第9話

 私は臨床心理士として、来る日も来る日も人々の心の重荷を引き受ける仕事をしている。


 今日、私の目の前で背を丸めているのは、丸顔で、毛深く、目の周りが落ちくぼんで黒くくすんでいる男である。くたびれた中年男性らしく、獣のような体臭が滲んでいる。


「今日はどうされましたか?」

 私は遠くから微かに呼び掛けるような声を発した。



「私はお客様ご意見係という部署に所属しています。朝日が昇ってからまた昇るまで、クレームの雨に打たれ続ける生活です。貴重なご意見に押し潰されて、自分が人間ではなくなってしまった気がします。」

「かなり滅入っておられるようですね。」

(確かに、あなたの姿は人間よりもタヌキ寄りだ。本当にヒトなのか?)



「もう、毎日が生き地獄です。電話越しの他人の声を聞きたくなくて、思い切って携帯電話を捨てました。」

「辛い決断をされましたね。」

(タヌキならば、携帯電話など無くても支障は無かろう。)



「最近では、電話でなくても他人の声を耳にするのが苦痛になってきました。どこか人里離れた山奥にでも引きこもりたい気分です。」

「ヒトとの接触が重荷なのですね。」

(野生に帰るか。それもまた、一つの道だろうな。)



「ですが、私には養わねばならない家族があり、それもかないません。職を失うわけにもいかず、八方ふさがりの気分で、どうしようもなく身体が重いのです。」

「行き詰っているように感じておられるのですね。」

(あなたの家族はヒトなのかタヌキなのか?ぜひ見てみたいものだ。)


 

 私は小動物にすら警戒心を抱かせぬような笑みを浮かべた。

 今日も良い仕事ができそうだ。

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