謝方明3 名家の駒    

親族の謝裕しゃゆうより推挙を受け、

劉裕りゅうゆうの中央軍の事務官に。


その堅実にして

変に出張ったところもない働きぶりに、

劉裕は言っている。


「お前のこの働きに

 報いてやれていないのが申し訳ない。

 豫章よしょう國の祿を、

 お前と分かち合いたいくらいだ」


そうして、しばしば褒美を出していた。


謝方明しゃほうめいは厳格にして折り目正しく、

たとえひと目がなかったとしても、

だらけるだなどと言うことはなかった。


特に深く文学を

修めているわけでもなかったが、

それでもその発言には雅趣があった。


当時の謝氏における顕名と言えば

謝安しゃあんの孫、謝混しゃこんであったが、

特に交際らしい交際を持とうともせず、

季節の折々の挨拶に詣でる程度。


また劉穆之りゅうぼくし丹陽尹たんよういんとなり、

多くのものが劉穆之との知遇を得たいと

あくせくする中、

謝混、謝方明、郗僧施ちそうし蔡廓さいかくの四人は

劉穆之に会いに行こうとはしない。

そのことを劉穆之は残念がっていた。


のちに謝方明と蔡廓は

劉穆之のもとに訪問した。


そのことを劉穆之は、

大喜びで劉裕に話している。


「謝方明は名門謝氏の中でも

 際立っているよう思います。


 劉裕様が宰相として

 働かれるにあたって、

 かれのようなものの

 サポートを得るべきなのは

 間違いのないことでしょう!」




從兄景仁舉為高祖中兵主簿。方明事思忠益,知無不為。高祖謂之曰:「愧未有瓜衍之賞,且當與卿共豫章國祿。」屢加賞賜。方明嚴恪,善自居遇,雖處闇室,未嘗有墯容。無他伎能,自然有雅韻。從兄混有重名,唯歲節朝宗而已。丹陽尹劉穆之權重當時,朝野輻輳,不與穆之相識者,唯有混、方明、郗僧施、蔡廓四人而已,穆之甚以為恨。方明、廓後往造之,大悅,白高祖曰:「謝方明可謂名家駒。直置便自是台鼎人,無論復有才用。」


從兄の景仁に舉げられ高祖中兵主簿と為る。方明は事思忠益にして不為無きを知る。高祖は之に謂いて曰く:「未だ瓜衍の賞の有らざるを愧づ、且つ當に卿と共に豫章國を祿せん」と。屢しば賞賜を加う。方明は嚴恪にして、自ら居遇せるに善く、闇室に處すと雖ど、未だ嘗て墯容を有せず。他の伎能無かれど、自然と雅韻有り。從兄の混に重名有れど、唯だ歲節の朝宗せるのみ。丹陽尹の劉穆之は當時の權重にして、朝野輻輳せど、穆之と相識らざる者は唯だ混、方明、郗僧施、蔡廓の四人有るのみにして、穆之は甚だ以て恨みと為す。方明、廓の後に往きて之に造らば、大いに悅び、高祖に白して曰く:「謝方明は名家の駒と謂うべし。直ちに便ち自ら是れ台鼎人を置き、復た才用を有せるに論無し」と。


(宋書53-9_賞誉)




お、おう……もうさっぱりわかんねえな……瓜衍の賞は左氏春秋に載ってるお話らしい。検索したけど「なんかすごく褒める」みたいなニュアンスしかうまくくみ取れませんでした。あとでまた調べよう。


ここまで読んできて、謝方明伝が記されていた原史料のこと、沈約しんやく本当に好きだったんですねってイライラしてます。ふざけんなよ沈約てめえ、お前が書いてんのは史書であって詩集じゃねんじゃ。よくわかんないけど凄そうな言葉の裏に謝方明カッコイイが眠ってるのはわかるんですが、なんつーかさぁ。


とりあえず劉穆之と積極的に交流を持とうとしなかった四人のうち二人が劉毅りゅうきに殉じているのが非常に興味深いです。とは言え南史を読んでみたら、謝方明と蔡廓の訪問は謝混らが殺された後、とのことで。まぁ、そこで国内の大勢が確定しましたものね。

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