謝瞻2 弟を憂う
その幹部となったが、
間もなく
そこでは事務官を務め、
やがて
418 年、
中書、黃門侍郎、相國從事中郎に。
一方、
大きく参与した
その権勢を非常に大きくしていた。
そこには訪問客らがひしめき合い、
門からもあふれ出すほどだった。
その様子を見た
そして謝晦に言う。
「右衛将軍程度のお前のもとに
訪れる訪問客の数ではあるまい!
我が家はおいそれと国家事業に
参与できるような家柄ではない!
してはならんのだ!
交流など親しき友で十分だろうに、
お前は今や、朝廷で大権を握る有様!
そんなことが、果たして
我が家にとっての幸福になると
思っているのか!?」
そうして庭の様子が見えないよう、
窓を閉ざし、言った。
「このようなありさまなぞ、
とても見れたものではない!」
謝瞻は彭城に戻ると、
劉裕に言った。
「臣の家門は謝氏の傍流。
父も祖父も太守にすら
なっておりませんでした。
だというのに、
我が弟は齢三十にして
目の前のこともろくに
見えてもおりませんのに、
その権勢ばかりが高まっております。
やがてやつは足元を疎かとし、
思いがけぬ災いを招き入れましょう。
そしてそれは、近いうちに
訪れる気がしてなりません。
どうかやつを降格し、
衰運のさなかにある我が家門に、
災いを招き入れぬよう
取り計らって頂けませんでしょうか」
同じようなことを、謝瞻、
何度も劉裕に願い出ていた。
そんな謝瞻を、劉裕は
やがて請願し、
ところで謝晦は、人をやって
朝廷で起こっている不穏な動きを
謝瞻に語り伝えていた。
謝瞻はこれらの話をすべて悪い冗談だ、
と斬って捨て、その話が
外に出回らないよう仕向けるのだった。
劉裕が即位すると、謝晦は
佐命功臣としてその名を輝かせる。
この事態を受け、
謝瞻はいよいよ憂苦するのだった。
尋為高祖鎮軍、琅邪王大司馬參軍,轉主簿,安成相,中書侍郎,宋國中書、黃門侍郎,相國從事中郎。弟晦時為宋臺右衞,權遇已重,於彭城還都迎家,賓客輻輳,門巷填咽。時瞻在家,驚駭謂晦曰:「汝名位未多,而人歸趣乃爾。吾家以素退為業,不願干豫時事,交遊不過親朋,而汝遂勢傾朝野,此豈門戶之福邪?」乃籬隔門庭,曰:「吾不忍見此。」及還彭城,言於高祖曰:「臣本素士,父、祖位不過二千石。弟年始三十,志用凡近,榮冠臺府,位任顯密,福過災生,其應無遠。特乞降黜,以保衰門。」前後屢陳。高祖以瞻為吳興郡,又自陳請,乃為豫章太守。晦或以朝廷密事語瞻,瞻輒向親舊陳說,以為笑戲,以絕其言。晦遂建佐命之功,任寄隆重,瞻愈憂懼。
尋いで高祖の鎮軍、琅邪王大司馬の參軍と為り、主簿に轉じ、安成相、中書侍郎、宋國中書、黃門侍郎、相國從事中郎となる。弟の晦は時に宋臺右衞と為り、權遇は已に重く、彭城より都に還じ、家に迎わば、賓客は輻輳し、門巷に填咽す。時に瞻は家に在り、驚駭し晦に謂いて曰く:「汝が名位は未だ多からざるに、而して人が歸趣は乃ち爾りたり。吾が家を以て素より業を為したるより退かば、時事に干豫せるを願わず、交遊は親朋に過ぎざらたらんとせるに、而して汝は遂に朝野に勢を傾け、此れ豈に門戶の福たるや?」と。乃ち門庭を籬隔し、曰く:「吾れ此を見るに忍びず」と。及ち彭城に還じ、高祖に言いて曰く:「臣は本より素士にして、父、祖が位は二千石を過ぎず。弟が年の始めて三十たるに、志用は凡近、臺府の冠を榮えとし、位任は顯密なれば、福は過ぎ災いは生ぜん。其の應えは遠かる無からん。特に降黜を乞い、以て衰門を保たん」と。前後にて屢しば陳ず。高祖は瞻を以て吳興郡と為し、又た自ら陳請せば、乃ち豫章太守と為す。晦は或るものを以て朝廷が密事を瞻に語り、瞻は輒ち親舊に向け說を陳べ、以て笑戲と為し、以て其の言を絕つ。晦は遂に佐命の功を建て、任寄は隆重せば、瞻は愈いよ憂懼す。
(宋書56-2_識鑒)
謝氏のうちでも、
ただこの辺、「反乱を起こすもあえなく敗死」って結果があるから、そこに紐づけるような面がクローズアップされているところもある気はするのだけれども。人間、そんな単純じゃないでしょう。
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