第114話 迎えに行く人、帰る場所

 椅子に座っている全員の顔つきが変わる。忘れてしまっていた記憶。上書きされていた過去。それらを取り戻して現実へと帰ってきたのだ。そして、部屋には氷兎がいない。否、彼の持ち物や関連する物なんてものは何一つ残っていない。


「……やられたな。対策も、何もかもが無意味だった」


 西条は悔しそうに眉をひそめ、腕を組んで椅子に背中を完全に預ける。罠にはめられた苛立ち。何か起こっているのに対処できなかった不甲斐なさ。それらが彼の心の中で荒ぶり、珍しく貧乏揺すりまでし始めていた。こういう時ほどスッキリとした紅茶が飲みたくなるが、淹れてくれる氷兎はここにはいない。


「のんびりしてる場合じゃないだろ! 氷兎がいなくなっちまったんだぞ!」


「そう急くな。俺だって焦りはある。だが今は問題をひとつずつ片付けるのが先決だ」


 机を荒々しく叩いて、今すぐにでも助けに行こうと翔平は言うが、西条の言う通り今は現状をひとつずつ整理していかなくてはいけない。そもそも、何が発端でこうなったのか。誰が実行したのか。それを確かめなくてはならない。そう伝えた西条は部屋の隅に置かれているホワイトボードを持ってくると、確認すべき項目を書き出していく。それを見せながら会議は進められた。


「まず、どうしてこうなったのかだ。夢を操る力を持ってる奴が相手で、おそらく夢の中で俺たちの意識は途中から同じ場所にあった。夢でありながら、現実と差異のない場所。そんなことがそこら辺にいる下級の神話生物にできるとは思えん。間違いなく、上位の輩だ」


「上位のって……それじゃ、ひーくんは……」


「まぁ待て。そう悲観的になるのも早計だ」


 菜沙がまた取り乱しそうになるのを西条が律する。彼の中ではある程度対立する神話生物がどのような心持ちでいるのかを理解していた。今までの行動と、自分たちに対する暗示や催眠。それらには一貫した意図があると、西条は告げた。


「催眠や暗示、認識変化。これらを使って俺たちを出し抜き、氷兎を連れ去った……いや、正確には連れ去ったかは定かではないが、ここではそう仮定しよう。だが、そうなると今まで俺たちが対峙してきた神話生物とは毛色が違うことがわかるだろう」


「えぇっと……七草さん、わかります?」


「私も、さっぱり……でも、氷兎君が無事な可能性は高いってことなんだよね?」


「……敵意がない?」


 翔平の口から漏れ出た言葉に、西条は強く頷いて返す。あまりにも回りくどいやり方だ。ここまで干渉できるほどに力があるのなら、自分たちを殺すこともできる。そうしないのは、何かしら別の意図があり、なおかつ穏便に済ませたいということなんだろう。今までの敵意マシマシな神話生物が相手ではない。おそらく、人間との対立をあまり好まないタイプだと西条は予想していた。


「唯野だけを俺たちの認識から外す。相手は唯野に対して、何かしらするつもりなんだろう。だが、唯野だけが神話生物に睨まれる可能性は低い。だとしたら……睨まれているのは、唯野に力を貸しているナイアという人物じゃないか?」


「ナイア……夢……」


 翔平の頭の中に浮かんできた言葉が、点と点を結んでいくように繋がっていく。最近起こった出来事で、神話生物絡み。そしてナイアまで接触してきた事件。


「───幻夢境ドリームランドだ」


 有名テーマパーク、ドリームランド。そこはその実、夢の世界へと繋がる場所であった。翔平たちのいる世界を『覚醒の世界』と呼び、向こう側を『幻夢境』と呼ぶ。その世界では古の神々が鎮座し、更にその上には神話生物であるナイアがいる。


「ドリームランドだと?」


「あぁ、いや実は……」


 隠す訳にもいかない。訝しげに睨んでくる西条に対して、翔平は起きた出来事と経緯を詳細に説明した。元は西条と藪雨を仲良くさせるためのもの。その最中に起きた、ナイトゴーントと呼ばれる神話生物退治。そして、そのナイトゴーントは古の神々曰く、ノーデンスという神の尖兵だという。


 その説明を聞いた西条は目頭を抑えて項垂れてしまった。


「犯人は絶対にそのノーデンスとかいう輩だろう」


「あっ、やっぱり?」


「当たり前だ。信じて送り出した手下がビデオレターに血塗れの状態で録画されて送り返されてきたようなものだぞ」


「西条がヤバいやつ相手にして内心テンパってら」


 人間を襲おうとしていた神話生物を退治した。聞くだけならいいが、退治された側はというとたまったものではない。その腹いせに氷兎が連れ去られたというのも十二分にありえる話だった。しかも丁寧に記憶処理の嫌がらせまでしてくる始末。穏便な相手ではなく、姑息で悪知恵の働く嫌なタイプな可能性が浮上してきた。西条の心は穏やかでない。


「……いや、待てよ。ナイトゴーントとかいう神話生物は本当に人間を襲おうとしていたのか?」


「襲おうとっていうか……なんか、空飛び回ってたりしてたな。襲うっていうよりは何かを探してる感じかもしれない」


「……穏便なタイプか嫌なタイプかが五分五分だな」


 総合的に判断し、そう結論づける。なんにせよ会ってみないことにはわからないものだ。西条の中で決意が少しずつ固まっていく中で、藪雨は飲み物を口につけながら驚いたように話しだした。


「私たちがデートしてる時に、裏でそんなことやってたんですね」


「依頼の形だけど、断るに断れなかったしなぁ。つけ狙われたのお前らのせいだぞって言えば、あの胡散臭い神様たち武器と防具貸してくんねぇかな」


「神の加護が宿った装備、か。あれば心強いんだがな」


 現状オリジンで支給される装備は、各々の武器とコルト・ガバメント。そして制服の黒い外套と手袋だ。勿論全部技術班による最新鋭の装備であり、外套は衝撃を吸収し、武器なども多少荒く使っても壊れにくい。菜沙が技術班に加わったことで、それらも急激にパワーアップしていた。それでも、神の加護という不可思議な力には適わない。


 西条の武器はオーダーメイド。翔平のデザートイーグルは特別支給。他の人は全て支給品だ。無論氷兎の使っていた槍は菜沙によるオーダーメイドである。


「さてと……話すことは話したと思うぜ。どうするよ、西条」


 一通り話を終え、翔平は両手を組んで西条に視線を送った。送られて本人は、言うまでもないと首を静かに縦に振って答える。


「ドリームランドに行き、夢の世界へと向かう。そこからノーデンスの元へとカチコミをかけるとしよう」


 そう言い終えると、じゃあさっさと行こうぜとばかりに翔平が立ち上がる。しかし西条は座ったまま、落ち着けと翔平に言って無理やり座らせる。出鼻をくじかれた翔平は西条に対して不満げな顔をするも、彼はため息混じりに言葉を返してきた。


「その前に、申請を出さんといかん。でないと武器の持ち出しは不可能だ」


「じゃあさっさと書いちまおうぜ」


「いいや、問題はここからだ。あの木原が俺たちの事情を聞いて唯野を助けに行かせるとして、だ。七草を同行させると思うか?」


「氷兎の非常事態なんだぞ!?」


「だとしても、俺は拒否されると思うがな。行くなら俺とお前の二人で行け、と」


 最近の上司は氷兎、翔平、西条のチームに対して少々不利なことを申し付けたり、また面倒な任務を任せてきたりしている。チームとしての戦力を期待されているのか、といえばそうでもない。どうにも完全に敵視されている気がしてならなかった。その原因の一端には、集合がかけられた時に西条がRTAを走っていたり、それを録画編集している翔平がいたり、氷兎が買い物に行っていたりと、ロクに集まらなかったりするのがあるのだが。


「私は氷兎君を絶対に助けに行きます!」


 桜華は意気込んで彼らにそう伝える。無論、西条とて桜華を連れていかないという選択肢はなかった。なにしろ一般兵ではなくオリジン兵。素の身体能力ならば誰よりも高く、ステゴロでは西条は彼女に勝てないと理解している。


 相手がどんなに硬くとも、威力を内部に伝え、また蹴りひとつで刃の通らない甲殻を破壊できる。武器がなくとも、己の身体が武器になる超戦力。まさしく組織のリーサルウェポンとして相応しい。そんな貴重な彼女を木原が連れ出すことを許可するのか。答えは否だろう。木原なら、氷兎がいなくなったことは手痛いが、これ以上犠牲を出すのもバカバカしいと救出にすら行かせないかもしれない。


「あ、あの……私も、ひーくんを助けに行かせてください!」


 桜華に続いて、菜沙までもが名乗りを上げる。戦闘能力のない彼女まで同行しようとし始め、藪雨は居た堪れない気持ちになっていた。自分の方が戦える。けれど、前の任務で酷い失態を犯してしまった。正直な話、とても怖いのだ。それでも……自分を変えてくれた、救ってくれた人を助けたい。その想いも確かに胸の中にある。


「わ、私もっ……今度は、私がせんぱいを助けます!」


 この場にいる総勢五名。それなりの実力者も中にはいる。助けられるかどうかという話は置いておき、勝てない神話生物を除けば多くの神話生物に対して有利に戦えるだろう。心強い味方である、が……。


