第119話 差異トハ

 謂れのない罪を問われ、反論は聞かず、でかい図体と威圧、そして極めつけは暴力。私が悪かったですと言うまで部屋からは出さない。そのうち母さんまで呼ばれてしまった。俺がやった事ではないとはいえ、生徒指導室にいるその姿を見て、どう思われたのか。やはり落胆させてしまったのか。


 俺に罪はない。そう思っていても、母さんの見る目が辛くて、苦しい。逃げるように学校から出て、母さんの車に乗って家へと向かう。学校から出る際には、二階からカメラのシャッター音がひっきりなしに鳴っていた。嘲笑わらわれている。何もないはずなのに……酷く、惨めだ。


「……こんなことになってごめん」


 運転している母さんに向かって謝ったが、何も返事はない。そのまま家へと帰りつき、母さんはソファに座り込んだ。少し離れて、また俺は謝る。ごめん、と。けれども、反応がない。


「……母さん?」


 横顔ばかり見ていたが、今度は正面に近いところから顔を見る。途端に、その表情は変わり果てた。鋭い目つきは俺の存在を蔑み、ひそめる眉は不機嫌さを表す。こんな母さんを、見たことはなかった。


「どうでもいいから、もうこういうのはやめて」


「……どうでも、いい?」


 本当に心の底から、そう思っているらしい。俺の母親は、こんな人だったか。いや、違う。この世界は現実といろいろなものが異なっている。ならば、目の前にいる母さんも……。


「……なに、その目つき」


 姿かたちは母親のもの。その怒るような声も、そっくりだ。少しばかり身がすくんでしまう。けれども、問わなくてはならない。


「あなたは、本当に俺の母親なのか……?」


 朝学校に行く前、確かに名前を呼ばれた。けれども対応はこの通りおざなりだ。学校にいた不良といい、差し替えられたような人物たちといい……この世界で、俺に何をしろというんだ。


「あぁもう、うるさいな……」


 その場で頭を掻きむしりながら、近くにあった机を数度荒々しく叩く。そんな母親を見た事はない。整えられていた髪の毛は乱れ、垂れ落ちる髪の毛の隙間から血走った目が俺を捉えた。


「あんたなんか、産まなきゃよかった」


 拒絶。けれども悲しみはない。母さんはこんなことを言う人じゃなかった。それはハッキリとわかる。目の前の人物がどれほど俺を……いや、俺というキャラを恨み、拒み、蔑んでいるのか。飯は作ってくれたとしても、教育をすることがない。よっぽど、この立場にいた人は酷い環境にいたようだ。飯が食えるだけマシだと思えるかもしれないが。


「気がついたか。この世界の真理に」


 首に巻き付く鎖から聞こえる声。母親という体の存在から目を逸らし、リビングから出て玄関へと向かう。リビングからは、時折呻き声や物を叩く音が聞こえてきた。


「全部、というわけじゃない。学校はまだわからないが、少なくともこの家庭は……当てはめただけなんだろう。その役割に、その姿に」


 俺の立場だった子供がいたとして。その子は学校でいじめられ、母親からも疎まれるような存在だったんだろう。仮に気がつくことがなければ、それは俺の心を蝕み、病ませていた可能性がある。けれど、気がついたらそこまでだ。母親でもない他人の言動に、いちいち気を病む必要はない。姿が同じというのは、少しばかり心が痛むが。


「……この家庭に関しては、な。その役割に当てはまる人物を適当に選んで姿を変えただけだ。しかし……学校は違う」


 あのバケモノの声を聞きながら、靴を履いて家から出ていく。戻るつもりはさらさらない。そのまま適当に近くをうろつきながら、学校の近くへとやってきた。時間の感覚も随分とおかしい。正午ぐらいの時間の経過だというのに、もう夕方だ。この世界で俺の心を病ませるのが目的だとするならば……なんとか、心を保てるように動く他ない。濡らされた制服を脱ぎ捨てて、ワイシャツだけになる。今後どうするのかを公園で考えようとしていた時だ。


 公園の隅で何人かの男女の生徒が集まっているのが見えた。遊具も何もない簡素で寂れた場所だというのに、何をやっているのか。見れば、あの茶髪もいる。そしてそれらの足元に転がっているのは……犬、だろうか。犬種はよくわからないが、茶色の小型犬だった。それがピクリとも動かないまま、その場で横になっている。


