第109話 帰路を見つめる影


 観覧車の動作不良についての謝罪がドリームランド中に響き渡っている。それを聞き流しながら、西条と藪雨は出入口に向かって歩いていた。時間もちょうどよく、はしゃいだせいか疲労もあった。十分楽しめたし、観覧車を最後にしようと言ってもいたのだ。帰ろう、と言い出すこともなく、ただ少しの名残惜しさだけを漂わせながら歩みを進めている。


「………」


 はて、そういえば……っと西条は唐突に思い出した。カバンの中には櫛が入っているのだ。藪雨に皮肉たっぷりに渡すためのプレゼント。けれども、どうしたものか。どうにも渡す気が起きない。


 別に、渡す必要もないのだが。ただどうにも落ち着かない。最初から騙すつもりだったとはいえ……こうなってしまったのだから。


 悶々と悩みながら歩くうちに、とうとう出入口の近くにまでやってきてしまう。そして目に入ってくるのは、子連れの親子たちが近くの店から、クマのぬいぐるみが入った袋をこさえて出てくる様子。


「……藍、少し待っていろ。買い物をしてくる」


「あっ、お土産ですか? 私も買います!」


「……そうか」


 少々眉をひそめた西条だったが、別にお土産を買う気は更々なかった。当日の全員ドタキャンといい、白々しい連絡といい、そして思い返してみれば氷兎のまるで商品紹介をするテレビ通販のような態度があまりにも違和感を覚えさせる。間違いなく、これは仕組まれていたことだ。


 普段ならば二人の頭を捕まえてぶつけさせるところだが……今回は別にしなくてもいい、と思えていた。なにしろ、少しだけ普通の人間らしく楽しめたのだから。けれども騙したことに関して仕返しは必要だろう。お土産はなしだ。


「……痛手ではないが、物価が高いな」


「そりゃあ、楽しさ補正もかかって多少高くても買っちゃいますからねぇ、こういうの」


 お土産屋のぬいぐるみの値段を見て、なんやこれぼったくりやろ、と西条は目頭を抑えた。けれどもそれが遊園地やテーマパークというもの。藪雨がお菓子を見ているうちにそっと離れていき、値段が張るものの中でも更に値の張るアクセサリーの類を見ていく。


 けれども、いざ何を買おうかと悩み始めるも、どれがいいのかさっぱりわからない。アクセサリーは、贈るものによって別の意味を持ち合わせると聞きかじった覚えがあるが、そんなもの覚えてはいない。世間知らずな西条にとって、贈り物とは少々難易度が高かった。


「……どれも幼稚だが、楽しさ補正や思い出補正というものがあれば、多少はマシに思えるだろうか」


 並ぶアクセサリーの中からひとつ、普段つけるのにも困らず、また藪雨のつけていないものを選ぶ。そしてバレないようにレジへと持って行き、清算を済ませたら何食わぬ顔で藪雨の元へと戻っていく。彼女は戻ってきた西条を見て、両手に持ったお菓子の缶詰を見せながらどっちがいいかと尋ねてきた。缶詰の中身はチョコかクッキー。どちらも定番のお土産だろう。


「……どちらかと言えばクッキー、だな」


「ほほう、その心は?」


「紅茶にも珈琲にも合う……そうすれば、皆でゆったりと食えるだろう」


「なんだかんだ、薊さんってせんぱいたちのこと好きですよね」


「……嫌いではない」


 視線を逸らす彼を見て、藪雨はひっそりと頬を染めるのだった。


 そうしてお互いの買い物を済ませ、彼らはドリームランドから外に出た。辺りにはまだ人が多い。これから帰る人だらけで、駅の方面は人の行列になっている。流石は有名なドリームランドといったところだろう。


 騒がしい遊園地から抜けて、同時に気も抜けたのか。藪雨はぐーっと身体を伸ばし、気持ちよさそうな声を出しながら空を仰いだ。星は少ししか見えないが、それでも綺麗だと思えるのは、まだ心が楽しんでいる最中だからなのだろう。


 そんな彼女を見て、ポケットの中に突っ込んだ袋を触る。先程買ったアクセサリー。渡そうにも、どうにも中々踏ん切りがつかない。何をモタモタしているのか。そんな自分に少しばかり憤りを感じつつ、最終的に選んだ方法は……袋を藪雨に突き出すような形で、ぶっきらぼうに差し出すという方法だった。無論、藪雨もそんなふうに差し出されては困惑するというもの。


「えっと……これは?」


「……つまらん話を聞かせた詫びだ。いらなければ捨てておけ」


「捨てておけって……」


 そう言いながら苦笑いを浮かべて受け取る。袋を丁寧に開封して、中身を取り出してみれば……薄い桃色の板にトレードマークの刻まれたネックレスが入っていた。流石にこれには目を見開いて、彼女は西条に詰め寄っていく。


「ちょっ、薊さん!? 詫びにしては高すぎません!?」


「いらなければ捨てろと言ったが?」


「い、いやいらないとかじゃなくてですねぇ……」


 目の前の男から贈り物をされるだなんて思ってもいなかった。そんな様子を隠す気もない藪雨を見て、西条はそっぽを向いて視線から逃れる。


「……初の試みだったのでな。無難なものを選んだつもりだが」


 そう言って照れ隠しのように頬を指で掻く西条を見て、また一気に心拍数が跳ね上がっていく。貰ったネックレスをもう一度見てから、袋から取り出し、自分でつけてみる。気温のせいか、触れる金属部分が冷たくてくすぐったい。それでも、胸元に垂れ下がるその桃色のネックレスを触りながら……見たこともないくらいに破顔させる。そのあまりにも幸せそうな顔に、また西条も自分の脈が早くなるのを実感した。


