第30話 夜の海

 夜の海辺というのは、少しだけ怖い。いくら星が綺麗でも、どれだけ月が輝いていても、海辺や川の近くというのはなんとなく恐怖に駆られる。


「綺麗だね、氷兎君」


「……あぁ、そうだな」


 手に持っている線香花火がパチパチと輝いていた。バーベキューが終わると、バレー部の皆は遅くなるからと帰っていった。残っているのは、俺達だけ。暗くなってからは、花火をしながらまったりと時間を過ごしている。


「……あっ、ひーくんのが落ちた」


「あらら……負けたか」


 そこそこ大きくなったが、やはり最後には落ちてしまう。菜沙のも中々の大きさだが、七草さんの方が一回り大きい。いや、胸に関しての話じゃない。胸に関していえば一回り所の話ではなくなってしまう。


「……ひーくん?」


「何も言ってないよ」


 察するのが早い。俺に対してだけ読心術でも持ってるんですかね。


「……玲彩さん、遅いね」


「先輩の看病で手が離せないんだろ」


 バーベキューの最中、突如として先輩はぶっ倒れて動かなくなった。熱中症か、それとも他の病気か。なんにせよ、安静にして早く良くなってもらいたいものだ。


 ……しかし、先輩が余所見をしているうちに肉を包んだサンチュにデスソースを半瓶くらい垂らしたのはマズかったか。まぁなんだかんだ言って生きてるだろう、あの人は。素肌にはやってない。約束は守る男だよ、俺は。


「……綺麗だなぁ……」


 七草さんは、うっとりとした表情でずっと花火を見つめている。その顔を見るだけで、やけに心臓の鼓動が早くなる気がした。


 ……君のその表情の方が綺麗だよ、だなんて言う機会があるだろうか。


「ひーくん」


「はい」


 あれだけ早かった心臓の鼓動がピタッと止まり正常に戻る。菜沙の冷たい声がやけに心臓と背中に突き刺さる。幼馴染特権か何かだろうか。どうしても、彼女には逆らえない気がする。


「………」


 波の押し寄せてから帰る音と、遠くから聞こえる車の音。少しだけ静かに思えた。あぁでも、天在村の方が夜は静かだったか。辺境の田舎と発展した街を一緒にしてはいけないか。


「……あっ。私のも落ちちゃった」


 菜沙の線香花火もポトリッと落ちた。最後まで残ったのは一番大きく火花をあげている七草さんの花火だ。勝ち残った彼女は、えへへっと無垢な笑顔で笑う。


「やった、私の勝ちっ! ……あっ」


 喜んだ拍子に体が揺れ、最後の線香花火も落ちた。少しだけしょんぼりする七草さんを見ていると、どうにも庇護欲に駆られる。頭を撫でたら、彼女はきっと笑うだろう。落ちちゃったけど、一番大きかったよと言えば、彼女はきっと嬉しそうに微笑むだろう。


 ……もっとも、そんなことを言えるほど俺に勇気はないが。


「おーい、お前ら終わったかー?」


 後ろの方から先輩の声が聞こえる。生きていたのか。


「終わったなら、七草ちゃん片付け手伝ってくれない? 荷物重たいんだわ!」


「いくら七草さんだからって、荷物持ち頼みますか普通。俺やりますよ」


「お前でもいいが……背中に気をつけろよ? どこからか恨みを持った誰かがお前を蹴り飛ばすかもしれん。例えば、ナンパじゃなかったのにデスソースを盛られた俺とかな」


「えぇ……」


 いやまぁ確かにナンパではなかったが。おそらく俺達が行かなかったら結局アレはナンパになるだろう。皆七草さんのことじっと見てたしな。どれほど目潰ししてやろうと思ったことか。


