noise
レコードの円盤、カセットテープ、CD、MDと歴史を辿った音楽メディアは、2010年代からWeb配信サービスに取って代わられるようになった。
音楽に限った話ではない。書籍、ゲーム、そもそも貨幣・通貨システム……本来物質的な、モノを買う、という行為自体すらも、物質性から遠のこうとしている。
利便性は格段に上がった。陰で犠牲になったものもあろう。しかし我々人類は、そのような瑕疵には目もくれないで、テクノロジーの奔流を日々享受している。
いいこととも、悪いこととも、私に断じる資格はない。ただ、物質的・物理的なメディアが主流から遠のこうとしていることは確かだ。まるで必要ないものであるかのように、効率的でないとみなされたものは切り捨てられていく。
カセットテープをラジカセのスロットに入れて再生する。ラジカセ、という響きがもう懐かしい。確かに21世紀初頭までは主流だった。いつの間にか、小型で高性能な音楽プレイヤーとスマートフォンにその座を追われた。
テープからは、ノイズ混じりのジャズが流れ始めた。幼稚園だか小学校だかで演奏した記憶がある、古い映画の主題歌だ。ラジオではよく放送されていたし、そらで歌える人は多いだろうが、映画そのものについては知る人も減ってきているような曲だ……。
腕を枕に、顔をそっと伏せる。昔付き合っていた人が、今でいうミニマリストだと気づいたのは最近のことだ。上京してきたばかりの私に同棲を持ちかけた彼女は、最初からそのつもりだったのか否かはわからないがともかく、私と恋人関係になった。悪いひとではなかったのだが、しかし私との相性は良くなかったように思う。彼女の基準で不要、と判断されたものはすぐに廃棄されてしまうのだ。もちろん、私が捨てないでと言ったものは取っておいてくれたし、彼女は狂ったように断捨離を行うタイプでもなかった。最初のうちなら仲も良く、デートにも行った……けれど、やはり決定的に合わなかった。
別れたきっかけは覚えていない。察するに、私が大切にしていたものを無断で捨てられたか、あるいは二人の思い出だと私が信じていたものをゴミに出されたか……いずれにしても、彼女の合理的思考に、私はそぐわなかった、ということだろう。
昔の思い出だ。残しているだけで傷を負うのに、捨てられない、捨てたくない、そんな私の郷愁だ。
目を覚ます。いつの間にか眠っていたようだ。テープの再生は終わっていた。
停止ボタンを押したところで、私は頬の涙の跡に気がついた。
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