エメーリエも気が抜けてしまった。加えてミネルバやフレイの無事な姿も視界に捉えたので、彼女はホッと胸を撫で下ろしたのだった。


「──エメル様」

 帝国兵の助太刀によって魔物が一掃され、皆がようやく落ち着きを取り戻した頃。

 負傷兵の手当てで忙しなく動き回る兵士に紛れ、エメーリエは石橋に置いてきた竜の子どもの様子を見に行こうとしたのだが、それは一人のヴィラシア兵によって呼び止められた。

「はい、どうされましたか? もしやフィリップ殿の容態に何か……?」

「その件についてなのですが、フィリップ様を一度ヴィラシアへ帰還させていただいてもよろしいでしょうか。指揮官は他の者に代理を任せますゆえ」

 聞けば、右足の怪我に加えて内臓にも異常を来している可能性があるとして、公爵家に仕える者たちを中心に、彼を医師に診せるべきだと声が上がっているらしい。

 エメーリエもそれについては異論がなかったので、「分かりました」と頷く。いくら彼に少しばかりの嫌悪を抱いていても、仮にも遠縁であるリング公爵家の嫡男を負傷したまま放置するわけにはいかない。

「行軍については問題ないので……あの、帰国したら兄様に謝罪を伝えてください。せっかくの援軍を、その……上手く纏められなくて申し訳ないと」

 彼女の言葉にヴィラシア兵はふと驚いたように目を見開いたが、すぐに毅然とした態度に戻っては一礼した。

「……は。お伝えしておきます」


 ■■■


 ──虫ので目を覚ます。

 ぼやけた月光を見詰め、じくじくと痛む右腿に手を伸ばす。べったりと付着した赤色を確かめるなり、彼は鋭い頭痛を感じて呻いた。

「お目覚めになりましたか、フィリップ様」

 視界を覗き込んだのは、見慣れた側近だった。

 ここは何処だと言外に問えば、返ってくるはずの答えよりも先に、強い衝撃と共に新たな痛みが走る。

「あ……?」

「申し訳ございません。意識が戻る前にと思っていたのですが、私の不手際です」

 激しく揺れる瞳で捉えたのは、胸に深々と突き立てられた短剣。染みだした温かな感触が広がり、咳には鉄の味が混ざり込む。

 何故。一体何がどうなっている。

 誰かこの狼藉者を捕えろと口を動かそうにも、吐き出されるのは掠れた息のみ。


殿からのお達しです。──不当な手段でエメル様に近付いた者は、消さねばなりませんので」


 お赦しを。

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