12 Never look back

 窓から漏れ聞こえる喧騒を、ひどく遠く感じる。そよ風のひとつも頬を撫でない事に不安を覚えた市民達が、あちこちで曇った顔を見合わせて噂している。

 生まれながらに風の加護を授かったフラナガン公国の民にとり、首都が丸ごと無風に陥った事は異常以外の何ものでもないのだろう。誰もが心細さから拠り所を求めてさまよい始める中、咲は一人、クロエの家にいた。


 ここに連れ立って訪れた天志屋からは何度か声を掛けられた。けれど、そのいずれにも反応出来ぬ内に、彼らはいつの間にかいなくなっていた。

 あの青年達がどこに行こうが、さして関心も持てない。何にせよ、天志屋がクロエの救出に打って出る事は無いのだから。それが契約外である限り。


 ――かといって、おびただしい数の私兵に加え異能の術師までようするアンダルシア公家に、たった一人で立ち向かう勇気もまた、咲の痩身には湧いてこない。


「…………」


 抱きかかえた自分の膝を、泣き腫らした目でぼんやりと見つめる。


 恐らく、組み伏せられた際に強く打ってしまったのだろう。膝頭から滲む血が、レースのドレスにぽつぽつと赤い点を広げていた。

 この様子を眺めるうち、不意にとある既視感が過ぎる。



 ――いつまでそうしている気だい?



 デジャヴは記憶を呼び覚まし、咲の意識を八年前へと誘う。







 白い壁、白い天井、閉ざされたままの白いカーテン。

 清潔さを保たれた空気には、微かにツンとする消毒液の匂いが混じる。廊下から扉一枚を隔てて届くのは、足繁く行き交う医療スタッフの靴音と、時折患者を搬入するストレッチャーの過ぎる音。


 八年前の冬の日。あの時も咲は小さな個室に一人、膝を抱えて閉じこもっていた。

 現在の状況と異なるのは、八歳だった当時の自分は頭から爪先まですっぽりと毛布で覆い隠していた事。そしてそこに訪れる者が一人いたという事。


「君の家族が亡くなって、もう二週間になる。いつまでそうしている気だい?」


 病室の壁に軽く背を預けながら、男――〝先生〟はそう訊ねる。


 こちらが一切反応を返さないのを数秒で察すると、彼は床に転がる点滴台に視点を移した。

 外れた管から薬液がしたたり、床に小さな水溜まりをこしらえる。もう少し目線を脇へ逸らせば、昼食に供された粥や煮付けが、盆ごとぶちまけられている事もまた見て取れただろう。


「物も食べず、外界も見ず、自分の殻に閉じこもるばかりか。やれやれ、これでは何の為に生き延びたんだか分からない」


 カシャン! と爪先で銀の支柱を弾くや、〝先生〟は緩やかに肩を竦めた。


 どこか気怠げなその動作にため息を薄く重ねた時。

 もう一つ、彼の発するものではない気配が、無機的な空気を微かに震わせる。


「…………生きのびたくなんて……なかった…………」


 擂り潰されたような掠れ声は、罅割れた咲の唇から漏れ出ていた。


 布越しに薄ぼんやりした光を浴びながら、咲は己の膝を見つめる。というより、半開きになった両眼が勝手に瘦せこけた膝を反射している。


 突き刺さりそうな程に浮き立つ骨格。脂肪のほとんどを失い、ミイラみたいに乾いた皮膚を貼り付かせる体。

 その面積の大半は包帯やガーゼで埋め尽くされていたけれど、僅かに露出した肌には真新しい爪痕や歯形が幾重にも残っていた。全身に真っ赤な花の如く咲く傷跡は、どれも子供による……率直にいえば少女自身によるものだ。



