1-2 タイムリミット

「朔哉ー、頼まれてた本、持ってきたよー」


森の奥へ向かって声をかける。


――ぽっ。

ぽぽぽぽぽっ。


途端に、まるで私を迎え入れるかのように奥から狐火が灯ってきた。

それを辿っていくと唐突に屋敷の裏へ出る。

待っていた狐の半面に神主さんの普段着のようなものを着た男、宜生さんに伴われて屋敷の中を進む。

私が来たってわかっているから、そこらに人の姿はない。


「よく来たね、心桜」


私が来たのに気づき、朔哉は読んでいた本をパタンと閉じた。


「これ、『ronronロンロン』のシュークリーム。

好きだったよね?」


「美味しいよね、ronronのシュークリーム!」


ぱーっと、お日様が照るみたいに朔哉の顔が輝く。

そういうところ、ほんとに神様なのかなってちょっと疑わしくなっちゃう。


「お茶の準備をしろ。

言わなくてもわかってるだろうが、紅茶だぞ」


「はっ」


短く返事をして部屋を出ていった宜生さんは、忌ま忌ましげにシュークリームの箱と私を面の奥からじろっと睨んだ。


「ごめんね、いつも」


「ううん、朔哉が悪いんじゃないから」


初めて朔哉に会った小二の秋から、十一回目の冬が来た。

外は寒いのに、屋敷の周りは花が咲き乱れ春のようだ。


ひょいっと朔哉に簡単に抱えられてしまうほど小さかった私も、ずいぶん背が伸びた。

いや、いまでも相変わらず、背の高い朔哉に簡単に抱えられてしまうが。


そしてあの日から、朔哉の姿は変わっていない。

その群青と金の瞳も、黒髪も。

白シャツに黒パンツ姿も。


――二十代半ばの、その見た目すらも。


きっとこのまま私が年をとっても、朔哉はこのまま若々しいままなのだろう。


「あ、これ。

頼まれてた本。

経済学の本なんて難しいもの読むんだね。

やっぱりお稲荷様だから?」


「んー?

商売繁盛のお願いも多いからね。

勉強はしとかないと。

まあそれに、単純に面白いからっていうのもあるけど」


「ふーん」


朔哉は嬉しそうにぱらぱらと受け取った本を捲っている。

その姿は若い学者さんにしか見えない。


朔哉に頼まれてはたびたび、本や電化製品などを届けている。

眷属の方に頼めば人間界のものも手に入るらしいのだが、なぜか希望のものが届かない。

どうも皆様、お遣い下手なのらしい。

なので私がちょいちょい頼まれるようになった。


「最近はスマホがあるから、便利になったけどね。

これも心桜のおかげだよ」


私がスマホを持ちはじめて一番最初に頼まれたのは、使わなくなったスマホを譲ってくれだった。

そんなものどうするのかと思ったけど、神様の力で普通に使用できるらしい。


最近は神様同士も、人気SNSのNYAINニャインならぬCHARINチャリンを使っているんだって。

しかもさ、充電いらずなんだよ!?

ちょっと羨ましい。


そう、朔哉は人間じゃなく神様なのだ。

あの山の奥は神様の世界に繋がっていて、力がある人間がたまに迷い込んでしまうらしい。

とはいえ私の前は百年くらい前だっていっていたけど。


「失礼します」


少しして、宜生さんがお茶の支度をして戻ってきた。

どうでもいいけど、お茶を注ぎながら親の敵みたいに、私を睨まないでほしい。

いや、敵みたいなものかもしれないけど。


「用が済んだならさっさと出ていけ。

呼ぶまで来なくていい」


「はっ」


最後まで宜生さんは私を睨んだまま部屋を出ていった。


「ほんと、ヤになっちゃうよね」


はぁっ、と短く、朔哉の口からため息が落ちる。


「仕方ないよ」


本来、神様である朔哉と人間である私が、対等に口をきくことなど赦されない。

これは、朔哉が私を友達と認めてくれているからできることなのだ。

わかっている、けれど最近はその埋められない立場の差が、――酷く苦しい。


朔哉は九州の稲荷神を束ねる立場の神様だ。

朔哉曰く、九州本社の社長だと思ってくれたらいいよー、だ。

なんだかわかりやすいんだかわかりにくいんだかの例えだけど。

そんな偉い神様と人間の小娘が友達だとかまず問題で。

さらには私が朔哉の屋敷をうろつくと、実害がある。


「朔哉、その」


「あ、お手洗い?

宜生ー!」


「はい、ただいま」


朔哉が呼ぶと同時に、宜生さんが部屋に入ってくる。

どうなっているんだろうとは思うけど、考えちゃダメ。


「心桜をご不浄に案内して」


「かしこまりました」


宜生さんに伴われて部屋を出る。

彼の案内が必要なのは屋敷が広いので迷うからとかじゃなく、――私が誰かと、会ってしまわないため。


神様およびその眷属の方たちは、人間に素顔を見られると消滅してしまう。


だからあの日、唐突に現れた私に屋敷中がパニックになったのだ。

消滅の危機となれば、仕方もないだろう。


そういうわけで朔哉も、宜生さんも鼻までの狐の半面を私に会うときはいつも着けている。

私が来るときは屋敷中に報せが回っているが万が一、素顔の人と鉢合わせするといけないので、屋敷では常に宜生さんか朔哉が一緒じゃないと行動できない。


「ありがとうございました」


部屋に戻った際、宜生さんにお礼を言ったけれど返事はない。

いつもそう。

彼は私と口をきいてくれない。

もしかしたら口をきいたら穢れるとでも思っているのだろうか。


「おふぁえりー」


朔哉は口いっぱいにシュークリームを頬張り、もごもごしていた。

そういうとこ、ほんと可愛いんだよなー。

いや、齢二百六十歳の神様に失礼だけど。


「ほんと好きだね、ronronのシュークリーム」


「うん、大好き。

……でも、これを食べられるのもあと少しかな」


「え?」


意味が、わからない。

いつだって私は、朔哉のために届けるのに。


「心桜の誕生日って、三月だよね?」


「そうだけど」


「じゃあこうやって会えるのは、あと三月だ」


なんでそんなことになるのか理解できない。

私の誕生日がなにか、問題あるの?


