第11話:妹、ピンチになる
「……あの、ジャン=ジャック様?それで、何のご用なのでしょう?」
お屋敷の裏手にある庭。
そんなところに連れてこられた私は、困惑混じりに問いかけた。
私を庭へと連れ出した人――ジャン=ジャック・スペルビア王子は、そんな質問には答えずに足を止める。急に立ち止まったので、背中にぶつからないよう私も慌てて止まった。
「……」
振り返ったジャック王子が、ジッと私を見つめる。
値踏みしているのを隠しもしない露骨な視線に、なんなのよと叫びたい気持ちをぐっと飲み込んだ。代わりに小首を傾げれば、王子の眉間に皺が寄る。
なんなのよほんと!
部屋で社交辞令した後、急に外に出ようとか言い出すし!
そもそも、なぜジャック王子が私もといスールを訪ねるのだろうか。
ゲーム中ではスールがルクスリア家の地位を利用して王城を訪ねてくることは多かったけど、ジャック王子がルクスリア家に訪ねることは皆無だった。それくらいジャック王子にとって、スールは眼中にない相手だったのだ。
ジャック王子は誠実で素朴な娘にときめくのだから、貴族の娘は……ねえ。
スールはそれに気づかず、フレールが悪いのだと決めつけて暗殺なんて企んでしまうのだが。行動力の方向音痴とはああいうのを言うのだろう。
まあ、悪役なんてのは滑稽に空回りしてから酷い目にあってなんぼだけど。
その方がプレイヤーにとっても小気味がいい。
……っていけない、思考が脱線した。
つまり何が言いたいのかというと、ジャック王子がここにいるのはありえないのだ。
お兄ちゃんもといフレールと会うイベントの前倒しにしても、私のところに顔を出しに来て部屋から引っ張り出すのはおかしい。なんかこの人、屋敷についたらまっすぐ私のところに案内させたみたいだし。
お父様は今日いないから挨拶できないのはわかるんだけど、それなら次は私じゃなくてお母様では?順序どうなっているの?
ああもう、いい加減口開きなさいよボンボン!
お兄ちゃんほどではないけど、私だって結構短気な方なのだ。いつまでも黙っているジャック王子に、そろそろキレてしまいそうである。
「……スール・ルクスリア嬢」
私がイライラしてきたのを察したのか、それともようやく喋る気になったのか。
やっとジャック王子が口を開いた。
「兄とは……ジャン=クリストフとはどういう関係なのですか?」
「……はい?」
かと思えば、よくわからないことを聞いてきた。
関係?兄を巡ってのライバルですけど何か?
まあさすがにそれを口に出すわけにはいかないので、もう一度小首を傾げてみせる。……だからなんで眉間に皺が寄るの?私が小首を傾げるのがそんなに許せないの?
「兄は、ジャン=クリストフは、一年前から少し人が変わられました」
「はあ……」
「昔は私の話に静かに耳を傾けて相槌を打ってくださっていたのですが、今は私の話に対して言葉で返事をすることが多く、饒舌になったように感じます。兄に話を聞いてもらうことと同じくらい、兄と会話するのが好きなので嫌とは思わないのですが」
「はあ」
どうしよう、はあとしか言えない。
義兄への重たい感情を開示されても困る。
一年前を境に性格に変化があったっていうのは、なかなか面白い話だけど。やっぱりお兄ちゃんがリンゴを無理やり食べさせたのが原因だったのでは?
「ですが」
私の困惑になど気づきもせず、ジャック王子は深刻そうな顔で話を続けていく。
「ですが……昔は快く受けてくださった私の誘いに対して、最近は少し困ったような顔をされるようになった。剣も稽古も勉強も、兄とともにやるのが一番充実しているのに」
それは……べたべたしてくる義弟との距離感を測りかねているのでは?
