第117話 チャリオット

「……殺せる」


 その言葉を言い切ったのは西条だった。空中で浮かぶように眠っている氷兎を見ながら、刀の鍔を触る。仲間から殺せるという言葉が出てくると思っていなかった翔平は驚きのあまり目を見開いて彼に問いつめた。


「西条……お前、なんでそんなこと言えるんだよ!!」


「俺は前に唯野に言った。強くなりたければなるといい。そのうち俺がお前の首を撥ねるがな、と」


 まだ出会って間もなかった頃。氷兎が西条に戦い方を教わる前の話。闇雲に力を求め、己の人間性を欠落させた人でなしになる可能性を秘めていた氷兎に対して、戒めるように言い放った言葉だった。


「人でなしの殺人鬼に成り下がるのならば、俺は奴を殺そう。それは奴も承知していることで、そうなるまいと心に刻んだはずだ」


「でも、だからって……」


「よく考えろ。俺たちには腕は二本しかない。掬いきれず、溢れ落とすものが大半だ。その中から俺たちは選ばなくてはならん。自分の正しさと、優先すべきことを。それが唯野を殺すことだというのなら、俺はこの手を汚すことに躊躇いはない」


 氷兎を見ながら右手を強く握りしめる。西条とて人間だ。全てを掬い上げることはできない。何を捨てて何を得るのか、その取捨選択をしろと西条は氷兎に言ったことがある。これまでの生き方から、西条には捨てることへの躊躇いはない。得るために、斬り捨ててきたのだから。それでも、氷兎への想いがないのかと言えば……それは違う。


「唯野は悩んで苦しみ、それでも前に進もうとする人間らしさがある。もし仮にそれらが失われ、人々を己の意思でなく殺して回るバケモノに堕ちたのなら、それはもう唯野であって唯野ではないのだろう。俺は奴に、殺戮をさせる気はない。いや、唯野が殺戮を行う輩であると思いたくない。だからさせない。その為に、俺は斬ろう。唯野が俺たちと共にあった人間のままでいさせるために」


 仲間である氷兎が、無意識に人を殺すようなバケモノにならないように。そんなことをさせるくらいなら、人間としての氷兎が貶められるくらいなら、己の手を汚す方がマシだ。そう西条は言いのけた。結果はどうあれ、彼は自分なりに想っているのだ。


 けれど、他のふたりはそうではない。確固たる意思はない。俯いて唇を噛み締める翔平と、氷兎を見つめながら両手を握り締める桜華。親友であり相棒である氷兎を、恩人であり大切な人である彼を、殺すという選択肢はなかった。


「私は……無理、です。氷兎君を殺すなんて、できないです。私が守る。氷兎君が、そんなことにならないように守ります」


 あくまで殺すのは無理で、守りきるのだと桜華は言う。翔平もそう言い切りたかった。便乗して、俺もそうだと言いたかった。けど、できない。氷兎の中にいるバケモノがどれだけ危険なのかは分からない。しかしニャルラトテップの危険性は重々承知していた。だから、言えない。答えられない。いざという時に、氷兎を殺さずに助けられるほど自分は強くないから。


「俺、は……」


 助けたい。殺したくない。その選択ができない。強くない。特別な力もない。人を助ける力はない。あるのは……何かを貫く弾丸だけ。弾丸は人を救えない。弾丸は命を救うのではなく、奪うものだ。肉弾戦は得意じゃない。剣は怖くて振るえない。西条のように確固とした意思と、成長を続ける肉体と剣技、体術は持ちえない。桜華のように純粋さと、それを行えるという自信を後押しする才能がない。


 あるのは、完成された銃だけ。成長することは無い。翔平にとっての成長とは、誰かを気絶させる剣技や体術などではなく、いかにして相手を傷つけることができるのかという殺傷能力の向上だ。だから、翔平氷兎ヒトは救えない。


「……わからない。助けたいけど、俺には……その時どうすればいいのか、わからねぇよ……」


 右手に持っているデザートイーグルは鈍い銀色に輝いている。人を殺すための道具だ。包丁のように、使いようによっては人を殺しもするし、料理を作るといった多様性を持つわけではない。銃は弾丸を放ち、弾丸は何かを穿つ。それだけのものなのだ。


「……なるほど。君たちの考えはわかった。だが、だからといって簡単には返せん。示せ、その力を。人に仇なす敵意を迎え撃てるのだと証明してみせよ!」


 ノーデンスが持っている白の三叉槍のような杖で地面を叩く。すると彼らから少し離れた場所で地面である海が揺れ動き始めた。泡立ち、膨れ上がり、水柱ができていく。それがなくなった場所から出てきたのは、貝殻だ。白く大きな、それこそ彼ら三人が乗ったとしても余裕があるほどの大きな貝殻。形は真珠貝だろう。上半分はなく、器のような状態でその場に浮かんでいる。