「私も、みんなといっしょに、死んでいればよかった」


 自ら膝頭に刻んだ掻き傷に血の珠がぷつりと膨らんでいくのを、瞳にただただ映して咲は言う。

 真っ青な虹彩は造形こそ美しいけれど、そこに灯る光は無い。



「残念ながらそうはいかない。君が未だこの世の縁にかじり付いていられるのは、君の生存を願う者がいたからだ。

 もっとも、そうして永らえた命すら、君は放棄しようとしているわけだが……」

「――うそだッ!」


 傷だらけの感情を吐き出した途端。脳に焼き付いた惨劇が色付き、瞬く間によみがえった。


「私がおうちに帰ったとき、家族はみんな死んでたんだ! 私のために願ってくれる人なんて、この世界にはもうだれもいない! 私はだれにも望まれてない!」


 が『ヒト』であるとすら分かりかねる程変わり果てた肉親の残骸。


 から漂う血臭は鼻腔の奥までこびり付き、今になってなお拭い去る事が出来ない。余りの生々しさに空になった胃袋から酸いものが迫り上がり、少女はその場でむせ返った。


 水分の足りぬ体から無理に反論を絞り出したせいで、喉が裂けそうなぐらいに痛む。ブランケットの隙間からぜぇぜぇと荒い呼吸を漏らす彼女を、対する男の方は静かに見下ろしていた。

 ――その腕をこちらへ伸ばすまでは。



「誰からも望まれていないなどと、どの口がそう言い切れる? 確かめたわけでもないだろうに」



 唐突に、咲を覆っていた布地が残らず剝ぎ取られる。守るものとてない痩身が蛍光灯の下にあらわとなり、少女は金切り声を上げた。

 手負いの獣めいた反応で滅茶苦茶に抵抗し、挙句相手の腕に噛み付くが、それでも向こうは顔色一つ変えない。


「どれだけの奇跡が君を生かしたか知ろうともしないで。彼らの祈りを無碍むげにする事は、この私が許さない」

「っあなたのゆるしなんて知らない! ほしくない!」


 皮膚を食い破らんばかりだった八重歯を離すや、吠える咲。弾みで目尻から涙がこぼれ落ち、こけた頬のラインに沿った。


「なんで私なの! なんで私だけ生きてるの! ママも、パパも、おねえちゃんも! おうちも、だいすきも、しあわせも、目の色だって! ぜんぶぜんぶ、あのばけものが取っていった! 私にはもう何もないんだ!」


 幼い自分を抱き締める腕。熱を帯びた頬を撫でる指。柔らかな母の子守歌も、しがみついた父の大きな背も、指切りして交わした姉との約束も……。

 あのクリスマスを境に全て奪われた咲には、もう縋るものは何一つ残されていなかった。真っ黒に塗り潰された巨影を思い出すから、自宅には近寄る事すら出来ない。また、過度に蹂躙じゅうりんされた惨状を知るや、数少ない親戚も恨みが飛び火する事を嫌い、とうの昔に自分を見放した。


 同情の声が上がる事はあっても、それは壁越しに囁かれるばかり。咲はただ、このちっぽけな病室に押し込まれ、『かわいそうな被害者の一人』として世間から義務的に延命されているに過ぎぬ。



「こんなになるなら、私もいっしょに死にたかった! ぜんぶ取られたこの世界なんかに、生きていく場所なんてどこにもないのに!」



 泣き濡れた両眼は大粒のサファイアを嵌め込んだようではあるが、これを綺麗と称するには悲痛過ぎる。


 血反吐を吐かんばかりの訴えは、男の胸にどう響いたものだろう。


「居場所が無いと嘆くなら、自分の手で勝ち取りたまえ。奪われる事を恐れるなら、護る力を身に付ける事だ」


 淡々とそう告げながら、〝先生〟は何か黒い塊を放る。

 寝台にバウンドしたそれを見ても、すぐには理解が追い付かなかった。咲にとってその金属は、アニメの世界の小道具でしかなかったから。


 ……いや、あまりに非現実的だからこそ、躊躇ためらいなくそれを拾い上げる事が出来たのかもしれない。

 咄嗟に鷲掴みにした塊――無骨な自動拳銃を、追い詰められた映画の主人公がやるように、真っ直ぐ〝先生〟へ突き付ける。


「その銃に装填出来る弾は八発。更にもう一発は既に薬室へ収まっている。発砲するにはただトリガーを深く引き切れば良い。

 そうすれば自然と安全装置が外れ銃撃出来る寸法だ――お子様にも理解し易い、至って明快な仕組みだろう?」


 あつらえた風な小型の拳銃は八歳の少女でも引鉄ひきがねに指を掛ける事が出来る。事実、咲もそうした。


 けれど銃口を向けられても瞬き一つしない男の言は、嘘か本当かも分からない。赤ん坊の頃から度々顔を合わせていた人物だが、その芝居がかった言動の真意を読めた事は未だかつてなかった。

