第115話 正体

 誰もいない無人の遊園地。昼間は多くの人々で賑わうその場所が閑散としているその様は、ある種の恐怖心を煽りたてる。従業員すら見かけることはない。それはむしろ好都合だった。オリジンの制服である黒の外套を身に纏った西条、翔平、桜華の三人は流石に堂々と正面から入って監視カメラに映るのを避けるため、フックで壁をよじ登って侵入する。西条は楽々と登っていき、翔平もちょっと苦戦するも登りきる。桜華に至っては、パルクールのように壁走りと壁蹴りでロープを使わずに登りきっていた。その身体能力の高さには流石の西条も唖然とする。


 遊園地の中にはいくつか監視カメラがあるが、勿論西条がそれを考えていないわけがない。事前に調べるだけ調べ、場所は把握していた。それらを避けながら彼らは奥へと進んでいく。


「人っ子一人いない遊園地、ねぇ。不気味なもんだな」


「私は来たことないから、氷兎君を助けられたら遊びに来たいな」


「お前たち、気を緩めるなよ。ここはもう神話生物のテリトリーだ。いつどっちが接触してくるのかわからんのだからな」


 幻夢境の住人である古の神々が接触してくるのが先か。それともノーデンスが接触してくるのが先か。現状行く宛がないので、どちらが接触してきても好都合ではある。ともかく今は幻夢境へ入ることが目的なので、翔平は記憶を頼りに転送用のゲートを探していた。


「仮に裏のドリームランドに行けたとして、だ。その後どうするよ。ノーデンスの居場所わからねぇんだぜ?」


「さて、な。古の神々とかいう胡散臭さMAXの連中に話を聞くか……ナイトゴーントがいれば、しばき倒して道案内させるのもアリだろう。受けた命令を実行する脳があるなら、それくらいはできるはずだ」


「本当、お前がいてくれてよかったわ……。頼りになりすぎてヤバい」


「褒めても刀の錆にしかならんぞ」


「怖ぇよ。てか褒めてんのに斬るなよ」


 勿論本人に斬る気はないが、指先で鍔を弄っているその姿を見ると思わず抜刀するのではと翔平は思ってしまう。どうやら西条には刀の鍔を弄る癖があるらしい。感情が昂ったりする時はそれが顕著に現れる。


 そうやって三人で遊園地内を歩いていると、水を被ることで有名なジェットコースターのある辺りで一瞬だけ淡い光が発生したのに気がついた。こんな夜中に稼働する機械もないだろう。いつでも戦闘に入れるよう心構えと準備をして、その光の発生源へと向かう。


 なるべく柱や建物に隠れる形で移動し、ようやくその光の発生源の元へと辿り着いた。柱の影から顔だけを覗かせて、光の正体を見据える。あまりにも堂々と設置されているその形状を見て西条が翔平に尋ねた。


「……あれがお前の言っていたドリームランドに行けるゲートか?」


「いや……似てるけど、違うな。俺たちが使ってたのは黒系のゲートだった」


「これは水色っぽい門だね」


 桜華の言った通り、彼らの身長を軽々と超える門のようなものがそこに鎮座していた。建物の中などではなく、人々が普段歩く交差した道のど真ん中だ。その門の内側は光で満たされていて、先が見えない。翔平と氷兎の使った門の縁は黒に近い配色であったが、これは青色に近い寒色系だ。季節が季節だが、それでもその門の近くにいるとひんやりとした肌寒い空気が皮膚を浅く撫でつけ、鳥肌として残留していく。どことなく厳かで、冷たい。そんな印象を彼らは覚えた。


「……どうする。種類が違うのならば行き先が違う可能性が高いぞ」


「どうするったって……明らかに今さっき出現しましたよって感じのやつだろ。誘われてんじゃね」


「態々相手の掌に乗っかってやることもないと思うがな。危険性は高いぞ」


「でも、氷兎君のところに辿り着ける可能性は高いんじゃないかって思いますけど……」


 誰が出現させたのかがわからない。古の神々か、それともノーデンスか。それを通り抜けるにはあまりにもリスクが高すぎた。流石の西条も尻込みしてしまう。


 話し合いながら悩み続けていたその時だ。門の中から音が聞こえ始めた。ピタッピタッと素足で床を歩くような音。誰かが門を通ってこちらに来ようとしているのか。すぐさま西条は刀に手をかけ、翔平は両手でデザートイーグルを構える。桜華も両手の手袋を引っ張ってつけ直すと、足を肩幅に開いて戦闘態勢に入った。


 ピタッピタッ。カツンッカツンッ。足音と共に何か硬いものを地面につくような音も聞こえてくる。息を飲んで、相手が出てくるその瞬間を待った。たったの十数秒とは思えないほどの時間を経験した彼らの前に現れたのは……黒い面、翼、そして尻尾を持った神話生物。翔平も戦ったことがある、ナイトゴーントだった。鉤爪になっている手には、黒い棒状のものが握られている。


「あれって、氷兎君の槍!?」


「どうやら、その先はノーデンスの居場所で間違いなさそうだな。片付けて向かうとしよう」


 西条が刀を地面と平行に構える。彼が普段使う戦闘スタイル、霞の構えだ。いつでも斬りかかれる準備をした途端、ナイトゴーントはその場で翼をはためかせ、飛び立ったかと思えば門の中へと消えていく。氷兎の使っている黒槍と共に、何をするでもなく帰っていった。しばし呆気に取られた三人だが、再度門から出てくる気配はない。構えを解いて、消えていった門の先を見据える。


「……着いてこい、とでも言いたいのか」


「アレは間違いなく氷兎の槍だ。行くしかねぇだろ」


「仕方がない、か」


 覚悟を決めて門へと歩み寄っていく。近づけば近づくほど、身体の芯が震えるのがわかる。理屈ではなく、人間としての本能が何かを訴えかけている。それでも彼らは光の中へと進んでいき、その姿を現世から消し去った。


 眩い光の中、周りには何も見えない。浮遊感と倦怠感に襲われたかと思えば、急にビクリと身体が震えた。まるで寝そうになっていたところを起こされたような、そんな感覚だ。どうやら光からは抜け出せたらしく、近くにはしっかりと三人集まっていた。ナイトゴーントがいるのかもしれないという危機感にいち早く対応した西条はすぐさま周りを見回す。そして自分たちを取り囲む周辺の状況に目を見開くこととなった。


「どこだ、ここは……」


 地面と思わしきものは全て綺麗に透き通る海のようになっており、立っている場所からは波紋が広がっていく。しかし水の中に落ちるなんてことはなく、足は地面を踏みしめていた。話に聞いていた限りでは、空は紫色だったという。けれども、空の色は自分たちの世界と同じものだ。強いて言うならば、夜に突入したはずなのに昼間と同じように明るいことだろうか。流れていく雲があまりにも現実と差異がなく、本当に異世界にとんできたのか不思議に思えた。


「うわぁ……綺麗っ……」


「遊園地ですらねぇ……。あれって、その場所の裏側に通じてるとか、そういうものじゃなかったのか」


「まるで、距離や時空なんてものを跳躍したように思える。ここが元からあるものなのか、それとも神話生物が作ったものなのか……。後者ならば、中々センスのある場所だ」


 桜華が目を輝かせて海の底を見つめている。小魚やイカといった魚類が悠々と泳ぎ回っている。神秘的で、けれども現実的。不思議な空間だった。思わず警戒を解いてしまうほどに。


「───よくきたの、若い人間たちよ」


 だからこそ、その翁が背後に現れたことにも気がつけなかった。突然声をかけられ、慌てて振り向く。身の丈は二メートルを超え、右手には先端が三叉に別れた白い杖のようなものを持ち、清潔感すらも感じられる灰色な髭が首よりも長く伸びている。一見穏和そうな顔立ちの灰髪の老人。けれどもシワがあり、声が少し低いから老人だと思えるだけであり、その堂々たる佇まいや腕の太さ、まして柔らかそうな目つきからは考えられないほどの力強さを感じる。身に纏う衣はこの世界を体現するかのような寒色系の入り交じる布のようなもの。上下に別れてはおらず、腰でベルトのようなものによって分けられているように見えるだけだ。よく目を凝らせば、その衣は地面同様に静かに波打っているように見える。


 彼らが門を見た時に感じたものと同様。厳かで、冷たい。そして静謐。その見てくれと態度、放つ気配。それらを端的に纏めるとして、一言で表すとするならば……それは間違いなく、人々が神と崇め、畏れる存在である。


「っ、いつの間にッ!!」


 西条がすぐさま刀に手をかけるが、翁はそれを左手で制した。けれども、そう簡単に彼らは警戒を緩めることはできない。それを仕方のないことだとばかりに、翁は口元を緩めていた。