「……何をしてるんだ、お前たち」


 近づいてみれば、その犬の有様はなんと惨たらしいことか。口には血の泡がつき、傷だらけで汚れている。腹が上下に動いていない。死んでいるようだ。


 その場にいた全員が振り返って俺を見る。その顔は、先程まで笑っていたのだろう。


「その犬、どうしたんだ」


「あぁ? 誰かと思えばセンコーに連れてかれた唯野じゃねぇか。見りゃわかるだろ、死んでんだよ」


「……殺した、の間違いじゃなくてか?」


 言った途端、茶髪が近づいてきて顔面を殴りつけようとしてくる。受け流して、距離をとる。苛立っているらしく、先程までの歪んだ笑顔はそこにはなかった。


「俺たちが好きなように生きて何が悪いんだよ。テメェも、同じようにしてやろうか!!」


 女子生徒は遠巻きに携帯を構えて、男たちは一斉に殴りかかってくる。殴り、蹴り、時には近くに落ちていた石や缶のゴミを投げつけられた。それらが素人の動きで、遅かったからよかったものの……何も習っていない子供に向けたものだったら、酷い仕打ちだ。避けることも、反撃することもできないだろう。幸いにも地面は土だ。殴りかかってきた生徒の腕を掴んで足をひっかけ、そのまま地面に向かって倒す。鎮圧術は少しは身につけたものの……数がキツい。最初は片手だ数えられる人数だったはずなのに、気がつけば両手で数えられなくなる。どこから湧いてきたのか。


(……無理だ。こんなの全員相手になんかしてられねぇ)


 犬の件はともかく、逃げた方がいい。退路を作って逃げようとした時だ。


「ッ……!?」


 近くにいた生徒の一人が顔目がけてスプレーを吹きかけてきた。咄嗟に目を閉じるも、目に痛みを感じ始める。数秒もしないうちに、それは激痛へと変わり始めた。目も開けられない。両手で目を塞ぎ、苦痛に声を漏らす。


(ふざけんなよ……こんな、イジメに催涙スプレーなんか使いやがってッ……!!)


 何も見えなきゃ対処もできない。笑いながら近づいてくる生徒たちの拳や足が身体を痛めつけていく。助けを呼ぶ。でも、誰に。無理だ。逃げようとしても近くにあった段差でコケてしまう。転んでしまえば……腹に向けて蹴りを入れられた。息すらまともにできない。


「がっ……ぁ、ぅ……」


 シャッター音が鳴り響く。笑い声が聞こえる。水をかけられる。これは、なんだ。この連中は……血が通っている人間なのか。


「……何故、反撃をしない」


 バケモノは問いかけてくる。苦しくて声も出せない。そんな俺の心でも読んだのか、馬鹿にしたように笑われた。


「力を持つものが無闇に振るってはいけない? お前の目は節穴か。目の前の連中を見て、それでもそう答えるのか」


 強くなったところで、扱い方を間違えたら何もかもおしまいだ。だから、殴らない。蹴らない。反撃をしない。それが、正しいはずだ。


 どれほど時間が経ったのかわからないが、目は開くようになった。視界に映るのは、笑っているモノたち。目を開けれることに気がついたらしく、今度は顔目がけて蹴りを入れられた。痛み、もうそこまで感じられない。けれども……けれども……。


「怒り。心の中で揺らめくソレを解放してしまえばいいではないか。殴られたのだ。殴り返せばいいだろう。蹴られたのだ。蹴り返せばいいだろう。尊厳を損なったのだ。お前は……目の前の連中の尊厳を、奪ってもいいはずだ」


 薄れていく視界に映るのは、近づいてきた誰かが短い棒のようなものを振り上げている姿。ソレが……力強く、足に突き刺される。


「──────ッ!?」


 途端にクリアになる視界。足に突き刺さっているのは、カッターだ。痛みのせいで腕が動かない。足に突き刺さるソレを取れない。逃げるように視線を動かしてみたら……公園の入口付近で立っている女子生徒を見つけた。短めの髪の毛に、メガネ。その様子は見てはいけないものを見て、見てない振りをしようとしているようだった。彼女に向けて、必死に手を伸ばす。


