快眠業者 ⅩⅩⅩⅠ

「……あのこれ、本当に水が出ているわけじゃないんですよね?」

 加奈かなの質問に、快眠請負人はええ、と頷く。

「あなたの幻覚です。ただ、だけでも人は。溺死の可能性は頭に入れておいてください」

「……はい」

 やはり――加奈は思った。、と。認識への介入どころかそれを操作し、場合によっては――その相手を殺すこともできる。快眠請負人はそんなことはしまい……加奈がそう思っているだけで、本当のところなど誰にもわからないのだ。だから例えば、いまこうして2人でいるときに、彼女が加奈の体を突き飛ばせば、最悪、加奈は溺死する。のだ。

 ――それが彼女の望みだった場合、加奈はどうするべきなのだろう?

「では、気をつけてついてきてください。大丈夫、じきに水は引きます」

「……」

 加奈の葛藤をよそに、快眠請負人は歩き出した。加奈はその後に続く。水のせいですこぶる動きづらい。




 行き先は屋上だった。2階、3階と上がった時点で水は引き、強いて言うなら水を吸った下半身と衣服が気持ち悪かったのだが、これも幻だと思うことで、どうにか乗り切った。

 ……乗り切れたのだろうか?

 ともかく屋上は、風が気持ちよかった。寝起きで泣き腫らした顔に涼しく吹き抜けていく。

「…どうするんですか?」

「あまり急かさないでください……」

 快眠請負人は困ったように口を尖らせた。

「実のところ、ほぼノープランです。大局的な指針はありますが、短期的にクリアする途中目標はないです」

「……」

 少し拍子抜け。というか、得体の知れない相手だと思っていた快眠請負人が、途端に血の通った人間のように感じられて、嬉しかった。

 ……もし何か歯車が狂ったとして、自分が隣にいて、それを止められるなら是非そうしたい、とすらも考える。加奈は快眠請負人を心から愛し、そして崇拝していた。ゆえに、彼女のやり方が間違っていたとすれば、それを止めたかった。

「……じゃあ、快眠さんが考える長期的な目標ってなんなんですか」

「……前にもお話ししたとおり、日本全体の睡眠の質を上げること。三大欲求のうちの一つを、擬似的にであったとしてもコントロールできるようになったとすれば、その影響は計り知れません」

 快眠請負人は振り向いた。やはりその瞳は、覚悟に染まっているようだった。

「……快眠さん。決めましょう、短期目標」

「ですね。それがなければどうにもならない」

 風が吹いていく。少し湿気を孕んで、生ぬるい風が。

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