「藍、そして高海。お前たちは留守番だ」


「なっ……菜沙さんはともかく、私もダメなんですか!?」


「当たり前だ。正直に言わせてもらえば、完全に足でまといになる」


 藪雨も菜沙も、それが事実であることを自覚しているのか歯を食いしばってグッと堪える。それでも菜沙は諦めきれない。大切な幼馴染を、大好きな幼馴染を助けたい。その想いだけはこの場にいる誰よりも強い。けれど、西条は彼女を押しとどめる。


「第一、今までで一番強い相手になるかもしれんのにお前たちを連れて行けるわけがないだろう。高海に何かあったら、仮に唯野を救出できたとしてなんと言えばいい?」


「そ、それは……でも、私だってもう待ち続けるのは嫌なんです!」


「お前は、唯野にとって帰るべき居場所だろう。迎えに行く側じゃない。我慢して、ここで待っていろ」


 そう言われても、もう待ち続けるのは嫌だった。彼女は目元に涙を薄らと浮かべながらも、両手を握りしめて泣くのを堪える。その執念深さには西条も半ば呆れが混じっていた。何がどうなったら、こんなにも執着心が強くなるのだろう。独占欲もあるのだろうが、それよりも強い離れたくない想いがある。まるで透明な鎖で結ばれているかのようだ。赤い糸、なんてものではない。


「……私って、やっぱり足でまといですよね。そりゃ、戦い慣れとかしてませんし……」


 藪雨も足でまといと言われて流石にしょぼくれている。事実は事実だ。それを隠しもせずにハッキリと伝えられるのは西条の美点でもある。しかし、どうしてそう思ったのかを伝えきれないのは彼の欠点だ。それを理解している翔平が間に入って、藪雨に慰めの言葉を告げる。


「まぁ、確かにそうかもしれないけどさ。西条だって心配なんだと思うよ。そうだろ、西条?」


「……ここで残って、高海を見張っていればいい。無理に戦う必要もない」


 小さなため息とともに、彼の口からは言葉が漏れ出していく。自分の気持ちを伝えられるようになってきたのは、紛れもなく彼が成長している証拠なのだろう。


「俺は……お前を守って戦えるほど自信はないからな」


「薊さん……」


「俺は確かに強いが……それは個として、守る必要がない状況下だからこそ強いのであって、これが防衛戦になれば俺の手には負えん。そういうのが得意なのは唯野だ」


 西条は完全に攻撃一辺倒。翔平は援護射撃でサポート重視。そして氷兎は臨機応変に対応して攻撃にも守りにも転じる。そもそも、西条が氷兎に戦い方を教えたのも、誰かを守るための力をつけさせるためだ。その点、氷兎はかなり優秀だった。今となっては魔術もある。誰かを守りつつ戦うのは三人の中では一番得意であった。


「敵は、強い。それこそ無傷で生還なんてのは難しいのかもしれん。俺は不安な要素はできる限り減らしたいんだ」


「回りくどいねぇ。要するに、藪雨が心配でたまらないってことだ。嬉しがっとけよ」


 ニヒヒッと翔平が藪雨に笑いかける。藪雨も、その言葉が真実なのを受け止めて、この場で待つことを選択した。それぞれの想いが交錯する中、ようやく話は纏まる。あとはどうやって木原を出し抜き、桜華を連れていくのかだ。


 それこそが最も難関かと思われたが、菜沙が自ら進んで彼らの装備の調達を申し出る。彼女の所属は技術班であり、またその中でもかなり特異な位置にいる。


「私が夜までに皆の装備を作ります。だから……ひーくんを、絶対に助けてください」


 彼女は自分の起源を説明した。彼女自身の起源は『創造』であり、他の技術班と違って『有』から『有』を生み出すのではなく、『無』から『有』を作り出すことを可能にする。錬金術真っ青な不等価交換だ。勿論彼女はそれなりに疲れも溜まるし、考えの及ばないものは創ることができない。それでも、この場にいる全員の装備を整えることは可能だった。


「ならば、これで唯野の救出に行けるな」


「……ぜってぇ助けてやるからな、氷兎」


 やる気を滾らせる男二人。そして同行する桜華も、胸に手を当てて瞳を閉じる。思い描くのは氷兎の姿。彼の無邪気な笑顔を見てみたい。また一緒に笑いたい。これからも、一緒にいたい。だからこそ……。


「……今度は、私が氷兎君を助けるよ」


 だから、待っててね。そう小さく彼女は呟いた。


 これ以上できることはない。気持ちも準備も十分だ。


「唯野の救出作戦は今日の深夜決行だ。ドリームランドに侵入して、夢の世界へと向かう。失敗は許されんぞ」


「おうッ!」


「はいっ!」


 大切な友のため。大切な人のため。例え相手がどれほど強大であろうとも、その足を止めるに値しない。氷兎救出作戦は、まもなく始まろうとしていた。




To be continued……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る