蒯恩3  守戦の達人   

劉毅りゅうき征伐に際しては、

王鎮悪おうちんあくと共に出征、江陵こうりょうを強襲。

ほぼ二人で片を付けてしまったことは、

王鎮悪伝に詳しい。


この功績から劉裕りゅうゆう付きの幹部となったが、

間もなく朱齢石しゅれいせきの伐しょくに従軍。

彭模ほうもにて譙縦しょうじゅう軍と

朝から夕暮れに至るまで奮戦。

その際常に士気は最高潮であり、

たまらず譙縦軍は敗走した。


その戦功が抜きん出たものとして

褒賞を受けており、

北至ほくし縣の五等男に改封された。


司馬休之しばきゅうし魯宗之ろそうし討伐に際しては、

劉裕の娘婿、徐逵之じょきしと共に前鋒に。

徐逵之が戦死すると、

蒯恩は隄下ていかに布陣。


魯宗之の子、魯軌ろき

勝ちに乗じて攻めかかってくる。

矢は雨の如く降り、

敵軍の勢いは、まさに怒涛。

しかし蒯恩、厳正に指示を飛ばし、

一切隊列を乱させない。


魯軌にしばしば攻勢をかけられたが、

微動だにしないので、

遂に魯軌も攻撃を諦める。


蒯恩のこの統率能力を、劉裕、激賞。


江陵が平定されると、

司馬休之らの追撃に参加させた。

彼らを追い、石城せきじょう襄陽じょうようと進む。


やがて魯陽関ろようかんの向こうに

彼らが逃げのびたため、引き返す。


仕上げは上々。


これで彼らが後秦こうしんに亡命すれば、

「朝敵秘匿の罪」で後秦討伐ができる、

と言った次第である。




高祖西征劉毅,恩與王鎮惡輕軍襲江陵,事在鎮惡傳。以本官為太尉長兼行參軍,領眾二千,隨益州刺史朱齡石伐蜀。至彭模,恩所領居前,大戰,自朝至日昃,勇氣益奮,賊破走。進平成都,擢為行參軍,改封北至縣五等男。高祖伐司馬休之及魯宗之,恩與建威將軍徐逵之前進。逵之敗沒,恩陳于隄下,宗之子軌乘勝擊恩,矢下如雨,呼聲震地,恩整厲將士,置陣堅嚴。軌屢衝之不動,知不可攻,乃退。高祖善其能將軍持重。江陵平定,復追魯軌於石城。軌棄城走,恩追至襄陽,宗之奔羌,恩與諸將追討至魯陽關乃還。


高祖の西に劉毅を征せるに、恩と王鎮惡は輕軍にて江陵を襲う。事は鎮惡傳に在り。本官を以て太尉長兼行參軍と為り、眾二千を領し、益州刺史の朱齡石の伐蜀に隨う。彭模に至り、恩は領せる所にて前に居り、大いに戰わば、朝より日の昃るるに至り、勇氣は益ます奮い、賊は破れ走る。進みて成都を平らげ、擢じて行參軍と為り、北至縣の五等男に改封さる。高祖の司馬休之、及び魯宗之を伐たんとせるに、恩と建威將軍の徐逵之は前に進む。逵之の敗沒せるに、恩は隄下に陳び、宗之が子の軌の勝ちに乘じ恩を擊てるに、矢の雨が如く下り、呼聲の地を震わすも、恩は厲に將士を整え、置かるる陣は堅嚴なり。軌は屢しば之を衝も動かず、攻むべからざるを知り、乃ち退く。高祖は其の能く軍を將い重きを持せるを善くす。江陵の平定せるに、復た魯軌を石城に追う。軌の城を棄て走るに、恩は追いて襄陽に至り、宗之の羌に奔るに、恩と諸將は追討し魯陽關に至り、乃ち還ず。


(宋書49-5_暁壮)




蒯恩のこの、あらゆる戦役に関わってるっぷりはほんにすさまじいのだが、問題がひとつあって「なぜこれだけ活躍しているのにさっぱり昇進していないか」である。


これを推測するに、卓越した部隊長であった、と言う事なんでしょうね。その才覚に「帥」の範疇のものがなかった。前話であーだこーだ文句は洩らしましたが、武侠モノ好きとしては、こういう「将帥クラスの功績は挙げていないけれど、前線で矢面に立って戦い抜いてきた古強者」をしっかり記録してくれるのは嬉しいところではあります。


そして、そんな古強者は「北地で劉義真りゅうぎしんを守って、死んだ」。むしろその悲劇性を強調するためにこれだけ出番が多いのかな、という気もします。いやさ、ほんに美しいんですよ、武人として。蒯恩の生涯って。


まぁ、もっと史書に残しとくべき人物がいると思うんですけどね! 史書で小説やってんじゃねえよ沈約しんやく定期。

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