謝密6  文靖の性    

蔡湛之さいたんしという人がいた。

彼は若い頃に謝安しゃあん謝万しゃまん兄弟とも

会ったことがあるようで、

謝曜しゃよう謝密しゃみつを見て、こう言っている。


「謝密どのは顔立ちは謝万様のようだが、

 性格はむしろ文靖ぶんせい公(謝安)のようだ」



ところで、兄の謝曜。

かれ御史中丞から劉義康りゅうぎこうの副官と

官途に就いたが、427 年に死亡。


謝密の歎きぶりは

相当なものであったようだ。

喪から明けてもなお魚や肉を食べなかった。

あの美食家が、である。


それもそのはず、彼らは幼い頃に

父親を失っている。

以来、謝曜が父親代わりを務めてきた。

その仲の善さと来たら、

世に及ぶもの無し、と言うレベル。



謝密、決して人を

悪く言うことはなかった。

一方で謝曜は、人物評論が好きだった。

謝曜のそういう面だけは

受け入れがたかった謝密、

いつもの評論が始まると、

全然関係無いことで割り込んで、

うやむやにした。



謝密の人柄は穏健寛仁。

とは言え喜怒哀楽を

大きく表に出すことはなかった。

そんな謝密に並んで

讃えられていたものと言えば、

琅邪ろうや王氏の二人、王恵おうけい王球おうきゅう


時代が下り、りょうのころ。

ある人が沈約しんやくに聞いている。


「王恵はいかなる人でしょう」

「シンプルイズベスト、ですね」


「王球はいかなる人でしょう」

「ふわっと優雅です」


「謝密はいかなる人でしょう」

「シンプルであり、ふわっと優雅。

 それでいて失着なく、

 安易に流されない。

 古の名臣について想像すれば、

 きっと謝密どののような

 方だったのでしょう」


後世の人にも、こんなノリで

べた褒めされていたそうである。




時有蔡湛之者,及見謝安兄弟,謂人曰:「弘微貌類中郎,而性似文靖。」兄曜曆御史中丞,彭城王義康驃騎長史,卒官。弘微哀戚過禮,服雖除猶不噉魚肉。弘微少孤,事兄如父。友睦之至,舉世莫及。口不言人短,見兄曜好臧否人物,每聞之,常亂以他語。弘微性寬博,無喜慍。弘微與琅邪王惠、王球並以簡淡稱,人謂沈約曰:「王惠何如?」約曰:「令明簡。」次問王球,約曰:「蒨玉淡。」又次問弘微,約曰:「簡而不失,淡而不流,古之所謂名臣,弘微當之。」其見美如此。


時に蔡湛之なる者有り、謝安兄弟に見ゆるに及び、人に謂いて曰く:「弘微が貌は中郎に類せるも、而して性は文靖に似たり」と。兄の曜は御史中丞、彭城王義康の驃騎長史を曆し、官にて卒す。弘微が哀戚は禮に過ぎ、服せるに除したりと雖ど猶お魚肉を噉わず。弘微は少きに孤たれば、兄に事うるに父が如くす。友睦の至るに、世を舉ぐるに及びたる莫し。口に人の短を言わず、兄の曜の人物を臧否を好みたるを見、之を聞きたるの每、常に他語を以て亂す。弘微が性は寬博にして、喜慍無し。弘微と琅邪の王惠、王球は並べて簡淡を以て稱えられ、人は沈約に謂いて曰く:「王惠は何如?」と。約は曰く:「令明は簡なり」と。次いで王球を問わば、約は曰く:「蒨玉は淡なり」と。又た次いで弘微を問うに、約は曰く:「簡にして失せず、淡にして流れず、古の所謂名臣たるや、弘微が之に當らん」と。其の美とさるは此の如し。


(南史20-1_賞誉)




沈約さんが世説新語してる……

(世説新語してる……)


蔡湛之の時系列が微妙にあやしいですが、昔謝安兄弟を見たことがあって、時代が下って謝曜謝密兄弟を見た、とかそんな感じでしょうね。

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