王懿5 北伐前鋒主将
撤退を開始したところで、
五斗米道軍の将軍、
五千の兵力、高艦百あまりで
とは言え、
王懿にとっては物の数でもない。
速やかに撃滅、船を焼き、捕虜を得。
その戦功は、諸将随一であった。
そして416年、
ここで
総大将に任命した。
麾下将は、
そうそうたるメンツである。
また王懿自身の軍には
彼らを率いて運河を開削、
水軍にて黄河に進み、
やがてを
後秦を滅ぼしたのち、
王懿は劉裕直属の参謀に任じられた。
及賊自蔡洲南走,遣仲德追之。賊留親黨范崇民五千人,高艦百餘,城南陵。仲德攻之,大破崇民,焚其舟艦,收其散卒,功冠諸將,封新淦縣侯。義熙十二年北伐,進仲德征虜將軍,加冀州刺史,為前鋒諸軍事。冠軍將軍檀道濟、龍驤將軍王鎮惡向洛陽,寧朔將軍劉遵考、建武將軍沈林子出石門,寧朔將軍朱超石、胡藩向半城,咸受統於仲德。仲德率龍驤將軍朱牧、寧遠將軍竺靈秀、嚴綱等開鉅野入河,乃總眾軍,進據潼關。長安平,以仲德為太尉諮議參軍。
賊の蔡洲より南に走げたるに及び、仲德を遣りて之を追わしむ。賊は親黨の范崇民ら五千人を留め、高艦百餘にして南陵を城す。仲德は之を攻め、崇民を大破し、其の舟艦を焚き、其の散卒を收むらば、功は諸將に冠し、新淦縣侯に封ぜらる。義熙十二年の北伐にては、仲德を征虜將軍に進め、冀州刺史を加え、前鋒諸軍事と為す。冠軍將軍の檀道濟、龍驤將軍の王鎮惡は洛陽に向かい、寧朔將軍の劉遵考、建武將軍の沈林子は石門を出で、寧朔將軍の朱超石、胡藩は半城に向かいたるは、咸な仲德の統ぶるを受く。仲德は龍驤將軍の朱牧、寧遠將軍の竺靈秀、嚴綱らを率い鉅野を開きて河に入らば、乃ち總ての眾軍,進みて潼關に據す。長安の平ぐるに、仲德を以て太尉諮議參軍と為す。
(宋書46-8_暁壮)
この段階で劉裕旗下最強の将として見出されていたのがよくわかる。つーかこの人の存在感、東晋建立の元勲第一位、
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