第91話 女の子の連絡先

 昨日も。今日も。そして明日も。僕は君と一緒に学校に行って、他愛もない話をするんだろう。机に座って互いに向き合い、なんてことはない変な話で笑うんだろう。そう、今みたいに。


「ねぇコウ君。コウ君はどんな服が好き?」


 昼休み。窓際にある僕の席の一つ前の席に、君は反対向きで座りながら尋ねてくる。にしても、服か。僕はそれといった好みってものがある訳じゃないし……かといって露出が多けりゃいいってものでもない。確かに露出が多いと目がいく。けどそれは男の性だ。どうにもならないことだし……他の人にもそう見られるわけだから、やっぱり外に着ていくのだとしたら露出の少ない格好がいいんだろう。


 君はそそっかしいからなぁ……。ワンピースはない。いやそれより、おとなしい感じを出させた方がいいかな。ちょっと長めのスカートとかいいんじゃないだろうか。


「そうだね……。こう、清楚系っていうのかな。おとなしい感じがいいね」


 ……おかしいな。なんだか特集で童貞の特徴として清楚系を推すみたいな話があったような……。いや別に、いいじゃないか。清楚系。うん、淫らな人よりよっぽどいい。


 にしても、なんで今になって服装について聞くんだろうか。校外学習は制服だし……。


 ……まさか。


「そっかぁ、清楚系かぁ……。私似合うかなぁ」


 生唾を飲み込む。気がついた途端に寒気がして、背筋に稲妻が走ったような感覚があった。俺はなんとも思っていない。そう信じ込ませながら、震えそうになる声を必死に抑えて君に尋ねてみる。


「……僕の意見なんか聞いて、意味はあるの? 僕の好みと君の好きな人の好みは別物だよ」


 周りで聞いている人がいないか確認しながら聞いてみた。すると君は照れくさそうに笑いながら僕に言う。


「えへへ、やっぱりそうかな? でも、コウ君のセンスならきっと響くんじゃないかなーって思って。私がこういうこと聞ける男の子って、コウ君だけだし」


 柔らかそうに動く唇。細められた目についている長いまつ毛。そんな君をまじかで見られるのは、僕だけだ。そう思っていたんだ。だというのに……君のその唇も、仕草も、手の温もりも。きっと何もかもなくなってしまうんだ。


「……コウ君、どうかしたの?」


「えっ、あ、いや……なんでもないよ」


 自分でも訳がわからないくらい、手に力が入っている。本当に、訳わかんない。だって僕は努力した。体力もつけたし、なよなよしく見られないように筋肉だってつけた。見ただけじゃ身体が細いからわからないけど、腹筋は割れてるし、握力だって体力テストで余裕で10点取れる。


 それなのに……何が足りないの。僕には、君にとって何も魅力がないのか。昔の弱い自分じゃ、君の隣にいられないと思ったからこうして強くなったのに。受動的だった自分をやめて、色々と積極的になったのに。君の為に……頑張ったのに。


「……明日香は、どうして……いや、どういう経緯があってその人のこと好きになったの? 名前も何も教えてくれないし、アドバイスしようにも相手のこと探れないしさ」


「うーん、恥ずかしいから名前はなぁ……。でも、気になり始めたのは文化祭の準備の時かな。一人で黙々とやるような人だったんだけど、話してみたら結構面白くてさ」


「……そっか」


 文化祭、か。確かに彼女とはクラスが違うから、文化祭の準備は一緒にできなかった。けど、準備が一緒ってことは……同じクラスか。一人で黙々とやるってことは、そこまで陽キャでもないんだろう。


 それなら目星はつけられる。今度少しだけ探ってみようか。ソイツがどんな男で、どんな生き方をしてきたのか。もし仮になんの努力もしていないような男だったら……きっと僕は頭がおかしくなる。なんの努力もしないくせに、そこにいられるのかって。


「告白、しないの?」


 途切れそうになる言葉を繋ぎ合わせ、君に尋ねた。君は両手を振って、慌てて僕から視線を逸らす。


「無理無理無理! だってその……まだ、そこまでじゃないっていうか……」


「……服の好みを聞いてくるってことは、遊ぶ約束とかしたんじゃないの?」


「い、いやその……ほ、ほら! 今のうちに好みっぽそうなのに慣れておいて、当日慣れない服装で緊張しないようにしたりとか……」


「……告白は、だいぶ先だね」


 笑いながらそう言った僕の心は、ホッとしていた。いつかその好意の先が逸れてくれないか。何か幻滅するものでも見て、その彼のことを嫌いになってくれないか。いっそのこと……事故にでもあって死んでくれないか。


