第22話 先輩の片鱗
……冷たい。確か今は夏だったはずだ。なのに、まるで氷を直に触っているみたいに冷たい。心地よいはずなのに、鼻につく匂いのせいでそれを快適だと感じない。
「っ……ここは……?」
目を開くと、目の前の景色はまったく見たことがない場所だった。床はコンクリート、家具なんてものはなく目の前の部屋とは鉄格子によって隔離されていた。天井も低く、立つことは難しいだろう。向かい側の部屋には俺達が持ってきた荷物が乱雑に放り投げられ、看守用の椅子と机が置かれている。薄暗い部屋を灯しているのは、LEDなんてものではなく油を使った旧式のランプだ。
「……よぉ。起きたか」
隣から声が聞こえ、振り向くとそこには頬に赤い掌の形が残ったまま苦々しい顔をしている先輩と、済ました表情のまま周りを観察している加藤さんがいた。なんで頬が赤いんだろうか。
「どうやら、捕まったらしいな」
「捕まった……? ……あぁ」
ようやく頭の中で情報が整理できた。昨晩、でいいのか。ともかく民宿で出された夜飯を食べたら、身体が痺れて動かなくなったんだったか。まさか薬が盛られているとは。しかし……何故身動きを封じるだけにしたのだろうか。薬を盛るなら毒薬でも混ぜればいいものを。
……殺せない理由があった、とか。いや、情報が少なすぎて何も考えつかないな。
「……そう言えば、加藤さんも自分達と同じところにぶち込まれたんですね」
「えぇ……。まったく酷い連中だよ」
やれやれ、といった様子で特に堪えてはなさそうだ。流石何度も修羅場をくぐり抜けたであろう大先輩だ。この程度なんともないのだろう。きっと何かしら打開策も考えているはず。
しかし……その……加藤さんは大丈夫だったんだろうか。いや、だって俺達は麻痺薬みたいな物を使われたわけで……その……身体に何かされたりとか、してないんですかね。
そんなことを考えていた俺の肩に、先輩がポンッと手を置いて口元をニヤリと歪めながら言った。
「……安心しろ、氷兎。今お前がおそらく考えていることは既に俺が質問した。そして派手にビンタされた。のび太さんのエッチ並の高威力だった」
「何に安心しろと言うんですかね……? まぁともかく、無事で良かったですよ」
「ふん……。別にいい。ジジイどもにその気がなかっただけだ」
……なんだか加藤さんが拗ねている気がする。あれか。襲われなかったのはよかったけど、襲うほどの価値がないのではと内心不安なのか。見てくれは美人なのに、なんでなんだか……。どこか欠けてるというか、なんというか……。
「……いい機会だ。連中もいないし作戦会議を兼ねて唯野君が集めたという情報を共有しよう」
「……この状況でですか?」
「この状況だからだよ。焦っても何も出来ない。出ることも今は無理。なら、今後どうするのかを話し合って決めるのが一番よ」
「それが無難ですかね。んじゃま、氷兎。昼間別れたあと何があったのかを教えてくれ」
先輩に言われた通り、あの後何があったのかを説明し始めた。花巫さんの場所に行ったこと。村長が人を集めて会議を開いたらしいこと。そして……花巫さんの祖父との会話のことを。俺のその説明を聞いた先輩は声を大きくして怒った。
「はぁ!? 自分の孫娘を生贄にされるってのに黙って見てるどころか加担するだと!?」
「……バケモノがバケモノなら、そのバケモノと一緒にいる人間もロクでなしか。流石に、放ってはおけないわね。神話生物がいるって時点で逃す気もないけれど」
「……まぁ、これがざっくりとした説明です。自分としてはなんとしてでも天上供犠を止めたいんですけど、そうなると神話生物との戦闘になります。おそらく洞窟内部では戦えないでしょう。その辺どうしましょうか」
「別に気にすることは無い。自分が助かりたいから子供を生贄に選ぶなんていう屑は気にかけるだけ無駄よ。村中使って戦うしかないわ。それで……必要ならば口封じかしらね」
「……口封じって、本気でやるんですか?」
俺の時には何も無かったが、ここまでの集団単位では流石に口封じをしないといけなくなるのか。個人の監視ならともかく集団の監視は不可能だ。俺の疑問に対して加藤さんは答えた。
「唯野君。悪いけど、私達は正義の味方ではなく『人間』の味方なの。それが今の人の世を混乱させるのなら、私達は口封じとして何らかの処置を取らないといけない。金で封じるか、人質か……殺しか」
「……先輩は、知ってましたか」
「……話だけは、なぁ。俺がそんなことやることになるなんて考えなかったから、記憶の隅に追いやったけど」
