胡藩2  桓玄に付き従う 

桓玄かんげん打倒クーデターが起こると、

瞬く間に桓玄軍は敗北。

桓玄が西府に逃亡しようとすると、

胡藩こはんが馬を引き、やって来る。


「この地には未だ弓兵八百人がおります。

 彼らは皆、もともと西府に

 忠誠を尽くしてきた者たち。


 ひとたびにでも

 彼らを見捨てたのであれば、

 再びここに戻って来れましょうか?」


桓玄のリアクションは、ただ一つ。

馬鞭にて天を示す、のみであった。

そして逃亡。

その姿を、胡藩は見失う。


が、それでも胡藩は逃走に付き従う。

姑孰こじゅくの近く、撫湖ぶこでようやく合流。

桓玄、胡藩の姿を見かけ、

大喜びで言う。


豫章よしょうには昔から多くの人士がいた。

 いま、わしの側には王修おうしゅうがおる!」


しかし桑落そうらくにおける戦いで

胡藩の船は焼き払われてしまった。

甲冑を身に着けたまま川に飛び込み、

三十歩ほどの距離を潜水して進む。

そして河岸に辿り着く。


この頃には追討軍が押し寄せており、

これ以上桓玄に付き従うのも難しい。

なので胡藩、実家に戻ることにした。


一方の劉裕りゅうゆうだ。

殷仲堪いんちゅうかんに対しての直言、

そして、それでもなお桓玄に

忠義を尽くしたこと。


これらの風聞を耳にしていたため、

胡藩を召喚、

直参の幹部に取り立てるのだった。




義旗起,玄戰敗將出奔,藩於南掖門捉玄馬控,曰:「今羽林射手猶有八百,皆是義故西人,一旦捨此,欲歸可復得乎?」玄直以馬鞭指天而已,於是奔散相失。追及玄於蕪湖,玄見藩,喜謂張須無曰:「卿州故為多士,今乃復見王叔治。」桑落之戰,藩艦被燒,全鎧入水潛行三十許步,方得登岸。義軍既迫,不復得西,乃還家。高祖素聞藩直言於殷氏,又為玄盡節,召為員外散騎侍郎,參鎮軍軍事。


義旗の起つるに、玄は戰いて敗れ將に出奔せんとせば、藩は南掖門にて玄が馬を捉えて控え、曰く:「今、羽林には射手の猶お八百有り、皆な是れ故の西に義せる人なれど、一旦にして此を捨つらば、歸せるを欲せど復た得べからんや?」と。玄は直ちに馬鞭を以て天を指すのみにして、是に於いて奔散し相い失す。玄を蕪湖にまで追及せば、玄は藩を見、喜びて張須無を謂いて曰く:「卿が州は故より多士を為し、今、乃ち復た王叔治を見ん」と。桑落の戰にて、藩が艦は燒かるるを被り、全鎧にて入水し潛り行くこと三十步許り、方に登岸せるを得る。義軍の既に迫らば、復た西せるを得ず、乃ち家に還ず。高祖は素より藩の殷氏への直言を、又た玄に節を盡くしたるを為すを聞き、召して員外散騎侍郎、參鎮軍軍事と為す。


(宋書50-2_規箴)




張須無

なんだこれ。


王修(=王叔治)

またずいぶん微妙なところを持ち出してきますね……三國志は袁紹えんしょう軍の幹部の一人。官渡かんと後ズタボロになった袁紹軍のうち、長男の袁譚えんたんに付き従い、圧倒的劣勢に立たされた袁譚をしばしば救い出した。しかし何度目かの救援では間に合わず、遂に袁譚の晒し首を見ることになる。人目もはばからず慟哭にくれる王脩。その様子から、曹操そうそうに人材としてスカウトされた。


ってこの比定だと「桓玄=袁譚」やないですか。どう考えても桓玄自身がそんな比定するわけねーでしょうよ。してたら「わしはこのあと敗死するのだ」って言ってるようなもんじゃん。まーた沈約しんやくは後世の創作を堂々と史書にねじ込んでしまったのか。

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