甘やかされるのが当然と思われても困るって、お兄ちゃんがお母さんに零していたし。
でも、深刻な顔になる気持ちはわかる。私も小さい頃、ままごとに誘われたお兄ちゃんが微妙そうな顔をしているのがわかった時は内心かなりショックを受けたから。
「そして今日、あろうことか兄は私の誘いを断った。今日はそんな気分ではないからと!」
ぎゅっと拳を握りしめたのを見て、私はわかる~と心の中で激しく頷いた。
ショックだよね。断られるなんて今まで全く思ってなかったからね。うんうん。
「兄に断られて、私も剣を取る気分ではなくなった。しばらく呆然としていたよ。兄が身を隠すようにして城を出るのを見るまでは」
……ん?
「付き人も伴わせていなかったから、私はたいそう驚いてね。兄の付き人を呼び出して問いただせば、兄はルクスリア家に向かいましたと。そこには兄が一年前から懸想していた女性がいることが、先日わかったと」
わなわなと、ジャック王子の肩が震える。
それを見ていると、どんどん嫌な予感が膨れ上がってきた。
えっ、いや、ちょっとまって?
その文脈で行っちゃうと、懸想していた女性(仮)って……。
「私の誘いを蹴ってまで会いに行ったという娘。一目見ねば気が済まないと、兄にばれないように見に来てしまいましたが……。私にはわかる。貴方は、兄に相応しくない」
やっぱりぃ!?
勘違いされちゃっているよこれ!しかもすごい言いがかり付きで!
ほぼ初対面の人間に対して失礼千万では?と思う反面、スール・ルクスリアだしな~と納得してしまう自分がいる。
クリストフ王子に悪い印象を抱かれていたのもあるし、お兄ちゃんにはとびきりの美少女だと太鼓判を押されるスールの顔は攻略対象に悪印象を与えやすいのかもしれない。
……って、そんな場合じゃない!
これ、死亡エンド分岐があるイベントだ!
なんでフレールじゃなくてスールに発生するの!?お兄ちゃんの方で起きても困るけど!
さすがにいきなり剣を抜くほど理性は飛んでいないようだけど、代わりに乱暴な手つきで顎を掴まれた。そのまま、ぐいっと持ち上げられる。
うわあ、顎くいだ。乙女ゲーム界隈で上位にランクインするシチュエーション。
趣が違いすぎて全然嬉しくないけど!
「……さて。どうすれば兄をたぶらかす貴方に罰を与えられますかね?」
どういう脳内展開があったのか問いただしたいところを言いながら、ジャック王子は冷えた眼差しで私のことを見下ろしてくる。
ぞわっと、身の危険が悪寒となって背筋を駆け上がった。
「お兄ちゃん……っ」
思わず目をつぶり、この世で一番頼れる人の呼び名を口にする。
「くぅおぉらぁぁぁ!!」
その直後、聞こえるはずのない声が聞こえた。
閉じた目を開いて、声がした方を向く。
それと同時に、惚れ惚れするほど見事な飛び蹴りがジャック王子に決まった。
「ぜー…っ!ぜー…っ!ぜー…っ!」
走ってきて本当に良かった!
心の底からそう思いながら、俺は息を整えるのもそこそこに妹を背中に庇った。
そして、ついさっきまで危害を加える気満々だった青年を見下ろす。
推定ジャック王子と思われる青年はしばらく地面に倒れていたが、やがてよろよろと体を起こした。明らかにお高そうな服が土とか泥とかで汚れているけど、今は気にしない。むしろざまあみろと言ってやりたい。
青年は自分を蹴り飛ばしたのがメイドだとわかると、驚いたように目を丸くする。
だが、次の瞬間には鋭い目つきになって睨みつけてきた。
「いきなり何のつもりですか、貴方は」
「それはこっちの台詞だボケ!!」
大声で怒鳴り返すと、青年がまたぽかんとなった。
畳みかけるようにして、俺は一歩踏み出す。
「こんな人気のない場所に人の妹連れてきて、何する気だったんだこの野郎!可愛い可愛い顔を無理やり持ち上げたりなんかしてさあ!」
過剰防衛?知ったことか!
俺の妹に手を出そうとしていた時点で、その罪万死に値する!