「神が人間と会っていいのは子供のうちだけなんだ。

大人になると会えない」


「そんな……」


朔哉との関係はこれからもずっと、私がお婆ちゃんになっても続くのだと思っていた。

それなのに突然、そんなことを告げられても困る。


「……じゃあ私、大人にならない」


「心桜?」


「朔哉と会えないなら私、大人になんかならない!

ずっと子供でいる!」


短くはぁっと朔哉の口から落ちたため息は困った子だねとあきれているようで、ますます意固地になった。


「大人になんかならなくていい。

朔哉だったらずっと子供のままにだってできるよね!」


「……心桜」


両手で私の顔を挟み、鼻を突き合わせていた。

深い深い、夜の闇のような群青の瞳と、眩しく明るい、満月のような瞳が私を見ている。


「確かに、できるよ。

でも心桜がずっと子供のままだったら、ご両親はどう思う?

きっと、悲しむよね」


「……うん」


最初のうちはいいかもしれない。

十七歳も二十歳も、その少し先だって変わらなくてもわからないだろう。


でももっと先は?


周りはどんどん年をとっていくのに、私だけ若い、十七歳のままだったら?


「……ごめん」


「うん」


朔哉の手が、私のあたまをぽんぽんする。

それは初めて会ったあの日と変わらず、優しい。


「私だって心桜と会えなくなるのは淋しいよ。

一瞬、心桜をお嫁さんに迎えようかとか考えてしまうくらいに」


「え?」


いま、お嫁さんとか言った?

いや、それはなんというかこう、……うん。


顔が熱くて上げられない。

朔哉も照れているのか、視線を外していた。


「でも、大人になったらダメなんだよね?」


「結婚するんだったら話は別。

婚姻によって心桜は神に連なるものになって、ずっと一緒にいられる。

ただし……」


「じゃあ私、朔哉と結婚する!」


「……はぁーっ」


朔哉の口から落ちたため息は、深く重かった。


「話は最後まで聞くもんだよ。

……ただし、人間の世界は捨てなければならない。

友達はもちろん、ご両親にも二度と会えない。

そんなこと、できないだろう?」


すべてを諦めた顔で朔哉が笑う。

その顔にまるで張り裂けてしまったかのように胸が痛んだ。


「捨てる、人間の世界。

お父さんとお母さんにもう会えなくたっていい。

だから朔哉と、結婚する」


「こんな大事なことを、そんなに簡単に決めるものじゃないよ」


朔哉の声はまるでだだっ子を宥めるようで、ますます私は意地になった。


「簡単になんて決めてない!

お父さんとお母さんに会えないのはつらいよ?

でもそれ以上に、朔哉に会えなくなったら私、死んじゃう……!」


泣きたくなんかないのに涙が出てきて、ぐいっと思いっきり拭う。


「困ったな。

そんなに心桜が私を、愛してくれているなんて知らなかった」


「愛して、る……?」


言われた意味がわからない。

朔哉のことは好きだ。

いま初めて、離れたくないくらい好きなんだと気づいた。

でも、愛しているって……?


伸びてきた手が、そっと私を抱きしめる。


「心桜は私をそれだけ深く愛しているから、会えなくなると死んじゃうんだろう?」


ああそうか。

それだけ朔哉が好きだから、人間の世界を捨てるなんて即決できたんだ。


「朔哉が好き。

世界の全部を捨てたって、朔哉と一緒にいたい」

「心桜は本当に可愛いな。

そんなに可愛いと……逃がせなくなる」


面の向こうから朔哉がじっと私を見つめる。

視線は射貫かれたかのように髪の毛一本分もずらせない。


「私と結婚すれば人間の世界を捨てなければならない。

もちろん、ご両親とももう二度と会えない。

それにどんなにつらいことがあっても、神の世界では人間の心桜に手を貸すものなど誰もいない。

……それでも本当にいいんだな」


厳しい朔哉の声に、喉はからからに渇いていた。

空気はぴんと張り詰めたものへと代わり、呼吸さえも憚られる。

これが……神としての朔哉。


「……は、い」


たった二音を口にするのでさえ、酷く神経を使った。

神に嘘はつけない。


――ついてはいけない。


「……わかった」


ゆっくりと朔哉の顔が近づいてくる。

私のシャツをずらして首もとを露わにさせ、朔哉はそこに――噛みついた。


「……っ」


「契約の印だ。

これで心桜は私から逃げられない」


まるで恐ろしいものを見るように、いや、実際に神としての朔哉は恐ろしかったのだ――顔を見上げる。

視線のあった朔哉は、口もとを綻ばせ、ふっと笑った。

途端に空気はいつものものへ一気に戻る。


「そう怯えなくていい。

私は心桜を守って絶対に幸せにするから」


朔哉の手が頬に触れ、意図がわかって目を閉じた――ものの。


「あ」


私の鼻にぷにっと朔哉の面が当たってしまい、おかしくてふたりで笑いあった。



朔哉の元に嫁ぐのは私の十八の誕生日、三月二十日にしようっていってくれた。

その日が人間の私が神の朔哉に会える、タイムリミットだから。

ぎりぎりまで両親の元にいさせてあげたいという、朔哉の心遣いだ。

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