13.写真
翌日、卒業式に件の天狗役の男の子は出席しなかった。昨日倒れて家に帰ったものの、意識が戻らず、入院したらしい。しかし原因は不明だという。改は俺と話そうとしなかったし、俺も改の機嫌が納まるまでそっとしておこうと考えた。
卒業式の後、春休みに入っても、互いの家を行き来しなかった。連休になると毎日のように会って一日中一緒に過ごしていただけに、改といない春休みは何となく退屈だった。菜摘は中学校に入ってからすぐにテストがあるらしく、部屋にこもることが多くなった。こうして、いつも三人で過ごしていた短い春休みは、三人バラバラに過ごしていった。
菜摘が入学準備で中学校に行く頃には、桜のつぼみが色づき始め、天狗の子も学ランで登校していたという。地元の中学校は、途中まで小学校へ行く道と同じ道を通って行く。各地区の小学校の列が集まる直線。真正面に小学校が見えるこの直線から、東に折れて登る小道がある。あまり人気のない小道は畑に囲まれているだけの一車線で、通りからは全く見えなくなっている。出地区とその周辺の生徒は必ずこの小道を通らなければならない。菜摘もその例外ではない。菜摘はこの地区から一人で進学する。小学生とは下校時間が違うから、菜摘は一人で登下校することになるだろう。変な奴に遭わないか、事故に遭ったりしないかと、親のように心配する俺をよそに、菜摘は元来の明るさを取り戻していた。中学校には五つの小学校から進学してくる。菜摘は説明会でもう、別の小学校から進学してきた女の子と友達になれたと、喜んでいた。
そして桜が咲くころ、俺たちはそれぞれの春を迎えていた。俺と改は新六年生として新入生を交えて登校し、菜摘は中学へ進学する準備を終えていた。
「写真撮る?」
玄関で中学校指定の靴を履く菜摘に、俺は声をかけた。入学式の朝のことだった。俺は一足先に小学校の新学期を迎えていた。
「珍しいね、甲が写真だなんて」
白いゴムで日本に髪を結う菜摘は、スカートをひるがえして振り返った。外からさす光を背負って、菜摘は天使のように微笑んだ。
「どっちが珍しいんだよ。いっつも記念写真、記念写真ってうるさいくせに。今日が記念日でなかったら、いつが記念日なんだよ」
「帰ってから本格的に撮ろうと思って」
菜摘は満足そうに笑った。胸にピンクの花が咲いている。くじ運が悪かったのか、色むらがあるブローチだ。
「そうね。天気もいいし、一緒に撮ろうか」
「一緒って何だよ」
菜摘は荷物を玄関に残して玄関先に飛び出した。雲一つない青空に、桜並木が映えていた。風がそよぐとちらちらと桜の花びらが舞う。菜摘は歓声を上げて俺の手を引いた。そのついでに母親に声をかけ、桜と青空をバックに撮影会となった。菜摘に無理やり横に立たせられると、入学制の目印になる花が目に入った。桜よりも濃いピンクの花は、正面こそきれいだが、裏は斑模様になっていて、葉っぱの付け根も黄色くなっていた。
「最後は俺が撮ってやるよ。そっち立って。もう少し右」
俺はカメラマン気取りで菜摘に指示を出した。その時ちょうど桜の花びらを散らす風が吹いて、菜摘の髪をふわりと持ち上げた。菜摘の笑顔をデジカメにおさめる。人工物は入らず、桜の花びらが適度に舞い、そよ風で白いスカーフと栗色の髪が揺れている。本日のベストショットとなった。だが、その完璧さに、俺の心はざわついた。完璧な故に、もうここから先がないという不安だ。
「あ、遅れちゃう。じゃあ、ありがとうね、甲」
菜摘は中学校指定の皮鞄を背負って再び玄関から出た。
「行ってきまーす」
元気よく明るい菜摘の声が、俺の横を通り過ぎた。風の中に、真新しい制服の匂いが混じった。咄嗟に、菜摘の白く細い手を握った。自分でも何故そうしたのか分からない。
「甲?」
菜摘の声に、俺は我に返り、菜摘の手を放した。
「姉ちゃんと……、一緒に……」
顔を赤くした俺が口ごもると、俺の頭を菜摘は撫でた。
「甘えん坊な六年生だなあ。大丈夫、お姉ちゃんはいつも甲のそばにいるから」
菜摘はそう言って、カメラをこつんと指で小さく弾いた。そして笑顔で中学校に向かった。しかし帰ってきたのは、父兄として参加した母親だけだった。しかも、予約していた写真屋から時間を確認する電話があった。菜摘は本当に特別な日には写真屋のスタジオで、ちゃんとした写真を撮るのが通例となっていた。この日も、中学校での日程が終われば写真屋に行くと予約をしていた。中学校の急な坂道を下り、左に折れて少し歩くと、馴染みの写真屋があった。見た目は狭いがスタジオが広く、菜摘はそこが気に入っていた。そんな写真屋から電話が入ったのは十七時を過ぎてからだった。入学式の後、オリエンテーションがあり、十六時には下校する予定だ。道草は食わない菜摘だから、そのまま写真屋に着いていれば十六時半にもならない予定だ。母は写真屋をキャンセルし、中学校に電話を掛けた。新入生はもうすでに皆下校済みとの回答だった。俺は電話を掛ける母親の姿を、棒立ちになって見ていた。俺は動けなかったのだ。徐々に大きくなる胸の鼓動のせいで、母親の声が遠くなっていく気がした。不安は混乱へと姿を変え、俺の足元まで押し寄せてきた。まるで冷たい波打ち際の砂の中に、両足が埋まっていくようだ。
「ええ、はい。……え?」
母親の肩や声が大きく揺れていた。
「はい、はい! お願いします」
母は震えながら受話器を置いた。母は後ろに立っていた俺に驚いたような表情をしていたが、すぐに笑顔を作った。だから、何かをごまかされるな、とすぐに気付いた。
「姉ちゃん、いなくなっちゃたの?」
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