単に忘れていただけじゃないのかこの人。しかしまぁ……正義の味方ではなく人間の味方ときた。それはつまり、正義ではない悪の手を使う可能性もあるということ。もっとも、正義の味方なんてものは存在しないと思うが。
「……私達は、世界を守らないといけない。あの神話生物達から。だから特例として、私達には『殺人』すらも許可されている」
「……ッ」
「当然、無闇な殺しは処罰ものよ。けど……相手がこの世界を混乱させたりする要因となったり、神話生物と手を組んでいたりした場合、私達は人を殺せる権利がある。唯野君、君も直に分かる。何かを護るために殺すのは、仕方のないことなんだって」
……殺人は、紛れも無く悪であろう。人殺しを正義の味方はしてはいけない。正義の味方は……敵にすら情けをかける。では、正義とは何か。それは道徳的な正しさだ。そしてそれは……時と場合で異なってしまう。完全に固定化された概念ではない。
殺人を正義とし、正当化するなんてのは間違っている。それが例え何かを護るためだとしても……。
「……まぁ、そうなる事態にしなけりゃいい話だ。でしょう、加藤さん」
「そう簡単にいくものでもないけどね」
……加藤さんは、もう既に人を殺したことがあるのだろうか?いや、あってもなくても、俺は彼女をどうこう思うようなことはないが……非日常に慣れてない俺からすれば、俺の倫理観や道徳観もこっちの世界では使い物にならなくなるのかもしれない。
「……誰か来たな」
加藤さんのその呟きを聞いた俺と先輩は耳を澄ませた。遠くのほうからカツン、カツン、と硬い靴で降りてくる音が聞こえる。そして、この独房と思わしき部屋の唯一の出口であった扉が開かれ、見知った顔が俺達の前に現れた。
「起きたのか。随分と早いな……」
「……村長。どういう事なのか、説明していただけますよね」
入ってきたのは、村長と他数名の男達だった。全員悪びれる様子もなく、ただただこちらを見下ろしてくる。その中に花巫さんの爺さんの姿がないのが幸いだが、にしてもまさか薬まで盛ってくるとは。村長が一人前に出て、地面に膝をついている俺達を馬鹿にした目つきで話しかけてくる。
「アンタらは知りすぎた。この間現れたあの男の同僚だと聞いた時から警戒はしていたが、よもやここまで探られるとは思わなかった」
「やはり殺したのはお前達か。大方、私達と同じように料理に薬を混ぜてバケモノの餌にでもしたか。そうであるならば、あの洞窟の中に手帳が落ちていたのも納得がいく」
「そうだ。だが、それを今確認したところで何になるというのか。儀式は間もなく行われる。その後、アンタらは次の生贄になるのだ。これで、我々の代は安泰だな」
目の前の男はニヤリと笑って俺達を見下した。負けじと睨み返したが、こちらは立つことすらままならないほど小さな牢屋の中。座ったままでは睨み返しても効果は薄かった。それでも我慢ならないのか、先輩が村長に向かって怒鳴りつける。
「あの娘を生贄にしてアンタら何も感じねぇのかよ!! こんなの、おかしいだろうが!!」
「……生きるために産まれた命を、殺すために生かすなんてことが許されていい訳がない。あの娘を、花巫さんを解放しろ。あんなにも優しい子が、不幸になるのはあまりに理不尽だ!!」
俺も男達に向かって怒声を発したが、男達は何も感じておらず、それの何が悪いのかといったふうに笑った。その目つき、態度、声音。彼らは本当に罪悪感を欠片も感じていないようで、握りしめた両手で今にでもぶん殴りたくなってくる。
「なに、聞こえんなぁ。俺たちゃ必要なもん貢いで細々やってんだよ。報われて当然だろ。あんな苦労も知らんガキに俺達の何がわかるってんだ」
「ガキはどっちだ!! テメェらあの娘の何を知ってるって言うんだよ!! 何も知らねぇだろ!? どれだけ苦しんだかも、どれだけ悲しんだのかも、それを知ろうとする気もないくせにあの娘を笑う権利が、テメェらに有っていいものか!!」
「黙れクソガキが!!」
鉄格子に近づいていたせいで、男の足が腹に勢いよく叩き込まれた。入った箇所が悪かったのか、息ができなくなってそのまま前に倒れることしか出来ない。
本当にふざけてる。花巫さんの苦しみも、何も理解しようとしないくせに。死を彼女に押し付けているくせに。なんでこんなヤツらが、のうのうと生きてんだよッ……。
「くっ、そがっ……ぁ……」
「唯野君ッ!!」
「っ……ふざけんのも大概にしろよアンタらッ!!」
先輩が鉄格子を掴んでガンガンッと揺らすが、先輩も蹴られてしまったようで、苦しそうなうめき声が聞こえてきた。身体はうまく動かないが、あぁそれでも今この手に銃があったのならば、俺は……
……俺は、どうする……?
