転生【悪魔②】

小さなアパートの一室。




『ねぇ、パパ。私、これからバイトだから。夕飯は、いつもみたいに冷蔵庫の中のを温めて食べてね』




俺の娘……。




妻と死別した俺にとって、この娘が俺のすべてだった。




『あぁ……。帰りは、気をつけろよ? あと、遅くなるようなら電話をしろ。夜は、危ないから』




『もうっ! そんなに子供扱いしないでよ』




県立高校に今年入学した娘。うちの経済状況を察し、レストランでバイトを始めた。




親思いの優しい娘………………だった。




『パパ? そんなに恐い顔してどうしたの?』




『あぁ、ごめん。ごめん。大丈夫だよ。ほら、もう行きな』




娘のマナが、家を出ていく。俺は、閉まった玄関のドアをジィ~と見ていた。


それは、いつもと変わらない。普通の日常。




どうして、あの時。行くなって止めなかったのか。



後悔は、死ぬまで続く。



何度も何度も何度も何度も、繰り返し自分を責めた。




ーーーーあれから、もう一年が過ぎた。




当時と同じ部屋なのに、この部屋で落ち着くことはもう二度と出来ないだろう。先ほどの会話が、俺が娘とかわした最後の会話になった。



娘は、あの日。



姿を消した。今も見つかっていない。だが、理由は分かっている。娘は、数人の男たちに襲われた。そして、奴等に喰われた。その時、娘の携帯は通話中になっており、俺の携帯に繋がっていた。



娘が壊される一部始終を俺は、仕事終わりに留守電で聞いた。




『獣人』




この一年で俺は、あと一歩まで奴等『獣人』を追い詰めていた。パソコンを駆使し、俺と同じように奴等に肉親を殺された者と情報を共有する。



もちろん、すべてが役立つ情報ではないが、中には見逃せない有力な情報もある。その一つ一つをパズルのように組み合わせ、一年かけてやっと奴等の巣を見つけた。



今夜、俺は復讐する。獣人には、拳銃やナイフなどの武器は効かない。常人をはるかに越えた身体能力を持つ彼ら……。俺たち人間は、飛び回る蠅と大差ない。


普通なら、復讐する前に俺の方が奴等に返り討ちにされるだろう。




でも今、俺には秘策があった。




闇ルートから手に入れたこの薬ーー





服の内側のポケットに忍ばせた注射器。短時間なら、この薬で俺も獣人と同等の力を手にすることができる。


この一本の薬を手にする為に、俺は全財産を使った。明日からは、帰る家もない。


まぁ、復讐が終わればこの世に未練もない。死ぬつもりだ。だから、関係ない。




夕方。




俺は喪服に着替えるとアパートを出た。電車を乗り換え、駅から数キロ離れた奴等が集まるコンビニを目指す。




しばらく、遠くから見張る。



一時間………。



二時間………。



辺りが、真っ暗になる。人通りも少ない。


その時、道の反対側から、走ってくる女がいた。




その女の表情から、ただ事ではないと分かる。物陰から様子を伺っていた俺の方に向かって走ってくる。


歳は、14ぐらいだろうか。俺の娘と大差ない。少女は、必死に何かから逃げていた。




飛び散る汗………涙。




何から逃げてる?




コンビニを見つけ、少し安堵したのだろうか。駆け足で中に入る。



彼女は、知らない。あのコンビニは、魔の巣だと。


明るい店内。陽気な音楽。すべてが、甘い罠。


店内で作業中の店員二人。俺は、そいつらの顔を知っていた。


娘を殺した男たち。何度も資料で確認したから間違いない。


俺は、注射器を取り出し、腕をまくる。


覚悟は出来てるつもりだったが、注射器が小刻みに震えていた。




この薬を俺に提供した痩せ男。獣人を見つけ、処刑する組織の幹部らしい。奴のひきつった笑みが、一瞬頭をよぎった。



間をおいた俺は、周囲の異変に気付いた。辺りが、やけに静か。無音。




「!?」




コンビニの窓ガラスが、真っ赤に………。ペンキじゃない。あれは。




血……。




どうなってる。奴等が、いない。




それに誰だ?


あの血で汚れた店内で、笑いながら漫画を見ている仮面の女は。


床に散らばる肉と骨。


娘を殺した男たちを紙のようにちぎった女。




俺は、見た。



 本物の悪魔を。





ーーーーーーーーーーーーーーーー





緊迫したこの場に不釣り合いな軽快な音が鳴ると、店から小さな悪魔が出てきた。


気絶している女をおんぶしている。背丈が全然違うから、子供が大人をおんぶしているような違和感がある。



俺は、物陰から出ると歩道の真ん中に立った。俺の存在には、気づいているはず。それでも真っ直ぐ、こっちに向かって歩いてくる。




一歩………。



また、一歩…………。




俺は、注射針を肌に突き刺した。後は、中の液体を押し込むだけ。




だけ……。




一歩。



また、一歩………。




コイツは、悪魔だ。俺の娘を殺した男たちと変わらない。いやっ、それ以上の悪魔に違いない! 