「な、ずな……」


 伸ばした手は踏み潰される。彼女はその場から逃げていく。笑われ、蔑まれ、逃げられ。これは……なんだ……。


「現実だとも」


 声はそう断言する。地面の土を爪で抉るように握りしめ、心の奥底で震えて暴れだそうとしているソレに身を任せてしまいたくなる。また……腹を蹴られて動けなくなった。


「だっせぇー。見てみろよコイツ。泣いてるぜ!!」


 こんなに殴られたら、誰だって泣く。俺じゃなくとも、お前だって……。目の前の男を睨みつけながら、呪詛を吐く。


「ふざ、けるなよ……」


 同じ目に遭わせてやりたい。苦しませてやりたい。殴られ、蹴られ、泣くその姿を写真に収め、バラ撒き、笑い、ひれ伏すその姿を……嘲笑わらってやりたい。


「すればいいじゃないか。人間とは独善的な生き物だ。お前のその願い、それを否定する理由がどこにある?」


 鎖がカタカタと音を立てて、そこから煙が立ち昇っていく。


「お、おい……なんだよこれ……」


 生徒たちにどよめきが広がる。その煙は人型になり、やがて俺を見下すようにその場で立っていた。


 ペリッ。ペリッ。何か、紙を引きはがすような音が聞こえてくる。


「力を持つものが正義。容姿に優れたものが有利。大多数で少数を揉み潰すのが絶対的」


 俺の足の方から聞こえてくる。ペリッ。ペリッ。ペリッと。何か、紙切れのようなものが宙を漂って、黒煙の人型の足に貼り付いていく。


「人外は同じように動くのか? お前たちのような穢れた心を持ち合わせない彼らは、きっとこんな精神的に痛めつけ、肉体的に損傷させることはしないだろう」


 ペリッ。ペリッ。足の方から次第に上へと登ってくる。黒煙の人型は、やがて煙ではなくなっていった。靴が見える。そして、制服のズボンの下の方まで……。


 視線を自分の身体へと向ける。宙を漂うその紙片は……俺の、身体だった。自分の足は既に黒煙へと変わり果てている。下の方から徐々に存在が剥がれていき、目の前の黒煙へと貼り付けられる。


「人間とは霊長類ヒト科という獣の名だ」


 下半身は既に黒煙へと変わり、やがて上半身もなくなっていく。存在が、変わる。消えてしまう。そんな恐怖に声が漏れ出るが、目の前のバケモノは何も気にしていない。


「お前が殺してきた神話生物と、何が違う? 神話生物とて言葉を話す。二足歩行で歩く。道具を扱える。人と、神話生物。差異はどこにあるのだ?」


 うるさく感じるほどに、身体から存在が剥がれ落ちていく。聞きたくない。両耳を塞ごうとして両手を動かしてみたら……煙のような両手が目に入ってきた。目の前にいるのは、学生服のズボンにワイシャツを着た、顔が煙のような男。


「では、お前に問おう」


 肌色の首が、顎が、口が、目が、髪の毛が。そこにいたのは自分と瓜二つ。口元を歪め、嘲笑わらう自分自身。俺の身体はなくなり、そこにあるのは煙の塊。痛みも、感覚もない。寒い。冷たい。苦しい。


「───お前は、何者だ?」


 あぁ。あぁ……。自分の身体すら持たず、その問いに答えられない己は……。


「アァァァァァァァァッ───ッ!!」


 黒煙が叫ぼうとも、誰も気づかない。目の前にいる男は愉快そうに笑っていた。


「差異がないのならば、この姿でいる俺は紛れもなくお前自身。ならばお前は私か。どちらも、バケモノも人間も、ただのケダモノに過ぎぬ。この世界を見よ。紛うことなき現実だ。いた場所は違えど、この者たちは実在する人間だ。その心だ。これを見て、まだ人間の方が素晴らしいと宣うのか。人間であることを誇らしいと胸を張るのか」


 その場で振り返り、様変わりした男の姿に怯んでいた生徒たちを見回す。煙がその右手に集まり、黒槍へと変わる。


「怒り。恐怖。悲しみ。私が俺だという証に、代行してやろう。お前の、殺意を───」


 近くにいた男子生徒の腹に槍を突き刺す。血反吐を吐き、蹲り、動かなくなる。蜘蛛の子を散らすように皆逃げ始めた。けれども公園から外に出ることは叶わない。入口は煙のようなものによって遮られている。否、公園自体が外界から隔絶されていた。逃げ惑うソレに槍を刺し、悲鳴をあげるソレの腕をねじ切り。助けを乞うソレの頭から槍を貫通させ、串刺しにし、ソレらが集まる場所へと投げ捨てる。手頃なソレを捕まえて、腹に蹴りを入れ、地面に転がったら再度蹴りつける。水をかけるために持ってきたバケツに水を満たし、そこにソレの顔を押しつける。足で頭を押さえつけ、数秒ごとに呼吸をさせてはまた水につける。