 常識的に考えれば、この銃が本物である筈がないだろう。……ただし笑みの欠片も浮かべぬ相手を前にすると、最後の一押しがどうしても出来なくなる。


「君が生きている理由。この世に望まれた意味を知りたいのなら、君自身の目で確かめると良い。真理は与えられるものでなく、自ら掴み取ってこそ価値が有る」

「……ッ!」


 突如、男の上体がぐっと折れるや、銃身を掴まれた上銃口マズル押し当てられた。

 掌から体温を奪う金属の冷たさと、目前に迫る白皙の美貌に、少女の背筋から冷や汗が噴き出す。




「例えこの世にただ独りだと思っても、君だけが生き残った訳がある筈だ。真相を知りたくば生きたまえ。悲嘆に暮れるばかりだった、無力な自分と決別して。

 ――己の心に従い、成すべき事を成すんだ。咲」




 ガラス玉めいた両眼に写る、怯え切ったちっぽけな自分と目が合った。

 消えてなくなりたいと願ってやまなかった『櫻咲』は、確かに、男の中に存在していた。


「――ともあれ。彼らの祈りを踏みにじってまで、この現実から逃れる事を君が真に願うなら……私は関与しないがね」

「ぅ……ふ、う……ッ……!」


 事も無げに銃身を手放された途端、咲はベッドにくずおれる。ぼたぼたとシーツに涙の染みを広げるそばで、スライド式の扉が閉まる音が聞こえた。


 〝先生〟が病室から立ち去ったのを合図に、今度は銃口を自らのコメカミへ突き付ける。しかし黒塗りの拳銃はがちがちと震えるばかりで、大量の汗が手を滑らせる為グリップを握るのもままならない。


 愛する家族の元へ行きたいなら、ただ人差し指をほんの少し押し込めば良い。

 頭でそう考える一方、錆び付いた指の関節は一ミリぽっちも動かなかった。



 みんなに会いたい。置いていかれたくない。それは本心だ。この世に一人置き去りにされてから、ただそれだけを願っていた筈だ。


(なのに、なんでっ……なんで死ねないの……なんでまだ、私は……!)


「……ぅ、あ…………ぁあ、あああ……!」


 言葉に成らない嘆きは、慟哭どうこくとなって延々と尾を引く。


 うずくまる少女の手の中で、止め処ない滂沱ぼうだに濡れた銃がただただ艶めいていた。







 ――そうだ。私はあの時、もう、決めていたんだ。



 白々とした病室の光景から、夜闇に沈む現実へと自我を戻す。

 〝先生〟……後の養父となる男との回想は、咲に再び思い返させた。自分が今呼吸をし、鼓動を打ち続けている理由。ちからを手放さなかった訳を。



 ふと立てた膝から視線を離せば、傍らにあるソファが目に付いた。一人暮らし用の小ぶりな座面に、一着の寝間着が置いてある。

 あれはいつだったか、クロエが咲に貸してくれようとしたものだ。いつか自分が天志屋の機嫌を損ねて追い出されてしまった時の為に、用意したままにしておいてくれたのかもしれない。


 きちんと折り畳まれたパジャマを、しばし見つめていたけれど。やがて咲はスカートを手繰たぐり上げ、自らの太腿に指を沿わせた。


 ドレスの下に隠すにはいささか物騒過ぎる手応えに行き当たる。

 脚部用に固定した革ベルトホルスターから、奇異な形状をしたハンドガンを引き抜く。




 ――私が今生きているのは、何も出来なかった過去の自身を棄て、生まれ変わると決めたからだ。


「成すべき事を、成すの。……咲」




 かつて養父から与えられた言葉は今、自分自身の誓いへと変わる。


 空の銃把に弾倉を押し込め、少女は強く、スライドを往復させた。

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