「そこまでにしておけ。死なれたら生贄の意味が無い。時間もいい頃合だ。そろそろ花巫の孫も準備が出来ただろう」
村長のその言葉で男達は扉を開けて出ていった。村長は最後まで残っており、蹲っている俺達を
「お前みたいのが来なかったら、あの娘も何も感じず死ねただろうになぁ。あぁ、可哀想に……」
「ッ……待てよ……おい……待てってんだろうがッ……!」
苦しくてもなんとか声を出して村長を引き止めようとした。だが、俺達に見向きもせず村長は部屋から出て行った。足音が遠ざかっていく……。
「あの、クソ野郎ッ……」
「あまり喋るな! 余計に痛むよ!」
「……アイツら、絶対目に物見せてやっからなぁ……」
動けない俺と先輩の腹を優しく撫でるようにする加藤さんにお礼を言いながらも、二人してあの男達に毒づいた。なんとかしてここから抜け出して花巫さんを助けなくては……。しかし、俺たちを閉じ込めているこの牢屋は鍵こそないものの、出入口の部分が鎖と南京錠によって開かなくなっている。
独房の外の空間には、俺達の荷物が一式雑に投げ捨ててある。せめてあそこにある荷物さえ取れるのなら、何とかなるかもしれないのに……。手を伸ばしても、絶対に届く距離ではない。
「……いってぇなぁ……絶対痣になるぞコレ」
「回復、早いですね……」
先輩は既に起きても大丈夫なようだ。俺は未だに腹を抱えたまま前傾姿勢をやめられない。加藤さんも周りを見て何か使えるものがないのか探っているが、何も見つけられなくて顔を顰めていた。
「なんとかしてここから出ないと……」
「加藤さん、魔術でどうにかならないんすかね?」
「私の『魔術』はね、火種がないと使えないの。無から何かを作れるほど凄いものじゃないのよ。私が使ってた剣あるでしょ? あれ、強く握ると内部で火花が散る仕組みがあってそれで火を使ってたのよ」
聞きたくもなかった事実だった。魔力を元にして何かを発生させるのではなく、ただ単に元になる火力を底上げする能力だったのか……。じゃあ、なにか火元があれば魔術は使えるのか。そう思って石かなにかないかと思ったが、本当に何も無かった。これでは火花すら散らせない。
「……アイツらが手荷物検査をしないバカで助かったぜ」
そういった先輩は徐ろに着ていた上着を脱ぎ出した。加藤さんが顔を赤くして、なっなぁっ……なんて、言葉にならない声を発している。この人漢気あるくせに初心なのか……。
「……えぇ……」
口からそんな呆れたような声が漏れた。先輩が上半裸になると、身体にベルトが巻き付けられていて、そこに取り付けられたホルスターには銀色の銃……デザートイーグルが入っていたのだ。それを指さしながら得意げに先輩は語る。
「愛銃ってのはな、肌身離さず持っておくものだぜ?」
「……ここに来て初めて尊敬しましたよ」
「何気に酷いこと言うね!?」
いや、流石に呆れもするだろう。まさか本当に肌身離さず持っておくとか、ちょっと考えにくい。しかも身体に巻き付けておくとか、生活しにくそうな上に暴発したらヤバイ代物だというのに。
「おし、ちょっとどいてろ」
そう言われた俺と加藤さんは、なるべく先輩から離れた位置で待機した。先輩は片膝を着いて両手でしっかりと銃を持ち狙いを定めた。
ここ最近聞き慣れた火薬の弾ける音が二度響く。そして鉄の擦れる音とともに牢屋を閉めていた南京錠が破壊された。
「……すごいな。流石だな鈴華君、おかげで助かったよ」
「……いいセンスだ」
「褒められても、リロードはレボリューションできないぜ?」
そりゃそうだ。先輩のはハンドガン、本家のはリボルバーだ。リロードの仕方から違っている。
しかし、そう言ってニヤリと笑った先輩を見て、やけに格好よく見えた気がした。あくまで気がしただけである。すぐにいつもの表情に戻った先輩に続いて、独房の外へと出た。各々自分の荷物を装備して、準備を整えていく。黒の外套を身に纏い、背中に槍を括りつけ、ホルスターにはコルト・ガバメントを入れて準備は万端だ。
「うっし、準備完了! あの蹴り入れやがったジジイぶん殴ってやる!」
「いやいや、先に神話生物退治ですよ。花巫さん助けないと!」
「準備は出来たようだな。覚悟はしておけよ、私達は今から本当の命のやり取りをするんだ。……頼むから死ぬなよ」
ハイッ!と先輩と共に返事をして、俺達は部屋を飛び出して行った。何としてでも、天上供犠を止めなくてはならない。彼女は、人並みの幸せを手に入れてもいいはずなのだから。
To be continued……
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