今、ここでコイツを止めないと新たな犠牲者が出る。俺のような血の涙を流す親が増える。




一歩………。




「そこ、通りたいんだけど?」




「………………」




無言で道を開けた。




俺は、一体何をしてるんだ?



復讐するんだろ? 



娘の無念を晴らすんだろ?




そうだ。復讐が、俺のすべて。




ビュッッ。



今度は、躊躇なく薬を体内に注入した。


前を歩いていた女の姿が、だんだんと小さくなっていく。


早くしないと逃げられる。


まだ体に変化は…………ない。何も起こらない。


しばらく待つが、何も起こらない。




「ハハハッ……ハ………。……はぁ……くだらねぇ」




騙された。全財産つぎ込んだのに。




カモにされただけか………。



向きを変え、歩き始める。自殺できる場所を求めて。




廃墟と化したラブホテル。おばけ屋敷のようだ。何年も放置され、今では巨大すぎるゴミ。


そんな場所に俺は、引き寄せられた。埃だらけのホテルの一室で、安い酒を浴びるように何時間も飲む。



時間の感覚がひどく曖昧で、今が夜なのか、朝なのかさえ分からない。


まぁ何時だろうが、これから死ぬ自分には関係ないが。




ガシャッッ!!




目の前に積んだ空き缶やビンのタワーが、崩れた。




「……………」




そろそろ終わりにしよう。



俺は、ふらっと立ち上がる。


おぼつかない足。吐き気。体は、確かに酔っているが、頭は妙に冴えていた。


酔った自分を、もう一人の自分が近くで冷静に見ているような……そんな奇妙な感覚。


その感覚を無視するように俺は、割れたガラスの中から一つ選び、躊躇なく喉元をかき切った。



首から流れ続ける赤い液体は、腹を通過し、足から床へ。




温かい……。




俺は、赤い床に横になる。


昔の記憶がよみがえってきた。



まだ幸せだった頃。大切な人がそばにいて。俺が、一番笑っていた時期。




マナ……。ごめんな。こんな不甲斐ないパパを許してくれ。




天国でさ、ママと三人で、今度こそ幸せになろう。




……………………………。



……………………。



……………。



………。




【 奇跡 】




一時間後。


俺は、血だらけの服でホテルを出た。朝日が、眩しい。




俺は、神に死ぬことを拒否されたーーー




こんなこと、まるでマンガの中の世界。馬鹿馬鹿しいが、現実だから仕方ない。




『俺は、不死身になった』




理由は、分かっている。


さっき注射した、あの薬が原因だろう。


それ以外に考えられない。切りつけた首筋を指先でゆっくり触る。




「ハハ……マジか」




傷は完治され、跡形もない。あんなに大量の血を失ったはずなのに、体に異常は一切感じなかった。むしろ、調子が良い。




これが、獣人……なのか?




今のところ、体に外見上の変化はない。人を襲う前の奴等のように、獣の姿にもなっていない。


俺は、公園まで走り、血まみれの服をゴミ箱に捨てた。次に、若いホームレスが着ていた服と帽子を財布の中身と交換した。


現金に免許証、保険証、クレジットカード……今の俺には必要ない。



産まれ変わったような気分。


最高の気分。今なら、何でもできそうだった。


若い頃のようにエネルギーが、体から溢れている。


俺は、歩き続けた。



何時間も。



休むことなく。



太陽が、真上を少し過ぎた頃。俺は、知らない街に立っていた。疲れ知らずのこの体。


駅前広場。人、人、人。それを見て、初めて今日が祝日だということを思い出した。




ヴゥーーーーーー!!


ヴゥーーーーーー!!




サイレンが、鳴り響く。急に静かになる街。小走りで建物の中に入る者。リュックやカバンから取り出したマスクを談笑しながら装着する者。共通しているのは、呪いの黒い風から身を守っているという点。




【黒い風】



人を獣化する悪魔の風。適応出来ない人間は、即死する。




俺は、逃げるふりをして、細い路地に入った。薄暗く、湿っぽい。カビと埃の臭いがした。


もし、本当に俺が獣人になったのなら、この黒い風の中でも平気なはず。今さら、死ぬことに恐怖はない。




「さぁ……来い」




黒い風は、地面を這うように俺に向かってくる。





「……?」




気のせいだと思う……。


一瞬、誰かの笑い声が聞こえた気がした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます