3-4 私とあなたの時間

嫁いだ日から幾分かたった。

こちらは日付の感覚がないからわからない。

四季もないし。

屋敷の周りは桜が常に咲き乱れている庭もあれば、雪がしんしんと降り積もっている庭もある。


「いってきます」


「いってらっしゃい」


朔哉から手に口付けをもらって、今日も私はうか様のところへ行く。

スピードは遅々として上がらないがそれでも、三十箱ほどが終わって部屋の中が少し、開放的になった。


「おはようございます」


今日も案内に陽華さんが待っている。

朔哉に袴の色のことを訊いたけど、格によって違うんだって。

紫に白紋の宜生さんは、眷属の中で一番偉いから。

陽華さんの白袴は、正式に眷属として認められていないから。

本当にそれでいいのか気になって陽華さんに訊いてみたのだけれど。


『僕はうか様のペットみたいなものなので。

それはそれで……』


はぁはぁと例のごとく陽華さんの息が荒くなり、それ以上訊くのはやめた。


「じゃあ、今日もよろしくー」


ちらっとだけ顔を出して、うか様はすぐに出ていく。

いつも、そう。

神様の普段着は好きにしていいらしいし、あの巫女装束じゃなくて女子高生みたいな格好すれば似合うんじゃないかって思うけど。

どうもあれはうか様の趣味らしい。


今日もひたすら、入力をしていく。

一角が崩れたとはいえ、まだまだ残りは多い。

なにせ、百年分だ。


「ねえ」


「うわっ」


唐突に声が聞こえ、思わず手が止まる。

おそるおそる顔を上げると、目の前にうか様が座っていた。


「前から訊きたかったんだけど。

あなた、朔哉のどこがいいの?」


その整えられた長い爪にマニキュアを塗り、ふーっと息を吹きかける。


「えっと」


「だから。

朔哉のどこがいいのって訊いてるの」


うか様の声に若干のいらだちが混じり、さらに小さくちっと舌打ちされた。


「優しいところ……です」


「それだけ?」


「え?」


それだけってなんですか?


「だから。

それだけかって訊いてるの」


せっかく綺麗にマニキュアを塗った爪を、うか様ががりがりとかじる。

なんでこんなに、イラつかれなきゃいけないんだろう。


「その。

格好良かったり、でも可愛かったり、たまに淋しそうだったり、それで心配しすぎってくらい私を心配して、大事にしてくれるから、私も朔哉を大事にしたいなと思っています」


「なにそれ、のろけ!?」


言えっていうから言ったのに、逆ギレされるなんて理不尽だ……。


「でもさ。

いくらあんたがそんなこと思ったって、朔哉と一緒にいられるのはせいぜいあと八十年なのよ?

たった、八十年!!

