第11話 皇子の使命

「──大体の経緯は部下から聞いた。面倒を掛けてすまなかった、エメル殿」

「殿下、取り敢えずほっぺ冷やしましょうよ。ね」

 深々と頭を下げるロイスダールの傍ら、ジェロムが水に濡らした手拭いを皇子の両頬にべたっと貼り付ける。天幕の前には近衛兵団の皆々も集合しており、やはり彼らも皇子に心配そうな視線を送っていた。

 エメーリエはぐるりと視線を巡らせたのち、未だに頭を下げたままのロイスダールに声を掛けた。

「あの、ええと……こちらこそ、殴りつけて申し訳ございません……」

「いや。気に病むことはない。……エメル殿、早速だが互いの状況を今一度確認したい。構わないか?」

「は、はい」

 頬には手拭いが引っ付いたままだが、やはりロイスダールの纏う空気は王族のそれである。兄と話している姿を遠目に見たことしかなかったエメーリエにとって、この状況は胃が痛くなりそうだった。

(ヴィラシアの貴族ともまともに話したことないのに、大丈夫かしら、私)

 不安を出来るだけ頭の端っこに追いやり、彼女は昨日の朝に起こったことから順に話していくことにした。

 ジュダ帝国からの先触れがやって来たこと、その騎士がエメーリエを国外に連れて行ってしまったこと。混乱の最中に魔物の巣穴へ落ち、そこでルシアンに助けられ、今に至ること。

 振り返ってみるとまるで訳が分からないが、エメーリエが単身で国外に出ているという事実があるおかげで、ロイスダールも大体の事情を呑み込んでくれた。

 しかし、やはり信じがたい部分も当然ながらあるようで。

「……確かに先触れは送ったが、まさかそのようなことになっていたとは」

「不味いですね。それじゃ向こうでは完全に、俺らがエメル様を拉致したってことになってるんじゃあ……?」

 ジェロムの言葉に、周囲が騒然となる。恐らくあの先触れの騎士も、ここにいる近衛兵団の一員だったのだろう。どよめきには焦りや嘆きが入り混じり、場にちょっとした混乱を引き起こしていた。

 彼らの困惑に引きずられるようにして、エメーリエはまだ伝えていなかったことを告げる。

「あ、あの、でも様子がおかしかったんです。話を聞いてくれと何度も繰り返していて、森に出たら……急に血を吐いて、亡くなってしまって」

「!」

「それに、ヴィラシアへ到着したときには既に負傷していたそうなんです。もしかしたら魔物か何かに襲われて、あのようなことに……」

 今思うと、あの騎士も──先程のロイスダールと似た状態だったのではないだろうか。本人の意思とは無関係に体が動き、人に害を及ぼしてしまうような何かがあるのではないかと、エメーリエは遠慮がちに推測を立てる。

 それにじっと耳を傾けていたロイスダールは、少々疲れた様子で眉間を揉み解した。やがてゆっくりと瞼を押し上げると、鋭い眼差しがエメーリエを捉える。

「エメル殿。我々が急遽ヴィラシアへ向かうことになったのは……貴殿方に助力を乞うためだった」

「助力……ですか?」

「ああ。そのために彼を単騎で先行させ、王家に事の次第を伝えるよう頼んだのだが……その様子では何も知らないようだ」

 確かにエメーリエは、先触れの騎士が何を伝えに来たのかなど知らない。ケイドンやアゼルスも詳しくは知らないと言っていたが、父は──ヴィラシア国王はどうなのだろう。最近はめっきり顔を合わせていないので、エメーリエには確かめようもなかったのだが。

「ロイスダール殿下、帝国で一体何が……?」

 恐る恐る尋ねると、それまで騒々しかった空間に重い沈黙が落ちた。張り詰めた緊張感に当てられたエメーリエは、無意識のうちに袖口を掴みながら、皇子の言葉を待つ。

 そうして語られたのは、予てより彼女が危惧していた事態そのものだった。

「──帝国南部に、かつてない規模の魔物が押し寄せてな。既に奴らの手が帝都にまで伸びようとしている」

「え……!?」

「今も父上と帝国軍が死力を尽くして防衛に当たっているが、それも時間の問題だ。あの魔物どもは、もはや人の力では抑えきれない」

 帝国南部にあった複数の領地が壊滅し、魔物の侵入を長年防いでいた堅牢な砦も粉々に破壊された。

 ジュダ皇帝は過去に例を見ない凄まじい猛攻を受け、ヴィラシアへ救援を要請しに向かうようロイスダールに勅命を下したのだ。

 後ろ髪を引かれる思いで帝都を脱した皇子は、追ってきた魔物と交戦を繰り返しながらヴィラシアを目指し、ようやく樹海の手前までやって来た。

 しかし──。

「……そこで私が、厄介なものに取り憑かれてな。全く記憶は残っていないが、私は見境なく部下に斬り掛かった。そうだな、ジェロム」

「ええ、まさに悪夢でしたよ。その無愛想極まりないお顔であれほど高笑いされるなんて。あ痛た、冗談冗談」

 無言でジェロムの足をぎりぎりと踏み付けたロイスダールは、深い溜息と共に視線を落とす。

 気丈に振る舞ってはいるが、度重なる不幸のおかげで皇子の疲労は限界に達しているに違いなかった。中でも、自分の意思と関係なく部下に斬り掛かったという事実は、つらく耐え難いものであろう。

 エメーリエが何と言葉をかければよいか迷っていると、いくらか心を落ち着けたロイスダールが口を開いた。

「エメル殿。あの若者にも話を聞かせて貰えないだろうか」

「ルシアンに?」

「ああ。……私を乗っ取った奴と、妙な話をしていたそうだな」

 その問いに、エメーリエはざわつく胸を抑えながらも頷く。

 ルシアンは、皇子に憑依していたものが何か知っているようだった。それどころか顔見知り、もしくは険悪な仲であることを匂わせる。

『おはよう、ルシアン! 哀れな亡国の騎士よ!!』

 あの不気味な笑い声はロイスダールのものではなく、どこか邪悪な音を滲ませていた。


「──いいよ。隠す必要もなくなったみたいだし」


「あっ……ルシアン!」

 その声に一同が振り返ると、そこに清潔な衣服に着替えたルシアンが立っていた。どうやら近衛兵団から予備の服を借り受けたようである。

 エメーリエが体を気遣う視線を送れば、彼は笑顔でそれに応じた。


「平気だよ。──俺は妖精の呪いで、死ねないからね」


 細められた瞳は、皮肉げな光を宿したまま。

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