 狂っている。人間の所業ではない。


「そうか。本当にそう思うのか?」


 俺は、笑いながらそう言ってくる。


「お前がやられた仕打ちを思い出せ。水をかけられ、花瓶を投げつけられ、椅子を投げつけられ。蹴られ、殴られ、刺され。それらがひとつひとつ間を置いてあったが……通算したらどうなる? それらが一度に身に受けたらどうなってしまう? 少しずつのイジメなら許容される? 死なないなら何度繰り返しても良い? なぁ、俺は痛みを返しているだけだ。やられた痛みを、その程度を、そっくりそのまま。俺たちの言葉で、こういうのだろう。自業自得、とな」


 嘲笑わらう。高らかに、楽しそうに、愉悦を感じながら。


「俺はお前。お前は私。私は全。全は私。その身に降りかかる災厄を、全て己に返還させよう。なぜなら私は……お前だからだ」


 その場にいるソレらに指を差し向け、同じだと告げる。災厄を、痛みを、全て返そうと。


「なぁ、小僧。死にたくなかろう。その隣のヤツを差し出してみたらどうだ?」


 茶髪に歩み寄り、伝える。死にたくないと嘆いた茶髪は嬉嬉として隣にいたソレを差し出した。同じく、死にたくないと嘆いている。泣いている。ソレの足に槍を突き刺し、蹴りを入れ、頭を槍の側面で殴りつける。


 そして今度は茶髪の髪の毛を掴み、足が地面から離れる高さにまで持ち上げた。表情は絶望一色。


「なんで、やめてくれ! アイツを差し出したら、助けてくれるんじゃないのかよ!」


「助けるとは一言も言ってない。お前の希望的観測だろう。罪は重なる。より凄惨に、より陰湿に、惨たらしく……」


 公園の中心付近に茶髪を投げ捨てる。そして逃げ腰なソレらに向けて、これ以上ないくらい笑顔で告げた。


「あの男に報いを受けさせろ。お前たちがここにいるのはその男に誘われたからだろう? 仲間にいなければ、こうはならなかった。原因は奴だ。死にたくないだろう。ならば、ならば……あぁ、助けてやろうとも。やりたくなくても、やらされていたとしても、俺は許してやろう。さぁ、報復だ。復讐だ。その鬱憤、恐怖、晴らすといい」


 誰も動かない。けれど、しばらくしたら一人、また一人と動き出す。目指すは茶髪。蹴り、殴り、嬲り。お前のせいだと糾弾する。


 お前のせいだ。死にたくない。悪いのはコイツだ。俺は悪くない。違う。全部、全部……。


「愉快、愉悦。人間性どころか猿より劣る。お前の守るべきモノとは、なんだ。俺が命を張るモノとは、こんなものか。なぁ……どうなんだ?」


 俺が俺を見つめる。愉快そうに笑うその姿。血を見て笑うその姿。残虐に人を殺すその姿。怖い。ソレが自分に向けられると思うと、怖くて怖くて仕方がない。


 誰も殺すことはできない。それは己自身。殺ったら殺り返される。どうやったら消せる。その方法は、単純明快。己の消失。全人類の死亡。お前がいなくなれば俺も消える。簡単な、答え。ソレは、どうしようもなく恐ろしい……





 ……ニンゲンというバケモノだった。





「──────」


 地獄のようなその様を、ずっと見続けるのかと思っていた。ところが、どこからともなく現れた鎖が腕の部分に巻き付き、そのまま天へと運んでいく。光だ。暖かな光が身体を包み込んでいく。


「逃げられはしない。お前は人間か。お前はバケモノか。その答えを聞かせてもらおう。認めてしまえ。お前は純粋な人間とはかけ離れたモノなのだ」


 暇つぶしとばかりにその場にいたソレに槍を突き刺して嘲笑わらう、己の姿。俺は何者なのか。私は何者なのか。ソレは人間か。ソレはケダモノか。


 この身を恐怖が埋め尽くす。アレは、人間が誰しも内包する残虐性。外に出しては……いけないものだ。






To be continued……

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