「─────」


 ……馬鹿みたいだ。もし心が読まれていたら、きっと僕が幻滅されてる。


 なんか、もう……嫌だなぁ……。


「……コウ君、大丈夫? なんか顔色変だよ?」


「……ううん、大丈夫だよ。なんでもないんだ、本当に」


 ……君が好きだから。いつだってその顔を見ていたいし、君と話していたい。こうやって会って話すのもとても幸せに感じているんだ。


 だけど、君の口から彼についての話が出るのは……とても辛い。そしてその彼に対して酷いことを心の中で言ってしまう自分が嫌いだ。


 会いたいのに、会いたくない。話したいのに、話したくない。一体なんなんだ。僕は……どうしたら、いいんだろう。


「……予鈴が鳴ったよ。次の授業の準備しなくていいの? 移動教室でしょ?」


「あっ、そうだった! じゃあ、私戻るね!」


 予鈴が鳴り終えると同時に君は忙しなく教室から出ていった。予鈴が鳴り終えてもなお、僕の心臓は鳴り止まない。あぁ、いっそのこと僕が死んでしまえば……。


「………」


 ……馬鹿馬鹿しい、か。うん、死にたくはない。でももし、僕が死んでしまったとしたら……君は、僕の為に泣いてくれるのかな。





~・~・~・~・~・~・~・~・~・~





 授業が終わって放課後になると、教室は伽藍堂になる。皆は部活に熱心だ。残念なことに僕には部活をやる時間が無い。それに、それほどスポーツとかに打ち込める訳でもない。明日香は今日も、この炎天下の中外でテニスをしているんだろう。熱中症にだけはならないでほしい。


「………」


 この教室には帰宅部は僕だけだから、特に話す人がいない。まぁ、学校に残っていても……明日香のテニスをする姿を遠目で見ることくらいしかやることはない。いや、流石に最近は自重してる、うん。変な気を起こさないうちに家に帰ろう。


 荷物をリュックに詰め込んで、教室から出る。廊下にはまだ、ちらほらと生徒が残っているようだ。あいにく仲のいい友人は残っていない。仕方がない、帰って筋トレしよう。それで夜は軽く走るんだ。


 そんなことを考えながら、どこか浮ついたように僕が歩いていると……曲がり角でちょうど、誰かがぶつかってきてしまった。


「いってて……」


 ぶつかってきたのは女の子だった。これでも鍛えてるから、僕はビクリともしなかったけど……そのせいで彼女は勢いよく倒れてしまったらしい。


「あっと……ごめんね。大丈夫?」


「は、はい……ごめんなさい。ちょうど角になってて気がつかなくて……」


「いや、仕方ないよ。俺も見えてなかったんだ」


 女の子は立ち上がりながら床についてしまった制服をはたいていた。髪の毛はショートよりも少し長めだろうか。黒い艶々とした髪の毛だ。それとちょっと赤みがかった眼鏡が特徴的だろうか。どこの学校にも一人はいるだろう、真面目そうな雰囲気の女子だ。確か……どこかで見たことがある気がする。


「……あの………」


 彼女は訝しげに僕を見てくる。考えながらマジマジと見過ぎたらしい。でも、おかげでようやく思い出せた。


「あぁ、ごめん。どこかで見たことあると思って……。あれだ、明日香のクラスのルーム長さんだっけ」


「あっ、そうです。加賀かが 莉愛りあっていいます」


「加賀さんね。俺は藤堂 袴優っていいます」


「藤堂君……あっ、もしかして明日香さんの幼馴染って藤堂君のこと?」


「まぁ、そうですね」


「なるほど……なんか仲がいいってことで有名ですよね」


「ハハッ……いや、腐れ縁みたいなものですよ」


 ……明日香の話題を出されるとどうにもダメだな。色々と気になって仕方がない。僕はそっと彼女から視線を逸らした。しかし彼女はどうやらまだ会話を続けるらしい。困ったな、と内心ため息をついた。


「そういえば、さっきぶつかった時……なんか凄い硬い壁にぶつかった感じがして……」


「……これでも一応鍛えてるんですよ。筋トレとか走り込みとかやってます」


「えっ、そうなの? じゃあ割と筋肉とかあるんだ……。見た目結構細いのに」


「やっぱ細く見えますか? なんか、どうしても身体の内側に筋肉がついちゃって……」


「……でも、今のままでもいいと思うよ。なんか、ごつくなるよりも今のままの方が、多分うけるんじゃないかな?」


「そうかな……」


 加賀さんはそう言うけれど……僕には到底そうは思えない。だって一番重要な人が振り向いてくれないんだから。


 内心憂鬱になっていても加賀さんの質問責めは止まらなかった。彼女はまだ僕に色々と尋ねてくる。眼鏡の奥の瞳は、なんだか好奇心で輝いているように見えた。


「……藤堂君は今帰るってことは、部活とかやってないよね。なんで筋トレしようと思ったの?」


「ん……そうだな……」


 ……あれ、おかしいな。なんで僕筋トレしようと思っていたんだっけ。いや、明日香に相応しくなるためだってことは覚えてるんだ。でも……その相応しくなろうと思った瞬間の出来事が思い出せない。何か、それは大切な記憶だったはずなのに。