っていうかこれあれだろ、例の死亡エンドがあるイベントってやつだろ!
「この子に何か言いたいことがあるなら、まずこの俺を通してもらおうか!何を勘違いしているかは知らないが、いくらでも相手になってやんよ!」
力強く胸を叩いて、そう啖呵を切る。
そんな俺を呆然と見上げていた青年だったが、不意に視線が俺の後ろに向いた。
「……化けの皮が剥がれすぎだろう、フレール」
「ひょわっ!?」
直後、いきなり後ろから声をかけられてびびった。
耳!耳に息が吹きかかる近さで話しかけるのやめろや!っていうかさっきも思ったけどなんで足音聞こえないんですかね貴方!今アサシンじゃないだろ!
青年への怒りを一瞬忘れ、急に声をかけてきたアサシンに憤慨する。
「っていうかお前、油は!」
「通りがかった使用人に押しつけてきた」
「ならよし!」
耳を押さえたまま頷く俺に小さく笑ってから、アサシンは青年の方を見た。
「ジャック」
「あ、兄上……」
「お前が何をしようとしていたかは知らん。だが、正式に当主と挨拶をしていない貴族の家に押しかけ、あまつさえご息女を人気のない場所に連れ出すというのがどういう意味を孕んでいるか、よもやわからないお前ではないだろう?」
「それは……」
俺が怒鳴りつけていた時は呆然としていただけだったのに、アサシンにそう言われただけで、青年はまるで叱られた子犬のようにしゅんとなった。
ちょっと態度違くない?
いやまあ、俺がこいつの立場でも飛び蹴りからの啖呵はまずびっくりするけど。
「スール嬢、我が義弟が貴方に粗相をしたこと、深くお詫び申し上げる」
「……すごくびっくりした」
お嬢様口調を取り繕う余裕もないのか、涙声で言いながら妹は俺に抱きついた。
どうやら妹も、俺と同じで死亡エンド分岐のイベントと現況を重ねたらしい。背中にしがみついてぐりぐりと額を押しつけてくる妹の頭を、よしよしと撫でた。(物理的に難しくない?)
「今日は義弟を連れて帰るとしよう。この件への謝罪は、後日」
「おう、とっとと連れて帰れ!山よりも高く海よりも深く反省させない限り、どっちもルクスリア家の敷居は跨がせないからな!」
「待て、なぜ俺も含まれるんだ」
「そいつが暴走したの、十中八九お前が俺のこと黙ってたのが原因に決まってるからな!ちゃんと兄弟で話し合っとけ!」
そう言われると反論できないらしく、アサシンは困った顔で頬を掻く。
そして小さく溜息をついてから、尻餅をついたままの青年もとい義弟に手を伸ばした。
「帰るぞ、ジャック」
「……はい。申し訳ありませんでした、兄上」
「謝る相手が違うだろうに、まったく」
やれやれと肩をすくめた後、アサシンは俺と妹に頭を下げてから義弟とともに去った。
「……お兄ちゃぁぁぁぁぁんっ」
「あーもう、泣くな泣くな」
二人がいなくなった後、堰を切ったように妹が泣きじゃくり始める。
背中ではなく正面から抱きつかせてから、小刻みに震える背中をさすった。
「ひぐっ、ぐ、すっ、ぐすっ」
「兄ちゃん、すぐに来てやれなくてごめんな」
「ぅ、うぅん…っ」
ふるふると妹の首が横に振られる。
「お兄ちゃん、世界一かっこよかった……」
「そりゃあ、お前のお兄ちゃんだからな。かっこいいに決まってるだろ?」
ニッと笑いかけてやれば、つられて妹も笑う。
それを見て安心しながら、妹の頭をもう一度撫でた。
「ポテトチップス作ってやるから、一緒に食べような」
「甘いのも、食べたい」
「はいはい。リンゴがあったから、シナモンかけて焼きリンゴにしてやるよ」
宥めすかしつつ、屋敷に向かって歩き出す。
アサシンに油の番を任された下女からめちゃくちゃ怒られるのは、この数分後である。
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