 何が起きるのかと三人が見ていると、貝殻はカタカタと小さく揺れ動き始め、やがて中身に水が満ちていく。それが貝殻に収まりきらなくなって溢れ出し、どんどん量が多くなっていった。やがて水は物理法則を無視して上へと登っていき、彼らの身の丈の二倍はあるだろうという高さにまでなる。そこから更に、腕や手のようなものが象られ、頭部と思しき部位には彼らを睨みつける目が浮かび上がった。


 それらが透明な水であるのだから、まるで神話に出るような神々しさを感じる。けれど、彼らは日本人だ。神様が思い浮かぶよりも先に頭を過ったのは、妖怪。さながらその姿は海坊主のように思えたのだ。


「で、でかっ……!?」


「唯野がいなきゃ勝てない類の敵はさすがに勘弁だぞ」


 以前対峙したティンダロスの猟犬がそうであった。あれは魔力の伴った攻撃でしか効き目が薄い、または当たらないという厄介な敵だったが、氷兎が魔術で応戦したため事なきを得たのだ。それと同じものだとしたら、彼らに勝ち目は薄くなってしまう。


「再生や魔術抵抗などはない、ただの水の塊だ。だが、質量とは威力に直結する。まして速度もそれなり。奴が乗ってるのは、私が普段愛用しているチャリオットだからな」


 足の部位はなく、その水の巨人は貝殻に乗っかっているだけだった。それを見据えながら彼らは己の武器を構えて戦闘態勢に入る。人間とバケモノ。その差は歴然だ。長く戦い続ければ負けるのは人間である。だからこそ、短期決戦が望ましい。


『──────────ッ!!』


 巨人が吼える。地面である海が波立ち、巨人はその流れに乗るように突撃してきた。その速度は車を彷彿とさせる。


「全員回避だッ!!」


 西条の声で桜華は向かって右側に避け、翔平と西条は左側に避ける。桜華は余裕であったが、ほか二人はギリギリだった。飛び退けるように逃げた二人目掛けて、また巨人は突撃してくる。


「やらせないっ!」


 横から走ってきた桜華が巨人に向かって攻撃しようと近寄るが、巨人は右腕を引いて全力で叩き潰しにかかる。それを跳んで回避することに成功し、背後で水しぶきが上がるのを感じながら桜華は一気に接近する。そして勢いをのせた蹴りで貝殻を弾き飛ばした。地面をこすれながらその場から動いていく巨人の次の標的は、蹴りを入れた桜華へと変わる。すぐさま突撃し、桜華はギリギリのところで走って避けきるのだが……すれ違いざま、桜華の目には右拳を握りしめて殴りかかろうとしている巨人の姿が見えた。跳んで回避はできるかもしれない。けれど次の回避ができない。その場で勢いを殺して拳を受け流そうとした時だ。


 桜華の視界に黒い物体が映り込む。それが巨人の右腕に入り込むと、爆発を起こした。その場所から先の部分が何の変哲もない水へと変わって、右腕から中程が消滅する。動き回る巨人に的確に手榴弾を投げつける。そんな芸当ができるのは翔平だけだ。


「七草ちゃん、少し下がって目と耳を閉じろ!!」


 言葉を聞いて即座にその場から撤退。続いて投げ込まれてきたのは円柱状の手榴弾。一秒程度の間が空いて、爆発して凄まじい音と閃光が発生した。至近距離なら鼓膜が破れて気絶し、閃光は視界を黒に染めあげるほどの輝きを持つ閃光手榴弾。桜華の耳が少しだけキーンッと痛むが、それを至近距離で防御せずにくらった巨人はたまったものではない。左腕で目を抑え、その場で身体をうねらせていた。


「七草、頭を狙えッ!!」


 言われた通り彼女はその場から走り出して跳躍。オリジン兵であり『英雄』の起源を持つ彼女の身体能力はかなりのものだ。余裕で巨人の肩に飛び乗って、そこから更に跳躍。空中で一回転して、巨人の頭に向けて踵落とし。水とは思えない硬さだが、反動で巨人が前のめりになり、左腕も地面に近くなる。