「じゃあ、私行ってくるね。大丈夫だよ、私強いから!」


「……ごめんね七草さん」


「いいの。だって、今日楽しかったから。……ありがとね、氷兎君」


 小さな声でそう言った彼女は、そのまま先輩の元へと戻って行った。俺も花火のゴミを集めてから戻るとしようか。


「……ひーくん」


 不意に彼女から声をかけられた。しゃがんだ状態のまま、菜沙が隣に近寄ってくる。彼女の腕と俺の腕が当たり、彼女との距離感がいつものように戻った。


「どうした?」


「……ひーくんは、私と一緒にいるのって嫌?」


「……何をいまさら」


 彼女の問いかけを聞いて、呆れた。何年も一緒に過ごしているのに、一緒にいるのが嫌になるわけがない。


 だというのに、彼女は少しだけ俯いてしまった。


「あのなぁ、一緒にいるのなんて普通のことだろ。何年一緒にいるんだよ」


「何年も一緒にいるからだよ。私のこと、嫌になったりしない? 離れたいとか、思ったりしない?」


 普段の彼女よりも、数段声のトーンが落ちていた。それだけ気分がナイーブになっているのか。それとも、夜だからだろうか。夜はなんとなく、気分が落ち込み気味になる気がする。だから、俺はいつものように彼女の頭に手を乗せて何度か撫でてから言った。


「そう思うことはないと思うよ。なにせ、俺が誰かと結婚しても何故かお前が隣にいる気がするからな……。なんとなく、切っても切れない縁みたいなものがあるんじゃないかって思える」


「………」


 頭を撫でるのをやめると、彼女は左手で俺の右手を握ってきた。朝は冷たく感じた彼女の手だけど、今はどこかほんのりと暖かい。少しだけ安心できるような気がする。


「……ねぇ、ひーくん」


「なに?」


「もしも、だよ? 私が誰かと付き合うってなったら、ひーくんはどう思う?」


「……お前が? そうだな……」


 ……今のところ万に一つも菜沙が誰かと付き合う状況を意識しにくいが、まぁ俺が思うことはひとつだろう。彼女の幼馴染として、しっかりと接するだけだ。


「……相手のこと、色々と調べる。それで駄目そうなら、俺はやめておけと言うかもしれないし、それでも菜沙が幸せになれると思うなら、好きにしろと言うかもしれない。まぁ、あれだ……相手が菜沙のことちゃんと幸せにできるなら、俺は何も言うことは無いよ。菜沙が幸せなら、多分きっと俺も幸せだろう。それに……その人と何かあったのなら、俺が真っ先に駆けつけるさ」