「落ち着きたまえ。私は争う気はない」


「そう易々と信じられるとでも?」


「ふむ、まぁそうだろうな。では、こうしよう」


 翁が右手に持った杖を、彼らがいる場所とは別の方向に向けて振るう。すると、翁のすぐ隣の地面から水が湧き上がり、それは天高く登っていくように流れていく。そしてその水位は徐々に下がっていき……やがてその水の流れの中から、ある物だけが取り残される。空中に浮遊するように横たわっている黒髪の少年。寝間着姿のまま眠っている彼は、間違いなく唯野 氷兎本人であった。


「氷兎ッ!!」


 翔平がすぐさま駆けつけようとするが、氷兎と翔平を隔てるように地面から水が湧き上がって壁となる。足止めをくらった翔平は恐れることもなく翁を睨みつけた。その威勢の良さ、友のためとあらば強大な敵であっても怖気ないその姿に、翁は少しばかり口元を緩めていた。


「あまり事を急くでない。変に動かれると、うっかり殺してしまうかもしれんぞ」


「ッ……」


 氷兎を人質のように扱われ、仕方なく翔平は下がっていく。歯を食いしばり、それでもなんとか助けることはできないのかと水壁の向こう側にいる氷兎を見ていた。


「まずは、私の自己紹介からいこうか。おそらく知っているかもしれんが……ノーデンス、それが私の名だ。遥か遠き時代から存在する旧き神である。君たちのことは前々から眺めておったよ。なにせ、厄介な奴が絡んでおるからな」


「……質問したいことが幾つかある。唯野を攫った動機。どのような存在であるか。そして、俺たちに対する敵意の有無だ」


 相手が動かないのならば、こちらも冷静に対応しなくてはならない。西条はノーデンスに疑問に思っていることを投げかけた。ノーデンスは特に敵対するような素振りを見せることなく、彼の質問に答えていく。


「まず、私に敵意はない。どのような存在であるのかといえば……君たちが神話生物と呼ぶ存在と同じようなものだ」


「その割には、姿が普通に見えるが」


「多少は変えておるよ。見ただけで発狂する輩というのは往々にして存在するものだ。まぁ、このような人に近い姿ならば変に気構えることもないだろう。別に、人間を取って食うような事はしない。退屈しのぎに、気に入った奴と空を飛び回ったりすることはあるがな」


 それはそれで問題があるような気がしなくもないが、ノーデンスに敵意はほとんどないと言っても良さそうだった。翔平と桜華は警戒心を多少緩めたが、西条は依然としてその態度を崩すことはない。交渉の基本は気を緩めないこと。そして、堂々と自分の意見を述べることだ。その点西条には抜かりはない。世界トップ企業の息子として育て上げられ、様々なスキルを身につけてきたのだから。


「では、何故唯野を攫った? ナイトゴーントと呼ばれる連中を唯野と、ここにいる鈴華が殺したことは確かだ。しかし、それは人間に害をなそうとしていたという報告をドリームランドの神々に伝えられたからだが。そちらと敵対関係にあるようなことも言っていたらしいな」


「いいや、別にあの神々にはなんとも思っとらん。問題は奴だ。あの憎たらしい邪神こそ、私が敵対する理由だ」


 ノーデンスが腕を払うと、先程作り上げられた水壁が静かに消えていく。氷兎は未だに眠ったまま、ふわふわと宙に浮いていた。その表情は少しばかり険しい。どうにも具合が悪そうだった。


「あの少年の中にも宿っている。本音を言えば、あの少年ごと殺してしまった方が人のためだ」


「そんなことさせるわけねぇだろ!!」


「落ち着け鈴華。特に手を出したようにも見えん。今は気持ちを抑えていろ」


「……話ができるようで何よりだ」


「唯野に宿っている、と言ったな。アイツに力を貸している存在がいるのは認知している。ナイアと名乗る、真っ黒な女だそうだ。それが危険な存在だと言いたいのだな?」


 西条の言葉に対し、ノーデンスはゆっくりと首を縦に振った。氷兎が裏社会に入るキッカケにも関与しているナイア。魔術を教え、力を貸し、時に氷兎にとって悪影響を及ぼすような囁きをする。


「人間に対し積極的に接触を行い、時には信仰に対して力を差し出し、莫大な対価を払わせる。信仰した者には確かな力を授けることから、信仰者も多く、また他の神と同時に信仰する者も多い。その存在は多種多様。固定された概念や姿を持つことはなく、多くの場合人間にとって不利益を生じさせる。心に潜む悪意を後押しし、人が自らの手で世界を暗黒面に陥れさせようと動く異質な邪神。その名を……」












「───ニャルラトテップと呼ぶ」




To be continued……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る