 ダメだ。どうしても思い出せない。あと少しというところで、霧の隙間から見えたものがまた見えなくなってしまう。それに加えて頭痛までしてきた。右手で額を抑えるけど、そんなことで痛みは引くわけがない。僕はなるべく無表情を心がけながら、加賀さんの質問に答えた。


「……忘れちゃったな。なんか、自分の生き方を変えるような出来事があった気がするんだよ。昔の俺って、すごい弱々しかったからさ」


「そうなの? 自分の生き方を変えるって……なんだか凄い事があったんだね。アニメとかでいう、主人公が覚醒するシーンみたいな」


「……加賀さんって、アニメとか見るの?」


「あっ……」


 なんだかまずいことを言ってしまったようで、彼女は慌てて口を閉じた。なんだか意外だ。少女漫画くらいなら見ていてもおかしくなさそうだけど、まさかのアニメか。話の内容からして、今流行りの異世界転生系のアニメとかだろうか。今のシーズン、それくらいしかやってないし。


「意外だね。なんかそういうの見たりしなそうだ」


「……やっぱりおかしいかな」


「いいや、そんなことないよ。明日香見てると、女の子ってこんなにガサツなのかなって思うこと沢山あるし。アイツ教室でもそそっかしくない?」


「……うん。結構元気がある方だと思うよ」


「やっぱり?」


 ……まぁ、なんとも明日香らしい。教室で騒いでいる彼女のことを思い浮かべると、自然と笑ってしまう。まったく本当に昔から変わらない。


「ふふっ……藤堂君って、明日香さんのこと大切なんだね。なんか凄い自然に笑ってるよ」


「そう? まぁ……付き合い長いからね」


 加賀さんもつられて笑っていた。周りを見回すと、人は随分といなくなっている。どうやら結構長いこと話し込んでいたようだ。


「あっ、ねぇ藤堂君。帰る前に、私と連絡先交換してもらっていい?」


「……俺の?」


「うん。なんか、結構話しやすいし……アニメのこと知られちゃったし」


「それは俺のせいじゃないんだけど……」


「い、いいから!」


「ん……まぁいいよ。交換しよう」


 ポケットから携帯を取り出して、互いに連絡先を交換し終える。そういえば……明日香と家族を除いて、女子の連絡先を登録するのは初めてかもしれない。なんだかそう思うと不思議と気分が高まる気がした。さながら童貞のようだ……いや童貞だけど。


 心の中で変なことを呟いていると、加賀さんは携帯をしまって再度僕に向き直った。そうしてもう一度彼女の全体を見てみると……すごいキッチリしている女の子だ。スカートの長さも守ってるし、流石ルーム長といったところか。なんだか仕事ができそうな顔だ。いや、悪くいうわけじゃない。割と整っている方だろう、きっと。


「ありがと、藤堂君。それじゃあ私まだ教室でやることあるから……」


「ん、わかった。それじゃあね、加賀さん」


「またね、藤堂君」


 軽く手を振って彼女は遠ざかっていく。ルーム長というのは忙しいらしい。どこか早歩きでぎこちないけど……焦っているのかな。長々と話してしまったし、きっとやらなきなゃいけない仕事が多くあったんだろう。なんだか悪いことをしてしまったかもしれない。


「……まぁ、仕方ないよね」


 うん、仕方がないことだ。僕は勝手に一人で納得して昇降口まで歩いていく。不思議と今日はいつもより長く走りたい気分だった。





~・~・~・~・~・~・~・~・~・~





「……あの、マスターさん。この店繁盛してるんですか?」


 めっきり客のいない静かなカフェで、カウンター席に座った氷兎は目の前で珈琲を作っている店主であろう少し年を食った男性に声をかけた。店主は無精髭を擦りながら答える。


「最近は客が減ったよ。皆、訳の分からんヒーローが怖くて外を出歩きたくないみたいだ」


「はぁ……そこまでですか」


「アンタ、探偵なんだろう? 何とかならないかい?」


「いやぁ……今のところはなんとも。まぁ仕事ですし、やるだけやりますよ」


 氷兎は出されたカフェオレを今回は何もいれずに、ゆっくりと傾けて飲んでいく。そして数口飲んでカップをテーブルに置くと、少し悩んでから口を開いた。


「グァテマラですか?」


「ほう……。わかるのかい?」


「これでも自分で珈琲を作ったりするんですよ」


「昨日は砂糖とガムシロ大量に入れていたからね。甘めの奴を選んだつもりだ」


 マスターはカウンターの向こう側にある棚に参列された様々な珈琲豆の瓶を見ながら言う。その品揃えの多さに氷兎は舌を巻いていた。羨ましい。率直に心の中でそう呟いていた。


「……暇な時はここに来て珈琲談義をしに来てもいいですか?」


「仕事ちゃんとやってくれるなら、私は何も言わないよ」


「ハハッ、大丈夫です。しっかりやりますよ」


 それからも店内では二人の珈琲についての話や、カフェを営む経緯についての話なんてものが続いていた。収穫は人生についての経験談。事件に関してはまったく情報が集まらなかった。






To be continued……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る