わかる?」


「わかって、ます……」


だからこそたまに、不安になる。

朔哉にとって私と一緒にいる時間は、ほんの僅かなんだって。


「わかってるならさっさといなくなって。

またあの子が泣くのは、嫌なの」


「え?」


「とにかく、さっさといなくなって。

いい?」


びしっと、人差し指をうか様が突きつけてくる。

いなくなれとか言われても、私にはもう帰る場所はない。


フン!と鼻から勢いよく息を吐き出してうか様は出ていった。


カタ、カタと力なくキーを叩く。

うか様に言われなくたってわかっている。

でもそんな私を朔哉は愛していると言ってくれた。

大事にしたいって。

きっと私が死んだら、朔哉はまたひとりぼっちになるのだろう。

朔哉をひとりにするのは想像するだけで、胸をばりばりと裂かれるくらい、……つらい。


「……朔哉」


自分から出た声は酷く鼻声で、慌てて鼻を啜る。


――けれど。


「心桜」


不意に後ろから、もう慣れ親しんでしまったぬくもりが私を包む。


「どうかしたのかい、そんなにつらそうな顔をして」


「朔哉……」


私を抱きしめる腕をぎゅっと掴みながらも後ろを振り返れない。

傍にいたいってわがままを言ったから、朔哉は私と結婚してくれた。

でもそれって私よりもずっと長い時を生きる朔哉にとって、つらい決断だったんじゃ。

今頃になって、そんなことに気づいてしまった。


「今日はもう、帰ろう。

うか様には私から詫びを入れておくから」


「でも……」


そんな気分じゃなくなったからと、職場放棄なんてしていいはずがない。

けれど朔哉は私を、抱き抱えてしまった。


「仕事ができる精神状態じゃない。

無理はしないと約束したはずだ」


「……うん」


甘えるように朔哉に抱きつく。

慰めるように軽く、朔哉の手がぽんぽんと背中を叩いた。




屋敷に帰り私をソファーに座らせた朔哉は、両手を握って視線をあわせるように私の前へしゃがみ込んだ。


「うか様からなにを言われた?」


「なにって……」


誤魔化そうとした。

けれど面の奥から群青と金の瞳が私をじっと見ている。

嘘は許さないかのように。

そもそも神様に、嘘はついてはいけない。


「朔哉と一緒にいられるのはほんの短い間なんだから、さっさと出ていけって……」


「それだけ?」


「朔哉が……また、泣くのは嫌だって」


そうだ、うか様は〝また〟と言ったのだ。

以前、同じようなことがあった?


「……はぁっ」


朔哉の口から落ちたため息は、諦めなのか呆れなのか、それとも悲しみなのかよくわからなかった。


「心配性だな、あの人も」


小さくははっと、朔哉が笑う。


「昔――まだ、お侍がいてちょんまげなんて結っていた頃。

一度だけ、妻を娶ったことがあるんだ」


私の隣へ座り、彼は肩を抱いて私を引き寄せた。


「不作が続いていてね。

口減らしもかねて供物として、少女がひとり差し出された。

興味もなかったし、そういう趣味のある神にでもやろうかと思ったんだ」


私の肩でもそもそと動く指は、どう話そうか悩んでいるかのようだ。


「でも連れてこられてしばらく観察していたら、恐ろしく鈍くさいんだよ。

なにもないところで転ける、食べるのは遅い、右って言っても左に行く。

だから差し出されたんだろうね。

でも。

――とびっきりいい顔で笑うんだ」


ふっ、と僅かに、朔哉の唇が緩む。

その子の笑顔を思い出しているのかもしれない。


「だから、妻にしたんだ。

といっても心桜みたいに正式じゃなく、おままごとの相手、かな。

でも凄く楽しかったんだ。

けれどそんな生活は長く続かなかった」


ぎゅっと、朔哉の手に力が入った。


「人間の一生がずっと短いものだって理解していた。

それでも、その子の一生はあまりにも短すぎた。

もともと身体が弱かったんだろうね、私の元へ来て三年で死んでしまった」


無意識に、朔哉の手を握っていた。

それほどまでに彼の声は深い悲しみに沈んでいたから。


「初めて泣いた。

この世の終わりかってくらい。

それからはもう、人間と関わるのはやめようって決めたんだ」


「……ならなんで」


「ん?」


「ならなんで、私を受け入れたの……?」


迷い込んでしまったあの日。

友達になろうなんて提案、拒否してしまえばよかったのだ。

いや、それ以前に傷の手当てなどせず、放り出してしまえば。


「……そうだな。

私を綺麗だと言ったのは、あの子に次いで心桜が二人目だったから」


泣きだしそうな朔哉の声は、あのときのことを後悔しているんだろうか。

なら、私はいまからでもうか様の言うとおり、いなくなった方が。


「心桜を妻に迎えたのは後悔していないよ。

たとえ短い間でも、心桜と一緒にいたいと願ってしまったから。

それに――」


「それに?」


途切れた言葉を不審に思い、朔哉の顔をのぞき込む。

けれど彼はなんでもないかのように笑った。


「とにかく。

きっと心桜が死ねば泣くだろうけど。

それでも私は、心桜と一緒にいたい。

心桜が傍にいるだけで幸せなんだ。

またひとりになっても、心桜の想い出があれば生きていけるよ」


「朔哉……」


「だから、私と一緒にいられる時間、目一杯私に愛され、愛してくれるかい?」


「……はい」


面の下から一筋、涙が流れ落ちてくる。

それをそっと、手で拭った。

朔哉の手も私の顔を挟み、親指で目尻を撫でた。


「目、つぶって。

絶対に開けちゃダメだよ」


「うん」


目を閉じると、唇が重なった。

このときは凄く幸せで、私が死ぬまでこの時間は続くんだろうと思った。

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