「ありがとうございます、薊さん。これ……大切にしますね」


 えへへっと笑う彼女から、どうにも視線が逸らせない。ただどうしようもないくらいに暴れだしそうな心臓を抑えつけるように、ポケットの中に手を突っ込んで見えないように拳を握る。


 不器用で、他者との関わり方を歪めてしまっていた二人の恋路は、まだ始まったばかりだ。





〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜





「甘ぁぁぁいッ!!」


「先輩、周りの視線が痛いんで叫ぶのやめてくれませんか」


 一方こちらはまた別の先輩後輩チーム。離れた場所から二人のやり取りを見ていた鈴華は発狂。服装が元に戻って、チャラ男スタイルの彼は帽子を脱ぐと、つばの部分を手で持ってサイドスローの構えをとる。黄色の熊から元に戻った氷兎は、流石にそれを止めに入った。


「ちょいちょいちょい、今いいとこなんですから! せっかく報酬で観覧車止めてもらったのに、そのムードぶち壊す気ですか!?」


「いいや、止めてくれるなよ氷兎! だって、おかしいだろ!? 確かに当初の予定通りだよ。でも……俺たち特に何も得を得ていないというか、そろそろ何か良いことあってもよくない!? あんな血みどろな争いを勝ち抜いたんだぜ!?」


「まぁ確かに軽く二十以上は殺ったと思いますけど、今は西条さんの幸せを願ってですね……」


「あんなストレスだらけな仕事してこんな甘々なシーン見せつけられてみろ! 年末バイト帰りに姫はじめの会話をするカップルを見た時と同じくらい苛立つに決まってるだろ!」


「ストレスだらけって、先輩あまり仕事しなかったじゃないですか! SNS見てくださいよ、プニキが建物から建物を跳んで移動する動画アップされてるんですよ! どうするんすかこれ!」


「じゃかしいわ!! こちとらなんとかシャツ一枚くらい透過できないもんかって試行錯誤して結局見えなかったんじゃい!!」


 売り言葉に買い言葉と言わんばかりに、二人の口喧嘩が続いていく。言っていた通り、鈴華はあまり仕事をせず……というよりかは、現実世界ではあまりボールを投げられなかったので、仕方なく氷兎が建物間を跳び回ってナイトゴーント相手に空中戦をふっかけていただけなのだが。


 SNSに動画がアップされているが……経営者が神話生物なので大丈夫なのだろう。いや、神話生物の段階で何一つ大丈夫じゃなさそうだが、触らぬ神に祟りなし。面倒ごとは全て投げ捨てて逃げ帰らんとばかりに氷兎と鈴華は帰ってきたのだ。仕事の報酬は観覧車の一時停止。流石に武器と防具、魔術は貰えなかった。


 ともかく幻夢境の古の神々たちは人当たりが良い……という訳ではなく、単に氷兎がナイアの客だからという理由で良くしてもらった訳だが、人に危害を加える様子もない。こちらからも手を出す理由もないので、とりあえずやるべき事はもうないはずなのだ。


「先輩、野暮なことはよしましょうぜ。せっかく西条さんが人並みの普通の幸せを手に入れられそうなんですから」


「ぬぐぐっ……お、俺だってなぁ……素直に拍手したいけど……けど、けどぉ……」


「はいはい。先輩にもいい人がそのうち現れますよ」


 目深に帽子をかぶり直した鈴華の背中を、氷兎が優しくさすり始める。サングラスのせいでよく見えないが、恐らく薄らと目の下に涙でも浮かべているのだろう。余程鈴華は女性との縁が羨ましいらしい。


 そんな彼から視線を逸らし、初々しいあの二人へと視線を戻す。背の高い西条が藪雨の頭をガシガシと抑えつけるように撫で始め、藪雨はどこか嬉しそうに反抗する。


 片や孤高を貫き、他者との関係を絶った者。片や、人々に愛想を振りまき、己を騙し続けて耐えていた者。違うようでいて、少し違えば似たような結末を辿っていたであろう二人。どちらも自分ではどうしようもない理不尽を抱え、巡り合った。せめてここでは、その他者に対する嫌悪感を和らげ、安らかに過ごして欲しい。そう氷兎は願っていた。


「そういえば、先輩は贈り物のネックレスにどんな意味があるのか知ってますか?」


「んー、なんだっけな。独占欲?」


「えぇ。『貴方とずっと一緒にいたい』だとか、そんな意味があるみたいですよ」


「へぇー」


 視線の先にいる彼らは並んで帰路を歩き出した。その様子を見つめている氷兎と鈴華は、甘ったるいため息をつくだけだ。


「なぁ氷兎。西条は知らねぇだろうけど……藪雨は知ってると思うか?」


 その言葉に対し、氷兎は当然でしょうっと頷いて返した。


「アイツは馬鹿ですけど……女の子ですよ?」


「ひひっ、それもそうか」


 それは当人にしか知る由もないことだが。けれども並んで歩く二人の間に、しっかりと繋がれた手があることが……きっと答えなのだろう。








 ───そんな彼らの様子を空から見下ろす翁がいることに、誰も気がつくことはなかった。






To be continued……

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