張禕   君を鴆ずるの面目

宋書59巻、張暢ちょうちゅう伝には、

かれの父、張禕ちょうい司馬徳文しばとくぶんの暗殺に際し、

抵抗を示した、というエピソードがある。

これについての詳細が、

晋書89巻 忠義伝にある。

そこで、この内容を紹介しよう。


張禕、郡の人。

張裕ちょうゆうの弟、張邵ちょうしょうの兄だ。

若い頃から、

その折り目正しい素行で知られていた。


司馬徳文が琅邪ろうや王となると、

その側用人となった。


司馬徳文が即位した後、

劉裕りゅうゆうは司馬徳文の様子を窺うため、

張禕と連絡を取り合っていた。


そして、ある時。

微妙にタイムラインが不明。


劉裕、張禕のもとに毒薬を送りつける。

これで司馬徳文を殺せ、ということだ。


張禕、この毒薬を確かに受け取る。

そして、嘆息する。


「主を殺し、おめおめ

 生き恥をさらすというのか?


 どうして世間に顔向けができようか!


 いま死ぬ方が、よほどましだ!」


その毒薬を自ら飲み、死んだ。




張禕,吳郡人也。少有操行。恭帝為琅邪王,以禕為郎中令。及帝踐阼,劉裕以禕帝之故吏,素所親信,封藥酒一罌付禕密令鴆帝。禕既受命而歎曰:「鴆君而求生,何面目視息世間哉,不如死也!」因自飲之而死。


張禕は吳郡の人なり。少きより操行有り。恭帝の琅邪王為るに、禕を以て郎中令と為す。帝の踐阼せるに及び、劉裕は禕を帝の故吏なるを以て、素より親しく信せる所なれば、藥酒一罌を封じ禕に付し密かに令し帝を鴆ぜしめんとす。禕は既に命を受けたるも歎じて曰く:「君を鴆じ生を求むるは、何ぞの面目にて世間に視息せんかな、死に如かざりたるなり!」と。因りて自ら之を飲みて死す。


(晋書89-4_直剛)




ちょっとカッコよすぎるというか、張裕張邵兄弟、いったいその後どういう気持ちで劉宋りゅうそうに仕えたんですかって感じがあってヤバくて素敵。


それにしても宋書晋書のタイムラインが微妙に違う。宋書に従えば司馬徳文が後秦こうしん討伐から建康けんこうに戻ってきたときのことにしてるし、晋書だと司馬徳文即位後のことにしてる。

どっちも「劉裕即位後」じゃないのが気になる所です。これ、司馬徳宗しばとくそう(安帝)暗殺のタイミング周りで不測の事態があったってことなのかしらね。「昌明しょうめいの後になお二帝あり」は、もしかしたら後付けなのかもしれない。


なお宋書のほうではこんな感じで紹介されてます。


張褘,吳郡吳人,吳興太守邵兄也。少有孝行,歷宦州府,為琅邪王國郎中令。從琅邪王至洛。還京都,高祖封藥酒一甖付褘,使密加酖毒。褘受命,既還,於道自飲而卒。


どっちが正しいかなんて踏み込みようがないので、これも自分が組み立てたいドラマに即して都合のいい方を使う感じでしょうねー。意外とこのタイムラグバカにできませんですよ? 特に晋書の場合「現役皇帝を殺そうとした」になるわけですからね。悪役に仕立てるためには最高の演出。


いやこの劉裕の所業、晋書宋書どっち取っても疑いの余地なく悪役だけど。

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