 ……実際その時になってみないとわからないが、おそらく現時点だと俺の回答はこうだろう。幼馴染の幸せを願うのは、幼馴染として当たり前のことだろう。


 握られている手が、少しだけキツくなった。菜沙を見てみると、頬を赤くして少しだけ目尻に涙を溜めていた。


 ……俺何かマズイこと言っただろうか。


「な、菜沙……?」


「うるさいバカ。少し静かにしてて」


「あっ、はい」


 涙声の彼女に怒られた。少しだけ萎縮してしまう。


 彼女は涙を拭うためか、俺の右肩に顔を近づけてそのまま埋めこんだ。彼女の息遣いと、キツく握られている右手のせいか少しだけ鼓動が早くなった気がする。


「……お仕事、危険だってわかってるよ」


 くぐもった彼女の声が聞こえる。


「でも……ひーくんがいなくなったら、嫌だから……」


 少しだけ、胸が締め付けられるように苦しくなった。


「だから……ちゃんと、帰ってきて……。それで、貴方の隣にいさせて……」


「……出来る限り、努力するよ」


「……約束。ちゃんと、私の隣に帰ってきて」


 泣き腫らした顔をあげて、彼女は右手の小指を差し出してくる。指切りをしろ、ということだろう。俺も左手を出して彼女の小指とくっつける。


「……ちゃんと、守ってね」


「守るに決まってるだろ。約束も……菜沙も」


「っ………」


 赤かった顔を更に赤くして彼女は目をそらした。こういう反応をする彼女は本当に可愛らしいと思う。誰にでもこんな反応をしたら、きっともっと彼女はモテるだろう。


 ……誰にでもこんな反応をする彼女を見たくはないが。


「……帰ろう、ひーくん」


「ん……帰るか」


「……えへへ」


 前と同じように。俺達の日常がまだ本当の日常だった時のように。菜沙は俺の手を握りながら歩いていく。


 ……ただ、あの時と違うことと言えば、彼女との距離がもっと短くなったことだろうか。


────好きだよ


「……何か言った?」


「……ううん。何も」


 キツく握られた手が、やけに熱を帯びている気がした。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




「……なぁ、氷兎。お前ぶっちゃけ七草ちゃんのことどう思ってるの?」


 加藤さんが運転する車の中で、先輩が聞いてきた。助手席には先輩が、後部座席に七草さん、菜沙、俺の順で並んで座っている。二人とも疲れたのか眠っていて、菜沙は俺に寄りかかるようにして寝息を立てていた。


 ……しかし、いくら何でもそれは今聞くことなのだろうか。例え本人が眠っていたとしてもだ。


「……今聞きます、それ」


「眠ってるんだから聞こえやしねぇよ」


「その恋バナ私も聞いてるんだが、良いのか」


「別に構いやしませんよ」


 俺は構うんですけど、と言いたくなるのを堪えた。もう何を言ってもこの状況じゃ聞かないだろう。


 はぁっ、とため息をついてから先輩の質問に答えた。


「……七草さんのことは可愛らしいとは思いますよ。そりゃ、誰だって見惚れるんじゃないかと思うくらい外見も整ってるし、そんな子に見つめられたり手を握られたりしたら、そりゃ赤くもなりますよ」


「……好きなのか?」


「さぁ、どうでしょうね……。自論なんですけどね、可愛いから好きになるんじゃなくて、好きだから可愛く思えるようになりたいんですよ。だから正直、七草さんがどっちなのかなんてわからないんですよね」


「……外見が異議もなく可愛らしいから、好きで可愛いのか、可愛いから好きなのかわからないってことか」


「そういうことです」


 傍から見ても、いや誰から見ても、七草さんは可愛らしい。今まで夢に出て来たどんな人よりも、今まで会ってきたどんな人よりも、彼女は可愛らしい。それは確定的に明らかだ。


「……なら、菜沙ちゃんは?」


「菜沙は……また別でしょう。そういったもんじゃないんですよ。隣にいるのが当たり前というか……言葉にしにくいですけど、そういったものなんです」


「……はぁーーーっ………」


 前の座席からとてつもなく長く深いため息が聞こえてくる。一体俺の答えの何が悪いというのか。


「もういい。お前には一旦幼馴染が何たるかを教えなきゃならんようだな。決めたぞ、明日俺と出かけるから予定空けておけよ」


「そんな急な……」


「……また私が運転か?」


「いやいや、流石に明日は自分の車で行きますよ」


「……そうか」


 少しだけ残念そうな加藤さんの声が聞こえる。なんだかんだ言って、加藤さんって先輩のこと好きなんじゃないかな。


「……そういえば先輩、デスソース平気でした?」


「ばっかお前、不意打ちで死ぬかと思ったわ。まぁおかげで加藤さんの柔らかい膝枕堪能できたからいいけど、できてなかったら今頃お前の背中には蹴り跡がついているだろうよ」


「……ッ!! な、何を言ってるんだ君はッ!?」


「うおっ、ちょっ、加藤さん前見て前!! 運転しっかりとしてくださいよ!!」


 急に荒々しくなった運転に悲鳴をあげながら、俺達はなんとか生きてオリジンへと帰り着くことが出来た。流石にもう疲れた。今日はゆっくりと眠れる気がする。



To be continued……

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