 そこに西条が走り寄って、左腕を空中で踏みつけてから肩に飛び乗って跳躍。刀を両手で宙で構えながら落下していき、当てる直前で身体を捻る。菜沙の創造した刀は以前使っていたものよりも切れ味がいい。頭の中程まで刀がめり込み、そのまま落下の勢いで地面にまで斬り落ちていく。そして貝殻によって刀が止まった時、巨人は完全に身体の中心部位を二つに分けられるかのように斬られていた。


 ノーデンスの言った通り再生能力はなく、そのまま水となって地面へと還っていく。それに巻き込まれて多少西条の服が濡れたが、巨人を斬ることのできた彼は満足げであった。


「ふん、他愛ない」


「二人とも流石だな」


「翔平さんも助けてくれてありがとうございました!」


「気にすんなよ。アレくらいしかできねぇし」


 それぞれが自分のできることをやり抜いた結果だった。サポート、攻撃、囮。一対多では手数の多い彼らの方が有利だ。もっとも、強いアタッカーが二人もいるというのが要因としては大きいのだが。方やオリジン兵。方や一般兵最強ともいえる人物だ。少し大きいだけの巨人は、装備の整った彼らにとっては驚異ではなかった。


「なるほど、連携もできる。装備もある。意思の強い人間もいる。よかろう、あの少年は君たちに返すとしよう」


 遠巻きに彼らを見ていたノーデンスが氷兎を指さして、そのまま指を彼らの元へ向けると氷兎が宙に浮いたまま飛んでいった。それを桜華が慌ててキャッチして抱きしめる。腕の中にいる彼は本物。暖かく、触ることができる。彼女はそれを噛みしめ、頬を緩ませていった。


「腕試しにしては、弱かった気がするがな」


「人間でアレだけ戦えるのなら十二分だろう。それと……お主、刀を見せてみろ」


「刀?」


 西条が言われた通り納刀した刀をノーデンスに見せる。すると刀はひとりでに彼の手元から離れていき、ノーデンスの手の中に納まった。


「お主の意思、しかと拝見した。いざとなったときには役に立つだろう」


 握られている刀の持ち手が黒から青色へと変わっていき、刀を抜いてみれば銀色の刀はまるで鏡のように反射する刀身になっており、目を凝らせば波立っているように感じられる。


「私の加護だ。水とは、せせらぎを持って心を安らかにさせるが、時に荒々しい流れは何もかもを切断する。そして古代より聖なる水は人外に対して効果を持つ。友を……バケモノを殺すための刀だ」


「……感謝する」


 刀はノーデンスから離れて西条の元へと戻る。抜き身にした刀は確かに鏡面の如く、覗き込む西条を映し出す。水鏡みかがみの刀。魔を斬り、友を殺す神器だ。それを鞘にしまって、彼は軽く頭を下げて礼を述べる。


「さて……そこらの刀と一緒くたにされては質も落ちる。銘をつけるといい。名がついてこそ、力とは得られるものだ」


「刀の銘、か……」


「聖剣"月"か邪剣"夜"の二択?」


「鈴華、ちょっと黙ってろ」


 渾身の睨みつけに翔平はしぶしぶ下がっていく。しかし、友を殺すための剣だと言われても悩ましい。なるべくそんなものからかけ離れた銘であった方がいいだろうと西条は考える。水の刀。流れる水は癒しと破壊をもたらす。時に寄り添っては共に流れ、やがて困難に陥った時には全てを断つ。その刀の銘は……。


「……最上もがみ、だな」


「最上って……最上川か?」


「流れる川の名をつけるのがいいだろう。水の力が宿った刀のようだからな」


「……最上って、さいじょうとも読めるよな」


「お前余計なことばかり言うなら首を撥ねるぞ。俺の前で実家と関連づけようとするな」


「おっと目がマジだ……」


 心に迷いを持つことがない西条を表したかのような刀は、最上と銘づけられた。二人が話しているところへ桜華が氷兎を抱きかかえて近寄ってくる。氷兎の顔色は優れない。早く帰って休ませてあげたいと三人は思っていた。その意図を汲んでか、ノーデンスが腕を振るう。すると彼らの背後に、来る時に通ってきた門が再び出現していた。


「荷物はそのうちナイトゴーントにでも運ばせる。今はその少年を連れて帰るといい」


 互いに顔を見あって、頷き合う。情報の提供に感謝して、彼らは門をくぐっていった。来た時と同じような倦怠感や身体の震えを感じると、彼らは現世へと帰りついた。しかしそこは遊園地のドリームランドではなく、氷兎と翔平の部屋だ。粋な計らいに感謝しつつ、彼らはすぐに氷兎を医務室まで運んでいったのだ。




To be continued……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る