第5話 交換条件
千春が放った魔術によって気を失った俺が次に目覚めたのは翌日の昼ごろだった。
左手には微かに温かく柔らかな感触が伝わってくる。少し顔をあげて左側を見ればそこには手を握りながら寝ているエミリーの姿があった。
この状況から察するに俺への誤解は解けたのだろう。怪我をしたことも嘘のようになっている。恐らく、誰かが治癒魔術をかけたのだろう。
「……目覚めた? 痛いところはない?」
どうやら、俺の体が動いたことでエミリーも起きてしまったらしい。
「ああ、特にどこも痛くない。エミリーが治癒魔術をかけてくれたんだろ? ありがとう」
「……あなた、本当に馬鹿なのね。自分を殺そうとしている女を庇って傷を負うなんて……。 ち、ちなみに治癒魔術をかけたのは私じゃないわ。アリスがかけたの」
「そうなのか……?」
エミリーは慌てて手を引っ込めつつ、頬をやや赤面させながら満足げな表情を見せている。実際のところはエミリーがやってくれたのだろう。
「あっ、そうだ! 千春は!?」
「残念ながら逃げられたわ。というか、あなたと灰塵の魔女……いえ、千春さんは兄妹でいいのよね?」
「あ、ああ……」
俺がそう答えるとエミリーは顎に手を当てながら黙って考え込んだ。
そして、エミリーは俺にこう告げた。
「この事実を聞いてしまった以上、もう私はあなたの身の安全を保障できなくなったわ」
「それって、どういうことだよ?」
エミリーは呆れるように息混じりに答え始める。
「はぁ……本当に何も知らないのね。いい? あなたの妹の千春さんは『レボネス』という犯罪組織の幹部、『灰塵の魔女』なの。つまり、その身内であるあなたは犯罪者同然ってこと。私はあなた達の関係を知った以上、ここの領主、マーレットにあなたを引き渡さなければならないのよ」
「引き渡されたら俺はどうなるんだ?」
「まぁ……灰塵の魔女、千春さんの様子から考えて交渉材料になるとは思えないから見せしめに公開処刑されるでしょうね?」
「そんな……」
やっと千春に会える希望が出てきたと思ったら待つのは死だと言う。俺はうな垂れるように頭を落とした。その表情を見てエミリーはまたしてもため息を吐いた。
「はぁ……話を最後まで聞いてから落胆しなさいよ? 私だって鬼じゃないわ」
そう言うとエミリーは両手を出してこう語った。
「あなたに選択肢を与えてあげる。一つはさっき言ったように領主に引き渡されてこのまま死ぬ道、もう一つは私の元で軍の魔術師として働きながら千春さんを探す道。どちらを選んでも私はあなたの意志を尊重するわ」
「え? エミリーはそれでいいのか? 俺を引き渡さなければ立場が悪くなるんじゃないのか?」
「まぁ、確かにそうね。そりゃあ悪くなるでしょうけど、バレなければいいのよ。それに私の目的は灰塵の魔女を狩ることじゃない。レボネスそのものの解体よ。もちろん、他の理由もあるけどね……?」
つまり、エミリーは領主に引き渡すよりも自分のところに置いた方が利用価値があると判断したのだ。でも、心配な事が一つだけあった。
「なぁ、エミリー。決断する前に一つ聞きたいんだが、千春が戻ってきたら、領主に売り渡さないと約束してもらえるか?」
「いいわ。でも、タダでとは行かないわよ?」
「金なら無いぞ……?」
「わかってるわよ。だから、その代償として響にはアリシア魔術学院に入学してもらうわ」
「魔術学院?」
「そう。魔術師として絶対に必要なことを学ぶ場所ね。魔術師として働くためにはそれなりの知識が要るの。そこで一番、手っ取り早いであろう魔術学院への入学というわけ。それにあの学院ならきっと実戦経験も積めるだろうしね。それが私からの条件よ。もし、呑めないというのなら……分かるわね?」
そう言いつつ、エミリーはこちらをじっと見つめる。
要は選択肢は最初からあるようで、ないということだ。
「……わかった。すべて条件を呑む。だから、千春が戻ってきたらその時は頼む」
「ええ、わかってるわ。ウィルダート家の名にかけて千春さんを守ってあげる。これは私とあなたの密約よ」
「ああ……宜しく頼む」
俺はエミリーに深く頭を下げた。だが、次の瞬間、エミリーから思いもよらない言葉が返ってきた。
「ええ。でも、その前に……その、ごめんなさい。牢獄に入れてしまって……」
エミリーは頭を下げながら、どこかバツが悪そうな表情でこちらをみる。そんなエミリーの姿が俺には少し意外に思えた。
「いやいや、頭を上げてくれ! 俺でもエミリーの立場だったら、きっと同じことをしたと思う」
「そう……そう言ってもらえると幾分か、気持ちが楽になるわ。ありがとう。じゃあ、何か食べるモノを取ってくるわね?」
そう言うとエミリーは部屋を出て行った。
こうして、俺とエミリーとの間で密かな交渉が成立したのだった。
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